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皇居前広場

2018-05-19 11:51:29 | 日記
昭和27年5月2日の午後、私は福島県白河から東京に帰って来た。茨城から上京して1カ月だった。私立高校の2学年に編入学してすぐに親しくなったA君に誘われた。彼の家が白河で牧場をやっていて、そこに招待された形だった。初めて飲む搾りたての牛乳、牛乳風呂、もちろん上等な肉もご馳走になった。

家は世田谷にあったから、上野から山手線で渋谷へ向かう。ふと気づいたのが、車内がなんとなく静かであることだった。しーんとしている感じがあった。少し不思議な雰囲気だった。帰宅して祖父に話を聞いた。前日のメーデーに皇居前広場で行われたデモの集会で若者たちと警官隊が衝突し、数名の死者も出たということだった。これがのちに血のメーデーと呼ばれることになる。テレビのない時代である。新聞とラジオで知るだけでも大事件と言えた。電車の中の人々の沈黙の理由もそこにあったのだとわかった。

昭和30年代の中ごろから皇居前広場はデートの名所となる。ところどころに置いてあるベンチでアベックが抱き合う。唇を寄せ合う。他人の眼は気にしない。みんな、お互い様なのだ。それを覗き見する輩もいた。広場は暗い。しかし真っ暗闇ではない。つまりは、絶妙の暗さだった。石原裕次郎さんの歌の一節を借りれば、『夜霧よ今夜も有難う』である。

現在のあの広場はどうなっているのだろう。メーデーの集会は行われなくなったらしいが、アベックじゃないカップルが、暗くなると手をつないでやって来るのだろうか。それとも、いまの若者達はもっと明るい場所で逢瀬を愉しむのだろうか。

足し算、引き算

2018-05-19 11:41:19 | 日記
「プロ野球がセントラルとパシフィックの2つのリーグに分かれたのは、昭和25年です」「はぁ」「1950年です」「ああ、そうすると68年も前ですね」。私とIさんの会話である。Iさんは指圧の重田名人に付き添って来る男性で、年齢は45歳前後だ。昭和25年といってもピンとこないようだが、1950年となるとすぐに計算できるらしい。私の頭の中には、昭和と25がある。昭和の年に25を足すと西暦年になる。西暦年から25を引くと昭和の年になる。最近は西暦年を使う人が多くなった。学校の教科書がそうなっているのだろう。「この前のオリンピックは64年でしたね」なんて言う。私の中では「東京五輪は昭和39年」である。なるほど、25を足すと64になる。1964になる。いまは平成30年、西暦2018年である。孫娘が生まれたのは平成6年である。これは千九百何年になるのかは計算したことがない。面倒臭い。

100から7を引いていく。どんどん引いていく。これを認知症判定の基準にする。考案したのは、認知症研究の第一人者である長谷川和夫先生だが、その長谷川先生ご自身が認知症になられたと、文藝春秋4月号で語っている。この100→93→86→79
→72・・・のテストを試したことがある。これが簡単ではない。7✖7は49だから、どこかで51という答えが出て来るはずだが、出て来ない。そうなると、再び100→93からやり直すことになる。ナルホドと思った。ナルホド頭の体操になると思った。脳の訓練になると思った。この計算の最後の答えは2である。今度は2から7を順に足していく。2→9→16→23・・・これはラクである。すぐに100に達する。人間の頭というのは引き算より足し算の方が早くできるように出来ているのだろうか。

毎日が別曜日

2018-05-19 11:34:13 | 日記
毎日が日曜日、という言葉がある。たとえば、サラリーマンが定年退職の日を迎えたその翌日から、といったようなことを言うのだと思う。たしかに、そういう人もいるだろう。しかし、実際にはそうでない人の方が圧倒的に多いのではないか。

人間は退屈が嫌いな生物なのではないだろうか。閑(ひま)を嫌う性質を持っているのではないだろうか。もちろん、ゆっくりとした自由な時間は大切である。しかし、そればかりでは飽きてしまう。退屈してしまう。そこで考える。何かやろうと考える。何かオモロイことないか、である。

何度か書いたが、私は2K(株と競馬)をやっている。82歳になっても金銭欲はあるし、金儲けはおもしろい。月曜日から金曜日まで、株式ニュースをテレビで観る。新聞で読む。証券マンと話すこともある。株だから上げもあり下げもある。儲かったり、損をしたりする。土曜日・日曜日の競馬も同じである。貧乏人のやっていることだから、わずかな金であうが、それでいい。私は株のプロでもないし、競馬に詳しいわけでもない。加えて、火曜日と土曜日には重田名人の指圧治療がある。また、金曜日にはデイケアサロンへ麻雀を打ちに行く。

私は腰痛を抱える不自由老人である。それでも前記のようなことができる。時々、電話で話す友人(70代の後輩が多いが)も、みんな何かをみつけて、それを楽しんで生きている。77歳で、自分の工場で機械の前に立っている男性もいる。麺打ちのプロに近い男性もいる。デイケアサロンで知り合った人達とは、あまりコマカいことは話さないが、ボランティアでデイケアを手伝っている男性もいる。老人メンバーを車で送迎し、麻雀にも参加する。70歳は過ぎているがサロンでは若い。その人だって、何かをやっていることが楽しいのだろうと思う。みんなから感謝されることも生きがいの1つであるはずだ。齢をとっても、毎日が日曜日ではない。毎日が別曜日なのだ。