「たい?ひらめ?えび?いか?あなご?。。。」、子供が絵本を見ながら魚の名前を覚えようとしているのではなく、大人が昨日食べた鮨のネタを自慢しているのだ。語尾上げ語というのは、このように疑問符をつけたような発音になる。これはたしか20年ほど前に流行し、やっと最近は廃れてきたようだ。廃れないのが、「ら抜き語」である。 ま、中学生の女の子ぐらいなら仕方がないが、年齢に関係なく広がっている。野球の解説者が、「ここで思い切って打者の胸元へ直球を投げれればいいんですが」と言い、国会で野党議員が「結局、自衛隊はどこまで出れるんですか?」と質問する。たとえば、ある男がA子と見合いしたとして、男が「きれいなお着物ですね」と語りかけ、A子が「ありがとうございます。でも、これ、自分では着れなくて…」と応えたとする。さらに男はB子とも見合いをしてやはり同じように話しかけ、するとB子は、「自分では着られなくて」と、「ら抜き語」でない言葉を使った。それだけで、ということはないかもしれないが、見合いのときの言葉遣いの美醜の差が将来を決めることが皆無とは言えないと思う。 グレシアムを真似れば、悪語が良語を駆逐することはあるだろう。 ら抜きなどは、これから何十年と続くかもしれない。そのような中で、きちんと話せると恰好がつくし、おしゃれに見える。らを入れただけで、おしゃれな女性になれるのだから、こんなラクなことはないではないかと、アラフォーならぬ、アラッパチ(80)老人は思うけどなぁ。
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