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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「秋の里山は」

2025年09月04日 | ニュース・世相

                   
                    丸々太ったヒグマ(ネット拝借) 

これまでも何度か取り上げて来た野生と人間の共存問題。ただこれまでは、クマという対象にはあまり思いが至らなかった。おサルさんはこの団地でも山から下りてきて、民家の屋根を駆け回る。大声であちこちから追い払った効果もあり、最近は姿を見なくなった。野生動物とは少し異なるが、人命にも危険を及ぼすマムシはしょっちゅう出てくる。グラウンドゴルフを楽しむ団地公園周辺にいっぱいいる。みんないることを前提に慎重な行動をしている。

イノシシも深い山からは距離があるせいか、出て来ないだろうと思う。が、山のふもとにはレンコンも植わっているし。サツマイモなどもあるので、食糧に窮すると危険を冒してでも人里に出てくる可能性はある。
問題は、おなかをすかせたクマである。学習能力が高いと言われるクマは木登りも上手。ちょっとした壁や塀は軽々超える。今年の猛暑はクマのエサのドングリなども不作のようなので、人間が油断せず、食い物の管理を確実にしないと、出没は免れない。

クマをターゲットに狩りをする専門職の「マタギ」と呼ばれる漁師と、クマとの命がけのを闘いを描いた「邂逅の森」という小説を興味深く読んだ記憶がある。マタギが活躍する頃は、クマの胃や肝臓が高値で取引されていた。そのころはクマも臆病で、人里に下りてはこない。だからマタギがグループを組んで山中を駆け巡り、クマを追い込んで仕留めていた。今は逆にクマの方が堂々と人里に現れたり、人の命を襲ったり民家を襲う。猟銃許可を得た人たちでさえ、人里に現れたクマを撃つには厳しい条件が課せられる。

ウ~~ン、やはり、野生と人間の共存は飽くまでも理想であって、空腹を抱えた野生、子どもを抱えた母クマとは共存など考えられない。鳥獣保護も大事だが、人間を守ること、人間の恐怖を取り除くことは、最優先事項に思えるのだが。

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「長崎 鎮魂の鐘」

2025年08月09日 | ニュース・世相

                         

8月6日の広島への原子爆弾投下に続いて、8月9日の今日、長崎に2回目の原子爆弾が投下されてから80年。「最後の被爆地に」を目標に掲げた、長崎平和祈念式典が行われた。
8月6日と同じように、原爆投下時刻11:02分に合わせて、鎮魂のサイレン吹鳴に合わせて黙とうを捧げた。

核兵器をめぐる世界情勢が厳しさを増すなか、『長崎の使命として、世界中で受け継ぐべき人類共通の遺産である被爆の記憶を、国内外に伝え続ける』との決意が表明された。
世界各国と地域から96の代表が参加した。その中にはアメリカもロシアもいた。この人たちはいったいどんな気持ちで、平和宣言や日本の総理大臣の言葉を聞いたのだろうか。「そうは言ってもねー、相手が放棄しない限り自分も持ち続けないとヤバイよねー」と言った程度の感情ではないのだろうか。

それとも、紛争が長引けば互いに損害が広がる、それを収束させるためなら、核兵器使用も止む無し。あるいは、覇権を狙うためには絶対必要。などと簡単に考えているんじゃなかろうか。そのうえで、核を持たない国には「持ってはいけない」と言いつつ、自国の核兵器は密かに増強する今の世の中。
世界の警察権を持つくらいの良識ある強国が一つ存在すればいいのに、と思った時代もあった。それも夢のまた夢。似たり寄ったり自国の富強ばかりを考える大国・強国など、この世には要らない。
などと、得物を持たない小国の声がどこまで届くのか。それでも声を上げ続けなければ、核競争は止まない。

昨年、我が国の被団協に贈られたノーベル平和賞は何だったの?打ち鳴らす平和の鐘はどのように響くのだろう?全世界共通の課題として取り上げたいのだが。

     

昨日までの暑さを忘れさせるような、朝からエアコンのスイッチに触ることのない、涼しすぎる一日を過ごしている。核兵器にまつわる矛盾や身勝手さを考えると、またまた暑さが蒸し返しそうな気がする。

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「 原爆の日 広島平和祈念式典 」

2025年08月06日 | ニュース・世相

 『 平和  鎮魂  祈り !』  
  
   平和の鐘を合図に祈念式典スタート          参列者全員による黙とう
    
        各国、各代表による献花。 鎮魂の炎揺れる原爆死没者慰霊碑 
 
  
      松井広島市長による「平和宣言」         子供代表による「平和への誓い」
     
            一瞬にして瓦礫と化す戦禍の爪痕、広島原爆ドーム

あのピカドンが広島に投下されてから80年になる原爆の日の今日、過去最多といわれる世界120カ国・地域とEU・欧州連合の政府代表が参列して、原爆死没者慰霊平和祈念式典が行われた。
ここ岩国でも、原爆投下時刻の午前8時15分にサイレンが吹鳴され、黙とうを捧げた。

昨年は、核兵器廃絶を世界に訴える「被爆者団体協議会」にノーベル平和賞が贈られた。この事実は、この地球上から二度と原子爆弾被害者を出さない悲願の運動や、核兵器廃絶運動が、世界の為政者に少なからぬ影響を及ぼすことに大いなる期待を抱かせたものだ。世の中はというか、侵略戦争の当事者にとっては、そんな甘い話ではなかった。これ以上侵略戦争が長引くようなら、本気で核兵器使用も辞さないと豪語しているという。それに追随する小国の兵器大国が笑顔で核兵器の準備をするようなことになったら、それこそ収集が付かなくなる。

しかも、アメリカンファーストを標榜するリーダーが、広島、長崎に原爆を投下することで戦争が終結したと吹聴するに至っては、プーさんが核兵器を使うことで、侵略戦争にケリを付けようと考えるのも無理はないねー、などと妙な所で納得してしまいそうになる。こんな恐ろしい世の中なのである。

平和祈念式典では、それはそれは高尚な平和祈願メッセージが世界中に発信された。原爆投下80年の今日を境に、今一度世界中が本気に本気を出して、核なき世界を目指したいものである。

             (  https://yok12sioka12.hatenablog.com/   はてなブログアドレス)

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「これだけは言わせて」

2025年07月29日 | ニュース・世相

              

「言いたきこと言わぬは腹ふくるる心地する」と誰かが言った。私のおふくろは「言いたいことは明日言え」と私に教えた。一方で「沈黙は金なり」と言われ、「沈黙は愚者の知恵」とも誰かが言った。
出来ることなら、見ないよう、聞かないように、そして余計なことは言わないように。そんな生き方が聖人と言われる所以なのだろうが、凡人には凡人の生き方がある。

ここはひとつ言わせて。これだけは言いたい。と自己主張をしたいときもある。多くの場合その後で反省することもある。が、今宵の「言わせて」はどっちに転がるのだろう。
世間を、というか参議院選挙後の永田町を舞台にした国政における、石破内閣の退陣要求問題である。確かに、東京都議会議員選挙の惨敗。参議院国政選挙の与党過半数割れ。この結果だけをみれば確かに執行部現職の首相・幹事長など、その責任を取る形の退陣はあり得る。

ところが、先般の都議選も今回の参院選も、単に石破内閣の失政やスキャンダルなどで敗北したのか?と退陣を要求して、甲高い声を上げる自民党のバッジを付けた先生方に訊いてみたい。
長期政権の中で、誰の指示でどのように転がってきたのか、政治とカネにまつわる国民の不信。その不信に積極的に答えようとしないおごり体質。これらに対する正直な国民の鉄槌が下されたことに、気が付かないほど愚かな集団だったのか。選挙に負けたら責任退陣、これしかないのか。そんな単純な考えを繰り返すのなら、いっそのこと下野するがいい。今やるべこことは、内閣退陣要求ではなく、どうやって与党自民党を再生させていくかではないのか。そんなことを口に出して言える議員が6・7人しかいないところにこそ問題がある。
本質を冷静に見極める高尚な政治家集団になって、関税15%に、コメ問題に、核使用も辞さない世界情勢に立ち向かう国会運営を、国民に示して欲しいものだ。

他にも言いたいことはあるが、これ以上は三猿の教えを守るとしよう。

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「深夜3時のドライブ」

2025年07月21日 | ニュース・世相

      
             小さな町の参院選開票作業

学校がおおむね夏休みに入った直後の3連休の中日、7月20日(日)第27回参議院選挙が行われた。現政権への審判ともいえる大切な国政選挙。投票終了から33時間が経過した今も、比例代表の当選発表が続いている。その意味では、未だ開票率100%の結果が決定していない。

今回の選挙でも、新聞社から開票状況の速報要員を依頼された。過去の経験もあって快く引き受けたが、これまでの経験とは全く異なる長時間に及ぶ、選挙管理員会からの資料提出を待たされた。お陰で、若いころでも滅多に経験のない深夜3時を過ぎたドライブを味わった。

町選管発表では有効投票者数5000人にも満たない、比較的小さい町の開票にもかかわらず、開票作業開始から延々6時間を要する悠長な作業に付き合うことと相成った。
延々となった理由はいくつかあるのだが、その最たるものはやはり人為的問題であること。これが問題なのである。今回の選挙から県選管の主導でシステムが変更されたため、対応が遅れたようである。

システムが変更されたら、起こりうる問題点を洗い出し、一つ一つ完全につぶして、可能な限り早く、正確な開票結果をジャーナリズムに流し1分でも2分でも早く完了するよう訓練を重ねるべきではないか。と、企業人としては時間の損失を考えてしまう。何日も前から決まっていた選挙投票日である。準備する時間は十分にあったろうに。

大きな市の開票を扱う選管がこんなことで、比例代表の結果が延び延びになるとしたら、それこそ大きな新聞ネタになり、選管の汚点と評価される。

深夜3時のドライブを強いられたツケを責めているわけでは決してない。
それより、選挙結果である。衆参ともに少数与党という混乱がどこまで続くのか、それが心配である。

 

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「干からびの夏」

2025年07月05日 | ニュース・世相

  
     お疲れキューリ、水をおくれ         お疲れカボチャ、日影が欲しい
          
                   スイカもヘタリそう

来る日も来る日も、暑い、あつい、アツイ。ほんと、ちょっと油断したらすぐにアタマクラクラするほど暑い。昨日など、岩国市の山間部の町が日本中の最高温度を記録するという珍しい現象が起きるほど暑い。しばらくの間中国地方は、雨予報など全くない真っ赤な天気予想図。

怖い話ながら今日、台風4号が発生したというニュースが流れた。大風被害や大雨被害も困るけど、ここまでカラカラに渇く高温続きも困る。雨台風によって大地を潤して欲しい。まさに背に腹は代えられない思いもある。

畑の野菜たちも「ひと雨欲しいよ~」と、声を上げない代わりに、大きな葉っぱをダラ~っと垂れ下がらせて、降り注ぐ太陽光線を少しでも避けようと頑張っている。特にキューリやカボチャなど大型葉っぱの弦ものは、ヘトヘトに疲れながらも頑張っている。夕方の水やりも2日に1回は施しているが、それ以上は水道料も安くないし。

世界中の願望である地球温暖化防止の流れも、あのアメリカンファーストを唱える大統領の意向で前に進まない。人間がこの先どこまで生き延びるのか心配にさえなって来る。渇いた心に潤いが欲しい。渇いた大地に雨が欲しい。適度な雨は世界を救う。

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「写真を撮るとは」

2025年07月04日 | ニュース・世相

        
          個人が特定できないよう、後ろ姿を少し離れた場所からパチリ。

またまたこのところ、学校の教諭による教え子の女子児童に対する破廉恥な行動が、世情を騒がせている。
大人を信じて学校に通い、将来への夢を膨らませる児童の芽を摘むだけでなく、日本の教育行政の欠陥をさらけ出している気がしてならない。「再度教育を徹底して再発防止に努めたい」という校長や教育長の謝罪の言葉が空しいものに聞こえて仕方がない。それほどに不祥事が後を絶たない現実がある。

しかも、最近の事案は、破廉恥画像や動画を教諭同士が撮り合って、グループの中で回し見するという徹底ぶりである。児童も保護者も学校を信じられなくなり、『子弟信愛』などという古来の信頼関係が断たれてしまいそうである。但し、こういった現象も、一個人の資質の欠落はあるにしても、社会全体の脇の甘さがあることも忘れてはならない。考えれば考えるほど、深層に難しい問題が潜んでいるようである。

個人的な話だが、地区社会福祉協議会のボランティア活動として、広報紙編集を16年間担当して来た。
その間、青少年健全育成や高齢者福祉などで、ありとあらゆる報道写真を撮ってきた。大人の写真を撮る場合、広報紙に載せる写真です、とあらかじめ使途を告げる。掲載されて困る人からは申し出てもらう。それが、はっきりした意思表示が出来ない児童・生徒の場合、担任や担当教諭に意思確認をしてもらう。ひとりでも撮影NGの子がいれば、集合写真は絶対撮らない。スナップ写真でも教諭の検閲を受ける場合もある。そこまでして地域活動の写真報道の意味があるのか、疑問と矛盾を感じたことも幾たびぞ。
ただ、広報紙の読者の立場からすれば、写真もない文字で真っ黒い記事は読む気もせん。というのが本音である。だとすれば、やはり気の利いたモノを言う写真は必要不可欠である。

そこで、カメラを向ける者の心得として肝に銘じてきたのが、肖像権と肖像権侵害という問題であった。
肖像権とは、一般的に、 人がみだりに他人から写真を撮られたり、撮られた写真をみだりに世間に公表、利用されない権利 のことをいう。
肖像権侵害とは、本人の許可なく顔や容姿等を撮影したり、撮影した写真を当人の許可なく無断で使用・公表したりする行為をいう。
この二つには随分神経を使ってきた。その役目を何とか無事終えて、ホッと一息している。

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「傘の効用」

2025年07月02日 | ニュース・世相

                 
                     半夏生の花

暑い、兎に角暑い。朝から遠慮もせずにガンガンの陽射し。
じっとして暑さをやり過ごすのは、それはそれで一つの知恵ではある。しかし、そうばかりはしていられない時もある。今日は久しぶりのグラウンドゴルフ練習に出かけた。ここんところ、メンバーの女性が内科疾患の手術入院などがあって、ご主人も付き添い。お二人が完全に練習お休みとなっている。それでなくても人数としては少ない我らの同好会。雨以外でも、人数が少なくて止む無くお休みを余儀なくされている。

そんな中で「今日は出られますよ」と休み勝ちのメンバーから連絡が入った。それなら兎に角できる日はやろうと、汗を覚悟で5人で頑張った。5人の平均年齢80歳、決して無理のきかないお年頃ではあるが、ひとたび団地公園でラジオ体操の輪を作るとスイッチが入り、汗を覚悟でクラブを振る。
「まだ7月頭なのに今年は暑いね~、そういえば昨日は半夏生だったね」とその話題でひとしきり。

半夏生は、梅雨の後半に降る「半夏雨」。川があふれる「半夏水」などに悩まされる頃に沼地で咲く、葉っぱの半分が白くなって、半分お化粧をしているように見えることからそう呼ばれている、ドクダミ科の花で、「内気」「内に秘めた情熱」「内なる美しさ」などと、お気に入りの花言葉を持っている。

こんな暑さの外歩きは、帽子はもとよりだが、日傘が必須アイテムとなる。江戸時代の昔から傘の用途としては日傘が主流だったようで、雨は油紙を貼った円い笠で凌いだようだ。
この頃では、日傘の需要が急激に伸びて、洋傘業界は笑顔が絶えないという。男性女性ともに日傘を差す習慣が定着しつつあるという。私でさえ、孫君の野球応援に出かけるリュックの中には、折り畳みの雨傘が必ず入っている。小雨が降ればもちろん雨除け、こんな強烈な陽射しは日傘として熱中症から守ってくれる。
日傘の活用を大幅に増やして、灼熱の夏が長くなりそうな今年の暑さから身を守りたい。

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「戦後80年」

2025年06月23日 | ニュース・世相

  
     戦後80年 沖縄全戦没者追悼式           沖縄の祈り「平和の礎(いしじ)」

1945年、昭和20年6月23日。太平洋戦争の終結を目前にしたこの日、本土上陸地上決戦を目指す米軍がその足掛かりとするために、45万人ともいえる大量の米軍が沖縄に上陸。未曽有の殺戮頂上作戦によって信じられない数の沖縄住民そして日本兵の死傷者を記録した。
誰かひとり有能な指導者が現れて、敵国と我が国の兵力・国力の歴然たる大差を説き、もう少し早く降伏に導く勇気があったら、ここまでの沖縄の悲惨さと、その後のヒロシマ、ナガサキの悲劇は避けられたのでないか。と、「たら、れば」を今さらながら思わされる。そんな戦後80年の追悼式ではある。

悲惨な戦争には勝者など決してあり得ない。あるのは、戦争当事者同士が互いに敗者の辛酸をなめることである。高度な技術開発によって、より高い、より早い、より強力な兵器を持つことで、喧嘩になりそうな相手を常に威嚇する。大国は核兵器を持っても構わないが、核の拡散防止という名目で核を持つかもしれない国を攻撃するのも、戦没者を追悼する沖縄の祈りを無視したかのような、昨日今日の出来事である。

覇権を争う大国は、自国の不利益を徹底して嫌う。その不利益を消すためなら、世界の秩序であろうが、小国の権益であろうがお構いなく無視してでも、我が意を主張し財力で懐柔する。さもなくば、大量兵器を駆使して侵略する。

そんな現実が身近なところに溢れている。戦争なんて愚かなことをしてはいけない。やったら双方が敗者なのよ、と言い張っても大国は小国を侵略する物量を蓄えている。
80年の平和を維持して来た我が日本も、沖縄を某国が、北海道を某国が侵略してきたらさてどうする。
取り敢えず、飛び来る火の粉を振り払う力くらいは持つべきだよね~。

やっぱり矛と盾の話になる。落ち着く先は矛盾であるが、自国の平和は何としても持続させたい。そう思い続けた戦後80年。きな臭い現実にどう対処するのがベターなのでしょうかね~。

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「失言の功名」

2025年06月11日 | ニュース・世相

                                                 

我が国の備蓄米とは、いったいどのくらいの量が倉庫に眠っているのだろうか。
そんな3年4年も前から貯め込まれた、古米と呼ばれるお米が、流通に乗ってやっと、米価高騰に喘ぐ国民の前に姿を現した。しかもそのお値段たるや、5kg2000円前後。4500円を下らないブランド米の半額以下で、飛ぶように消費者の手に渡っている。食料品の基本である米価の安値安定は、多くの人に笑顔を呼び戻した。

そもそも今回の備蓄米放出など一連の政府の施策の向こう側には「私は米を買ったことはありません、支援者が持ってきてくれる」という、アホじゃないのと思わせたあの大臣のあの発言が発端である。
即刻大臣の首のすげ替えによって、政府が大きく動き、30万トンとも40万トンともいえる備蓄米が、庶民の手の届く価格で放出された。もしあの大臣のあの失言がなかったら、今も米価高騰に悩まされ、挙句の果ては米離れ現象にまで発展していたのだろうか。
それを考えると、あの失言を発端に政治の動きが変わったとするなら『失言の功名』とでも言うのだろうか。

それでも失言や、不勉強による迂闊な発言は慎むべきである。
と思っているところに今度は、野党の議員さんが、「古いコメはニワトリのエサで、人間サマは食べない」と平然と言ってのける。
今回の備蓄古米の放出によって、国民に戻った笑顔を見ていないわけでもなかろうに、国会議員とは、選挙する国民の心理などお構いなしに、考えられないようなモノ言いをする。愚かなことである。

何とかして令和の米騒動が収まりかけたところだ、興ざめのする失言合戦など辞めて、国民のために何なすべきか考えて頂けると有難いのだが。

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