「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「スーパーブルームーン」

2023年08月31日 | 季節の移ろい・出来事

     
    旧暦7月15日 まん丸お月さま(スーパーブルームーン1日目)   雲に囲まれて明るさを抑えた十五夜の月(いずれも8月30日)

「スーパーブルームーン」っていったい何者??その正体は??と思ってブログアップしようとしたら、これまでにないgooブログの不調に出会ってしまった。昨日のアップ画面や「自分のブログを見る」までは開けるのに、その先の「編集画面ログイン」が1時間以上言うことを聞いてくれなかった。いささか焦った(笑)かれこれ90分近くじらされて、やっとこさアップした昨夜の満月写真を載せることができた。

まあ普段随分お世話になっているgooブログさんだから許容範囲ではある。但し、いま世界中の問題となっている某国家による日本へのハッカーや嫌がらせメールによって混乱したのであればこれは話は別で許せない。

せっかくの2009年以来14年ぶりとなる「スーパーブルームーン」の話をしようというのだから、思い上がった大国の横暴など気にせずに話を進めたい。つまりスーパーブルームーンとは、同じ満月でも地球に最も接近して、お月様が大きく見えるのがスーパームーンである。そのスーパームーンを、今年の8月はついたちと昨夜30日と、1か月で2回目の満月を見られることから「スーパーブルームーン」と呼ばれるとのことである。

そんなわけで、昨夜の満月をカメラに収め、出来るものなら今宵の満月と大きさを比べてみたかったのに、残念!今宵は雨ふりお月さんは雲の影で二晩続けての鑑賞には至らなかった。ま、そういいことばかりは続かないやねー。

満月から新月までの月の名称は、十六夜(いざよい)~立待月(たちまちづき)~居待月(いまちづき)~寝待月(ねまちづき)~更待月(ふけまちづき)~下弦(かげん)~有明月(ありあけづき)~三十日月(みそかづき)。などと、その時々の呼び方まで変えて、お月様の移り変わりまで風流と捉える日本古来の奥ゆかしさを証明するように、外国でもブルームーン・スーパーブルームーンなどと呼んでいるとはね~。
夜空に浮かぶたった一つのお月様を美しいと思うのは、万国・万人共通のものかもしれないね。

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「錦帯橋の日 制定」

2023年08月30日 | いわくによいとこ

             
                 川面に写る優美な姿は、薄幸な美女を思わせる 錦帯橋

             
                 ライトアップによっては登り龍にも変身して見せる 錦帯橋

創建350年を迎える我が町のシンボル、国の名勝「錦帯橋」。このたび岩国市議会において10月1日を「錦帯橋の日」と定める決議案が可決された。
一市民としては遅きに失した感は否めない。なぜもっと早く、その歴史的な価値、木造建築の技術の高さなど、評価するべき点を吹聴する手立てを講じて来なかったのか。何故もっともっと観光業者に売り込んで来なかったのか。観光行政や地域の歴史感覚の遅れを感じてしまう。

今さら何を?同じ穴のムジナじゃないかとのお叱りを甘んじて受けながら、我が町の歴史遺産を改めて売り込みたいという気になっている。
今までも非力ではあったが、自分なりのPRを随分やっては来たと思っているが、行政手段に訴えるまでには至らなかった。
錦帯橋は江戸時代の1673年に、吉川広家から数えて3代目の領主吉川広嘉によって創建された。たび重なる洪水流失の従来の橋から、様々な知見や手法を考えて作られたものである。かつて岩国検定を企画する中で、色々な文献をあさった過去もある。

何故その日が10月1日なのか。諸説ある中で、政治の決済を担った御用所の「御用所日記」に「10月1日夜までに工事が残らず完了し、領主に報告された。3日には往来が可能になった」記述が残されていたことが決め手になったという。このようなアピールを続けながら、残るは「世界文化遺産登録」を目指して地道な活動をしている団体を応援したい。 

あわよくば、山口・萩・津和野そして宮島につながる観光ルートの一角として岩国錦帯橋が食い込める日を夢見よう。

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「医師の守備範囲」

2023年08月29日 | つれづれ噺

                  
                       腱板断裂の図(丸の囲み)

左肩の不調が気になり始めて間もなく、患者さんが比較的少なくて待ち時間が計算できる某整形外科に行った。確かな病名は告げられないまま「患部に痛み止めの注射」と「痛み止め飲み薬」の治療が約半年続いた。
あまり改善の傾向が見られないので看護師現役の娘が推奨する、行列の出来る整形外科医へ変わった。初診ですぐにMRI検査を受診を。その結果今度は広島西医療センターの専門医を紹介された。

「左肩腱板断裂」との診断名で修復手術を受けることになった。それが2021年11月15のこと。その後定期的なCT検査・MRI検査を受診。同時進行でリハビリテーションにも通い続けた。あれから1年9ヵ月の歳月が流れた。
それでも今なお、手術執刀の担当医の定期検診は続く。今日は2ヵ月ぶりの可動領域確認検診に行って来た。

今日の検診でやっと診察の終わりが見えた感じ。担当医師から「次回は11月にCTを」「12月初めにMRIを」予約して頂いた。これで手術から丸2年間お世話になる。私の目に入っただけでも同じ腱板断裂手術を受けた人が何人いただろう。月に4人いたとしても100人に及ぶ。その人たちを丸2年間、経過観察をしながら異常の有無を追跡調査するその根気とパワー。医師の責務と言ってしまえばそれまでだが、実際は大変な労働力を要する。
ご苦労さま、お世話になります。検査で出かけるたびに深々と頭を下げて診察室を出る。

肩の痛みが日に日に薄れていくぶん、医師に対する感謝の念が日に日に深くなって行く。

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「納涼の調べ」

2023年08月27日 | ちょっとお出かけ

          
                  演目   桜三題(メドレー)
          
                  演目   越後獅子

お盆がとっくに過ぎて、夏休みも終わりが近いというのにまだまだ続くこの暑さ。どうすりゃいいのよといった声が聞こえるこの暑さ。
そんな日々の中で思わぬ納涼の調べへのご案内を頂いた。母校の高校と付属中学校の長唄三味線部による「長唄三味線の会」へのお誘いである。
公式会場の多目的ホールなので間違いなく冷房完備。海辺でも川のそばでもないが納涼には違いない、いそいそと出かけた。

よく考えてみれば自分の普段の生活の中で、あまりにも縁遠い長唄の世界である。ただ三味線には小学時代に強烈な印象を植え付けられた記憶がある。昭和26年夏、当時の国有鉄道が地元に新たな「南岩国駅」を作ってくれた時のこと。地元全体が湧き上がるお祝い行列の中で、私の地区から出されたシャギリから流れる、締め太鼓と三味線の華やかなお囃子に魅了された。あの時以来、三味線の音には何とはなしに血の騒ぐ思いがする。

そんなこんな思いを胸に客席のほぼ真ん中に陣取った。遥かな後輩諸君の練習の成果をこの目で確かめたかった。
「梅の宴」に始まり「「末広狩」と続き「桜三題」は、❝元禄花見踊❞ ❝さくら❞ ❝京鹿子娘道成寺❞のメドレーで聞きごたえがあった。
さらに鏡獅子や勧進帳など、歌舞伎や歌舞伎舞踊の音楽とされる素晴らしい演奏の数々を堪能した。

ちなみに、三味線音楽についてもジャンルによる分類で、「長唄(ながうた)」「端唄(はうた)」「地歌(じうた)」「民謡」などがある。
長唄には清元(きよもと)・常磐津(ときわづ)・義太夫(ぎだゆう)ほかいくつかが含まれる。端唄には小唄が含まれるなどなど、歴史が長いだけにそれぞれ深い話があるようだ。全てを理解するには少し時間が掛かりそうである。

小難しい話はさておいても、終わりに近い暑さの中で素敵な時間が持てたことを、後輩諸君に感謝したい。

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「晩夏の憂い」

2023年08月26日 | ニュース・世相

                 

子どもたちの夏休みが終わりに近づくころになると、なんとか無事に二学期を迎えて欲しい、元気に登校を始めて欲しいと願う気持ちが強くなる。
私自身の5人の孫のうち4人が新学期を迎えるという身内事情もあるが、地元の小学校では夏休みには竹細工教室も行い他人様の児童と触れ合って来た。つい先日は二学期に備えて、二つの小学校で環境整備作業と言う樹木の剪定や草刈りなどに地域活動として住民がこぞって汗を流してもきた。そんな事情もあって、うちの子よその子関係なしに「元気な笑顔の二学期を」期待する。

そんな中で二学期を目前に児童の痛ましい事故が起きた。夏休み終盤のお楽しみイベントのはずであった夏休み体験教室ウオータースライダーによる児童同士の衝突事故で、尊い命が奪われた。運営した自治体の監督責任が厳しく問われている。一緒に参加したはずの親はどんな立ち位置だったのだろう。
夏休みに帰省する孫の一番の目的は、すぐ近くの海の公園に行って数時間を見ずと戯れることである。

運転手兼お菓子や飲み物のスポンサー兼安全監視役のジジは責任重大である。時計片手に水分補給の設定も。いっときだって居眠りなどしちゃいられない。相手は海にはしゃぐ命知らずなのである。自分で行動して疲れるのとは違う数倍の疲れを感じるのが監視役の宿命である。
子どもは遊びに夢中になる。夢中になれば我を忘れる、注意も警告も耳に入らなくなる。そんな中でも本気で子どもを守り、コントロールすのは誰か。珍しい遊びに夢中になる複数の子どもを、少人数の主催者や担当者だけに任せていいのか。保護者はどこまで介入すべきなのか。考えてみたいものだ。

竹細工教室の時も「安全に妥協は無し」という掛け声で指導者を励ました。のこぎり・切り出しナイフ・ナタやキリなど普段使わない危険な工具を使うのだから、ケガは隣り合わせ。それでもけがをする危険な行為には大声出してでも止めなさい。それは児童を守ることであり、竹細工教室に理解を示す学校を守ることでもある。そして、一度はそういう危険を伴う工具の使い方を教え、自分の手で作品に仕上げる達成感を味合わせてあげたいと願うのである。

ケガをさせたら全てが終わる。来年の開催も危うくなる。そんな危機感をもって子どもたちの笑顔を求める地域活動もあるということ。

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「記憶と記録と」

2023年08月25日 | 趣味・・エッセイ

     

5人いる孫たちそれぞれの成長を記憶として遺しておきたいがそれには限度がある。じきに忘れてしまうリスクが大きい。ならば記憶と同時に記録も残してやりたいということで始めたのが「孫ニュース」と言う名の写真集である。もちろん、その時々の印象や彼と彼女たちの努力の跡などを、ジジババ目線で書き留めて一応ニュースの形に仕上げて渡す。孫はともかく、娘も嫁も親の方が大喜びで、大事にファイリングしてくれている。

制作者のジジは可能な限りカメラを抱えて現場に赴き、メモを取りながら取材してしっかりネタを蓄える。かつて新聞社のタウンリポーターとしてあちこち走り回って写真と記事を書きあげた経験にも助けられている。カメラの腕は芸術祭などに出展する芸術写真は撮れないが、動きの中から一瞬を切り取る報道写真には少しのウンチクも持っているつもり。それより何より、ボケ防止としては格好の活動である。

なんだかんだ言いながら、早い話が孫の活躍する姿をこの目で追いかけていたいだけのことである。追いかけられない時は、ラインという武器で娘や嫁さんが現場写真を送ってくれる。そんなこともあって、Aー4版1枚を1号としてトータルが400号近くになった。
特に今は、中学2年生の野球部活動の追っかけはリポーターというより、どうかするとシャッター押すのを忘れて彼のプレーの応援に血道を上げる始末でリポーター失格でもある。

それでもこうして、野球応援、運動会、大学卒業式、海水浴などなど季節に応じた活動を追いかけ、記憶と記録を残しながら愚作ではあるがもうしばらくこんな日々を続けていきたい。暑さにも老いにも負けないように。      

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「OSO18」

2023年08月24日 | ニュース・世相

                    
                      恐怖のヒグマOSO18  ネット拝借

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「107年振りの」

2023年08月23日 | スポーツ・観戦

              
               
                  その瞬間、ホームベース前で歓喜の雄たけびを上げる 慶応高校ナイン
  
        あぁ栄冠は慶応に輝く                     昨年の覇者連覇ならず 準優勝 仙台育英高校

連日の猛暑にもめげず、甲子園球場を舞台に熱い戦いを繰り広げた「第105回全国高等学校野球大会」。
昨年の優勝校宮城県代表仙台育英高校と神奈川県代表慶応高校が優勝旗をかけて戦った。
結果はご承知の通り、なんと107年ぶりという途方もない長き年数を経て、慶応高校が悲願の優勝旗を神奈川県にもたらした。

日本全国の高校野球チームは3500校近くに及ぶ。中には、一校だけではチームが成立せずに二校・三校合同のチームもある。
そうして地方予選を勝ち抜いた49チームが甲子園に集う。まさに小中高で野球に親しんだ者の聖地であり、当面の目標の地である。

いつもの通り、最初は白かったはずのユニフォームがグレーから真っ黒に変わり、汗と泥にまみれてたった一つの白球を追いかける。その結果汗と泥と涙と笑顔に彩られた人間ドラマが生み出される。体力温存と熱中症対策のおこもりさんで高校野球を堪能させてもらったこの夏。
意外な好プレーや球際の強さにことさら目を光らせた。そうやってジジの目と感覚を養い、孫君へのアドバイスの糧にするのである。内野守備には一球ごとに、一瞬ごとに異なる対応が求められる。「頭を使いなさい」「一瞬の状況判断を誤らないように」「他の内野手との気配り・目配りを大切に」などなど、日を追うごとにジジの注文は厳しさを増す。もちろん、褒めてやることも忘れてはいない。

そして一つの暑い夏が終わった。今日は珍しくこちらにも恵みの雨が降った。だが、蒸し暑さと高温は続き熱中症対策は叫ばれるのだろう。
これから秋半ばまではプロ野球広島カープの戦いに注目しよう。やっぱり野球からは離れられんのかね~(苦笑)

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「4年振りのお誘い」

2023年08月22日 | 宴会・会食

                    

会社OB会の年間行事の一つである団体一泊旅行が4年振りに開催される案内が来た。他にも秋半ばに開催される懐かしい友との再会を企画した案内など相次いで届いている。どれもみな、コロナ以前はほぼ毎年行われていた楽しみな年間恒例行事であったし、我が辞書には「断る」という字がないくらいに小まめなお付き合いをしてきた。

案内状には「4年ぶりの開催、旧交を温めましょう・・・」といった文字が並ぶ。有難いことにまだ覚えていてもらっていたと喜ぶ半面、丸3年のブランクは長かったね~という、どうかすると後ろ向きな思いが結構強くなっている。自分でも驚く感情ではある。
出席か欠席か、花占いでもしてみようか。ま、締め切りはしばらく先なので、取り敢えず様子を見ることに。

ただ自分でも不思議な感情なのは、こういった案内を頂いた場合特別な事情がない限りおおむね参加してきたと思っている。それも積極的に手を挙げて、幹事さんの意向を汲んだ盛り上げ役に回ってきたと思っている。
しかも、コロナの閉塞期間中は一日も早い復帰を待ち望み、元に戻ったら元を取るぞ!などと張り切る自分であったはずなのに。
今のこの積極性に欠ける姿はなんなのか。

何もないことが普通であったコロナ閉塞にすっかり慣らされてしまったのか。何事もないことを驚かなくなったのか、何事かあることを億劫に感じるようになったのか。自分でもよ~わからん。
ただ一つ言えるのは、連日の猛暑・酷暑に根負けして、孫君の追っかけ以外は能動的に動くのが嫌になっている自分がいる。これは確かなこと。

兎に角、涼風を感じる季節を迎えるのを待って、気持ちがどっちに向いて動くのか見てみたい。それからだ。完全復活したい気持ちは持っているつもり。また明日ということか。

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「追悼の日々」

2023年08月21日 | ニュース・世相

                    
                          土砂災害の傷跡  資料  

広島市で77人の犠牲者が出た「広島土砂災害」から9年が過ぎた。遺族の皆さんが災害発生地を中心に追悼行事を営んだというニュースに触れた。
思い起こせば、中学時代の古希同窓会を行って、まだその熱気が幾分か残っているタイミングでの大惨事発生であった。すぐ手の届くところに置いてある同窓会名簿から、該当地区に住んでいる5・6人に電話して安否を確かめたのを今もはっきり覚えている。

不幸中の幸いで、電話した相手からは「事務所はつぶれたが自宅は無事だったよ」とか、土石流が少し離れていたから命拾いしたよ、など生々しい声を聞かされたが犠牲になった同級生はいなかったことに、少しの安堵を覚えたのを思い出している。あのときから9年と言う歳月が。
何年過ぎようが、身近な大切な命を突然の災害で奪われた心の傷が癒えることはないと思う。改めてご冥福の祈りを捧げるしかない。

改めて今思うのは、「災害は忘れたころにやってくる」などと呑気なことを言っていたのは遥か昔の話なのだということ。
この頃の災害は、忘れたころどころか、いつどこで川を氾濫させ大水害を起こしたり土砂災害を発生させるか全く予測できない。それほどに急転直下の災害発生はどこでも突然に襲い来るのである。

地域における「防災のすすめ」や「独自のハザードマップ作り」など多くの試みが行われている。
災害から身を守るのはまさしく自力本願である。他人の力を頼りにすることは大切な要素ではあるが、先ずは普段の生活の中で今一度、我が身を守る、大切な家族を守る具体的な方策を項目別に作成しておきたいものである。防災の日が近づいている。

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