GW直前に、桜が満開となった。
上の孫が、学校で花見をしてだんごを食べるんだと楽しみに出かけて行った。
花見をしながら俳句も作るんだとか、、。
今日は快晴、絶好の花見日和となったようだ。
去年の今頃は、桜は咲いていたんだっけ?
忘れもしない去年の今日は、夫が大きな病院で診察を受けて病名を宣告された日。
桜のことなんか、上の空だった気がする。
今年は、とってもきれいな桜、満開です。
昨日は、近所の方の葬式があって参列してきた。
同じ隣組なので、夫の時はお世話になったのだから私もお手伝いしなければと思っていたが、
日中家におられる方がすでに7名もいるので、お手伝いは大丈夫と言って頂けた。
なので、時間休暇を頂き、告別式にだけ参列した。
故人は78歳、もう成人されているそのお孫さんの弔詞に、つい涙が溢れてしまった。
”おばあちゃんの作るご飯を食べ、おばあちゃんが洗濯した服を着て、お帰りといつも迎えてくれた毎日。
手をつないで歩くこと、いろんな話をすること、一緒に料理作ること、当たり前の毎日が二度と叶わなくなって本当に悲しい。”
本当にね、人が亡くなると、そこからの毎日は、思い出や記憶とセットで流れていく。
私も毎日、一年前の記憶と思い出を手繰り寄せる日々が続いている。
喪主である娘さんが、
現代医学の進歩を考えれば、あと10年は生きて欲しかったと挨拶された。
確かにね、私も毎日新聞のお悔やみ欄を見て羨ましく思っている。
80代、90代。100歳代の方がダントツ多い。
61歳なんて、稀ですもん、、、。
そんな羨むことを考えていたら、今日ある本でこんな言葉が目についた。
「どれだけ生きたか」より「どう生きたか」を問え。
私も一句。
「Let It Go〜Let It Go〜と桜咲き誇る
字余り・・・