風の雑記帳

平凡でもかけがえのない毎日が過ぎていく。
風景や触れ合い、心の断片を切り貼りして綴ってみる。

不安材料

2011年03月31日 | 暮らし、日常
原発のニュースに明けて暮れる毎日を過ごしていたら、今日で3月も終わり。
明日からは、新年度だ。

今年は、異動される方の送別会もないまま送り出すことになる。
全てが自粛ムードなのだから致し方ないとは思うものの、やはり今ひとつ区切りが曖昧なまま。
この分だと、歓迎会もないままとなることだろう。

街の中は、色々なものが少しずつ動き始めて元通りになろうとしている。
スタンドの行列も無くなり、コンビニも開いたし、在来線も動いている。
新幹線も一部、復旧し始めた。
休館していたスポーツ施設等も、ようやく再開との知らせも届く。


このまま時間をかけたら、前のような暮らしに戻れるのだろうか、、、。

いや、、。


決して、前のような平安な事態ではない。
日本だけではなく、世界中を巻き込んで、今日本はピンチの瀬戸際に立っている。

どうして、国際原子力機関IAEAと日本の認識とにズレが生じるのだろう。
日本は、あまりにも楽観視しすぎていない?

何故、放射性物質を測定する機械をもっと作らないのだろう?
県で、一日にニ品目しか測定できないなんて、、。
牛乳も野菜も一度調べただけで安全な数値だと終わりにしないで、毎日でも計るべきなのではないの?
水の測定も、毎日のデーターが欲しい。
地面や残雪上の放射性物質のデーターも。

なんか、ニュースを見ていると、益々不安材料が増えていくばかり。
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魔法の言葉

2011年03月29日 | 呟き、思い、独り言
毎日、思い通りになど行かない事ばかり。

自分で決めたことなのに、守れなかったり、

自己中心的な、ぞんざい態度や言葉、

心が、傷ついたり、傷つけられたり。

欠陥だらけ、不足だらけ。



そんな時、たどり着いた言葉。

「ごめんね。」


自分から言える「ごめんね。」は強い。
自らもが、赦されていく。


「ごめんね。」が、言える人間でありたい。
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ごめんな!

2011年03月26日 | 暮らし、日常




地震が起きてからずっと、燃料の無駄遣いをしないために家に篭る週末が続いていた。
しかし、ここに来てようやくガソリンスタンドも回数多く開くようになったので、今日は久々に、少し遠くまで車で買い物に出かけた。

野菜を買いたいと思って出かけたのだった。

産地直売のお店に多く残っていたのはほうれん草。
牛乳も、結構多く残っていた。

県内のほうれん草は、暫定規制値を大幅に下回っていて安全が保障されていた。
私は当然に買うつもりでいたのだが、予想外に、家族が食べなくていい、、、と言う。
そう言われて、それを押してまで、私も買う事が出来なかった、、。
あ~~、本当に難しい。
大人だけだったらそうでもなかったのだろうが、子どもがいると慎重にならざるを得ない。
その他、キャベツやらきゅうりやらの野菜、いちご、牛乳などは買ってきた。

ああ。。ほうれん草、ごめんな!


今、何かをしたい、自分達も被災地を応援しようと言いながら、反面シビアに拒否している現実がある。
安全なものまで偏見で見ているのかもしれない。

苦しいね、、。
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すべきこと

2011年03月24日 | 呟き、思い、独り言
明日で、地震から2週間となる。
毎日余震が続き、日増しに原発の影響は広がるばかり。

空気に。。
野菜に、、。
海水に、、。
土壌に、、。
水に、、。

その範囲も一気に広がり、毎日、テレビを見るのが怖くなってくる。
反面、燃料に関しては徐々にスタンドも開ける回数が多くなり、前よりはましになってきた。

それにしても、野菜だけの話じゃなく、放射能の土壌汚染が心配だ。
半減期が8日のヨウ素はまだ良いとしても、30年のセシウムに関しては絶望的ですらある。
放射能は物を通すから、ハウスや屋内であっても容赦ない。
収穫時期の野菜をトラクターで踏み潰し、搾乳した原乳を捨てる。
畜産は諦め、牛は殺処分するという。
農家のこの怒りは、東電に届くのか、、。

もう時遅しではあるが、今すべき事の一つは、原発について多くの知識を得ること。
もうずっと前から、危険のメッセージを発していた方も多い。
平井憲夫氏の『原発がどんなものか しってほしい』
広瀬隆著 『原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島』
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歌う

2011年03月22日 | 音楽
今朝のテレビで、避難所で催された卒業式で卒業生が、『故郷』を歌っているところが流れた。

『故郷』。
こんな時だからこそ、この歌の歌詞が胸に響く。

聞いておられた避難所の方たちも、涙を拭っていた。

歌は、癒しだと思う。
歌える方は、避難所で歌うボランティアをされては如何かな?
立派なステージなど無くて路上ライブのように。

ただ、黙って聴いているだけで、きっと癒され、励まされ、元気になれる気がする。

踊れる方は、カセットで音楽を流して踊って!

お天気の良い日は、外でそんなイベントを沢山してほしい。
避難者も、心が解放され、和むと思う。

小さな子には、絵本の読み聞かせ。
避難所の中学生高校生のお姉さんお兄さんが中心になって、頑張って!
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見えない恐怖

2011年03月21日 | 呟き、思い、独り言
今日の新聞で、放射性物質はヨウ素だけではなくセシウムも含まれていることが判った。
愕然、、、である。

ヨウ素は、摂取する量が微量でも、蓄積されていくと言われている。
問題は、1年や2年後の事ではなく、もっともっと年数が経ってからのこと。
セシウムに関しては、体内に入り体内被曝を起こし遺伝子まで傷つけていく恐ろしい物質だと聞く。
”人体には、すぐには影響はない”という言葉は、もう個人がどう判断するかだと思う。

放射性物質は、露地栽培の野菜や原乳だけではなく、水道水からも検出された。
これほどショックな事はない、、、。

政府は、福島第一原発事故をどのように終息させようとしているのだろうか。
これ以上、未来を背負う子ども達を危険に曝さないで欲しい。
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出来ること

2011年03月20日 | 呟き、思い、独り言
災害に遭われた方々の苦悩を思うと、

何かしたい、、、。
何かしなければ、、、。
何が出来るだろう、、、?

そんなことを思う毎日が続いていた。

今日はとにかく、募金に行って来た。
遠く外国からも支援が届くのだから、国内にいる私も、なにか頑張らねばという気持ち。

救援物資も受け付けていたので、聞いてみた。
衣類は、新品か未使用品でなくても、下着以外であれば洗濯してあれば良いとの事。
一旦家に帰り、小さくなった子供服や、防寒着などを袋に詰めた。
それから、景品などでいただくタオルを集めて一袋。
タオルは、首に巻いてもよし、被ったり、マスクになったりと、災害時は優れものらしい。


あと、何が出来るか、、、。


NZ地震のあとのニュースで、DVが多くなったと報道されていたのを思い出す。
日本でも、地震から10日も経つのに、毎日余震が続いている。
確かに、大人も子どももストレスがあるのか、些細な事で苛立ったり、ぞんざいな態度になったり、、。
ニュースを見ていると、家族や肉親の存在は、やっぱりかけがえのないものだと分かる。
いつもより”相手を思いやる”。
そんなことも、今、一人一人が出来ることかなと思う。
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汚染

2011年03月19日 | 呟き、思い、独り言
とうとう、恐れていた事が現実となってしまった。

一部の食品に、放射能が検出されたとのこと。
検出されたのは放射性ヨウ素とのことだが、甲状腺機能障害や甲状腺癌になりやすいと言われている。

地元の農家の落胆、悔しさはいかばかりか、、。
察して余りある。

福島、青森、柏崎など、、。
何故に、関東の電力を賄う為に東北が危険な原発を抱えなければならないのか。
土地を追われた県人の方は、きっとそう思い、悔しいに違いない。


今日、ある市長さんか知事さんが言っておられたように、福島原発は、アメリカの力を借りてでも、一刻も早く廃炉にして欲しい。
もう、原発は要らない。
日本中にある全ての原発の見直しを、して欲しい。
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地震が教えてくれた事

2011年03月18日 | 呟き、思い、独り言
東北地方太平洋沖地震が起きてから、一週間がたった。
あの、魔の5分間の揺れを境に、東北地方は、日本は、どん底へと突き落とされた。

あの揺れの前までは、この週末はどこへ行こうとか、何をしようとか美味しいものを食べようとか、のんびりしようとか、きっと皆が考えていたはずである。
いつもの週末が来るものと、誰もが信じて疑わなかった。

まさか、一瞬にして住まいや職場、生活の全てを失い、住み慣れた町が消えていくとは。
肉親との別れがあるなどとは、誰も、欠片も想像してはいなかったと思う。
運命とは、なんて残酷なものなのだろう。。。


しかし、地震があってやっと見えてきたものもある。


想像だにしなかった地震の規模、津波の恐怖。
取られていた安全策の脆さ。
そして、生活の身近にある原発が、いかにずさんな代物だったかという事。
災害の時に一番の弱者は、高齢者であり病人であり小さな子ども達。
その弱者を、最後まで見捨てない真の医療者介護者達。

人と人の支えあい。
危険を顧みない、使命に燃える勇敢な自衛隊や消防隊員、警察、電力の社員の働き。
日本のあちこちから送られる応援、励ましのメッセージ。
そして、人種や国境を越えて世界中から届く、支援の愛。
世界中の人が、その痛みを共有し、回復を手助けしようと模索し行動している。
なんてすごいのだろう。。


いつも揺れを感じているかのような地震酔いもある。
気付かぬうちに緊張しているのか、肩がこる。
直接の被災者でなくても、この一週間はしんどさを感じた方も多いのではないかな。

まだまだ危機の真っ只中。
でも、どんな事があっても、みんなと一緒に乗り越えて行ける。
気持ちを合わせて、へこたれないで。
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燃料不足

2011年03月17日 | 暮らし、日常
昨日、行きつけのガソリンスタンドから携帯にメールが来た。
「明日、会員のみに10時から数量限定でガソリンを販売します。」とのこと。
私は、地震前に入れていて、まだ半分以上あるし、最悪歩いても通勤できる距離でもあるし、もっと切羽詰った人が詰めればいいな、、、と、今回は遠慮しようと思った。

今朝、そのガソリンスタンドの近くを通ったら、もうすでに車の行列が出来ていた。
その上、10時からのはずがもうスタンドは開いていて給油し始めている。
「あれ~~~?」と思っていると、9時半過ぎに再度メールが来て、今日はもう完売したとのこと。
なんでも、今朝は5時半頃から車が並び始め、大行列になったため早くに開けざるを得なかったとのこと。

また、夕方、仕事で外に出ると、なにやら車の流れが動かない。
暫くして気がついた。これは、ガソリンスタンドに繋がる行列だと。
このまま待ってもいられないので、空きスペースでUターンして他の道を行く事にした。

とにかく、すごい事になっている。

市内で開いているスタンドは3箇所ぐらい。
そこに、たこの足のようにいろんな方面から、延々と行列が出来ている。
3時間待っても、やっと10リッターしか入れられないらしい。
最悪、延々と並んで待ったのに、直前で「お釣切れ」と言われ、詰められなかったとか、、。

今日あたりは、道路も全く空いている。
自宅待機の企業も多いのだろうか。
お店も早く閉まるし、今夜のような吹雪の中では、車はほとんど走っていない。
まるで、ゴーストタウンのよう。

やっと見つけたスーパーの中は、商品が殆どなくてビックリする。
パン屋さんでは、パンが完売し、おにぎりを売っていた。
運送業者も、受け付けてくれない。
郵便小包さえダメだった。
ゴミ収集車も、可燃ゴミ以外は回収しないことになった。それも、回数を減らして。

異常事態である。

全ては、輸送ルートのストップ、深刻な燃料不足による。
燃料がないと、こんなにも影響があるのだと、つくづく思わされている。
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避難

2011年03月16日 | 暮らし、日常
計画停電、全く、、、振り回された。

昨日、お昼頃急に発表された計画停電だが、今朝、実施の30分前に「中止」が発表された。
今日のために、快く協力すべく、各商店、企業、団体、施設、学校、病院等が皆、準備万端整えて臨んでいるのだから、変更の決断はもっと早い時間に行ってもらいたいたかったと思っている。

せめて、「計画停電になる予定。最終判断は、○○時」とでもしてもらえれば、混乱もなく済んだと思う。

今日は、冬に逆戻りの寒さで、電気が通っていたお陰で暖かくは過ごせたが、この計画停電のために、休みとした企業、病院、学校が多くある。
今日は、中学校の卒業式の予定でもあったのだ、、、。



さて、今、福島原発が、大変な事になっている。

その原発地域からの避難者が、我県にも大勢入って来られた。
私の住む町では、600人近い方の避難を受け入れた。
ギリギリの燃料で、やっとたどり着けたのがここであったという被災者もおられる。

だだっ広い市営体育館にではあるが、毛布の配布、炊き出しも行われ、大型テレビやIP電話などの設置もされたようだ。
県内の温泉施設では、一泊食事つきで4,5千円という格安料金で解放されてもいる。

また一方で、日本に住む外国人の、日本脱出が始まっているという。
原発の事故について、日本のメディアが発表する「危険な数値ではない」という感覚と、外国の方の「非常事態である」との認識の違いがあまりにも大きくて、不安を覚えるのは私だけだろうか。
福島第一第二原発にある全部の放射能は、チェルノブイリの10倍にもなるという記事も目にした。
最悪の場合は、日本全部が放射能に覆われてしまうという。
最悪は、ここも安全ではなく、国内に逃げ場はないことになってしまう。

何故、こんな事になってしまったのだろう。。。

原発に関しては、天災ではなく人災という意見もある。
原発から直線距離で100キロ足らず(120キロと聞いたが実際は98.8キロらしい)のわが町。
今日わが町に、新しく放射線測定装置が付き、いち早く放射性物質の測定が可能となる予定だ。

とにかく今は、最悪の事態とならぬよう祈るのみである。
原発の現場で、必死で事故処理に当たられている警察、消防、自衛隊、電力関係者他の方々には、頭が下がるのみである。
何とか頑張って、この危機を乗り切って頂きたいという願いでいっぱいである。
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計画停電

2011年03月15日 | 暮らし、日常



突然、明日午前、計画停電になることになった。

庶務から、懐中電灯を借りた。
今は、耐震工事中で部屋の窓は養生されたままなので、外からの自然光が入らない。
闇の中で、さてさてどうなる事やら!

でも、もうこの辺で、限りあるエネルギーの使い方を見直さなければならない時だと思う。
もう、原発は要らない。
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そういうこと

2011年03月14日 | 暮らし、日常
今日は、地震後の初の出勤日。
まだJRも動いていないので、電車通の方はどうされるのだろうと気になる。

上司が出勤するや否や、
「明日から2,3日休む事になる、、。」と言う。
「ええ、大丈夫ですが、、。」と答えたものの、
何かな?と思いきや、通勤の為のガソリンを確保する事が出来ないとのこと。
遠距離で通勤されている為、車がつかえない、JRもストップしたままではお手上げなのだ。

職場に配達してくれる弁当屋さんも、明日から暫く休みとなるとのこと。
自宅への、食材の宅配業者もしかり。
市内のスーパーも、品薄の為閉店時間を早々と切り上げる所もある。

スポーツクラブも燃料確保がままならず、暫く臨時休館、明日からは部分営業だそうだ。

今日は、職場の暖房も10時には止まった。
部屋の蛍光灯も、半分消したり、部屋によっては全部消している部屋もある。

無いということは、そういうことなのだ。

今まで、当たり前のように使っていたものがなくなると、あっという間にお手上げ状態。
悲しいかな、これが現実。

けど、被災地の方々の気持ちや暮らしを思えば、これぐらいなんのその!
まだまだ贅沢。


そんな中、今夜はお隣のおばさんからいただき物をした。
新鮮な野菜。焼肉などを包む、つつみ菜。



なんでも、勤めているところで作っている野菜が運送業者の関係で出荷出来なかったとか。
それで、従業員が一箱ずつ持たされたのだそうだ。
その中から、我が家は3袋も頂いた。
一方ではこんなラッキーなこともあり、ありがたく思ったり、、。

そんなこんなも、地震がもたらした置き土産。
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東北地方太平洋沖地震

2011年03月13日 | 暮らし、日常
3月11日、午後2時46分、東北地方を中心とする大変な地震が起きてしまった。

私は職場にいて、あまりの揺れに玄関フロアまで出て揺れが収まるのを待っていたのだが、玄関の自動ドアは左右に揺れてバチンバチンと今にも壊れて開かなくなりそうだったので自動ドアのところまで出て入り口を開け、外を眺めていた。
敷地に植えてある松は、ぐらぐらと揺れているし、近所の薬局では何かが倒れたのか、キャーという声も上がり、5分ぐらいの長い時間の大きな揺れは、まるで悪夢のようだった。

それから5時までの間、何度も余震があり、いつでも外に出られるように靴と防寒着と鞄をすぐ側に置きながら、5時まで仕事をした。

携帯であちこちに連絡を取るも、繋がらず、、。
電車はすでに全面ストップ。


家の被害はどれだけか心配したが、物が少し落ちた程度。
二階の物干し竿が庭に落ちていて、網戸も左右に揺られ動いていたが落ちてはいなかった。
食器棚の中で、ガラスのコップが傾いていたので、ガラスものは全部棚から出した。
でも、そんな程度、幸いなり。。。

県内の殆どが停電になる中、幸い私の住むところは電気も水も止まらずに済んだ。
暖房もあり、暖かい食事もあり、避難されている方から比べれば何とも贅沢な夜。
しかし、浄化槽の処理能力も落ちているとのことで、少しでも節電、節水を心がけた。
夜は、皆一つの場所に集まり、いつ大きな地震が来てもいいように、洋服のまま寝た。



今日は、日中買い物に行ったが、パンや牛乳カップラーメンなど、棚は空っぽ状態。
トイレットペーパーやオムツ、ホッカイロや湯たんぽなども売り切れていた。

切実なのは燃料。
ガソリン、灯油の不足。スタンドはどこも閉まっていた。
我が家も、暖房を切り詰めながら過ごさなければと思う。

余震、原発、まだまだ心配な事は残っている。
しかし何よりも一番に、まだ安否が不明の方々の救助、避難場所への救援物資が少しでも早く届けられるように祈っている。
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右肩上がり

2011年03月08日 | 暮らし、日常
今日からまた、ガソリンが値上がりした。

こちらでは5円上がって、今リッター150円。
値上がり前の昨日、まだ三分の二以上残っていたが、それに足して満タンにしてきた。

そして、またすぐ上がる らしい。。。

困った右肩上がり、、。
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