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源氏名

2011-05-17 22:23:25 | 日記
昔は遊女のお座敷ネームというべき呼び名を源氏名といった。 お座敷だけでなく、小林旭さんの歌にある、「京都にいるときゃ<しのぶ>と呼ばれたの 神戸じゃ<なぎさ>と名乗ったの」の、<しのぶ>も<なぎさ>も源氏名と言えるだろう。 「求むフロアレディ。時給2,500円」といった広告を、スポーツ紙などで見かけるし、中には「急募フラワーガール」なんてのもあるから、彼女達は午後6時になると、フロアネームやフラワーネームになるのだろう。 私達がキャバレーで呑んでいた昭和35年から50年代はホステスが標準語で、さすがに源氏名ではなく、お店での名前が小さなプレートに印されて、ドレスの胸部に留められていた。 一級酒場ではなかったから、優雅な、あるいは妙に気取った名前のホステスはいなかった(たとえば春日乃やキャサリンといった名前のお姐さんとは呑む気になれまい)。 二級酒場のホステス達はみんな平凡な名前を自分で選んでいて、かずこ、けいこ、ひろこ といったポピュラーな名前が多く、彼女達に言わせると「もし夜中に私の夢をみて、かずこって呟いても、そんな名前はどこにでもあるから、いくらだって奥さんにごまかせるでしょ」という説明を聞いたことがある。 昭和42年だったか、その翌年だったか、ゴルフ仲間と千葉の習志野カントリークラブへ行った帰りに、仲間の一人がなじみの浅草のキャバレーで呑んだ。 まだ元気だった灰田勝彦さんが『新雪』と『すずかけの径』(彼が学んだ立教大学をうたっているもの)を唄う声に老いがあった。 私達のテーブルについたのが<おはなはん>と呼ばれるホステスだった。私達よりは10年は上だったが、一緒についてきた若いホステスよりはるかに愉しい人物だった。俗に言う、客あしらいに長けていて、愉しい酒席を作ってくれた。「あたし、本名はハナエ、お店でもハナエです。でも、オハナハンで人気なんですよ。名前だけで指名してくれるお客さんもいますよ」と微笑んだ。 その少し前に大ヒットしたNHKの朝ドラが『おはなはん』だったからだそうで、そのキャバレーのおはなちゃんも、少しトシをとった樫山文枝さんに似ている気がした。

謝る

2011-05-17 22:13:34 | 日記
10歳から6年間暮らしていた茨城の家は、文字通り、向こう三軒両隣りの配列で、中間に2メートル幅の通路があって、そこはキャッチボールの場でもあった。とにかく狭いから、ピッチングなどを試みると、少し逸れただけの投球が、どこかの家へ転がり込むことも多く、あるとき、私の投じた速球(少年時代の私はノーコンの速球投手であった)が、不運な跳ね方をして、A家の廊下のガラスを割った。まだ器物損壊という語は知らなかったが、ヤバイということはわかったので、すぐ家に帰って祖父に報告しあ。当時の祖父は現在の私の年齢であり、孫の不始末で近所のオバハンに頭を下げるのは似合わず、謝罪は、夕方に帰宅した叔父と私でA家を訪れ、すでに修理されていたガラスの代金領収書と現金が取り交わされて一件は終わった。それから暫く経って、今度は我が家のガラスが割れた。 キャッチボールではなく、いたずらに投げた石だったと思うが、すぐにB家の少年と母親が謝りに来て、やはりガラス代の弁償を申し出たが、祖父は頑としてそれを拒否した。少年と母親は顔を真っ赤にして更に謝った。祖父の怒りが並大抵のものではないと怖れたのだ。しかし、祖父は静かに「私はここ(部屋)にいて、子供の元気な声を聴くのが好きですから」と言った。身内を誉めるのは好きでないが、このときの祖父の態度は、大袈裟に言えば、1つの教育として私の中に残っていると思う。  ユッケで死者を出した焼肉店の社長の謝罪姿がテレビで報じられ、各マスコミは、あれでは誠意が感じられないと評している。 確かに彼の言動は脚本を大声で読み上げるような印象があって、好感はもたれないだろう。 東電の社長と重役達は、被災者の皆さんから罵声を浴びながら、平身低頭するだけで、これは止むを得ないというか、ただ頭の上の台風が過ぎるのを待つ心境だろう。でも、あの社長は、いかにも上には弱く下には威張るのがミエミエの顔だから、これまた誠意は伝わりにくいのだろう。