「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「シーズンOFF!」

2014年03月30日 | 家族・孫話

 
          100分の1秒に挑む、兄ちゃん               兄ちゃんを追いかける立場の、カー君

春休みの到来とともに、孫三兄弟のスキーシーズンが終わった。
今年に入ってからの土曜・日曜は、中国大会や全国大会をはじめ、どこかのスキー大会に出場して、100分の1秒に挑戦し続けた孫兄ちゃんとカー君兄弟。
アスリートの卵のような二人。あちこちでよくがんばったきたな、先ずはねぎらいの言葉を。

総合的な成績は、雪国育ちの選手に比べるとひ弱さはある。毎日でもスキーを履ける人との練習量の差は出る。
そんなものを乗り越えて…と期待しすぎるのは可哀想な気もするが、ついつい応援に力が入る。
家では、スキー板に如何にまんべんなく蝋を塗りこむかなど、入念な道具への手入れも待っている。
スキー板を磨くと同時に自分の感覚も磨き、イメージトレーニングもしているようである。

急斜面を可能な限りのスピードで下り、ギリギリで旗門をすり抜ける。恐怖が頭から離れないらしい。
恐怖と言っても、転ぶ痛さではなく、転倒による失格を恐れるようだ。やはり勝負の世界。厳しさはついてまわる。
最後の試合で兄ちゃんは、ついに大きく転倒し、左手にはく離骨折という名誉の負傷というアクシデントにも見舞われた。

今は普通の生活に戻った二人。少しのんびりしているのだろうか。
兄ちゃんは中学校のクラブ活動に精を出し、カー君はマイペースな自分を楽しんでいる様子。
そして、シーズン最後の日曜日は、三兄弟そろって、遊びのスキーを楽しんでシーズンを終えたようだ。

         
                   4歳の三男、悠雅君も二人の兄ちゃんを追いかけるのかな

家族でゆっくり楽しむスキーはまた格別のようである。間もなく5歳の誕生日を迎える優雅君も、一丁前にヘルメットにゴーグルつけて、スキー靴などの装備もすべて体型に合わせたあつらえ品を身に着けて。
リフトに乗って高いところから滑降してくるのだという。二人の兄ちゃんを追っかけようというのだろうか。

これからしばらくは、土の上や体育館の板の上でしっかり足腰を鍛え、来シーズンに備えるという。
お父さんの肝いりや出費は大変なものであろうが、親子ともども夢に向かうというのは、端で見ていても心地よいものはある。
やっぱり応援したくなる。

 

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「お役御免」

2014年03月29日 | つれづれ噺

        
           昨年暮れ、我が家の主になった「まあるい炬燵」

昨年の暮れの話。
ネットサーフィンで遊んでいたら、オッ!これは・・・というものに出くわした。
円形のホーム炬燵である。
それまでに十分出回っていたのかもしれない。ただこの目に留まらなかっただけかもしれない。

少なくとも私自身のこれまでの常識では、ホーム炬燵といえば、正方形、長方形の違いはあっても、四角いものであるという印象であった。
そこに見つけた、ちょっと意外で面白そうな家電。食指が動いた。
ところが、値段を見ると円形は四角い従来型に比べるとおよそ2倍。何故か値が張る。

四角いのなら二階の納戸にしまっているものがある。あれを出せば炬燵の役目は十分果たす。
だが待てよ、この円形炬燵はまんべんなくどこからでも足を突っ込まれる。アットホームではないか、という思いが頭をかすめる。
一気に遠い昔に思いが馳せる。親子8人が板の間の「まあるいちゃぶ台」を囲んで、肩を寄せ合って食べた夕飯の情景がふと浮かぶ。
敗戦後の、日本中が貧乏にあえいでいた時代。食べる物は決して豊富ではなかったが、家族のぬくもりという特別な味わいのあったことを思い出した。

正月には子や孫が集まってくる。ひとしきり食べて飲んだら、このまあるい炬燵が役に立つに違いない。そんな思いが円形炬燵を奮発させた。
案の定、大きな足、小さい足、冷た~い足、ぬくい足があっちからこっちから入ってくる。
時々は小競り合いが起きる。それでもやはりみんなが、まあるくなっているのがいい。

などと思って満足したのもつかの間。正月が終われば、もとの4本足に戻ってしまった。それと、わずかな晩酌後の居眠り台に早変わり。
それに、桜の便りが聞かれる頃には、まあるい炬燵もお役御免を言い渡すしかない。

今年の暮れを目指してお蔵入りにするか。それとも掛布団を外してテーブルだけを使おうか・・・また思案。
兎に角、このひと冬は間違いなく役立ってくれた。奮発した甲斐があったというもの。
はがき随筆のネタにもなった。 まあるいこたつよ、ご苦労さん。

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「お風呂デビュー」

2014年03月27日 | 家族・孫話

         

我が家の4人目の孫として名乗りを上げた、倅夫婦の長女「希さん」。
帝王切開という異常分娩ながら、元気に誕生したのはついこの前と思っていたら、早くも9か月と2週間になる。
初節句も済ませ、ふっくらほっぺが日に日に愛らしさを増している。

クルマで2時間のところに住んでいることもあって、お父さんの勤務に合わせ、月に2回くらい里帰りする。
そのおよそ半月ごとの出会いが、順調な成長のあとをうかがわせ、会うたびに手ごたえを感じさせる。
それに、ジジババの顔を忘れない、ほどよい空白期間なのかもしれない。

このたびは、「ジジとお風呂に入る」という彼女にとって一大冒険にチャレンジした。まさに裸の付き合いの始まりである。
最初が肝心。泣かせないように、そーっとそーっと・・・。
ババもおもちゃなど持ってきて応援。二人がかりでやっとこさきれいに洗って、「お風呂デビュー」無事終了。

実は3か月前に1度は試みたお風呂デビューではある。が、その時はひきつけを起こしそうなほどの大泣きで、箸にも棒にもかからず、お湯に入る前にたちまち中止を余儀なくされた。したがって今回が実質的なチャレンジであり、彼女にとっても思い切った初挑戦であったに違いない。
しかめっ面はするもののやがては慣れて、ついにはおもちゃと戯れ、ボデーシャンプーもなんとかやらせた。
次は頭のシャンプーが残っている。

ことほど左様に、ジジは適当に抱っこしたり裸の付き合いを楽しみにしていられるが、ババはそうはいかないようだ。
「同じものを食べさせんように・・・」と気を遣いながら、夫婦の食事の世話をする立場の大変さはよくわかる。
分かるだけになにか手伝おうかと思わぬこともない。が、これまた台所でウロウロすると却って邪魔になるばかり。
「男子厨房に入らず」などという言葉がこの世になかったら、案外事情は変わっていたのかもねー。

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「目標に向かって」

2014年03月24日 | つれづれ噺

                  

梅の便りがちらほら聞こえ始めるころ、水色の封書が届いた。
発信は「岩国市役所健康福祉部健康推進課」となっている。
内容は「生活習慣病予防教室案内在中」と赤字で書かれ、同じく赤い四角で囲まれている。
「おやっ、何か悪いことをしたか・・・?」先ずわが身を振り返ってみる。

何にも悪いこともしていないし、昨年受信した健康診断結果も「問題なし」のお墨付きをもらっている。
なのに何故このようなものが届けられるのか、まあ放っておくか・・・と横着を構えていた。
数日たってから、やはり少し気になる内容だけに封を開けてみた。「腹囲」と「血圧」に赤丸がつけてある。
ほどなく「健康保険センター」というところから電話がかかってきた。
「・・・ ・・・こうこうしかじかで、健康づくりのプロがあなたの健康をサポートします。是非教室に参加してください」と、若い女性の声で勧誘される。

そこで、昔取った杵柄。「あたしゃ長いこと健康管理の職場で働いてきた・・・この程度のことで異常と言うのか、保健指導の対象になるのか・・・」などと知ったかぶりを大上段に構える。
こんな奴がいることは先刻ご承知の彼女たち。やんわりと受け流す。そしてとにかく一度お話させてほしい、と。
そこまで言われちゃ引っ込みがつかなくなり、正面切って反抗してみようと先日、保健センターに行ってきた。

ミーラ取りがミーラになったわけではないが、まあ言ってみれば郷に入ったら郷に従えというたとえもある。
面談のテーブルを挟んで、おとなしくしっかり先方の主張に耳を傾けた。
但し、血圧の赤丸については「血圧というのはね・・・素敵お嬢さんに手を取られて測定されるだけで10や20の変動があるんよ」などとを説明して、改善指導を取り下げてもらった。 

ところが、身長と体重に見合った理想体型『BMI』は、明らかに腹囲が超過している。いわゆるメタボ体型。
これには異論を唱える余地もない。何の抵抗もなく、先方の説明を聞くだけ。
そんなこんなで、半年先の9月には「体重3kg」「腹囲3cm」の減少目標を立てさせられた、というか立てた。

ほかならぬ我が身のため、ならぬ堪忍するが堪忍!
しばらくは、昼ごはんのコーヒーと美味しいパンの組み合わせや、夕食前のお惣菜たっぷりの晩酌も控えめになりそうである。そうまでして長生きを試みるか、それとも・・・。
やはり、健康保険を使いすぎるのも世の中に貢献しないことになる。
何よりも『元気で長生き』という大義を守るためにも、少しだけ窮屈を味わって行こう。
そして9月。腹囲・体重が見ものである。できるかな~~

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「春を分かつ日」

2014年03月21日 | 季節の移ろい・出来事

             

3月21日。春分の日。春のお彼岸中日ともいう。
暑さ寒さも・・・ でおなじみの春と秋に訪れる、日本の四季の分かれ目を象徴する代表的な一日でもある。
この日を境に、あの寒かった冬に別れを告げ、一気に暖かさを運んでくる。と、言われているのだが、今年の異常気象はどうなんだろう。
素直に、春の陽気を運んできて、さくらのつぼみを柔らかくさせるのか疑問は残る。

こちらも同じく春到来を告げる、選抜高校野球が始まった。
高校野球の歴史は90年という長きを誇っている。その中にあってセンバツは86回大会というから、本当に多くの人たちが愛し、応援し、大切に守り育てられた歴史がよくわかる。
それほどの伝統行事であるのに、開会式にチャンネルを合わせてじっくり見たのは今大会が初めてと言っていい。
残念ながら、なんとなくそれほどに興味があるわけではなかった。ただ高校野球そのものに興味がないわけでは決してない。

何故今大会に限って開会式を真面目に見たのか・・・?
大会会長や、文部科学大臣の激励の言葉、それに選手宣誓など逐一聞き逃すまいと、耳を傾けたのは何故か。
言わずと知れたこと。開会式直後の、大会第1日目第1試合に我らが郷土の選手が登場するからである。

これまでにも地元から何度か甲子園に出場しているが、今回のような開会式直後の試合というのは初めてである。
ワクワクする思いと、試合開始までの間延びした時間が、士気に影響しないか心配な思いが交錯する。
まあいずれにしても、条件は相手も同じ。兎に角、落ち着いて、普段の練習成果を出し切るように祈りながら観戦。

結果は思い通りにはならなかった。
が、先制された直後に追いつく執念も見せてくれた。 結果は結果だが夢を見させてくれたことに感謝の拍手を贈りたい。

冬に別れを告げ、春に向かって季節を分かつ日。
ささやかな希望、夢に向かって、春の胎動を始める時期が来たことを肝に銘じよう。
いつまでも寒さに身をちじこませていたら、4月半ばはすぐにやってくる。ひとムチ当ててくれよう。

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「昭和を歌う」

2014年03月16日 | 旅行・レジャー

                                   

「ボニージャックス、昭和を歌う」。久しぶりのプロ歌手ライブに感動をおぼえた。
ステージにライトが当たったとたんに、なんかしら胸が躍る感覚。この華やかさ、嫌いではないな~。
せめて舞台の袖で、しっとりさわやかな司会などやってみたくなる。おこがましい話だが。

1958(昭和33)年早稲田大学卒業というから、メンバーの3人は御年77・78歳である。
1人だけ、メンバー交代で入っている若手「ボニージャックスのヨンさま」というふれこみであった。
ひとたびマイクを口元に寄せると、その年齢など全く関係なく、心和ませるハーモニーが会場に響く。

「蒲田行進曲」「国境の町」「東京ラプソディ」などなど、耳になじんだ昭和の歌。やはりいいね~。
思わず手拍子を添えたり、かるく足でリズムを取ったり・・・
頭の中は、遠いあの日あのころが消えては浮かび、浮かんでは消える。
何故か両親というより、年の離れた姉のことが思い浮かぶひとときであった。

聡明で美人で、地元のヒロイン、青年団の憧れ的存在であった長姉。
普通なら、身内がこれほど持ち上げればそっぽを向かれる話であるが、若くしてあの世に逝った不幸に免じてお許しを乞うしかない。
たら・れば、などなんの足しにもならない話であるが、あの姉がもっと生きていたら、わが人生も少し変わっていたかも・・・。
そんな郷愁に浸る思いもする、懐かしい歌声にしばしうっとり。

そして、地元で結成38年目を迎える女性コーラスグループ「コール錦」も特別出演、ステージに花を添えた。
こちらのグループも、平均年齢でいえば、ボニージャックスに負けてはいないであろうが、鍛え上げた熟年パワーと女性ゆえの華やかさは、男4人のボニーさんのステージを少し明るくする効果は十分であった。
「赤いスイトピー」「あの鐘を鳴らすのはあなた」。練習の成果は見事に披露されたのであろう。

ホンの束の間ながら、こういった一級品のステージに出会うことは、それなりの値打ちがあることを思い知る。
私自身にとって滅多にないない生のステージだから、新鮮味も倍加されたのかもしれない。 
いいものはやはりいい。心のひだに新鮮な春の風を吹き込む効果はあった。

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「悪戦苦闘の果てに」

2014年03月15日 | 趣味・・エッセイ

                        

長い長い闘いであった。
肩はコリコリ音を立てるほどに凝りかたまる。
わけのわからん機械相手に長時間にわたる悪戦苦闘。 ついにお助けマンにすがることにした。

マイクロソフトのワードが言うことを聞かなくなった。
立ち上げて、ものの数秒で「ガチッ!」っと音は立てないが、そんな勢いでフリーズする。画面が固まってしまう。
融通の利かない頑固者の本性丸出し。なだめても好かしても、こちらの気持ちなど察する気配も優しさもない。
一旦固まったらもう取り付く島がない。にっちもさっちも行かないとはこのことを言う。

同じマイクロソフトでも、エクセルやパワーポイントは何の支障もなくサクサク動く。
ただ一つワードだけが動かない。しかも、このパソコンでは何よりもワードを一番多く使い、重宝しているアイテムである。
言うなれば、ワードさえ動けば他は多少我慢できるくらいの使用頻度なのである。

マイクロソフトオペレーターと、まさにマンツーマンでキーボードを叩くこと4日間。述べ10時間に及ぶ長丁場。
電話の向こうは、うら若き女性とお見受けした。言葉づかいも至って丁寧。その上パソコン修復はお手の物のプロである。
何度も何度も繰り返し、あれこれ修復を試みるが、今回の頑固な故障にはどうにも手の付けようがない様子。

一生懸命対応して頂く様子に、こちらとしてもだんだん心苦しくなってくる。同時に「ひょっとしたら、この手がどこか触ってはいけないところをポチッとしたのではないか・・・」と思い始める。
それでも、はっきり思い当たる節はない。
ついに、現状での復旧はあきらめることに同意した。別の新たな仕組みを立ち上げることで、使えるようにはなった。

パソコンは、2012年7月に使い始めた、Windows7ノートパソコンである。
スリムなボディといい、お色気といい、すべてお気に入りで、大事に大事に使っているのに、一旦へそを曲げるとどうにもならない。
兎に角使えるようにしてはもらった。これで気に入らなければ、購入時の状態に戻すリカバリーという奥の手がある。
これも厄介なので、できることなら避けたい。が、背に腹は代えられぬ。いざとなったらやるしかない。

まあこういった最後の切り札を覚悟さえしていれば、割と大きな気で使っていける。
それにしても、マイクロソフトさん、有難う。完全修復には至らなかったが、よくぞ対応してくれました。

春先の憂鬱が完全に晴れたわけではないが、お互いの努力に拍手を贈ろう。 

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「’14年3月11日」

2014年03月11日 | ニュース・世相

             
                  臥龍の梅 (岩国、吉香公園内「洞泉寺」境内)

あれから3年の歳月。東日本を襲った大地震・大津波による未曾有の大災害。
直接的な被災者や、縁者などを合わせ考えると、はてさていったい被災者の数はどこまで広がるのだろう。
そんな膨大な不幸に見舞われたあの日、あの時。2011年3月11日14時46分。

100人寄れば100通りの異なる悲しみがある。
1000人寄れば1000種類の、それぞれに異なる傷の深さと癒されぬ痛みを抱えた3年間。
復興を待ち、期待を寄せることで、折れそうになる気持ちを精一杯支えてこられたことと思う。
それらしいこともできないこの身ではあるが、深い悲しみに寄り添い、束の間でも心落ち着ける言葉の一つもかけたいと思う気持ちは持っている。

そういった応援や、少しでも支えとなりたいと願う人々は、今や日本列島のみにとどまらず、世界の国々から手を、声を差し伸べようとする動きは、大きなうねりとなっているとさえ感じられる。
このような動きは、大震災という不幸な出来事の中ではあるが、一つの幸せを感じる側面ではある。

我が住む町の由緒ある古刹に「臥竜の梅」と呼ばれる、樹齢300年以上の白梅の古木がある。
幹は折れ曲がり、垂れた枝は地に新たな根を張る勢いを見せ、まるで竜が臥したが如き姿形からこのように呼ばれている。
こんな老木が、今年も見事な花を咲かせていた。
ことのほか厳しかったこの冬の風雪に耐え、寒さにも負けず、見事な梅の花を楽しませてくれた。

ふと思う。手垢のついたことわざではあるが「風雪に耐えねば咲かぬ梅の花」。
言語に表しがたい苦難に立ち向かわれている方々に、私ごときが何おか言わんや、という気持ちもあるが、こんな古木でさえ、じっと耐えて花の咲く時期を待っている。
東日本大震災復興支援ソングとして歌われる「花は咲く」と一脈通じるものがある気がしている。

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「春先の憂鬱」

2014年03月08日 | 趣味・・エッセイ

          
                百花繚乱ならぬ、一花繚乱?今を盛りに咲き乱れる「寒あやめ」

百花繚乱とは、「種々の花が咲き乱れるさまをいう」 転じて、すぐれた人・業績などが一時にたくさん現れることをいう。

時折霜が降りる寒気襲来の冷たさ。種々の花が咲き乱れる春はもう少し先のようである。
ただ、我が家の庭先の「寒あやめ」だけは、毎日毎日「これでもか・・・」と訴えるように咲き乱れている。
寒さの中でけなげに咲くこの花をほめてやるとすれば・・・ 百花繚乱に対抗して、「一花繚乱」かな。

来る日も来る日も、昼夜を問わずご主人様の指先の指令に従い、見事な働きをしてみせるパソコン。
その頭脳の幅広い明晰さ、信じられない記憶力の豊富さ。いずれも百花繚乱、すぐれた知識業績で助けてくれていた。
ところがところが、何がお気に召さなかったのか。この指先が余計なことをしでかしたのか。ストライキを起こした。
それも、通常のパソコン活用で最も重宝している「マイクロソフト・ワード」が言うことを聞かなくなった。

これは一大事!!。早い話が、文書作成も保存もできない。過去のドキュメントを開こうとしても頑として動かない。
ワードをクリックしたとたんに、「ガチッ!」と音まではしないが、一気に固まってしまう。
そうなると手も足も出ない。まさに「春先のユーウツ」この上なし。

ここはひとつマイクロソフトに直接フォローを依頼することにして・・・。
1回目、先方の言うとおりの操作や、こちらのすべてを先方に委ねてチェックすること2時間30分。
ビクともせず修復の形跡が見られない。ついに二日後に先方から電話を頂く約束で、一旦終了。

二日後の2回目。賢そうなお嬢さんと思しきオペレーターと、先日と同じ操作の繰り返しや、追加を少々。
ここでも2時間を要した。でも症状は全く変わらず、ワードをクリックしたとたんに「ガチッ」。ア~~ア!
ついに、来週月曜日に今一度先方から電話が入って、さらに修復活動をすることになった。

これほどにガンコな故障が、普通の作業中に突如発生するのには驚いた。
目下、ワードを使ういろんな作業を後回しにして、湧き上がるストレスと闘いながら、月曜日を待っている。
春先のユーウツ。あ~困ったもんだ。

百花繚乱の頭脳を持つ秀才は、時としてガンコである。融通が利かないところもある。そんなパソコン。
それでも、己の未熟さを噛みしめて、モミ手しながらお付き合いを願っても、こんなことは起こりうる。もう一つため息を。ア~~ア!!

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「お雛祭り」

2014年03月03日 | 家族・孫話

                               

3月3日、お雛祭り。
わが家に待望の姫孫を授かって初めて迎えるひな祭り、桃の節句。
一日早い昨日、せがれの家にお邪魔して、希さんを囲んでお祝い膳を頂いてきた。
嫁さんの実家から贈られた、現代風の豪華なお雛飾り。カメラの腕が悪くて申し訳ない。
主役も、何枚も写真を撮られるので少し迷惑そう。いつまでもじっとしてはいられない。あれこれ動き回る。
とうとう食事チェアに座らされ自由を奪われて、ご機嫌も少し斜め。

嫁いだ娘の孫は3人続けて端午の節句ばかり。それはそれで楽しませてもらってきた。
我が家直系の「ひな祭り・桃の節句」は、はてさていったい何年ぶりか、指を折ってみる。
そうか、孫三兄弟の母親、つまり私たちの長女以来の出来事だから、なんと40年ぶりということになる。

あのころは、親戚縁者も多くて、頂くお祝いの数も半端ではなく、その接待も半端ではなかった。親戚上げての大祝い。
今はかなり様変わり。祝福の気持ちには今も昔も変わりはないが、なんせ親戚縁者が減ってきた。
その上、不祝儀はともかく、こういったお祝い事はあまり派手に広めない風習も定着してきた。
だから、というわけでもないが、このたびのお祝いも、昔から比べるとシンプルなものではあった。

ただ、どこまでいっても、今初節句を迎えたこの子に幸多かれと祈る気持ちは充満している。それだけで十分。
そのうえでさらに、健康で優しくて、人に好かれて・・・ ・・・などと多くを望むのはジジババの強欲というもの。
ただただ、折に触れ時に至って精一杯の応援の手を差し伸べる。逃げ込みたくなった時の温かいふところになる。
これが応援団長の真骨頂であることを、改めて胆に銘じよう。
まだまだこれからしばらく、彼や彼女の行く末を見届けたい欲はある。
「ジジババに見せるためにがんばった・・・ ・・・」などと言ってくれなくてもいい。
精一杯自分の人生をひたすら歩んでほしい。ただそれだけを思う。

どんないいことも、そうでないことも、何もかもひっくるめて、ジジババの孫に生まれたのだから。
これからもず~~~っと、よろしくね。             

 

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