gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

電気

2011-05-26 23:39:49 | 日記
震災後に行われた計画停電を5,6度経験した。 エアコンが使えないので、家人が古い石油ストーブを物置から探し出してきた。 ガスはプロパンだから、食事はなんとかなるし、風呂は時間を待って沸かせばよく、その辺はたいして困らないのだが、退屈だった。 送電線と電話線は別だと思うのだが、電話も通じない。テレビがつかないから頭の体操(麻雀ゲーム)もできないし、『相棒』や『刑事コロンボ』のDVDも観られない。停電は3時間弱でしかないのだが、それでも退屈だった。そういう時に限って、眼を閉じても眠気がやってこない。 人間の最大発明は何かという問いに、世界の科学者の9割が電気と答えるという話を思い出した。 中学3年のときの理科の課目は電気であり、それは学級担任であるA師の担当だった。孫子の兵法に、敵を知り己を知れば百戦危うからずとあるが、中学のテストも同じことで、敵A師のココロが読めれば~であり、私は、このテストの主題は乾電池のつなぎ方にあると観た(不正確な記憶だけど、乾電池のつなぎ方によって明るさが違うといったような)。むろん私にそんな理屈は全くわかるはずもなく、とにかく教科書にある図を暗号文字に直してシークレットペーパーをつくりテストに臨み、学級ナンバー1の高点を得たが、通信簿には4が印された。そのときの私の心境は、赤塚不二夫氏の言を借りれば、コレデイイノダだった。 カミソリの刃を線状に刻み、それに磁気をつけて人間の心臓部に置き、ある瞬間に外部からそれにアプローチすると、カミソリの刃が稲妻形に暴れ出し、胸から背中にかけて、恐怖の激痛が走った。。。というのが、昨夏の大動脈瘤破裂のときの記憶である。よくいわれる、焼き火箸を突き刺されたようなというのとは違って、あれはまさに電気が造ったような痛みだった。

拍手

2011-05-26 00:04:01 | 日記
結婚披露宴の司会を何度かおおせつかったが、私は私なりのルールを定めていて、その1ツが、拍手を要求しないということだった。 あの「みなさま拍手でお迎えください」といった類のものは田舎臭い感じがしたし、拍手は自然であるべきだと思っていたからだ。 新郎の上司にスピーチの前の拍手はなくてもいい。スピーチの終わりには必ず手が鳴るからそれでいいと思っていた。 ただし、女性のスピーチの前には拍手がほしかった。むろん言葉で頼む必要はなく、「続きまして、新婦の高校時代からの親友ハルノアキコ様のお祝いの言葉をいただきます」と言って、自分が拍手すればよかった。 当然のごとく、みなさんが私に倣ってくださったし、それは1ツの応援拍子にもなった。 巨人・阪神戦の8回裏、すでに大きな点差があって、ファンの何割かが席を立ち、出口に向かいかけている。そこで広岡達朗選手がショート・ゴロを打つ、帰りかけていたファンの足が止まり、拍手が起こる。もう試合結果はわかっているのになぜか。ショートを守っているのは吉田義男選手であり、彼の華麗なプレーが勝敗とは別の価値をもってもう一度観られるからである。 そのゴロを打った広岡さんも、早大時代からやはりゴロを1つ捌いただけでも大拍手を受けていた。 吉田・広岡のような守備で見せる名内野手はいまいるのかどうか。とにかく、凡ゴロを捕って警戒にスローイングするだけで美しかった。  「僕の顔がわかりますか?」、4人の若い男性の顔が眼の前にあって、中の一人が訊く。知らない人だから黙って首を横に振る。すると、質問が「僕の顔が見えますか?」に変わり、私が頷く。すると、「よし!よかった!」というような声があって、パチパチと手を打つ音がした。  昨夏の大手術から目覚めたときの記憶であるが、それが本当(現実)であるかどうかは(ドクターやナース達に確認していないので)わからない。もしかすると、大手術の後にはそういうシーンがあると(テレビドラマか何かで観ていて)自分で創ったことかもしれぬ。しかし、その絵の中に「よかった!OK!」の言葉とともに拍手の音があったのが、強く頭に残っていて、ドクターのみなさんが手を打ってまでオペの成功を喜んででくれるだろうか、いや私の生還が奇跡だったのは確かだから、成功と生還をあわせた拍手もありうる・・・などと、あの不思議なときを何度も思い出している。