「上も行く行く 下も行く 上も泣く泣く 下でも泣くよ 君は省線 僕はバス つらい別れのガード下 ネー トンコ、トンコ」。昭和20年代に大流行した『とんこ節』の一節だが、これは読みようによって、ん?となる人もいるだろう。 作詞は西條八十先生、唄ったのは久保幸江さんだった。私が高校2,3年生の頃、その幸江姐さんと、作詞家の大村能章先生の愛の巣が、世田谷の我が家の近くにあった。今でいう、4Kほどのこぎれいな家で、玄関の横にある枝折戸が洒落ていた。横の坂道を通りかかると、たまたま枝折戸の内側を掃除している幸江姐さんを見かけることがあって、彼女と眼があって小声で挨拶すると、こぼれるような笑顔で大きな声が返って来た。それは17歳の少年に、喜びと恥ずかしさの入り混じった興奮を与えた。とろけるような色気、小太りのセクシーな体、私は顔を赤くして、なぜか早足になったのを憶えている。幸江姐さんはその頃27、8歳ではなかったか。女の艶が出る盛りである。 男子高校生の異性への興味は当然に同年代の女子高生にあり、私も同じだったが、幸江姐さんの色っぽさを見てしまうと、女子高生なんか何も持っていない、乾いた、おもしろみのないような感じに見えてしまう時間もあった。 大人になってからも、私は女の色気、妖艶さという言葉に出会うと、あの日の幸江姐さんの首筋や腕の白さを思い浮かべたりした。色気は見えるものではなく感じるものだそうだが、彼女の場合は見える色気だった。
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