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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「色々なロック」

2025年06月09日 | ニュース・世相

              
                色んな意味を込めて百合の花

6月9日、勝手な語呂合わせで名付けた「ロック」。色んなことが世界で起きている。何から取り上げようか。いずれも、「何やってんだろうね~」「もうちょっと常識人らしい対応がなかったの?」。少しのお怒りと嘆きが交錯する。

怒っても嘆いてもどうにも止まらないのが季節の雨「梅雨」。九州・中国・近畿地方で梅雨入り宣言発表。
そのとたんに九州南部では、線状降水帯発生で大雨警戒が叫ばれている。これから約1カ月、日本全国各地で荒れ狂う雨と闘う日々となる。天気予報を見逃さないこと、水害を甘く見ないこと、耳を澄ませることなどが尊い命を守ることになる。ひとり一人が気を付けたいものだ。

アメリカでは、一人の独裁者の考え方によって移民政策が見直された。挙句は、退去を命じられた行き場のない多くの移民が蜂起して、軍隊との衝突に発展した。どちらにも言い分があって、双方の内なる真実を知り得ない者が迂闊な発言は慎むべきだと思う。が、かつて世界のリーダーだった強者の優しさ、困っている人に小麦粉を分け合う鷹揚さはどこへ行ったのか。何が何でも自国民を守る、逆らうものに容赦はしない。かつて自らが「ロケットマン」と呼んだ世界の核兵器バランスを崩して止まない、どこかの我がまま独裁者と似たり寄ったりだ。

我が国内でも、国技の相撲界が揺れたり落ち着いたり。結局何がどうなってこうなったの?ではあるが、こちらもそれぞれの言い分があって、相撲協会の良識や伝統を守る立場と、実績と人気を背景に改革を求めた立場の相違がことの発端だったとか。これもまた聞きのまた聞き話で、多くは語るべきではないが、やはり郷に入ったら郷に従う教育をする総指揮官は必要なのではないかな。

ロック(6/9)、色んな出来事が、どれも心配すればキリがないものばかり。油断はせずに、少しのんびりも必要だね~。

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「五月晴れにも陰が」

2025年05月02日 | ニュース・世相

 
                 下がるほど 人の見上げる 藤の花
        

がっちりした人工棚に支えられて、頭上を縦横に伸びる枝々から地面に向かって垂れ下がる藤の花。柔らかい紫いろの簪(かんざし)を思わせる優雅を漂わせている。本名が「藤の花」で、平安の昔から呼ばれていたのが「紫草」。もう一つポピュラーな呼び名が、春と夏の二つの季節に咲くことから「二季草」とも呼ばれているのだそうな。
久しぶりに花言葉を追ってみた。「君の愛に酔う」という大人感覚の小粋な花言葉ではある。根っこから奔放に分かれた枝という枝が、棚にしがみつく様子を言い表したようである。

こんな優しい花が咲き乱れ、間もなく「子供の日」を迎えようという5月のいい季節に、またぞろ無差別殺人の標的が子供に向けられるという痛ましい事件が、大阪西成区という繁華な路上で引き起こされた。動機や詳細はこれから判明していくのだろうが、なんとも許せない暴挙である。
地域の児童生徒の健全育成や安心安全見守りに携わって来た一人として、やりきれない思いの犯罪に言葉を失う。

それでなくても子供は世界の宝、地域の活力源といわれる貴重な存在。何としても周囲の大人たちが親と一緒になって守り抜く気概の中で、自暴自棄に陥った犯罪者の巻き添えにされる小学生。何とか防げないものか。
自由社会が高じて、個の尊重が正常に機能するときはいいが、一つ狂うと個の尊重が横暴に変わる。恐ろしい世の中である。

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「曖昧模糊」

2025年04月22日 | ニュース・世相

                                           

世は色とりどりのハナミズキが咲き誇っている。同じく見上げる花でも、桜とはまた違った趣を魅せる。
昔の人は、桜は庭木としてはあまり好まなかった。パッと一度に花開く桜は見事であるが、散り始めたらアッという間に完全に散ってしまう儚さを嫌ったのかもしれない。花の散り方が普通の花とは違って、首から落ちると表現される椿も庭木としてはあまり好まれなかった。

そこへ行くと、寒さに耐えて春の先陣を切って咲く梅の花は、その花期の長さからも庭木として日本の風情の象徴のように愛された。しかし、現代日本人の好みは、梅から桜に移行した感がある。
花を愛でる心意気もその時代、その時の人情で移り変わる。言ってみれば曖昧ではある。

ハナミズキが咲き誇る今この時も、世の中には曖昧模糊、掴みどころのない事柄があふれている。
財務省の機密文書に絡む「森友学園問題」「備蓄米が放出されても一向に値段は下がらない米価問題」「ガソリンの税率軽減による価格見直し」「ロシア・ウクライナの停戦問題」但しこれは停戦ではなく一方的な武力侵略を世界中が受け入れている不思議。「トランプ氏のロシアに対する圧力の頼りなさ」「超大国の横暴を許す、アメリカ・ロシア・中国問題」等々。どこに正義があるのか、何が真実なのか、ストンと腑に落ちることの少ない4月下旬。靴の上からかかとを掻くのが「もどかしさ」の代表だが、今の世界中にはこれ以上のもどかしさが溢れている。

如何ともしがたいじれったさを感じながら、すさんだ風が収まるのを待つしかないのか。声を上げようにも、こちらの声も枯れるし、疲れるのが先になってきた。英知と機知と並外れた度量を持つ世界のリーダーが現れないものか。

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「あれから9年」

2025年04月16日 | ニュース・世相

                 

「トラ&プー」の気まぐれとしたたかさで、世の中はグラグラの大激震。いつ鎮まるともしれない揺れが続き、なんとも足許の覚束ない日々が続いている。対処しようにもその方策が全く見つからないという苛立ちの日々でもある。

そんな中、九州熊本を襲った地震の本震と言われる揺れの最も大きかった震度7の発生から、今日が9年となる。あちらこちらで追悼行事が行われた。
いつも言われることだが、地震や津波など予期しない不慮の災害が起きるたびに、普段の備えはどうだったか?抜かりはなかったか?必ず議論される。そして死者など被災者が出たりすると、災害発生時の担当部署の責任者が何らかの形で責任を問われる。

災害発生の規模を予測して対策を立てる。その予測した規模以下の災害なら対策が生かされる。ところが東日本大震災の大津波のどでかい規模を誰が予測し得ただろうか。地球温暖化など地球規模の災害の大きさ、強さは人知をはるかに超えた威力で襲い掛かる。それらに対する災害発生への備えを、個人の生活レベルに求められても対応できるかどうか。難しいところである。

差し迫っている南海トラフ地震・津波の発生予測は逼迫しているが、正直なところ、満足な対策ってどこまでを言うのか理解できていないし、結局は近くの高い所に避難する、といった程度の非常に曖昧な答えしか持っていない。

トラ&プーが引き起こす世界の恐慌や侵略戦争のごたごたさえ何ともできない現代社会の中で、地球規模の自然災害が発生したら、いったいどう対処するのか、困っている。そんな災害が身近なところで起きないことをお祈りするしかないのかね~。

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「春の五計」

2025年03月26日 | ニュース・世相

     春は5K
         黄砂飛来予測図

春とは直接関係ないが、かつて職場環境・労働条件として問題視されたときの「K」は三つ。いわゆる「きつい・汚い・危険」の3Kとして敬遠された一時期があった。そこから環境の整備が進んで、汚いも危険もかなり改善されたが、なかなか完全解決には至っていないようだ。

そんな過去を踏まえたわけでもないだろうが、今この季節、まさしく春にもKはある。それも3Kよりもっと多い5Kというから驚きである。一つ目、乾燥。二つ目、強風。三つ目、寒暖差。四つ目、花粉。そして黄砂。
春の七草はお正月明けの胃に優しい七草雑炊だが、この季節の5Kはご免こうむりたい。
特にここ数日の黄砂は、春霞を3倍くらいにした濃さに見える。杉・ヒノキの花粉も舞飛ぶ。副鼻腔炎手術や、無呼吸症候群対策の器具で鼻炎はひどくなるばかりの人間にとって、この上に黄砂かよう、である。
くしゃみの連発に、朝から晩までティッシュが離せないお鼻垂れさん。何とかしてほしいよ。もうしばらく元気で頑張りたいと思うファイトも奪われてしまいそう。

それにしても、春は5Kとは言いえて妙ではある。感心などしてはいられないが、抵抗のしようがないのも人間という動物の弱さか。つまりこんな現象から身を守るのは、マスク・うがい・手洗いなど、コロナ蔓延期と同様の対策が要るようだ。
一斉に花開く春は、鼻の煩いには大敵。うかつに鼻を上に向けて花を見上げるなど厳に慎みたい。

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「放送記念日」

2025年03月22日 | ニュース・世相

                    
                 日本放送協会に納められたラジオ  

日本の放送は1925年3月22日、東京放送局のラジオ仮放送で始まった。とある。
アナウンサーの第一声に続き、海軍による演奏そして東京放送局総裁後藤新平氏が、文化の機会均等などラジオの機能を説明した。そんな歴史や物語を秘めて始まったラジオ放送。

昭和20年代のラジオは、演芸・スポーツ実況・ニュースなど、内容が盛りだくさん。まるでなんでも出てくる音の魔法の箱のように、鴨居に棚を吊って私たちの頭の高さより高い位置に置くべき、大切な物であった。
親父の大好きな浪曲夜話、上方演芸会、花菱アチャコと浪花千恵子の「お父さんはお人よし」などは必死に耳を傾けたラジオ放送であった。

そしてテレビ放送が始まったのは1953年、昭和28年。まさにラジオの全国放送が始まってテレビの映像放送に移るまでに28年間を要している。放送界をはじめ映像化学など一連の分野が、どれほど多くの力を寄せ合い出し合って、現在のテレビ文化の先駆けになったのだろう。そんな思いが頭をかすめると、その道のプロとして先陣を切ることの尊さを思い知らされる。

放送開始から100年か~。生まれる17年前には、東京でしゃべる言葉が全国に流され、蒸気機関車の蒸気を吐き出す音や汽笛が遠い山奥にまで届けられていたのだ。もう少し長生きしたらどんな新しい発見を見せてくれるのだろうか。やっぱりNHKバンザイだね~。受信料払ってみんなで放送界を守ろうや。

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「断て 特殊詐欺」

2025年03月16日 | ニュース・世相

 『銃殺恐れ詐欺に協力』

「ミャンマーから帰還の中国人」 こんな見出しが躍る新聞紙面。
いま盛んに報道されるミャンマー犯罪組織拠点から発せられる、特殊詐欺の複雑巧妙な手口。
騙されてキャッシュカードを渡したり、大枚の現金を見も知らぬ他人に渡しておいて、家族や警察に相談して詐欺にやられた事実を知り呆然とする。こんな構図を聞き飽きるほど耳にし、イヤになるほど目にしてきた。それでもこの犯罪は手を変え品を変えて、益々劇場化、巧妙化して私たちに迫って来る。

犯罪拠点には1400人ほどの男女が監禁されていて、朝から晩まで電話をかけまくる「かけ子」として働かされる。仮想通貨を売りつける詐欺の実績が上がらない仲間は、夜に入って𠮟責の殴る蹴るの暴行を受ける。いたたまれなくなって逃亡を企てたら銃殺される。こんな無法が今の世の中にまかり通っている。だから詐欺犯罪は簡単には減らない。どうすればいいの?

徹底して私たちが被害者にならないことに努力する。これしかない。騙されては彼らのもとにキャッシュが転がり込めば益々増長するばかり。「断て特殊詐欺」の決め手は、電話の話のキャッシュカードだの、儲け話や名義貸し賠償だの、現金を動かす話には乗らない、聞かない、付け込ませない。いち早く周りの誰かに相談する。

それでも巧妙な手口に乗りそうになる。「つい近くで外壁塗装工事をしている者ですが、お宅の屋根のこの部分が気になりましてね」とスマホで撮った写真を見せて「明日の昼私が屋根に上がって点検しましょう、点検料は5000円でいいですよ」と。「へー築30年、そろそろガタが来るのかー、5000円の点検料なら」などと同調するととんでもない話。あそこが痛んでいる、ここが腐りかけていると法外な点検料・作業料を吹っ掛けられる。「我が家の点検は〇〇工務店に全て任せてあるから結構」ときっちり断ること。とにかく点検などさせないこと。断り切れる私たちの勇気と、すぐ誰かに相談する臆病さが、詐欺グループの収入源を断つことになる、んじゃないかな~。どうじゃろう! 点検料5000円に引っ掛かりそうになったのは私でした。

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「アンタもか」

2025年03月14日 | ニュース・世相

           

来年度の予算案が年度内に決まるのか決まらないのか。春闘の平均的賃上げ結果がどのように落ち着くのか。
そんなお金の話が世情のニュースを牛耳っているときに、またぞろ権力者が若手議員に商品券を提供するという性懲りもない、お金にまつわる疑惑が勃発。現職の総理大臣の椅子を揺るがしかねない、忌まわしいお話。

世の大中企業が政策の行方を考慮して大幅な賃上げに傾いたという、庶民にうれしいお金の話なら我慢が出来ようというものだが。
理由が何であれ、新人議員に手土産替わりに10万円の商品券配布は豪儀だねー。何の思惑もないのに10万を手渡せる金銭感覚のマヒが、庶民感覚とかけ離れていること。それでなくとも政権交代さえすれば全て世の中がうまくいくという錯覚を持つ政治家集団の攻撃の的となったこと。ややこしいねー。

こんな時思うのは、予算委員会をこじらせ、新年度の予算案成立が遅れれば、災害復興の進捗にも影響が出かねない。ということは誰が困るのか。政治家は自分の主張するところを突っ張っていれば名前は売れるかもしれないが、生活に困るのは国民なのである。国民の生活を最優先しない先生方は本当の先生方なの?素朴に思う。

一方で今年の春闘の回答をみていると、昭和40年代半ばを思い出す。池田隼人・所得倍増論。田中角栄・日本列島改造論。その後のバブル期を謳歌した青春時代の話はまた改めることにしよう。
汚れているのかいないのかは別として、手土産替わりの商品券と同じ土俵で語るには少しもったいない気がするんだね~。

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「14年の歳月」

2025年03月11日 | ニュース・世相

     
            隣の空き地に、大小10本の梅の木が一斉に満開。
   

あれから14年。未曽有の大惨事となった東日本大震災。死者行方不明者合わせて22200人超。それ以外の負傷者や避難生活を余儀なくされている人たちの苦難や如何ばかりか。常人では想像も及ばない被害の大きさである。発生が午後2時46分という、昼間の地震発生にもかかわらず、逃げることのできない速さで襲い来る大津波。復興もいまだ完全でないことに苛立ちも覚えるが、自然というとてつもない破壊力の前には、人間の営みがなかなか追いつかないのかもしれないが、一日でも早い復旧復興が待たれる。ただただ犠牲者のご冥福をお祈りするしかない、発生から14年を経た今日の思いである。

そして、日本列島を襲うと予測される「南海トラフ地震・津波」も不気味さを帯びてきている。地震の規模も津波の高さも、予測できないところに不安は募る。たとえ瀬戸内海とはいえ海岸線に面した地域に住むものにとっての心配は尽きない、というのが現状であるにも関わらず、私自身を始めとしてどこまでの危機感を共有しているか、疑問である。どうしても「今までそんな津波実績もないし」などと甘い方へ流れてしまう。

自治会においてもごく簡単なハザードマップがあったり、災害発生時の対策フローチャートとか、緊急連絡網などと、色んなお題目は並べられているが、実際にどれほどの効き目があるのか、だれがどのような指令を出すのか、いずれも素人集団である。とはいえ、自分の命を守ること、大切な人の命を守ることにどれほど真剣であるかが、いざ一大事の発生時に真価を発揮する。やはり頼りとするのは自分自身であり自己責任であると腹をくくっておくのがいいのかも。

あれから14年が過ぎた3月11日ではあるが、数年前から育ててきた隣のの空き地の梅の木も、今や大小合わせて10本が根付いている。しかも4種類の木が混ざり合ってしっかり花をつけている。
人々の悲しみとは別のところで、季節を感じ、時の流れに沿って花は咲く。それに伴って梅にはメジロ・ヒヨなど小鳥は蜜を吸いに来る。世の営みとはこれが本来の姿なのか。とすれば、どんな苦しさの中にも、ちょっと目線を上げて季節に咲く花を愛でる気持ちは忘れないようにしようということか。春はすぐそこに。

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「百獣の王はライオン」

2025年03月06日 | ニュース・世相

               
黄金の地色に黒い縞模様、頬から下あごにかけて真っ白い髭がのびる。
前足をついた腹ばいで顔をすっくと上げたときの雄姿。そのかっこ良さは他に類を見ない、それはそれ勇壮そのもの。しかも清潔感もあって、まさにあらゆる動物の頂点に立っても決して恥ずかしくないのがトラ。
なのに百獣の王様にはなれない。百獣の王は言わずと知れたライオンであり、和名は獅子と呼ばれる。

このたび、本来なら世界をリードし、世界の警察権を持って久しかった大国の主になったのがトラさんである。このトラさんも、弱肉強食の世界を生きる動物のトラさんと共通するものがあるねーと感じている。
弱肉強食の世界を生きるのだから、弱い者いじめはお手の物。たとえお腹が減っていなくても、目の前を弱い動物が通れば容赦なく襲うといわれているトラ。そこへ行くとライオンは、お腹が減って減ってたまらなくなった時に狩りをする。お腹が減っていなければ小動物を襲わない。この紳士的な鷹揚さが、百獣の王様はライオンなのだ。トラになるよりライオンになれ、と子供のころに親父さんからしっかり教えられた。
残念なことにライオンにはなれなかった、トラにもなれないまま年老いてしまった。

プーさんという寒い国のオオカミに追い回されて命からがらのウサギを、トラは救うどころか「意に沿わなかった」と理屈をつけてオオカミに擦り寄るような態度で世界中をがっかりさせた。が、大富豪のトラを取り巻く周囲から何をやっても称賛の拍手が鳴りやまないのだから、メリカンという国はわかりにくい。同盟国という名の絆も、都合次第では頭越しになんでも先に結論を出されそうで、どうも落ち着かない。

今思い出したが、長い会社勤めの中でも色んなトラと出会ってきたねぇ。ところどころにライオンさんもいてはくれたがおおむねトラがうようよ。しかもキツネまでがトラの威を借りて弱きをくじき強きを助ける側に回る。それは会社時代だけでなく、普通に生きている今もその傾向は大きく変わらないのかな。おっとっと、トラのやり方が気に食わないことを書くつもりが、なんのことはない己の未熟をさらけ出すかっこうになった。
やはり、下手な考え休むに似たりということかもね。

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