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風の雑記帳

平凡でもかけがえのない毎日が過ぎていく。
風景や触れ合い、心の断片を切り貼りして綴ってみる。

愛知県 25/47

2025年04月03日 | 18きっぷで行く『日本製』

18きっぷで会いに行く『日本製』第25弾は、愛知県名古屋市。

紡績から自動車へと発展を遂げた歴史を映像や豊富な資料が展示され

トヨタ自動車の歴史が辿れる「トヨタ産業技術記念館」を訪ねた。



  

 

日本製の取材では、「トヨタ鞍ヶ池記念館」を訪ねているが、今休館中であるため

JR名古屋駅から徒歩30分足らずの所にある「トヨタ産業技術記念館」を訪ねた。

 

産業技術記念館は広くて、国内問わず、海外からも多くの見学者が訪れていた。

それぞれの場で説明する方がおられ、英語での説明も行われていた。

 

 

トヨタ自動車は初め織機を作っている会社だったという。

創業者の豊田喜一郎氏とその父で発明家の豊田佐吉氏が発明した織機が展示されいた。

 

   

   

 

 

喜一郎が織機から自動車産業へと舵を切るきっかけは、アメリカで見た大量の自動車群だった。

帰国後、会社の中に「自動車部」を設立。若い技術者と共に普段の仕事の後に夜な夜な自動車の

研究に励むようになったという。まずは、部品を作る金型作りから始まった。

 

  

  

初めは故障も多く、なかなか満足な車にはならなかった。

しかし、日本初の自動車一貫生産工場となった工場(現、トヨタ本社工場)には、

敷地に工場や事務所だけでなく、百貨店、女子寮、男子寮、病院、学校等があり

従業員は家族と一緒という喜一郎の考えから一つの街として工場を作っていたと。

 

   

 

喜一郎は、アメリカ車のコピーではなく、日本人の頭と腕で乗用車を大量生産

するという夢を持っていたが、その実現を目の前にしながら57歳で亡くなる。

 

しかし、喜一郎の残した「日々改善」「お客様第一」「現地現物」

「ジャスト・イン・タイム」といった精神は今もトヨタの中で脈々と

受け継がれているという。

 

   

 

「やれるか、やれぬかではなく、誰がやるかである」と言って諦めなかった姿。

2人は、自分の利益ではなく日本を良くするためという思いが強くあった。


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