「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「3653日」

2018年04月29日 | 趣味・・エッセイ

             
                 こんなテンプレートでスタート!

あれから10年。本当に10年続いて来たのだろうか。我が耳と目を疑いたくなるような感慨が胸の奥にフツフツと・・・・・・。
我がブログをログインすると「開設から3653日」と記されている。この10年間にうるう年が3回あったこと示している。
思えば2008年4月30日。恥ずかしさを押し隠し「お待たせ!!ブロガー仲間入り」と題して初投稿。
ハンドルネームは「世の中ちょっとやぶにらみ」と命名。これは長く続けて来た覆面随筆のタイトルの一部をあしらったものである。

こんな拙筆に目を通してくれるような奇特な暇人がこの世の中にいるのだろうか。果たして誰に読んでもらえるのだろうか。
正直なところ自分でも息が詰まるような期待と不安が入り交じるスタートであった。
2ヵ月前から「ブログの立ち上げ」をひもといた。参考書やパソコン説明書などをあさった。あれこれ教えてもらった。

それほどやる気と根気を引き起こさせてもらったのは、すぐ身近にいる同い年の先輩ブロガーであり、写真スタジオ経営の同級生である。
この二人には感謝して余りあるお世話になったと、口でこそはっきり言わないが、心の底で大いに感謝している。
そしていつしかエッセイ仲間以外にも目を通してもらっている感触が得られるようになった。

今は亡きアメリカフロリダ州に住む同級生とは、ブログを通して消息を交換し合ってきた。
孫の成長を見守る目も、単なる上っ面だけでなく内面的な成長に目配せするようになった。
他にも、何かと表面を1枚剥がした中身を覗こうとする意識が強くなった。それを理屈っぽいと言われればそれは私の不徳の致すところ。
それでも、どんな話題でも、どんな些細なことでも、自分の思いや意見を披歴した上で「ねーちょっと聞いてよ」という問いかけに心した思いはある。単なる報告や、写生にとどまらないよう気を付けた、という自負もある。しかしその判断は読んでいただいた人にゆだねる。

定年後の気楽な生活の中に、ブログという楽しみを取り入れさせてもらったこと、またお目通し頂いた多くの方に心からの感謝を申し上げると同時に、11年目に入る明日からも、足そうにも足せない、引こうにも引くものがない、単純思考ではありますが、肩の凝らないブログを心がけたいと思います。お見限りなくお義理の付き合いで結構です。今後ともよろしくお願いします。

スタート時点の懐かしいテンプレート。これを考え着くまでにも大そうな苦労だったな~ などと思い出しています。                

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「また白い花が咲いたよ」

2018年04月26日 | 季節の移ろい・出来事

     

何年ぶりだろう。我が家の小さな庭の南東の一隅を占拠している平戸つつじが、今年は目を見張らせるほど大量の花を付けた。
その見事な咲きっぷりは思わず記念の1枚カメラを向けたくなる。早速に花芯に潜り込み、蜜をあさるハチの姿もくっきりと。
以前は白と紅と半々に咲いていたと思っていたのに、紅はたったの2輪だけ。白に押されて紅は遠慮してしまったのだろうか。
よーく見ないと見過ごしそうになるたった2輪の紅だが、一応存在感は示している。

ここ数年咲くことのなかったこのつつじ。
前に住んでいた家から一緒にここに引っ越してきた、長い長いお付き合いの思い出に残る花である。
どこにでもある平凡な花の平戸つつじが、なにゆえそれほど愛おしいのか。

思えば10年前、2008年5月1日。「白い花の咲くころ」と題したブログを初投稿した。
それが、この拙ブログの本格的スタート。まさに最初の投稿文なのである。ブログ開設10年の感慨は後日に回すとして、今一度10年前を振り返ってみたくなった。 一つの足跡を覗き見ると・・・・・・。

2008年5月1日投稿

「白い花の咲くころ」と言えばその昔、郷愁とともに淡い恋心を叙情的に歌った歌謡曲があったのを思い出す。
今回の主役に抜擢した我が家に咲いた白い花は、残念ながら歌になるような情緒もなければ恋物語を秘めているわけでもない。ここ3・4年、ほとんど花を付けなかった平戸ツツジの話である。

毎年、その時期が来れば丁寧に刈り込み、必要な年には消毒も施した。なのになかなか花を付けない。
”咲かぬなら、抜いてしまおうこのツツジ”と何度か思ったものだ。だが待てよ、14年前、新築したこの家に引っ越して来るとき、家財道具や思い出をひとまとめにしてクルマに積んだ。ついでとは言え根こそぎ引いて、クルマの片隅に載せられて一緒に引っ越してきた仲間じゃないか。”咲かぬなら、咲かせてみせようこのツツジ”と思い直して更に手入れして肥やしもやった。
ツツジの方で根負けしたのか、老体に鞭打ったのか、数年ぶりに今年は見事な真っ白い花をいっぱい付けて楽しませてくれた。
元々は赤・白・ピンクと賑やかであったのに、どういう訳か、白一色だけである。
それでもまあいい、抜いて捨てずに可愛がった甲斐があったというものだ。
庭の片隅からではあるが、私たちの家庭の有り様をずーっと眺めてきた仲間なのである。花が終わったら早めに刈り込み、お礼の肥やしもやるからまた来年も頼むよ。鬼がハナで笑って裸足で逃げるようなハナシになってしまった。

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「訃報」

2018年04月24日 | スポーツ・観戦

         

1964年のプロ野球ドラフト会議で、広島東洋カープから2位指名されたのが、京都平安高校のキャッチャー衣笠祥男選手であった。
高校球児としてはキャッチャーで鳴らした選手を、当時の監督であった白石勝己氏は、惜しげもなく野手に転向させた。
その眼力もさることながら、衣笠選手の並外れた頑張りと努力によって、後に国民栄誉賞を受賞する超一流選手に押し上げた。

そんな元プロ野球選手がまた一人、静かに永遠の旅人となった。享年71歳。若い旅立ちである。
昼間のNHKレギュラー番組の途中、緊急ニューステロップで「衣笠祥男さん逝去」の訃報が流れた。
その直後、生放送の番組を中断して「ここでニュースをお伝えします」と、死因や過去の業績などを伝えた。
それほどに、いちプロ野球選手としては破格の扱いを受けるほどの偉大な選手であったということなのだろう。

我がひたすら愛する広島カープに生涯を捧げ、カープの永久欠番となった背番号3の選手だったから、ということだけでなく人間的にも、数多く残した名言にも、魅力を感じる大好きな選手の一人であった。
先日は星野仙一さんが逝き、今回衣笠祥男さん。だんだん寂しくなってくるな~。もっともその分新たな魅力ある選手が台頭するわけだが、彼らほどの気持ちの奥まで入り込む選手がどれほどいるか、まあじっくり見ていきたい。

衣笠選手のどこに魅力を感じるか?と問われたら、即座に「無事これ名馬」と答えるだろう。
連続試合出場の世界記録を打ち立てたかつての名馬衣笠祥男。
丈夫に生まれ育った身体をさらに鍛え上げ、群を抜く俊敏な動作で身体を守る。その上で想像以上の体調管理は大変な気持ちの入れようであったと聞く。「プロ野球選手なのだから、毎日元気な姿でグラウンドに立ってファンの声援に応える」。この姿勢を常に当たり前のこととしてやってのけることに、一つの生き方を見出した思いがしたものである。

他にも、きら星の如く人の心を動かす名言至言をたくさん残した、あの鉄人と異名をとる男の「優しさあふれる人懐っこい笑顔」これもまた大いなる魅力の一つであった。実力があるが故の優しさ。遠くまねの出来ない憧れの一面でもある。

言い募ればキリがない魅力ある人柄に、心からの哀悼を捧げ、ご冥福をお祈りしたい。   合掌

 

 



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「9才のパフォーマンス」

2018年04月22日 | 家族・孫話

      

長男は高校3年生。次男が高校1年生。そして三男悠雅君が、昨日9才の誕生日を迎えた。小学3年生の春を謳歌している。
二人の兄と年が離れている分、甘やかされることも多く、時々はわがままも顔を見せる。
それに相通じるのか、長男にも次男にもない、三男特有の自意識や負けん気が強いのも、将来を楽しみにさせてくれる。

9才になって2日目の今日は、所属するソフトボールチームのリーグ戦第2節が行われた。
「じいちゃん、明日は見に来れる?」と、昨夕の誕生祝の席で何度もジジに応援の催促をする。何かしら期するものがある様子。
「ヨシッ、明日は朝から応援に行くよ」と約束してやると、とろけるような何ともいい笑顔を見せる。「打点1を頼むよ」と注文を出すジジ。

今日は打順が一つ上がって5番。守備はここ最近ずっとショートストップ、遊撃手である。
3年生のちっこい体に5番バッターは荷が張るな~。ショートという守備も、セカンドやサードベースのフォローが必要だし・・・。
応援するジジとしては気が気ではない。ヘマをやらかさんように、思わず叱咤激励の声も響かせる。

本人の気持ちの中で誕生日を迎えた高揚感があったのか、一段と張り切っている様子が伝わって来る。
昨夕は、母親が予約購入したもの。ばあちゃんの手作り、倅の嫁さん手作りという三つのバースデーケーキに、それぞれにローソク9本を自ら立てて大喜び。その勢いがそのまま今日のグラウンドでのパフォーマンスに直結していたのだろうか。2試合でホームラン2本、打点5。
これまで見たことのないバッティング。ファインプレーも。褒め褒めシャワーを浴びせる。

2試合勝ったことで午後から順位決定戦に臨む。相手は5・6生でチームを固めた強豪。こちらは、たまたま運よく勝てたチーム。
勝敗の差は歴然。それでも守備の途中で「給水タイム」を取らなければならないほどの長い守備ばかりでもない、という試合となった。
剛球ピッチャーに手も足も出ない敗戦で3位の賞状。勝つこと負けること、有頂天とどん底を味わった誕生日翌日。
これでいいのだ。これがあるから喜びと涙を胸に秘めてまた上手になっていく。

小学2年生と3年生とでは、スポーツ選手にとって格段の進歩が表れる1年になると聞いたことがある。
技量は身をもって教えられなくなったジジであるが、グラウンドに絵を描いて理論の説明をするのは得意である。
監督やコーチの基本指導を邪魔をしないよう、野球勘を叩き込むのは9才になった今でしょ。

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「畑の行灯」

2018年04月18日 | 晴耕雨読

               
                      畑に出現した行灯

ニンニク、玉ねぎ、春ジャガ、スナックエンドウ、グリーンピースなどなど、それなりの時期を見計らって植えた野菜は、おおむね順調に生育している。スナックエンドウなどは「そろそろ収穫できるよ~」と催促するほどに実が膨らんで来た。
孫三兄弟の大好物で、じいちゃんの腕前を楽しみに待っていてくれる。作り甲斐のある品目の代表格である。

10日前に植えたトマトは、完全に活着し勢いよく芯を伸ばそうとする気配が見える。春先にしっかり肥しを施した畑作りが効果を見せている。
そして昨日、スイカ、キューリ、ピーマン、チシャなどを植えた。これで例年いそしんでいる夏野菜の定番メニューは全て植えた。
ただ今年は今ひとつ、トウモロコシを追加した。これは、間もなく5歳になる姫孫から、たってのリクエストに応えたものである。
何を考えたのか、どこで教わってきたのか「じいちゃん、トウモロコシ植えてよ」とポロっと言った。「お~、ヨシヨシ」である。何年か前に1度だけトウモロコシに挑戦したが見事に失敗した。あれ以来手を出さない野菜の一つなので、さてうまくいくやらどうやら。

スイカ、キューリ、ピーマンは、植えたての苗に虫がつきやすい。どうかすると枯れさせてしまうこともある。
そんな経験則から、苗を植えた直後に周囲をビニールで囲うひと手間をかけている。言って見れば虫よけのおまじないみたいなものなのかもしれない。結構手間のかかる作業だが、やらずに失敗すると悔いが残る。ということでやり終えた結果が、畑に多数の行灯が出現したという次第。手間暇かけたのだから、きっと美味しいスイカが生るに違いない、と自らに暗示をかける効果もあるようだ。

行灯と言えば、菜種油を燃やす灯りを、和紙を通して穏やかでまろやかな灯りに変えて、文を書く手許を照らした優雅な照明器具である。
昼行燈と言えば、あの忠臣蔵の大石内蔵助が「討ち入りなどしないよ」と世間の目を欺くために装った、凡庸の無駄な明かりとでもいうのだろうか。
そんなゆかしさとは縁遠い「畑の行灯」ではあるが、そのお陰をこうむったスイカたちが、3ヶ月先にどんな味わいを見せるのか楽しみである。

今さらながら改めて思う。野菜作りや植物を育てることは、子や孫を育てる親心と極めてよく似ていることを。
焦らずゆっくり、遠い先の結果を楽しみに・・・。

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「間もなく10年」

2018年04月15日 | 趣味・・エッセイ

                                

桜満開のころには、夏日を思わせるように噴水で遊ぶ子どもたちのニュースが流れた。
汗を拭くサラリーマンのスーツ姿も、テレビ放映対象になった。そんな数日を過ごしてまた真冬の寒さに逆戻りした日々があったり。
人には「風邪引かんようにね」と何度も言いながら、自分はどうだ。寝込みこそしなかったが万全ではない1週間を過ごした。
それでも、4月という年度替わりは何かと野暮用の方も次から次へと処理案件が持ち込まれる。

ついついブログも無沙汰勝ちになる。カー君の卒業式以来1週間ぶりのご対面と相なった次第。
ログインしてヒョイと目をやると「ブログ開設から3639日」と記されている。
❝ナヌッ?3639とな?❞その数字に思わず自分でも疑問符を付けたくなる感覚にとらわれた。

1年が365日とすると、え~と・・・・・・。やはり数字はウソをつかない。ブログ開設から間もなく丸10年という計算になる。
そっか~、あれからもう10年か~。色んな感慨が身体の中を駆け巡る。そして、まだ10年か~という思いも多少はある。

丸10年の記念日の感想は、またその日にゆだねるとして、あらかじめ感謝の言葉だけは述べておきたい。
ブログ開設を勧められたリ、刺激を受けたり、巧く乗せる激励を頂いたりしてきた。
そんな友をはじめ、多くの方々に感謝を申し上げたい。皆さんのお陰で、ひたすら続けることが出来た。とぎれとぎれではあっても。

小さな街区公園を手入れしている地区のお年寄りやご近所の力で、「30年ぶりにこれほどの花を付けた」と喜んでいる真っ白い藤の花。
「今までこんなに咲いたことはない」と、誇らしげに見上げる藤の花とは比較にならないこの拙ブログではあるが、完全に枯れることなく、間もなく10年。大した肥しも水もやらなかったのに、ただ枯らしてしまわなかったことをせめてもの慰みとしたいと思う。

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「和来君、入学式」

2018年04月09日 | 家族・孫話

    

外孫三兄弟の次男坊「和来君」が目出たく、高等学校へ入学した。
高校3年になる兄ちゃんは親の勧めもあって、早くから高校の選択や進路が決まっていて、島根県の高校に入学した。
カー君の場合、胸のうちに秘めた確かな夢はあるのだが、彼の持ち味でもあるやや控えめなところから、今のところ確固たる進路を発表していない。

中学2年のとき、地元の有志に祝ってもらう「立志式」でも、「今は夢探し中」ということであった。
中学校卒業式後の最後の学活挨拶でも、「これから色々と探して、自分に合ったことを見つけたい」ということであった。
それはそれで大いに結構なことであろうと思っている。「みんなと同じように人前で語る夢は持ち合わせていない」というなら、何も心配することはない。明日から始まる新たな友や教師とのつながりの中で、自分らしさを出せる何かを模索するという彼を、じっと応援し続けるのが応援団長の役回りというものか。

6歳の時、東京タワーに連れて行ってとせがまれ重い腰を上げたとき、湯島天神の境内を抜けてあの東大赤門まで足を伸ばしたのに、何の弾みか、赤門をくぐらせるのを忘れた苦い経験を思い出す。
ま、いいや。赤門ばかりが学問の極みでもない。ましてや、そこまでの勉学にいそしむ気持ちのない者に無理な注文をつけるのもねー。

兎に角、向こう3年かけて、じっくりどっしり、「自分探し、夢探し」に精力を注ぎこんで欲しい。
約8kmの距離を自転車通学すると決めている。願わくばこの気力だけは持ち続け、体力の増強も併せて邁進してくれたらいい。

学生服の袖丈も今は手が隠れそう。やがて袖丈も身丈もちんちくりんになるように、大いなる成長を遂げて欲しい。
身体の成長に合わせた心の成長も楽しみである。応援するぞ~

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「終いの花見」

2018年04月08日 | 宴会・会食

     

大小取り混ぜて数回のお花見を楽しんだ今年の桜。
「春に三日の晴れなし」の格言を覆し、桜が咲き始めてから11日も12日もの晴天続き。
しかも、学校が春休みに入ったころからの長期晴天は、行楽地の人出を誘い大賑わい。商売人は大喜びだったに違いない。
かなりの経済効果をもたらしたことだろう。地域の商店が少し元気を取り戻すと、街全体にホンの少しであっても元気が出て来る。

そんな長きにわたる好天に終わりを告げるころ、今年最大の花見が催された。例の会社OB会の「歩こう会」と称する花見である。
今回で45回目という。そんな節目に合わせて、例年のお城山登りではなく、岩国工場内を文字通り歩いて見学する約3キロを歩き通すコース。お天気こそ朝から青空が広がったが、風が強くその風が冬並みの冷たさ。襟を立て帽子を深く被って対応。
工場内にも数多く植えられているはずの桜の木は、新緑萌える葉桜に。あの優雅な風に舞う花弁は全て散った後であり、総勢110名に及ぶ大花見も、寒さと風に配慮して体育館の中と相なった。今年最後の大花見なのに、少し物足りなさは残った。

それでも、岩国工場の年度末決算はン十億円の黒字という景気のいい話を聞かされた後、あの顔この顔昔懐かしい顔ぶれで、文字通り同じ釜の飯を食いそして飲む談笑のひととき。気分の悪かろうはずがない。
それにしても、会の名前の通り「定年退職者の会」なのだから高齢者の集まりには違いない。体調不良や膝が痛い腰が痛いと声高に聞こえてくる。会場のあちこちにパイプ椅子を用意してもらっている人も多く見受けるようになった。

それでも「例年、この会にだけは何としても顔を出したい」という声も又聞こえる。
確実な代替わり、世代交代は見えている。そこへ行くと小生などまだまだ中堅どころか。周りにいる後輩などに声をかけて、この会の存続に少し力を貸さなければならない。

今日で今年のお花見も終わった。いよいよ明日から新年度として本格始動。
またあれこれ頭を悩ますのかな。「アホみたいにのぼせ上がらんように」と言われない程度に「ほどほどに」を心がけたいものである。

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「目借時」

2018年04月06日 | つれづれ噺

            

「目借時(めかりどき)」というあまり聞き慣れない言葉に出会った。
「蛙の目借時(かわずのめかりどき)」ともいうらしい。つまり、「春眠暁を覚えず」と言われる春の眠気を催す様子や、朝方の布団から抜け出すときの辛さ」みたいなものを言うのだそうな。俳句の世界では春の季語で、一定の人気を得ているらしい。

春は陽気のせいか、ついうとうとしてしまうことがある。春に眠気をも よおす理由は、蛙が人の目を借りるためだという俗説が古くからあり、これ から出た季語だといわれいる。 居眠りの理由をていよく蛙のせいにしているとも言えるが、水ぬるむ頃、ぬるんだ水から覗く蛙の目を見ると、なんだか眠たくなる気がすることから、最初 に眠気を蛙のせいにした人の気持ちも分からないではない。

     大きなる膝に蛙の目借時       服部くらら

     目借時こんにゃくちぎる爪を立て   石川桂郎

現役のころは、それこそ来る日も来る日も早く起きて出かけ、夕方は割と遅く帰っていた。8時間の睡眠を標準と言うなら、万年睡眠不足の常習犯であった。その結果、睡眠負債は膨らむ一方であったような。土日の連休で負債を取り返せるほどの睡眠時間が確保出きればいいが、毎週毎週そうも言っていられない。知らず知らずのうちに睡眠不足は溜まっていった。

それでも、特に大きな病もなく定年を迎えた。今の小生は「サンデー毎日」。よほどの計画でもなければ朝早く起きて、ラッシュの道路を走ることもなくなった。
睡眠負債のストレスや体力消耗を、どこかで、何かで、補いを付けていたのであろう。何かは具体的にはよく分からない。

やや能天気気味に、あまり小さなことにくよくよしないよう、気持ちをコントロールする術を持っていたのかな~。
もうしばらく、あの頃を思い出して能天気に、と言いたいところだが、今は能天気などを意識しなくても、どうかすると物忘れがあったり、人から言われて気が付いたり。ま、それでもなんとか生きて行けるということか。

うとうとまどろむ春の快楽を楽しめる今は幸せということか。過去という踏み台のお陰さんで。

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「カメラの花見」

2018年04月03日 | 幼馴染の動向

                                        
                                                 初めての岩国短大入学式

今日もまた真っ青い空が広がる絶好のお日和。
満開の桜が出迎える岩国短期大学の入学式へ。別段我が孫が入学するわけではないが、ご招待を頂いて礼服に身を包んで参列。
幼児教育科69名が厳かに着席。中には一旦社会人を経験して、今一度専門学習の道を選んだ人も数人見られた。
学長による入学許可宣言に続く式辞、いくつかの祝辞。そして入学者代表の「宣誓」。
所要時間30分少々。淡泊で短い儀式であった。これから向こう2年、専門教育を経て、育児のエキスパートとして世に出ていく。
やはりこういった式に侍るのは、児童・生徒・学生を問わず、心地よい緊張でことになる彼や彼女を見守ることになる。

             上流側か眺めた錦帯橋                       下流側から眺めた錦帯橋

昨日の「ついでの花見」のやり直しで、やや本気モード「カメラの花見」よろしく、あちこちビュースポットアングルを求めて。
と言っても、年から年中見ている景色。格別の感動が湧いてくるわけではないが、ひょっとしてこの拙ブログ初めて訪問される奇特なご仁がおられるかも。おられないかも。いずれにしても、郷土自慢の何枚かを貼りつけたくなるのは人情というものかも。

平日、それも火曜日というのに花見客はごった返すほどに。今年は桜の名所も一般の行楽地もお天道様に助けられたね~。
春に三日の晴れなし、と、異常気象の12日連続お天気との経済効果は如何ほどのものなのだろう。
兎に角いいお日和で、子どもたちは噴水プールで大はしゃぎ。

         
このアングルも、岩国吉香公園を代表するベストビューのひとつです。前方のさくらの見事なこと。
明後日は、飲み物食べ物好みの品々を持参して、気の置けない仲間でのお花見。花よ、少し残っていてね。

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