「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「こいの季節が・・・」

2011年05月31日 | つれづれ噺

           

皐月は鯉の・・・と、ホンのいっとき調子の良かった5月が終わった。
例年より早い梅雨の入りで、ここんところ湿り勝ちの日が続く。

「開幕ダッシュに成功!!」などと見出しを飾った我が愛しの広島カープ。
今夜の1対0の完封負けで3試合連続1対0。しかも3連続完封負け。
他ならぬ、25日にマツダスタジアムに応援に行って以来5連敗。4つあった貯金を使い果たし借金生活。なんかしら味噌桶が応援に行ったのが悪かったような気分だ。
いずれにしても、勝ちには不思議な勝ちがある。負けに不思議な負けはない。負けるには必ず理由がある。と改めて悟る。

そう言えばあの日、後ろの席で大声で話す観客の声がとっても参考になった。
2回の表、先頭バッターにホームラン打たれた。「こいつはタマが遅いけー打たれるんよ」カープの先発をこき下ろす。すぐその裏、カープの4番ストレートの四球。続く5番、いきなりレフト線2塁打、ノーアウト2・3塁。同点はおろか逆転だと声援に力が入る。「こいつがダメなんよ、今年は全く練習しとらんのじゃ」。聞きたくもない解説通りピッチャーゴロ。続くバッターも似たようなことで結局0点。

その後、ずーっと最後までそんな調子だった。「こいつは、よーやっとるよのー」と話しかける隣のオッさんの肯定的な問いかけにも、全て否定形の話しかしない。

世の中には、何を言っても聞いても「でもね・・・」「そうは言うが・・・」と相手の話を必ず頭っから否定して話に加わる人をよ~く見かける。
「う~ん、そうじゃね~」と先ずは相手の話を受け入れることから入ると話は続く。そして盛り上がる。その上で自分の意見を展開すればいい。

否定形で入って得になることは一つもない。相手を怒らせるか、黙り込んで話が続かなくなってしまうだけだ。
今日で5月も終わった。広島カープのペナントレースは、もう少しの間楽しませて欲しいものだ。明日から始まる水無月に期待をかけよう。
梅雨のど真ん中で水は有り余りそうなのに、何故水無月?。オッと・・・否定形はやめて、肯定的に先ずは受け入れることから始めよう。 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「2年越しのアマリリス」

2011年05月30日 | 季節の移ろい・出来事

        

梅雨に入ったとたんの台風襲来による大雨。この雨を待っていた植物もある。
大きなツボミを抱え、開こうかどうしようか・・・迷っていた感じの純白のアマリリス。
雨と共に一気に開いた。背こそ高くはないがその大輪の華やかさ。応援して待った甲斐がある。

昨年は全く花の兆候を見せないまま、梅雨をやりすごした。
今年は2年越しの開花である。
たかが庭に咲くアマリリスではあるが、咲いて見せてくれると嬉しくなる。

咲くべき花が咲かなかったり、生るべき実が生らなかったりすると、「手入れを怠ったのだろうか」「水遣りの手間を省いたのだろうか」あれこれ自分を責めることになる。

遠く離れた共に久しぶりの手紙を出してみる。
返事が返ってくればホッとする。同時に先方の元気に触れて嬉しくさえなる。
ところが、なかなか返ってこなかったら「それまでの無沙汰が失礼だったのだろうか」「今回の手紙になにか余計なことを書いたのだろうか」「体調を崩しているのではないだろうか」と心配になってくる。

こんな時は決まって、良い方向に考えることはない。
否定的で後ろ向きな想像ばかりが頭をよぎる。
「いやぁ元気ならそれでいいよ・・・」などと言ってはみるが、内心複雑である。

2年ぶりとはいえ見事に咲いた花にホッとさせられる。枯れてなどいなかった。
こんな心配をしないですむよう、花が終わったらまた一つ手をかけてやろう。
たかがアマリリス。されど命ある生き物には違いない。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「才能を見つける・・・」

2011年05月28日 | つれづれ噺

気さくな奥さんが、ご自分の子育て経験を淡々と皆さんに話しかけている・・・。
そんな風な、嫌味も凄味もない、肩の凝らない講演で、聞き応えがあった。
辻井いつ子さんによる「わが子の才能をいかに引き出し、伸ばすか」という講演会。

第一子、男の子誕生という幸せの絶頂を味わった夫婦に訪れた信じられない現実。
授かった長男は、生まれながらにして全盲というハンディキャップを背負わされていた。
母親人生最高の喜びから、一気に突き落とされた失意のどん底。そこから、辻井夫婦と子供の生活が始まる。一から十まで寄り添い、生きる手助けの毎日。

そんな中でふと気付いた子供の仕草。興味ある物に対する反応。
この微妙な変化を見逃さなかった母親の、何気ない思いやりと眼力がこの母子の成功への引き金となっていく。

2009年、アメリカのヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールにおいて、日本人初の優勝を果たしたかの有名な「辻井伸行ピアニスト」の誕生である。
そのかたわらに寄り添う、世界のピアニストのお母さんという栄誉を掴むことになった。

言葉にならない苦労の数々があっただろうと思うのに、そんな暗い過去をあまり感じさせないのは、単なるお人柄だけなのだろうか。
「ダメで元々、やれることはすべてやってみよう」という旺盛な好奇心。子供が何かをやったら褒めて褒めて褒めあげる。そして多くの人との出会いとご縁を大切にする。

我々健常な大人にさえ欠けている処世訓を教わる気持ちで聞いた。
子供の才能なんて、大人が考えるほど単純ではない。山よりも高く海よりも広い。そんな才能を如何に引き出すか、認めてやって伸ばしてやれるか。
ここに大きな分かれ道があるようだ。孫と付き合うジジの耳に痛かった。

最後は、どんな苦しい現実に遭遇しても「出口のないトンネルはない」。大震災の被害者の皆さんも、希望を持つことだけは忘れないで欲しい。としめくくられた。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人生応援歌」

2011年05月27日 | つれづれ噺

          

我が家から1時間も走ったところにある、瀬戸内海に浮かぶ周防大島。
そこには、憧れに憧れた昭和の名作詞家「星野哲郎」さんのふるさとがある。
まさに人生の応援団長であり、応援歌作りの達人でもある。先日85歳で亡くなられた。
惜しい!もっともっといっぱいの人生応援歌を世に送り出して欲しかった。

八の字眉の柔らかな笑顔。最後まで、山口県周防大島町の田舎のおじさん風を貫いた、親しみやすさにもう会えない。しかし、いつでもどこでも星野作品には出会える。それほど多くのヒット曲の作詞を手がけ、多くの人に愛され親しまれる歌を作ってこられたということだ。

 ♪♪ ドブに落ちても 根のある奴は いつかは蓮(はちす)の花と咲く・・・
       目方で男が売れるなら  こんな苦労もかけまいに・・・
            男というものつらいもの 顔で笑って 腹で泣く・・・ ♪♪ 

中でも、「男はつらいよ」の主題歌はフーテンの寅さんのイメージぴったりで、フッと笑いながら口ずさんで見たくなる歌である。

85歳という作詞家人生には、小説を何冊も書けるような紆余曲折・悲喜こもごもがあったと思うが、作品の多くが歌手の節目になるような大ヒット曲が多いことに驚かされる。
それらは、素朴な田舎の人情が下地を作り上げて行ったのだろうと言われる。

同じようなド田舎で、厚い人情に育まれ成長した割りにはそれなりの人生もある。
潮風に吹かれながら「みだれ髪」の女性に思いを馳せ「涙を抱いた渡り鳥」を捜してみようか。いい歌がいっぱいあるのに、演歌が下火なのは淋しいよね~。 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「負けに不思議はない・・・」

2011年05月26日 | 趣味・・エッセイ

        
        今シーズン初、カープを応援(2011.5.25) カンパイ!

“ 勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし ”
「生涯一捕手」と自分では言いながら、世間からは「名監督」「再生の盟主」と謳われた野村克也監督の言葉である。但し、ノムさんの創作ではなく、松浦静山の剣術書『剣談』からの流用と言われている。

「負けるときには、何の理由もなく負けるわけではなく、その試合中に何か負ける要素がある。勝ったときでも、何か負けに繋がる要素がある場合がある。」
そんなことを端的に表現し、戒めたのだろう。

今年初めて、マツダスタジアムに広島東洋カープの応援に行った。
目の前で起こった今のプレーを、瞬時に再現して見せてくれるVTRこそないが、やはり現場の迫力・本物の魅力には勝てない楽しさがいっぱいある。

残念ながら、1杯目のビールを飲み終わる頃には、試合を決定づけるような3点を取られた。相手投手はパリーグを代表するエース。あえなく完封を許す結果となった。
それでも、1点を先制された2回の裏、すぐさまノーアウト2・3塁という、同点は間違いなし、うまくいけば逆転だ・・・と最初っからボルテージは上がる。
何のことはない、カープの若い選手は手玉に取られ1点も取れず終い。
この拙攻が尾を引いたのか、その後は目を覆うばかりの無様な敗戦。

ビールでカンパイするどころではない。野球の方で見事なカンパイを見せてくれた!!

負けるときにはちゃんとした原因も理由もあるということか。
世の中も似たようなことが言えるのかな~。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「シーズン到来」

2011年05月24日 | アーカイブ(蔵出し)随筆

        

ビールのおいしい季節がやってきた。
ひと汗かいた後や、夕勤帰りの風呂上がり、プシュッ!喉を突き刺すあのうまさ。
特に最初の一杯は、単にうまいと言うより快感みたいな物さえ感じる。

えらそうなことを言っても、この味・この心地よさを体得したのは近頃のことである。
最初の一杯がおいしく呑めるようになったからといって、アルコールに強くなったわけではない。高いところに上がって、夜風に吹かれながら呑むあの屋上ビアガーデンのムードが、なんとも言えないほど好きなだけである。

デンと目の前に据えられた大ジョッキの、見るからに重そうな量感に圧倒されそうである。
時間がたって、みんなのジョッキが空になり始める、お代わりに立っていく。こちらはお代わりどころかまだ半分以上残っている。
なんとかペースを合わせようとしてはみるが、ここで無理をすると、楽しみな二次会三次会で、こめかみあたりがズキンズキンと音を立てるほど頭が痛くなる。

一次会を抑えめに。そして今はやりにはやっているカラオケバーへ。
思いっきりエコーを効かせてもらって、如何にもうまそうに聞こえるように、8トラテープに合わせて声を張り上げる。カウンターの向こうから「おじょうずね」などと社交辞令の決まり文句を受けながら、マイクを握りしめる手にジットリ汗をかいている。(後略)

1979年に、大真面目でこのようなことを書いている。
各段に進歩したのはカラオケ設備などであって、呑めないこと、その割りにカラオケマイク握ったら思いっきりはしゃぐことなど、30年以上前とほとんど変わっていないことに愕然。
というか、今のほうがあの頃よりもっと気楽に芯から楽しんでいる気がしないでもない。

まあいいか、人生短いのだ。進歩があろうとなかろうと、あの時はあの時、今は今。
ひとには分かるまいが、自分がほんの少しでも進歩していると思えばそれでいいか・・・。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「孫に惹かれて願行寺」

2011年05月22日 | 家族・孫話

        
         お稚児さん姿の兄ちゃん。ちょっと照れる三男坊
             

孫の兄ちゃん二人がお稚児さんになって、お寺行事に参加するという。
何はともあれ駆け付けて、写真係に汗を流した。三男坊のお守りもしっかりやった。

岩国市内からクルマで約1時間、島根県境にほど近い集落にある「松柄山・願行寺」という古刹で、庫裡の落慶に合わせて、親鸞聖人750回忌大遠忌法要が執り行われた。
社寺において数十年に一度行われるような一大行事には、お稚児さんを参加させるという旧来の風習にのっとった儀式である。

稚児とは・・・。調べてみると多くの定義や意見が分かれている。その元祖は源義経の幼年時代の牛若丸という話もある。
ここでは、お稚児さんとして、寺社で営まれる行事に参加することで、み仏に守っていただき、やさしく賢い良い子になるという願いをこめ るものである。頭上にみ仏の聖水を頂く、 灌頂 (かんじょう) という儀式もあり、物事の道理をわかる賢 い子になるようにという願いを込めて参加させて頂いた。

本来は6歳以下の幼児を対象とするところ、少子化もあり、今回は3歳以上小学6年以下が招かれた。
普段全く着ることのない特別な稚児衣装。仏壇専門店から派遣された女性講師に従って衣装を身に着ける。襟元がきつい・・・。ハカマのヒモが胸を締め付ける・・・。あれこれ苦情を言う。でも出来上がってみると、これがまた絵になる。これぞ馬子にも衣装!!

二人とも初めての体験であり、おそらく二度とチャンスはないのだろう。
宗教的なお話しは、大人になってじっくり考えてくれたらいい。今は、兎に角多くの場に多くの足跡を残させることこそ肝要。と、親が欲張っているのかもしれない。

「いただきます」は食べる合図ではなく、命への礼儀」
大きな山門の柱に貼られた、手書きの標語が身にしみる一日であった。

( 写真: 10人の住職さんの間に入って、ご本尊様の周辺を2周するお稚児さん)

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「孫に引かれて景福寺・・・」

2011年05月20日 | つれづれ噺

         

               

午後4時過ぎ、3年生になったカー君を久しぶりに迎えに行った。
クルマに乗ると同時に「オレお礼参りに行きたいんよ、じいちゃん一緒に行って」という。
「前日の校外学習で近くの古いお寺に行ったところ、急に雨が降り出して、みんながお寺で雨宿りさせてもらって助かったんよ、だからお礼を言いたい」と言う。

何か気がかりなことがあったのだな・・・と予測は付くが、「お礼参り」と言われては無視するわけにもいくまい。だまされたと思って、学校にクルマを置いたまま、すぐ近くの山を目指すカー君の後をついていった。
険しい坂道だったが、ちゃんと覚えていて間違いなく案内してくれた。

微笑山景福寺は、泉迫の小丘の上にある。小判山を近くに控え高雅閑静の地で、南に通津の家並みを越えて瀬戸内海の碧波を望むことが出来る。
景福寺は黄檗宗で臨済宗より分かれた一派で万福寺を本山としている。云々の由来が書かれている。(郷土研究家の文化財散歩)

境内には大愚禅師の胸像石仏や芭蕉の句碑がある。
芭蕉の句碑には「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」とあった。

あれこれ丁寧に観ている間にカー君の姿が見えなくなった。
お寺の敷地からちょっと離れたところで、畑の手入れをしているオジサンを見つけて、親しそうに話し込んでいる。オジサンも上手に相手をしてくれている。
その方が、現在の景福寺を守っている住職さんであった。

そばに黄色く熟れたキンカンが生っていた。住職さんに勧められてポケットいっぱいにキンカンをもらっていた。ひょっとしたらこのキンカンが狙い目だったのだろうか。
それにしても「孫に引かれて古刹巡り」面白い夕暮れであった。
こんな片田舎の小さな山の中にも歴史は息づいていることを再発見できた。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「無縁社会」から「絆社会」へ

2011年05月19日 | 趣味・・エッセイ

    
     「困難さに打ち勝つ」「ひたむきさ」
震災当時は満開だった「さざんか」。花言葉を添えて)

 東日本大震災から2ヶ月が過ぎた。被災者がこの間どんな思いで過ごされたのか、考えるだけで言葉を失い、胸が痛くなる。
 
一方、今も厳しい避難生活を余儀なくされている方々の周辺で、集団生活の在り方のお手本が示されていることに、勇気を頂く思いがする。
 お互いに肩を寄せ合い、助けあい、喜びも悲しみも食糧も労働も、すべてを分かち合い、笑顔を作り出す努力をされている姿がある。そこには必ず、世話役や自治会長のような頼もしいリーダーがおられる。
 このような切迫した状況の中で「隣人を思い遣る」気持ちを前面に出し、他人同士を絆で結び、まとめ上げ、大きな家族を作り上げる努力に対し、心からのエールを贈りたいと思う。 
 向こう三軒両隣、お互い助け合った良き時代の町内会を思い出す。
「震災後の生活の見直し」を掲げる中に、隣近所の付き合いの大切さ、自治会や福祉協議会など地域社会に、積極的に溶け込んでいく意識改革も盛り込みたい。
 人間一人では生きていけない。
「無縁社会」などとは無縁な、お互いが寄り添う「絆社会」を今一度築き上げていけたらいいなと思う。

             ( 2011.5.19 朝日新聞 「声」 掲載 )

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ジャガイモの花」

2011年05月18日 | 晴耕雨読

         
           咲き始めた、ジャガイモの花

  今日現在            3月17日、植え付けた時。  病み上がりの悠雅君  

初めて作ったジャガイモ。見事に花を咲かせた。
この出来映えなら、本格的な農家と充分比較に耐える成育である。

せっかく盛り上がった緑の葉っぱが、この前の大雨で、あっちこち折れていた。それも再び新しい芽を吹いて元気に成長を続けている。
植えて2ヶ月。後ひと月もしたらこの手で作ったメイクイーン。新ジャガが口に入りそうだ。これに味を占めて秋ジャガにも挑戦することになるのだろう。

何を作るのも、ちょっとした耳学問や我流でやってしまう。結局うまいこといかず、苗代や肥料代が惜しまれるようなことも度々であった。
今回のジャガイモ作りに関しては、初挑戦もあってちょっと真剣だった。
テレビの家庭菜園をメモったり、ネットで植え付けの理想を調べたり・・・。

柄にもなくオベンキョーをした。 “ジャガイモはウソつかない”
ちゃんと基本を守ればそれなりの成果が出る。当たり前のことなのに、すべて実地で体験し、来年に生かそうとする。来年になったら大方のことを忘れている。

まあいい、取り敢えず初挑戦にしては上出来ということだ。
ポテトチップスや、フライドポテトの予約が入る。任せなさい・・・と胸を張ってみるか。
その前に、初物は泥をよく洗って先ずは仏前へ。お裾分けはそこからだ。
さてどんな味がするのやら・・・。

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい