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風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

フィンランドの旅

2014年06月26日 22時14分14秒 | 旅行
ヘルシンキ・北カレリア・タリンの風

「北の風」が好きで、フィンランドのヘルシンキに向かっています。
6月15日・昼過ぎに自宅を出発、この日は関空近くのホテルで宿泊。
16日フィンランド航空・10時45分発・ヘルシンキ行きの機内で約6時間が経ち、飛行ルートのTV画面では、ウラル山脈が近いことを示していました。窓下に広がる大地をボンヤリと眺めていました。


そこは、氷河時代の終焉を伝える約1万年前の姿と何ら変わることがないツンドラの地(エニセイ川とオビ川に挟まれた西シベリア低地?)です。
木々の緑は見えません、表土の少し下は、永久凍土と想います。
人間生活に必要な穀物生産が出来ない、「不毛」の大地です。蛇行する川が冷たく、その事情を語っています。
寒くて冷たい「無表情」の風は「南」に向かって流れています。
流れて行く先は、「黒」い「土」が広がる豊穣で穀物生産が約束されています。
ロシアの南に向かう「原点」がここにあるように想いました。
ウクライナやクリミヤ半島の諸問題が脳裏をかすめました。
<ふろく>
写真は16日撮ったものです。約3時間後にヘルシンキ到着です。
ヘルシンキ往復チケットは5カ月前にネットで購入・5万円です。申し込み1週間以内に全額支払・日程変更不可・中止しても返金無しです。
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思い出旅・・・こころに染みる自然

2014年06月12日 20時45分47秒 | 旅行
スウエーデン北極圏・アビスコ国立公園を歩く
この旅は(2009年6月19日~7月1日)北欧の自然や住民の空気を身体に染込ますことが目的でした。
北欧への旅は、いつものクセで「遠回り」(=南回り)コースを選びます。これが実に楽しい!!
出発は関西空港から午前中の便でバンコクへ飛びます。午後3~5時到着。
この空港は、東南アジアを代表する空港であり、世界中からの旅人が行き交っています。
これをを眺めているだけでも数時間・コーヒーを飲んだり・ウタネしたり・少し本も開きます。そして、深夜便に乗り、ヨーロッパ早朝着。(タイ国際航空利用)
この旅も関空→バンコク→ストックホルム空港(約3時間の待合で国内便に乗り換え)→キールナ空港着(午後3時)です。
空港はどこの国でも、老若男女、誰にでも解かるように案内板が設置されています。
心配はいりません!!
3時間以上の乗り換え時間を持てば、実に楽しい旅の「味」となります。


キールナ空港よりバスでダウンタウンに移動。キールナはスウエーデンを代表する鉄鉱石を産する街です。写真はキールナ鉄山。




翌日、汽車でキールナ駅からアビスコ国立公園駅に移動。駅舎から徒歩数分で「アビスコツーリストステーション」(公園内唯一の宿泊施設・レストラン・お土産コーナー)。ここに宿泊。


写真の山は「ラポーテン」です。この地域の原住民である「サーミ」の聖なる山です。
自然が厳重に護られています。一切の人工物は排除されています。

(北海道の二風谷ダムは、この地域に住む「アイヌ」の聖なる場所でした。そこを破壊し、「コンクリート」で固めダムを造りました。)



ニューラ山からのツーリストステーションへの帰り道。


この公園内にある機械で動く施設はニューラ山に登るリフトのみです。
このリフトの乗り場で「毛布」が渡されました? リフトが動き出すと「風」が冷たく、極北の厳しい気候を体感しました。
公園内は遊歩道が多数あり、各自、体力や好み合ったコースを選び、楽しんでいました。
自然と地域の「こころ」(=聖地)からなるアビスコの空気は、今日も明日も、やさしさの原点です。
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旅・・・大陸の果て

2014年06月08日 21時32分35秒 | 旅行
旅の思い出・・・フエゴ島
南米大陸最南端・フエゴ島は20005年12月末・現地の夏季に訪ねました。
この地に最初に関心をもったのは、津田正夫著「火の国・パタゴニア」でしたが殆んど忘れかけていました。
その後、フエゴ島には純粋ヤーガン族は女性1名の生存(?)のみであるとのことを知り、フエゴ島の旅を決意しました。


写真はビーグル水道です。
暖流・黒潮育ちの私にとっては、海面は碧く冷たく、流れる空気も身体を締め付けるように感じました。


このビーグル水道沿岸に遊漁民ヤーガン族が生活をしていました。夏でも凍てつくような海で、男性は海獣類・女性は貝類を捕り生活の糧としていました。
約1万2千年~1万年前(氷河期の終り)にベーリング地峡(=今のベーリング海峡)を歩いて渡り、さらに、数千年かけて、フェゴ島に到着したと想います。


写真はビーグル水道からのフエゴ島・アルゼンチン領ウシュワイアです。
ヤーガン族について、PC上に書くのは二回目です。何千年にも渡る歴史を持ち、厳しい自然条件を生活に取り込み、生き抜いてきた「民」が地球上から消滅しました。
このような悲劇は許してはいけないし、繰り返してはいけません。
わが国は「美しい」自然に恵まれ、平和で幸せな日常生活の国です。戦争に巻き込まれると、この平和と幸せは、「取り戻す」ことは出来ません。
コメント (2)
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しあわせのハグ!!

2014年02月24日 20時35分44秒 | 旅行
台北の旅
台北を歩いて来ました。久しく忘れていた「こころ」が温かくなる4日間でした。
   台湾人対象の対日意識調査<2010年>
       日本に親しみを感じる・・・62%
       最も好きな国・・・日本・52%(アメリカ8%・中国大陸5%)
お隣さんからの「やさしい」声は、生活の「ツカレ」を取り払ってくれ、元気にしてくれます。 ここ一年余りお隣さん(=隣国)とは、辛くて寂しい「お付き合い」です。

台北で行き先が分からず、街角で市民に尋ねると、雨天の中、傘もささず、丁寧に教えてくれました。電車のホームが分からず聞くと、ホームまで案内をしてくれました。
「しあわせ」のハグをしていただいた気持ちになりました。!!



台湾の市民は、日々の心配ごとや夢を神仏に全身全霊をこめて、お願いをしている様に想いました。
私達の神仏への御願いは形式的・儀礼的傾向が多く、少し質を異にしています。






中正記念堂・・・総統蒋介石の顕彰施設・蒋介石と妻の宋美齢・愛用車
巨大な施設と展示資料の内容に驚きました。





忠烈祠・・・国家に貢献のあった兵士や政治家など、英霊33万柱を祀る。



中華民国の総統府(この建物は旧日本総督府)

巨大な各施設や旧日本総督府には、少し「こころ」が重くなりました。

      祇園精舎の鐘の声
      諸行無常の響きあり
      沙羅双樹の花の色
      盛者必衰の理をあらわす
      ただ春の夜の夢のごとし
      たけき者も遂には滅びぬ
      偏に風の前の塵に同じ

              平家物語




日本人観光客に人気のある「九份」・・・狭い石段の路地にお土産店や喫茶店がひしめき合っている。子供の頃、大きな楽しみであった、神祭日の屋台が並んでいた石段を思い出し、郷愁を感じました。小雨にけむる山の下の街灯りも良かった。

台湾は飛行機でわずか3時間です。治安も対日感情も良く、安心安全で気持ちの良い、4日間の旅でした。

私のヨロヨロ・ヨタヨタ人生は、残すところ、後わずかです。
それでも、こころの深層には「寂しさ」があります。
明日が今日よりも、少しでも良くなる様にと念じ、
あちこちと彷徨っています。



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東南アジア

2013年12月10日 15時34分19秒 | 旅行
東南アジアに目を向ける



私が東南アジアに目を向ける様になったスタートラインは戦場カメラマン故沢田 教一(1970年10月28日・34歳カンボジアで殉死)のベトナム写真集です。各ページの写真には、人間がしてはいけない事が限りなく描かれています。齢を取るにつれて、全身に浸みてきます。私の生きる上での「バイブル」です。
表紙は、爆撃のなかで川を渡るファミリーです。この写真からは、「母親の強さ」とこの世の「最悪の恐怖」が伝わってきます。戦争は「不幸の塊」です。
今回制定された「特定秘密保護法」は戦争への準備となります。平和で安心できる生活を破壊するモノです。戦前の「軍部大臣現役武官制」(1936年)は軍部が国政を支配し、ファシズムへの道を開きました。その結果は太平洋戦争で日本の若い兵士約240万人が戦死(その内、約7割は餓死)です。また周辺諸国にも大きな犠牲を強いました。
「特定秘密保護法」は形を変えた「同質」のモノで「一部の組織」で戦争が準備できます。心配です、廃棄が急がれます。


「東洋のモナリザ」と輝く若い「女性」

23日、デバダー「東洋のモナリザ」を見たくて「バンテアイ・スレイ」に行きました。GH「タケオ」から「トクトク」で途中寄り道をしながら、片道約1時間です。
このデバダーは作家アンドレ・マルローが国外へ持ち出そうとして、逮捕されたそうです。見学用通路から中央祠堂壁面のデバダー像までは約10メートルありますので300ミリの望遠で撮ろうとしましたが、保安要員に三脚の使用を禁止されました。注意される前に撮っていましたデバダーは下記のものです。「東洋のモナリザ」の写真と見比べてみると、ほぼ同じような表情です。ルーブルの「モナリザ」よりは、やさしくて温かい優美なアジア的姿に魅せられています。



帰途、バンテアイ・サムレに寄りました。
この遺跡は、美しく掃き清められた参道の奥にありました。
参道には6~7名の土産売りの女性ががおり、観光客に強引に売り込みを懸けてきます。その中で、少し物腰の柔らかそうな若い女性が話しかけてきました。
彼女は白く薄い上着の様なモノを売っていました。
私は買いもせず、厚かましくも「写真」を撮らしてくださいと話しかけると、うなずいてくれました。
ポッケットから1ドル札をだしてチップとして手渡そうとすると、澄んだ美しい目で「no problem ・ no thank you」とクリーンな英語が返ってきました。
この国の「明日」を担う若く聡明な女性に出会い感激です。忘れることが出来ない「こころ」の1ページになりました。


街角の風
大きな犠牲を出した内戦は遠い昔のように感じられます。
街角では、人々は今日を生き抜くために強く逞しく働いていました。


朝の出勤ラッシュ・プノンペン


兄弟仲良くお出かけ・シェリムアプ


GHタケオ前の歩道左折、1~2分で交差点です。交差点に通じている道路の隅で営業している「自転車・バイクの修理店」。ここを横切り、ガソリンスタンド内・コンビニのコーヒーコーナーで滞在中はモーニング、市民の動きを見るのが楽しい。


プノンペン・セントラルマーケット(宝石店?が目立ちます)


マーケット入り口で売っており、多くの客が取り巻いていました。

<おまけ>
25日プノンペン空港から出国・バンコクへ。プノンペン空港上空。


プノンペン空港国際線免税店


バンコク空港上空


バンコク空港国際線・中央広場


バンコク空港店


北京国際空港店
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