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拍手

2011-05-26 00:04:01 | 日記
結婚披露宴の司会を何度かおおせつかったが、私は私なりのルールを定めていて、その1ツが、拍手を要求しないということだった。 あの「みなさま拍手でお迎えください」といった類のものは田舎臭い感じがしたし、拍手は自然であるべきだと思っていたからだ。 新郎の上司にスピーチの前の拍手はなくてもいい。スピーチの終わりには必ず手が鳴るからそれでいいと思っていた。 ただし、女性のスピーチの前には拍手がほしかった。むろん言葉で頼む必要はなく、「続きまして、新婦の高校時代からの親友ハルノアキコ様のお祝いの言葉をいただきます」と言って、自分が拍手すればよかった。 当然のごとく、みなさんが私に倣ってくださったし、それは1ツの応援拍子にもなった。 巨人・阪神戦の8回裏、すでに大きな点差があって、ファンの何割かが席を立ち、出口に向かいかけている。そこで広岡達朗選手がショート・ゴロを打つ、帰りかけていたファンの足が止まり、拍手が起こる。もう試合結果はわかっているのになぜか。ショートを守っているのは吉田義男選手であり、彼の華麗なプレーが勝敗とは別の価値をもってもう一度観られるからである。 そのゴロを打った広岡さんも、早大時代からやはりゴロを1つ捌いただけでも大拍手を受けていた。 吉田・広岡のような守備で見せる名内野手はいまいるのかどうか。とにかく、凡ゴロを捕って警戒にスローイングするだけで美しかった。  「僕の顔がわかりますか?」、4人の若い男性の顔が眼の前にあって、中の一人が訊く。知らない人だから黙って首を横に振る。すると、質問が「僕の顔が見えますか?」に変わり、私が頷く。すると、「よし!よかった!」というような声があって、パチパチと手を打つ音がした。  昨夏の大手術から目覚めたときの記憶であるが、それが本当(現実)であるかどうかは(ドクターやナース達に確認していないので)わからない。もしかすると、大手術の後にはそういうシーンがあると(テレビドラマか何かで観ていて)自分で創ったことかもしれぬ。しかし、その絵の中に「よかった!OK!」の言葉とともに拍手の音があったのが、強く頭に残っていて、ドクターのみなさんが手を打ってまでオペの成功を喜んででくれるだろうか、いや私の生還が奇跡だったのは確かだから、成功と生還をあわせた拍手もありうる・・・などと、あの不思議なときを何度も思い出している。

うわさ

2011-05-24 23:10:15 | 日記
久しくきかなかった風評(被害)という言葉を、最近は、毎日のように耳にしたり、読んだりするようになった。 風評とは噂であり、だからよいものおm悪いものもあるわけだが、多く世に広がるのは後者である。 そして噂は、たいていの場合、無責任という厄介な性格をもっている。 A子には泥棒の噂があった。文具店でエンピツやノートを、パン屋でパンを盗んで捕まったことがあるらしいと教室中の誰もが疑っていた。A子は無口であり、学業もふるわず、いわば何のために学校に来ているのだろうかという存在だった。 彼女の卑屈な視線や態度が、ますますみんなに、噂は真実という印象を与えていた。あるときB君の弁当がなくなって、その疑いがA子に向けられた。体育の授業中、いつも体調不良で教室に残るA子が、それを盗み食いしたのではないかということだ。この話自体を信じられない方が多いかと思うが、これは終戦直後の食糧難の頃の話であって、弁当泥棒はあっても不思議ではない。  教師も、「Bの弁当がなくなった。もちろん、この教室には、そんないたずらをするものはいないと思うが」と言葉を濁したが、全員が舌を向いて沈黙し、「やっぱり、A子が~」と考えていた。そこへB君の母親が、「今朝、忙しかったので息子に渡すのを忘れてしまって」と弁当を届けに来た。つまりA子の疑いは晴れたのだが、そのときも彼女は全く無表情だった。 繰り返すが、噂とは無責任なものであり、そこから生まれ出る害(無用の損失)は多大である。被災地の方々が理由のない噂によって、不当な損失を受けていることは、毎日の報道で伝えられているけれど、大変だろうなぁという言葉しかでてこない。 家人に「福島・茨城産のイチゴを買えよ」と言う以外に、あまり協力法もおもいつかない。

安楽死

2011-05-24 00:22:18 | 日記
正確な場所は知らぬが(たしか西の方に)ポックリサンと呼ばれるお寺があって、老人の参拝者が多いそうだ。つまり、ポックリはポックリ死ぬという意味であって、そういう死に方を願っている高齢者に人気があるわけだ。たいていの人の願いは安楽死であるのだが、どんなに難病に苦しんでいる人でも、安楽死を引き受けてくれる病院もないし、医師もいない。  安らかな、眠るようなお顔でしたと、死者と対面した人がよく語るが、それはその通りであって、私の叔父は肺結核の手術のときの輸血の失敗(いわゆる、黄色い血)で、死の数時間前から夢遊病者のごとく、あるいは水に溺れるかのような苦悶の動作を繰り返したが、息をひきとる30分ほど前からは静かな眠りに入った。 他の例もあるが、生と死の間には必ず、ある静寂なときがあるのは確かで、そのことは、昨夏、そのときを経験した私が証言できる。  長門裕之さんが亡くなった。報道によると、彼も私と同じ大動脈瘤の手術を少し前に受けている。これまた以前に書いたことだが、この病気は、極めて死亡率の高いもの(即死が30%を超す)ものだが、発症時の激痛は約3分間であり、すぐに血圧が急降下するので、そのまま永久に眼を閉じても、一種の安楽死と言えるだろう。 むろん、私は(たすけてくださったドクターや関係者、心配してくれた家族には)今後、どんな苦しい病気になっても「あのとき、死んでいればよかった」とはいえない。 或る晩、旨い肴で旨い酒を呑んで、寝床に入り、そのまま明日もあさっても1年経っても、100年経っても永遠に目覚めないことが、私の希望する安楽死であるが、そううまくいくかどうか。

5月22日

2011-05-24 00:11:58 | 日記
目覚め(7時)に計測した血圧は106-77。 1日に3回測るが、平均は145-90ぐらいで、110をきることは少なく、これは気候のためだろう。 7時からフジテレビ『ぼくらの時代』は、伊集院静氏、吉行和子氏、黒鉄ヒロシ氏でおもしろかった。 吉行さんが「モテる男は謎がある」と言っていたが、そういう見方をする女性もいるんだなぁと頷くしかない。 私の周囲でモテた男達の共通点は、謎よりは、明快型だった。 娘にCDをセットしてもらって懐メロを流し、ちょっと唄ってみたら、声が弱くなっているのがわかる。そういえば、昨夏の大病のあとは大声を出したこともない。大声と言えぬまでも、ちょっと強い声で、「若く明るい歌声に 雪崩は消える 花も咲く~」と唄ってみたいのだが・・・。 競馬はオークスで、2強のワンツーはないとみて、バラ券で14点買ったが、エリンコート(1着)がらみは(あと20点バラ買いしても)買えなかった。 来週はダービー。 このところ日本中が「本当は~」に満ちていると思う。避難地域の方々は「本当は、もう戻れないのではないか」の不安をお持ちだとうり、これと似た立場のみなさんも「本当は(本当に)この先は?」という日々であるとおもう。 車でトンネルに入り、暗い道を走り、やがて出口の明かりが見えてほっとする瞬間があるが、その出口の明かりが見えないのが震災以後なのだと思う。 西岡武夫参議院議長が菅首相ではダメだと怒ってみせ、それに拍手する連中がいるが、そもそも3権の長の一人としていかがなものか。 西岡さんという人も印象が暗い。 本当はこうだからこうしよう!というポジティブな政治家はでないものか。

白と黒

2011-05-22 07:40:30 | 日記
囲碁、オセロゲーム、大相撲の星取表、ゴマ塩、葬儀場の幕・・・白と黒から連想されるものはいろいろあるが、この2ツの色は場面ごとに、その優劣が入れ替わる。囲碁は上位者が白い石を持つ、スポーツでは勝者が白星を得る。犯罪者はクロであり、無罪はシロと、概ね白の方が優勢に見えるが、ウィスキーではジョニ黒がサントリーホワイトより格上、また玄人・素人も玄=黒である。色の白いは七難隠す・・・というが、あまり美白に拘るより、そこそこ黒い方が健康的だろうし、また喪服姿で見違えるような美人になるケースは少なくない。白あっての黒であり、黒あっての白なのが、女性の美なのだろう。  高校時代、家のトイメンに、天地真佐雄さんの稽古場兼愛人宅があった。当時NHKラジオに『3ツの歌』という、素人参加番組があって、そこでピアノを弾くのが天地さんであり、番組の初めに3ツの歌の歌を唄うのが、愛人の越山あつ子さんだった。 稽古場へは多くの知名歌手がレッスンに来ていて、中の一人に『森の水車』がヒットした荒井恵子がいた。 ある猛暑の日、玉電の駅を降りると荒井さんが大きなトランクを持って人待ち顔で立っていた。 私は自分が近所の人間であることを告げ、荒井さんの荷物を持って、12,3分の道を歩いた。荒井さんが「すみませんね」と言いながら日傘をさしてくれ、腕と腕がふれあい・・・。有名女性歌手と高校生である。嬉しいというか、恥ずかしいというか、感動的というか・・・。 憶えているのがもう1ツ、そのときの日傘が、白地に黒の水玉模様だったことだ。