「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ご馳走・・・」

2013年11月29日 | つれづれ噺

「ご馳走」という言葉がある。
馳走とは、かけはしること。奔走。 あれこれ走り回って世話をするという意味である。
相手のことを思って準備に奔走する気持ちの表れから、「ふるまい」「もてなし」「饗応」など、こころよく接待をすることをいうようになった。
それらが要約されて、馳走とは、豪華な食事。うまい食べ物。となり、「ご馳走」は、馳走の丁寧語。と記されている。

急なお客あったとき、どのようにしてもてなそうか迷う。そんな時には先ず家の周りにある畑に走る。
つまり、お腹を満たしてもらうために、食材を求めて足を運ぶ行為。それが、来訪者へのおもてなしの心につながる。
それは必ずしも豪華でなくていい。急ごしらえの質素なものでいい。問題はその奥に潜む、真心の有り無しなのだということか。

2020年のオリンピック招致合戦の結果、東京開催が決定。正直、心躍る期待がある。
何を隠そう、後7年元気に生きて、東京オリンピックをこの肌で実感したいという、単純にして明快な健康願望が一段と強くなり、それなりの健康管理の起爆剤になったことを、喜んでいるだけかもしれないが・・・。

何はともあれ、きわどい招致合戦を経て、マドリードとイスタンブールを抜いて東京に決まったわけである。
その大きな原動力となったのが、プレゼンテーションという名の「東京紹介・日本の良さをアピール・日本人の心根をPR」といった一連の各界を代表する面々の熱意が、大きく明暗を分けたという感は否めない。その中で紹介された「お・も・て・な・し」は、来訪者を歓迎し、心を込めた受け入れ態勢を整えることの大切さを、改めて思い起こさせるきっかけになったのも確かである。

大枚のお金をかけて、最高の素材を手に贅沢を尽くせば「ご馳走」はできる。それは誰がやっても一通りのことはできる。
ただそれは飽くまでもご馳走の話である。オリンピックは、それぞれの国を代表する世界のアスリートが威信を背負って日本にやってくる。そこには、ご馳走を超えるおもてなし、つまり心地よく競技に臨める下地を作るのも大きな要素となる。

遠くに住む子や孫が実家の温かさを期待して戻ってくる。何はおいてもその接待に没頭する。それが故郷を守る者の務めならば、オリンピック選手を受け入れる日本全体が、母親の心や、祖母の気持ちになって迎えることができるなら、これに越した「お・も・て・な・し」はないのだろう。 7年後が楽しみである。

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「最後の紅葉狩り」

2013年11月26日 | 季節の移ろい・出来事

  
  千畳閣から見下ろす厳島神社と、遠くに大聖院を望む         もみじ谷公園の一角         


                  もみじ谷公園、お弥山さん登り口付近の紅葉

隠れ紅葉の名所と言われる、というか、自分で勝手にそう呼んでいる、国の名勝「錦帯橋」の奥座敷。「岩国もみじ谷公園」。
オオ!見事なものだ!! と、毎年のことながら、数少ないお国自慢の紅葉を愛でてきた。
ところが今年はどうも様子が違う。イロハモミジの艶やかな朱色や、大銀杏の黄金色、いわゆるまばゆいほどの黄落に出合えなかった。

いつまでもいつまでも続いた厳しい残暑のお蔭で、秋という季節が短く、とたんに冬が来るのかと思わせたりして、はなはだしい天候不順。そんな異常もあって、紅葉も例年通り、すんなりとはいかなかったようだ。
結局、目を見張るような艶やかさには出合わないままとなった岩国。

ならば近くにある、こちらは天下に名高い日本三景のひとつ、安芸の宮島を訪れてみた。
もう一つの目的は、世界遺産の厳島神社に詣でるという厳粛な楽しみもある。さらに今一つ、私的な要件もあった。

早めに家を出たにもかかわらず、祭日と土曜日が重なった勤労感謝の日。宮島口駅周辺の駐車場という駐車場は朝から満杯状態。山陽本線を横切った山手の民間駐車場を辛うじて確保。急いで船で渡ると、参道のみやげ物通りはまるですし詰め。縁日の浅草仲見世通りか、年末のアメ横を思わせる混雑ぶり。
日本三景・世界遺産という知名度にはこれほどの人が集まるのかと、改めて舌を巻く。

お目当ての要件を済ませて、神社から少し奥まった山ふところへ。
そこには、放し飼いの鹿もそこかしこ。広い広いもみじ谷公園が待っている。青春時代の甘酸っぱさがジワ~っとわいてくるところ。
ところが、これほどの多くの人出。遠い昔の感傷に浸る間もなく、人影の少ないところを見つけては、紅葉の景観をカメラに収める。

残念なことに、岩国もみじ谷と同様、紅葉そのものは、例年の艶やかさには遠く及ばなかった。
やはり異常気象は、どこもかしこもわけへだてなく、紅葉の見事さを抑えてしまったようである。仕方がない。

その昔、宮島には「やもめの神様」が住んでいて、仲の良さそうなアベックには嫉妬心が働いて、別れさせるから、
カップルではなるべく行かない方がいい・・・などとまことしやかにささやかれた。
それも遠い昔の話なのか、今では完全なデートスポットとなっていて、アツアツのカップルの多いこと。
古手のカップルは、人ごみに圧倒されて早々に退散。次回こそお弥山さんに登ることを誓って・・・。

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「七五三、宮参り」

2013年11月25日 | 趣味・・エッセイ


       晴れ姿のはずが、ちょっと浮かない顔に
                                               
                                   大好きな兄ちゃんの前では、緊張もほどけて

満4歳7か月の悠雅君。数え年5歳、七五三のお祝いに晴れ姿で神社へお参り。
ちょっと変わっている4歳児。新しいことをさせようとするときや、新調した洋服を着させようとするとき、どういうわけか、厳しい抵抗を示す。普段と変わったことをするのに「このまんまでいい」などとうそぶく。なんでじゃろう。

そんなわけで、このたびの七五三衣装の裾上げや、寸法合わせも散々手を焼いた。
お父さんが、この三男坊のために自ら購入してきた紋付羽織袴。お宮参りの晴れ姿を期待したというのに。
我が家での寸法あわせさえ大変だったのだから、自分の家で、母親から着せられるのには相当の抵抗と、涙の反発もあったようだ。そんな普段にない衣装でお宮参りすることが、彼の常識の中にはないのだろう。
「七五三といってね、悠雅君が元気ですくすく育ってくれるよう、神様にお祈りするんよ」と、分かりにくい説明をしてみる。

お宮に着いた頃はまだ不機嫌が残っていて、目も腫れぼったく、普段の彼の顔ではないような。
記念の写真を撮ろうとしてもなかなか素直に目線をよこさない。じいちゃんの一生懸命さも伝わりそうにない。
それでも孫ニュースのネタにするには十分な枚数を撮った。

三人三様、まさに一人ひとり違うものだな~ と今更ながら驚く。
こういった強情っ張りを「個性」と呼ぶのかどうか分からないが、自分の意志を持ち、自分の気持ちを中心に周囲を動かそうとする強い意志はうかがえる。いいとか悪いとかは今は別な話として・・・。
ただし、会社の部下や交友関係では、何とも扱いにくいタイプではある。

まあいい、 ♪♪  ・・・ ・・・ いいか~男は 生意気くらいがちょうどいい~ ・・・ ・・・ ♪
と、親父が息子に言って聞かせる歌もある。
まして、ジジのしゃっちょこばった考え、世間体や体面を優先して自らを抑える考え、を押し付けてはいけないのだろう。
これから始まる長い長いみちのり。思ったようにやってみればいい。

宮司さんの打ち鳴らす太鼓を、自分でも叩きたそうな顔で眺めている。
そのころからようやく普段の笑顔が戻り、新調の羽織袴もヨレヨレにして兄ちゃんにまとわりつく三男坊。
この子らに “ 幸へ給え ” と、二礼二拍手一礼。神前に額づくジジである。

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「冬支度」

2013年11月22日 | 季節の移ろい・出来事

 
      イトスイセンが芽を伸ばして                   マンリョウの実が色づいて

幸いなことに、温暖なこの地方にはまだ「木枯らし1号」らしきものもやってきていない。
もちろん初雪の便りもない。それより、紅葉が最後の美しさを見せているという話題の方が多い。

本格的な冬はもう少し先か?と思っていたら、庭の片隅では確かな冬支度が進んでいるのが見える。
毎年春に咲く「イトスイセン」の、針のように細い緑の新芽が、意外に力強く背丈を伸ばしている。
その向こうには、葉っぱを青々と茂らせる「マンリョウ」の裾のほうから、もぶれついた実が色づきを見せ始めている。
季節をたがえず、冬支度に入っている。

そういえばつい先日、今年初めての暖房用灯油を買いに行った。18リットルポリ缶3個をクルマのトランクに。
5000円札の樋口一葉さんだけでは足りずに、書生を何人かつけ足すほどの出費となる。
アイタタッ!とは思っても、寒さばかりはじっと我慢もしていられない。風邪でも引いたらもっと厄介なことになる。
そんなこた~百も承知。だが、それにしても暖房費って安くないなー。この冬いったいどのくらい使うのだろう。

元気のいいお父さんに連れられて、すでに2回スキー場に行った孫兄ちゃんとカー君兄弟。明日も行くという。
こちらは単なる冬支度ではなく、本格的シーズン入りに向けて早くもトレーニング開始ということらしい。
一度出向くだけで、高速代にガソリンや食費、それにリフト券など、大変な物入りだと思うが、全国大会を目指すからにはこれも致し方のないことか。
お父さんのふところが寒くなる冬支度は気の毒に思うが、さてさてどうしたものだろう。

そして今日は11月22日。「いいふうふの日」だそうな。
どんなに仲良しのいい夫婦でも、公称されるいい夫婦の日は1年に1日しか訪れないことになっている。
まあいい、1年に何日あろうとなかろうと、それなりにそれなりのいい時間を共有できたらそれで充分ではないか。
願望とも自慢とも不満ともつかぬ曖昧さでこの話は終わりにしよう。
せっかくの11月22日。夫婦間の氷河期に向かう冬支度は避けて通りましょうや、ご同輩。 

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「突然の訃報」

2013年11月20日 | つれづれ噺

               

私の住む町の社会福祉協議会会長さんが、現役のまま突然亡くなられた。まさに青天の霹靂。

突然の訃報に接し、執行部の一員として正直、気持ちが揺れている。
急逝された会長さんの業績の大きさを想うとき、大変なことになったな~、これからどうしよう・・・という困惑が先ず頭をよぎる。

社会福祉協議会の使命や責務について、「ちょっとご意見を賜りたい・・・」と呼び出されては、長時間に及ぶ個人講義を受けたこ数知れず。
執行部との集団抗議を合わせると、その回数や時間はどれほどになるのだろうか。
個人講義の終わりには、後継を託したいお言葉を何度も頂いた。その都度かたくなにお断りをしてきた。
自分はまだその器ではないと。それに、三人もいる副会長という立場の人を飛び越えて会長職受諾という人事方程式は私の中ではあり得ない。あまりにもおこがましいことである。

そんなわけで新たに後継候補を見つけ、私を含めた数人で少しずつ申し送り会議を重ねている最中の突然の逝去。
後継者の心配を残したまま、志半ばに黄泉路を渡る会長さんの無念さを想うとき、断り続けたこの身は、合掌する手に力を込めるが、時すでに遅し。しばらくは後ろめたさにさいなまれるのだろうか。

言い訳をさせて頂くなら、会長職にあらずとも、それを補佐し、前会長のご遺志に沿う舵取り役は出来るのではないか。常に会全体を掌握しながら、スポークスマン的な立場で貢献する場はあるのではなかろうか、と思う部分はある。
この期に及んで逃げ出せはしない。なんとかやるしかない。

と、肩ひじ張るような薫陶を長年受けてきたということである。
しかし、これからは硬軟取り混ぜて、堅苦しい枠を取り外す役割も必要となろう。その時は、こんこんと抗議を受けてきた実績をもとに、的を外さない改革に力を貸せそうである。

「朝起きるとすぐにパソコンに向かって社協の仕事をしていた・・・」と言われる奥様の言葉通り、まさに寝食忘れるほどの情熱を傾けてこられた地域社会福祉協議会。曲がりなりにも守っていくことが我々の使命であろう。

満79歳の生涯。最後までやる気を貫き、他を寄せ付けない強気の一面に隠された真の優しさ。
お浄土でまた新たな役割を見つけて、後輩の指導に当たられんことを心からお祈りして・・・。   合掌!

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「目白押し」

2013年11月17日 | 季節の移ろい・出来事

             
                     18回目を数える、宇野千代記念「もみじ茶会」

近づく冬を前に、紅葉を愛でる会や、伝統を受け継ぐ会、あるいは地域おこしや町おこしなどなど、各地で盛りだくさんのイベントが開かれている。
そんな折、お天道様も気持ちよく協力して、小春日和の陽光を投げかけてくれればよさそうなものを、なかなかそうはさせない。
季節をちゃんと踏まえて、震え上がりそうな時雨を降らせ、お祭り気分をしぼませたりする。〇〇心と秋の空、変わりやすいのも困ったものだ。特に今年は秋が短かっただけに、秋の名残のお祭りは各地で賑わうはずなのに。

そんな変わりやすいお天気は、一日違いで明暗を分けたりする。
昨日開かれた、岩国出身の作家「宇野千代」生家の「もみじ茶会」。日中の5時間で、およそ800人が訪れた。
それも、お茶会とくれば和服の正装をした美女多数。カメラをどっちに向けようか、迷うほどの素敵なお召し物揃い。ならばお召しになっているご婦人は如何?とお尋ねあるか。
そりゃぁもう、お召し物とぴったし合ったお方もそこかしこ。お若い頃に会ってみたかった・・・という方も少なくない。かくのごとく、和服でもみじ鑑賞とくれば、小春日和は欠かせない。写真の通り、影が映るほどの絶好のお日和に恵まれた。

ところが、一夜明けた今日は、朝からあいにくの冷たい時雨。
11月半ば、花の日曜日。各地のイベントは目白押しというのに、主催者にはお気の毒な天気である。
そうは言いながら、約束もあって、クルマで20数キロの山あいの集落のお祭りへ。ほかならぬ野菜の朝市の買い出しという目的もあって。

およそ600世帯で人口1300人くらいの、決して大きくない集落。そのうちのおよそ100人が「町おこしクラブ」の会員として、今日のお祭りを盛り上げている、という実行委員長さんの話であった。
取れたて野菜はもちろん、ぜんざい・おこわクリごはん・お餅・うどん・そば・コーヒー・フライドポテト・雑貨コーナーetc
何でもありのテントが並ぶ。メインイベントは大量の餅まきということだった。残念ながら、冷たい時雨の中を1時間半も待てなくて途中で引き上げた。

餅まきに加われなかった心残りはあるが、テントの下で売声高く人を呼ぶ笑顔には、なにか感動をおぼえた。
街中ではない、あっちに一軒、こっちに一軒点在するだだっ広い集落で、人と人のつながり、助け合い、ちょっとしたやる気。そんなものをうまく結集すればこんな楽しいイベントが出来ることに、実行委員長の力量がうかがえた。

いい午前中を過ごした。
ちなみに「目白押し」とは、メジロが木の枝にとまるとき、押し合うように沢山並んでとまることからきている。
つまり、錦帯橋でも、玖珂町でも、美川も美和もお祭りだらけ。なんでこんな日に限って、雨を降らすのか、天へ一喝!!

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「カメラデビュー Ⅱ」

2013年11月16日 | 家族・孫話

                
                                   小春日和の吉香公園

小春日和に恵まれた初冬の一日。孫三男坊の悠雅君が幼稚園の「落ち葉ひろい」の遠足に。
時期やよし、久しぶりの吉香公園。カメラの出番Ⅱを狙って先回り。彼らがやってくるのを待った。

  

ピンクの帽子に空色の上っ張り。おそろいの制服のはずなのに・・・。
何故かひとり、上っ張りの上からグレーのカーディガンをしっかり着込んだのがいる。
これが我が孫悠雅君。敢えて色違いを着せて、ジジの目にもすぐに判別できるように、との配慮なのか。
単なる寒がり屋の母親が、自分と同じように思って、寒さ対策の気遣いで余分に一枚着せたのか。まあまあ目立っている、

少し離れた駐車場で園のバスを降りてから、お友達と仲良くお手手つないでやってきた。
やや遠くから望遠のカメラを向けると、鋭く見つけてわざと横を向いたり、お友達の陰に隠れたりするいたずらっ子。
生意気に、一丁前に照れている。最初はなかなか顔を向けない。何回か無駄なシャッター切っていると、ようやくよそ見をしながらではあるが手を振った。顔はしっかり笑ってる。

先生が記念写真を撮り始めると、今度は顔も体も斜(はす)に構えて、上目使いのVサイン。
先生の陰に隠れるようにこちらもパチリ!それも何枚か撮っているうちにやっとこさ、普通の顔、普通の姿でVサイン!!。
記念写真一枚撮るのだって、先生方のご苦労は並大抵ではない。手間暇かけてなんとか一枚形になって、さあお弁当。

     

せっかくの彼や彼女のお楽しみ。あまり長く邪魔するのも却って気を遣うだろうから、カメラテストを終えたら早々に引き揚げた。
それにしても、さくら組さん27人。二人の先生で面倒を見ている様子であったが、気の毒なほど大変なお仕事ではある。

家に帰るとお山の大将で、ジジやババにわがまま放題注文を付ける三男坊。だけど、やはりみんなとの行動では、場所をわきまえ歩調を合わせる気配りもしているようだ。それでいいのだ。それが当たり前なのだ。

いずれにしても、こんな被写体にカメラを向けると、なんかしらファインダーを覗く目が笑ってしまう。

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「季節を外して」

2013年11月14日 | 季節の移ろい・出来事

                
                    季節は外しても、目立っている待つ宵草

隣接する広い空地に、ポツンと一本の待つ宵草が異彩を放っている。
もともと、初夏から霜が降りる晩秋にかけての、非常に長い期間花を咲かせ、秋に種を散らせた後、冬には枯れる一年生の花である。

そういえば今年の夏もかなり咲くには咲いていた。しかし例年ほどの見事さではなかった。
連日の猛暑酷暑の上に、極端な雨不足となったこの夏。植物や花にとってご難な夏であったのに違いない。
それに、今年に限っては花の時期も短く、夕方になって花開くあの可憐な黄色も、本格的な秋を待たずに終わってしまったような気がする。

だからこそ、今を精いっぱい咲いている1本の名残の待つ宵草が、ひときわ目を引き、いとおしく思えるのかもしれない。
しかし一般的には季節を外して遅く咲く花を「狂い咲き」などと負のイメージで呼ぶ。
今咲いている待つ宵草に言わせれば「別に狂い咲きなどではないわよ・・・」と自らを主張するのかもしれない。
季節を外して咲く花を、もう一歩突っ込んでみると「返り咲き」という、冬の季語を持った素敵な言葉もあることを知った。

ついぞ簡単に使っている言葉にも、裏があったり表があったり、意外に本来の意味をはき違えて憶えていたり・・・。
こんなことは日常茶飯事。たとえ手前勝手な日記風ブログといえども、不特定多数の方に公表するからには多少気を遣いながら正確を期したい、と常々おもってはいるのだが。

季節外れの話のついでに、桜にまつわるひとくさりを。
「姥桜(うばざくら)」とは、葉(歯)に先だって花を開く桜の総称。つまり、葉(歯)なしの桜だから姥桜という、はなし。
問題は「姥桜」という言葉の普通の使われ方である。「どうせ私はうばざくら、花も実もない人生よ・・・」などと、負のイメージでとらえることこそ問題である。

「うばざくら」の本当の意味は「娘盛りが過ぎてもなお美しさが残っている年増。」「女盛りの年増。」
あの人は姥盛りね・・・などと言われたら、これはほめ言葉であり、熟れた美しさの代名詞みたいなものなのである。
知らなかったな~~ 皆さんはいかが?

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「新鋭カメラ、デビュー!」

2013年11月12日 | つれづれ噺

         

新たに手にしたデジタル一眼レフカメラ。
新・旧カメラの鮮明さや、直近・遠望など何点か撮り比べをしてその性能をチェック。ウーンなるほどこの違いか・・・と、わずかながら相違があることに納得と満足をしていた。
「大して変わらんね~」という声も聞こえるが、そこは深く掘り下げないことにして・・・。

何か記念になるような、新品にふさわしい本格的デビューのチャンスを待った。
それなりの被写体を待っていたということ。
そんな折に話が来たのが、小学5年生が出演する「岩国玖南地区小学校音楽会」である。
言うまでもなく、愛しの孫のカー君がステージで歌うという。ヨシッこれに決めた!!

1400人は収容できる広い会場。カメラテストにはもってこいである、前から後ろから撮影できると勇躍出かけた。
ところが、会場一般席は全て、出演する子供たちの席で保護者は入室禁止。三階の高いところが我々一般席。
それでも、三階の最前列がカメラ席との指定がある。その一角を確保。やおら、カメラを構える。

ステージは、見下ろす感じで遠くに見える。75~300mmの望遠レンズが必要かなとも思ったが、先ずは今回購入の18~135mmでピントを合わせる。カシャッ!シャッター音が心地いい。
オオッ!これで十分納得のいく写真が撮れているではないか。フフフ、ちょっと満足。
望遠ンレンズに取り替えることもなく、この程度の広さなら備え付けのレンズで十分撮影可能を確認できた。
あまり目を皿のようにして見ないで頂きたい部分はあるが、この程度なら十分であろう、と自己満足。

             

それにしても、こんな節目にちゃんとカー君の音楽会が用意されているとはね~。
「オレの孫ニュースが1ページ出来るんじゃね」と喜びながら、ジジが趣味としている孫新聞にまで気配りできる5年生が、ついついお気に入りになる。かといって、中1の兄や、4歳の弟も同様にお気に入りなのは間違いない。
次は、やんちゃな4歳児が被写体になるのかな・・・?

小学校音楽会は、精いっぱい練習した彼や彼女の努力がうかがえて楽しい。
その反面、学校ごとの音楽担当教師の力量の発表会という側面も感じられる。立体的な振り付けをしたり、小さな楽器でアクセントをつけたり、ステージに動きを取りいれたり・・・。
その点を考えるだけでも、先生という立場の難しさや大変さを改めて実感できる。
一生懸命歌い、演奏した子供たちに盛大な拍手を贈るとともに、「先生、頑張って!」とエールを贈りたくなった。

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「あれから5年」

2013年11月10日 | 家族・孫話

あれから丸5年という歳月が流れた。
頭の中では今もって、介護病棟のベッドで、息子が来るのを静かに待っているおふくろの姿がある。

未練がましく遠い昔を偲んでいる・・・、などという感情ではない。
なのに、ひ弱なコスモスが初冬の風に頼りなく揺れるのを見ると、5年前のあの時が鮮明によみがえる。
11月10日。100歳7か月を生きた母の祥月命日。

正直なところ、普段は忘れていることの方が多い。
新しいご飯を炊いたとき、真っ先にお鉢様を上げるとき、ローソクに灯をともし、お線香をくゆらすと思い出すくらいの、罰当たりと言われればそうかもしれないねーと反論はしない。
その程度しかしてやれない母への思いではあるが、今日この日ばかりは、朝からちゃんと冥福を祈る気持ちが何よりも優先していたことを自慢したい。というのもやはり変かな~。

心に引っかかるのは「あの時もう少しなんとか・・・」などと帰らぬ時を想ってしまうことである。
今盛んに言われている「緩和ケア」とか「傾聴」という言葉を耳にするとき、どうしても悔いが残る思いがする。
もっと聴いてやればよかった。もっともっと耳を傾け、同じ境地に立ってあいづちを打ってやればよかった。

などと繰り言並べても仕方がないが、せめて今日は、そんな思いに浸るのも許されるのかな、と思っている。
来年はちゃんとした七回忌法要を営むことになる。何かしら心落ち着かない今日一日。   合掌

 

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