10/1(火)真言宗善通寺派の総本山
善通寺の朝勧行
6:00 御影堂(大師堂)には多くの僧侶、修行僧が整然と着座
厳粛な空気のなか読経が始まり・・・・・
館長の法話の後、全員のお経が響き渡る
BSフジTVの撮影も入り緊張に包まれた
その後
御影堂地下の暗闇の中を
左手の壁伝いにお経を唱えながら歩く「戒壇めぐり」で
見えることの有り難さを実感し
館長と全員の記念撮影後、朝食となる
出立のとき
第74番札所 甲山寺(こうやまじ)
静かな田園風景の中にある小さなお寺
弘法大師は朝廷より要請を受け
唐から持ち帰った科学技術を駆使し
日本最大の農業用溜池である満濃池(まんのういけ)の
工事を完成させこの報償金で堂塔を建立
本尊の薬師如来は
心身に災いする一切のものを除くといわれる仏様
毘沙門天の岩窟
第73番札所 出釈迦寺(しゅっしゃかじ)
我拝師山の中復にあり緩やかに上ります
虚空菩薩のご真言を一百萬遍お唱えする法の求聞持大師
物忘れの多い方に?・・・ご利益があるようです
伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起があり
奥の院に捨身ケ嶽騨定
出釈迦寺から1.8km、歩いて約40分(バス遍路はパス)
大きなお大師様に見守られて
善通寺市を眼下に
第72番札所 曼荼羅寺(まんだらじ)
四国霊場でもっとも古い歴史を持つ寺
弘法大師の祖先
讃岐国多度郡の郡司・佐伯家の氏寺として建立された
真新しい大師堂
巨大な鬼瓦は明治9年の古い本堂のもの
第76番札所 金倉寺(こんぞうじ)
弘法大師の甥にあたる智証大師が生まれた寺として有名
明治31年から約3年間
乃木希典将軍が善通寺第11師団長を勤めた頃
金倉寺の客殿に仮住居にしていた
境内に「乃木将軍妻返しの松」伝説
数珠繰り
第77番札所 道隆寺(どうりゅうじ)
本尊の薬師如来は
眼治し薬師様として知られている
納め札の裏面に『め』の字を数え歳だけ書くと
ご利益をいただける?らしい
両手を大師に捧げている衛門三郎の石像
第71番札所 弥谷寺(いやだにじ)
断崖の岩に囲まれた標高382mの弥谷山の中腹にあり
三つの峰からなっているので三乗の峰といわれ
死者の霊が行く山として信じられているとか...
先ずは260段の石段で金剛拳大菩薩へ
更に108段で大師堂、更に170段で本堂へと続く
この札所は難所の一つとなっているが
それほどでもない
金剛拳大菩薩像に迎えられ
岩壁には阿弥陀三尊摩崖仏など
多くの仏が刻まれている
本堂
弥谷寺大師堂は靴を脱いで堂内へ
座してのお経となる
裏側に弘法大師「真魚」の幼少期に学問をしたと
伝えられる場所『獅子岩窟』がある
ここには大師像と父母の二像が祀られている
御朱印の掛け軸
弥谷山の麓にある
道の駅「ふれあいパークみの」で昼食後
第70番札所 本山寺(もとやまじ)
弘法大師が一夜にして本堂を建立したとされる
ご本尊は札所の中でもここだけの
大師作による馬頭観世音菩薩
ご真言がどうも・・・
おん あみりとう どはんば うん ぱった そわか
五重塔
第68番札所 神恵院(じんねいん)
68・69番の札所は琴弾山の中腹にある
八十八ヶ所中ここだけが同じ境内に2つの札所
山門も納経も共有
コンクリート造りの入り口から
本堂
第69番札所 観音寺(かんおんじ)
本堂
神恵院の境内からさらに徒歩10分上がると
琴弾公園の象が鼻展望台に
瀬戸内海と海岸線を望み
伊吹島の夕日などの景観も見所
白砂青松の有明浜を見下ろす
松林の砂浜に周囲350mの寛永通宝の銭形
白砂に描かれた巨大(直径約100m)な銭形砂絵
銭形砂絵「寛永通宝」を見た人は
長生きしお金に不自由しないとか
これは行かなきゃと皆、頑張った。。。欲が深い
不慳貪(ふけんどん)じゃないの?
今回、18ヶ寺と多くの参拝で順不同も多くちょっと混乱
慣れて来ると緊張感も薄らいでお参りも疎かになりがち
特にツアーバス遍路は毎回、殆ど同じ顔ぶれ
和気あいあいとなり楽しいのはいいが...
余りにもという場面もあり意思に反するような
雰囲気が懸念される
遍路の心得
三信条
●摂取不捨の御誓願を信じ、同行二人の信仰に励む
●何事も修行と心得て愚痴、妄語を慎む
●現世利益の霊験を信じ、八十八使の煩悩を消滅させる
何事も試練、修行と心得よう!