5月26日(月)武田家三代の詰城「要害城跡」
9:30 自宅から車で20分
武田神社から5分で要害山登山口にアクセス

武田信虎は、永正16年(1520)
緊急時に避難のために立てこもる詰城(つめじろ)として
背後の丸山に要害城を築きます
信玄、勝頼と三代にわたって使用され
慶長5年(1600)、廃城なりましたが
現在も、山腹から山頂までの間に、土塁や石垣、竪堀跡などがあり
戦国期の山城の様相を今日に伝える貴重な史跡
武田氏の興亡を偲んで歩きましょう

森の中の遊歩道ですが
けっこう登ります

赤松林が美しい

甲府盆地を望む

江戸時代後期に建てられた「武田不動尊」

主要な箇所には案内板が設置され

約30分程で要害山山頂

お隣には「武田信玄公誕生之地」東郷平八郎書の碑
駿河の今川氏勢が甲斐へ侵攻し甲府へ迫ったさいに
信虎は正室の大井夫人を要害山へ避難させ
夫人はその最中に城中で晴信(のちの信玄)を出産したと、、、

山頂に築かれた主郭部は
東西約73m・南北約22mの長方形で
周囲に土塁が築かれ
城の最も重要な場所であり
庭園に用いられたと思われる大石も残っているようです

広い山頂部
甲府名山の標柱は見当たらない?

ここから眺める富士の峰は、、、
見えません

道標ルート

この先は深草観音ですが

戻ります

武田信玄公ゆかりの
明治27年から続いた温泉宿「積翠寺温泉要害」
2017年1月31日をもって閉館
現在は障害者施設のようです

武田信玄ゆかりの歴史を感じる山麓
甲府周辺のぶらり歴史探訪も魅力的ですね。。。
9:30 自宅から車で20分
武田神社から5分で要害山登山口にアクセス

武田信虎は、永正16年(1520)
緊急時に避難のために立てこもる詰城(つめじろ)として
背後の丸山に要害城を築きます
信玄、勝頼と三代にわたって使用され
慶長5年(1600)、廃城なりましたが
現在も、山腹から山頂までの間に、土塁や石垣、竪堀跡などがあり
戦国期の山城の様相を今日に伝える貴重な史跡
武田氏の興亡を偲んで歩きましょう

森の中の遊歩道ですが
けっこう登ります

赤松林が美しい

甲府盆地を望む

江戸時代後期に建てられた「武田不動尊」

主要な箇所には案内板が設置され

約30分程で要害山山頂

お隣には「武田信玄公誕生之地」東郷平八郎書の碑
駿河の今川氏勢が甲斐へ侵攻し甲府へ迫ったさいに
信虎は正室の大井夫人を要害山へ避難させ
夫人はその最中に城中で晴信(のちの信玄)を出産したと、、、

山頂に築かれた主郭部は
東西約73m・南北約22mの長方形で
周囲に土塁が築かれ
城の最も重要な場所であり
庭園に用いられたと思われる大石も残っているようです

広い山頂部
甲府名山の標柱は見当たらない?

ここから眺める富士の峰は、、、
見えません

道標ルート

この先は深草観音ですが

戻ります

武田信玄公ゆかりの
明治27年から続いた温泉宿「積翠寺温泉要害」
2017年1月31日をもって閉館
現在は障害者施設のようです

武田信玄ゆかりの歴史を感じる山麓
甲府周辺のぶらり歴史探訪も魅力的ですね。。。