家人と次女は、一人で車に乗るときは音がないとダメだと言う。このダメとは、おちつかないといったような意味らしい。家人は家の中でも、常にテレビかラジオ(時にはCD)の音を流している。 別に好きな音楽を聴くのが目的ではなく、たとえばほとんど理解し得ないであろう競馬の実況だっても、とにかく音があればいいという体質なのだ。 私は静寂が好きだ。 朝の4時にふと目が覚めて、そのまま二度目の眠気を待つとき、家の中は静まりかえっているが、外には自然音があり、それは虫の声、鳥の声、風や雨の音だったりするし、生活音(たとえば新聞配達のバイク)もあって、それらが二度目の眠りのBGMになったりする。 「鶏の声 新聞の香り 朝の庭」。家人が小学校6年のときに作った句で、茨城県の最優秀作品(今でいうコンクール)に選ばれたそうだ。 鶏の声もそうだが、朝は音から始まるのは確かで、代表例は台所のサウンドとラジオ体操の歌だろう。 6枚の畳に1枚の敷板、家人が流し場に立って朝食の支度をする音がフツカヨイの頭に辛かった。それでも、湯を沸かす、野菜を切る、食器が触れ合う、フライパンに玉子が割りいれられる・・・とにかく、狭い部屋だからすべてが耳に入る。それが私の新婚の朝の音だった。歌の題を借りれば、「あしたがあるさ」の6畳間だった。 7時ですよ、今朝は家人の掛け声が二度目の目覚めだった。もちろんラジオの音があり、私がそれにCNBCのテレビ音を加えた。台所の音は、昨夜、家人に頼んでおいた玉子丼の準備か? とにかく今はタマネギが旨いので、麻はタマネギ主役の食事になっている。
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