goo blog サービス終了のお知らせ 

由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。読んで頂く時にはズームを150%にするのがおすすめです。

今の先生は年中走っている その1

2018年10月30日 | 教育


メインテキスツ:内田良氏の各種のネット記事

 「教員は忙しい」と言うと、「何がそんなに忙しいんだ?」とよく問われた。今も問われるだろう。問われてみると、これはなかなか難問であるような気がしてくる。なぜ難問か。個人的な事情はある。私は高校教諭だが、本当に、アブないくらい忙しいのは小中の教師だ。また高校教諭としての私自身は、還暦を過ぎて再任用という立場になった今は、そんなに忙しくない。こういう立場の私が言っても、実感は伴っていないから、あまり迫力も説得力もないのは仕方ない。
 しかし、以前のことを思い出し、また現に学校のありさまを毎日見ている者として言える、もっと普遍的で根本的な問題もある。これをできるだけ、他の職業・立場の人にもわかりやすく説明してみよう。今多忙の真っただ中にいる人々は、こんな文章を綴る時間もないことだし。どれだけ伝わるかはわからないが、35年以上学校にいた者の義務のようにも感じるので。

 教員は忙しい。もうけっこう普通に言われるようになった。しかし、世間の常識にまではなっていない。まず、現状を端的に示す指標を挙げよう。

(1)今年9月27日に公表された文科省の「教員勤務実態調査(平成 28 年度)集計 【確定】値 】」中の「教員の1週間当たりの学内勤務時間(持ち帰り時間、及び土日の出勤分は含まない。)」によると、教諭の平均週当たり勤務時間は小学校で57時間29分、中学校では63時間20分。公立学校の勤務時間は1日7時間45分、1週38時間45分だが、労災の認定に使われる法定労働時間1日8時間、週40時間を基にしても、中学校教諭は23時間20分の超過勤務をしていることになる。
 過労死の認定基準として使われる月80時間の超過勤務時間は、月4週間と考えるから週に20時間、中学校教師は平均でこの数値を軽く超えている、ということである。月にすると93時間20分。「働き方改革関連法案」の時に争点になった「繁忙期」の限度月100時間(1日につき5時間の超過勤務)に近い。
 というか、上の数値は平均なのだから、中には月100時間を超える超過勤務を、何か月もこなしている人はたくさんいる。「いつ過労死してもおかしくないんだが、ちゃんとそう認定されるかな」なんて軽口を叩く元気があるうちはまだいい、という感じで。もちろんそういう人は小学校にも、高校にもいるし、副校長・教頭という中間管理職は、小中双方とも週当たり勤務時間で63時間を超えている。しかもどの場合にも、持ち帰ってやる仕事の分や休日分は含まれていない。
 またこの調査をした対象期間は10~11月なので、「教師には夏休みがあるはず、その時期は、休みではないにしても、何しろ通常の授業はないのだから、もっとずっと暇なんだろう」と思う向きもあるかと思う。しかし、そんなこともない。
 少し古い資料になるが、平成18年(2006)度で、教師の8月の勤務時間は、確かに他の月よりは短いが、それでも8時間を超えている(内田良「夏休みも残業 教員の働き方における「閑散期」という危うい想定」)。そして後の9月~翌7月の間は、過労死ラインとして厚労省も認める「1カ月100時間超または2~6カ月の月平均80時間超の勤務外労働」を軽く超えて働いているのだ。
 さらに特筆すべきなのは、前回の調査時平成18年度に比べて、小・中、校長・教頭(副校長)・教諭のすべての立場で、勤務時間が増えていることだろう。ここでも中学校教諭が週当たり5時間14分増、つまり1日1時間強の増加、とダントツの増え方をしている。
 この10年の、マスコミを賑した、というよりは他にネタがないときには穴埋めとしては重宝に使われた教員バッシングやら、平成12年の東京都を皮切りに暫時全国で実施されるようになった教員評価の成果(!?)をここに見ることができるかも知れない。しかしそれも含めて、もともと学校というところは、仕事を減らすのが難しいところなのだ。それこそ問題の根幹なので、後述する。
【ここへきて不安になってきたので、付け加える。教師はいくら働いても、残業手当がつかないことはご存知ですか? 昭和46年制定のいわゆる給特法によって、「教員の勤務態様の特殊性をふまえて」、公立学校の教員については、時間外勤務手当や休日勤務手当を支給しない代わりに、地方公務員の給料月額の4パーセントを教職調整額として支給する、と定められているからだ。
 これは不合理ではないか、一律4%の増額はやめて、他の公務員のように、時間外勤務手当、いわゆる残業手当を払うべきではないか、という議論も、平成19年度の中央教育審議会答申「今後の教員給与の在り方について」がまとめられた時などにはあった。しかし、上のような状況でそんなことをしたら、全国総額で年額兆に達する金額が必要になることが察せられて、すぐに沙汰止みになった。
 つまり、大雑把には、小中高の教員約100万人が、平均で1人当たり年100万円分の残業を無給でやっている、ということである。と、すると、大した金額ではない、むしろ安いくらいだ、と私は思うが、そう思う人は世間にはそう多くない。
 現在のところは、上述の教員評価に依って、上位の教員の昇給率や勤勉手当(ボーナス)を増やし、下位の教員のを減らす、というような措置が東京都や大阪府などで実施されているのがせいぜいである。】

(2)教員と他の労働者の比較は簡単にはできない。「月100時間以上の残業なんて当たり前だ」という業界・業種もあるだろう。しかし、それが世の勤労者一般的な姿であるとしたら、それこそ喫緊に改革すべき事態だということになる。が、教師以外のサラリーマ一般は、幸いにして、そういうことはないようだ。
 本年の7月10日、総務省統計局が「我が国における勤務時間インターバルの状況-ホワイトカラー労働者について-(社会生活基本調査の結果から)」という調査研究結果を公表している。【この場合のインターバルとは、ひと続きの勤務時間から次の勤務時間の「間」を意味する。勤め人にとっての、睡眠を含めた余暇・休息時間全体のこと。1時間の休憩時間を挟む9時から18時までの8時間勤務なら、就業終了時刻の18時から翌日の就業開始時刻の9時までの15時間が勤務間インターバルとなる。】その冒頭近くの「要約」にはこうある。

平成28年の勤務間インターバルの状況
・「14時間以上15時間未満」の人が21.7%と最も多い
・「11時間未満」の人は10.4%
・「教員」では「11時間未満」の人が26.3%と多く,ホワイトカラー労働者全体の約2.5倍の割合
5年前と比較した勤務間インターバルの状況
・「11時間未満」の割合は0.4ポイント上昇
・「教員」では「11時間未満」の割合が8.1ポイント上昇


 これを言い換えると、教師(とはどの範囲かはわからないが、義務教育年限中の教師は確実に入っているだろう)は4人に1人の割合で1日に13時間以上(8時間+5時間)勤務していることになり、それは割合からして他のホワイトカラーの2.5倍になっているし、また近年急速に増加している。「教員は他のサラリーマンに比べたらヒマだ」とは到底言えないことは明らかであろう。

(3)「教師は、学校にいることはいても、実は仕事をしていないんじゃないの」とまで言う人もいる。ここまで言われるのも教員という仕事の特質かも知れず、また、なんとしても「教師はちゃんとやっていない」と思いたい人もいて、その場合にはどんな説得の言葉も役に立たない。それは承知のうえで、反証は挙げておこう。
 昨年の3月26日、内田良が『Yahooニュース 個人』に「「休憩できない教師」の一日」という記事を書いている。実は、これを読んで私もやっと思い出したのだが、6時間以上8時間未満の労働時間なら、中途に最短45分の休憩時間を入れなくてはならないことは、労働基準法に明記されている。公立学校の勤務時間が7時間45分になっているのは、中途に1時間も休憩を与えたくないから、というのも理由の一つだろう。
労働基準法第三十四条 使用者は、労働時間が六時間を超える場合においては少くとも四十五分、八時間を超える場合においては少くとも一時間の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならない。
2 前項の休憩時間は、一斉に与えなければならない。(後略)
3 使用者は、第一項の休憩時間を自由に利用させなければならない。】

 高等学校では、この45分はいわゆる昼休みが充てられている。と言っても、この時間、生徒が喫煙その他の悪さをしないように、週に一度ぐらいの巡回当番が義務付けられている学校も多い。
 それくらいは何でもない、と私ともあろう者が思わず考えてしまいそうになるのは、小中の教員で、学級担任となったら、この時間は給食指導、つまり教室で児童生徒といっしょに給食を食べる時間なのだ。これも、「子どもと一緒にご飯を食うなんての、仕事じゃねえよ」と言う人がいそうだ。30人のぐらいの子どもにおとなしくご飯を食べさせるのは、「おとなしく食べさせる」が義務化されている以上仕事なのであり、しかも場合によってはけっこうむずかしい仕事だ、と言っても理解も想像もしようとしない人は、もうこれ以上読まないでください。
 小中学校ではもちろん仕事だとされている。しかし、そうすると、休憩時間はどうなる? 授業の後の、いわゆる放課後の、3~4時代に充てられることが多いようだ。終業時間は5時前後なのだから、中途休憩にしては後に寄りすぎているきらいがあるが、そんなことより、ほとんどの場合、この休憩時間に休憩している教員はいない。有名無実と言いたいところだが、そもそもこの「休憩時間」の存在を知らない教員も多く、そうなると「有名」ですらない。ごく普通に、部活動やら、下校指導(児童生徒が安全に帰るように、時には学校外で、見守る)、宿題の点検などの仕事をする。即ち、法律違反の状態が、ごく一部ではなく、大半の公立小中学校の現状なのである。
 内田によると、事態はさらにもっと深刻で、昼食は5分か10分で済ませ、トイレへ行く時間も満足に取れない教員も決して珍しくはないそうだ。
 彼の別の記事「教員の残業 文科省「自発的なもの」 過労死事案から教員特有の厳しい労働状況を明らかにする」に、一昨年度、富山県の中学教師がくも膜下出血で亡くなった事件が出ている。この人が特別に過剰な仕事を抱えていたわけではない、と同僚の教師たちは言っているそうだ。「教員の過労死については、公立校に関して10年間の認定者数が63名であること(4/21 毎日新聞)が、今年4月に明らかになったばかりである。それ以外には、過労死の実態はほとんどわかっていない」。過労死の認定にはいくつかの基準があり、例えば長年の持病があったりすると認められなくなったりする。この63人以外にも、学校の仕事の忙しさが主因で亡くなった人は、たぶん少なからずいるだろう。

 するとどうなるか。何より、教員志望者が減る。「公立小学校の教員採用試験の倍率は2000年度は12.5倍で、2017年度は3.5倍に激減。一般に倍率が3倍を切ると合格者の質が担保できないといわれているという」(『週刊ポスト」本年8月10日号)。それは、こんな過酷な労働環境に好んで飛び込む人なんて、そんなにはいないだろうとたやすく予想される。他に職が見つかる気の利いた人から逃げ、残るのは私のような気の利かない者だけになることだって、十分にあり得る。公立学校に(実は私立でも、ブラック企業化しているところがたくさんあるようだ)子どもを進学させる予定の親御さんにとって、それは困ったことではありませんか?

 さて、それでは教師はなぜそんなに忙しいのかを考察することで、問題解決のヒントだけでもつかむのが今回の眼目だったのだが、また悪い癖で、その部分はだいぶ長くなりそうなので、それは次回に回すことにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迷路の中の学校

2018年07月26日 | 教育
メインテキスト:滝川一廣『子どものための精神医学』(医学書院平成29年)


 本年7月15日、著者を招いて本書の読書会を開いた。レポーターを引き受けてくださった学習院大学教授伊藤研一氏が呼び掛けて下さったこともあって、この会としては異例の参加者数となり、内容も、たいへん充実していた、と少なくとも私には思われた。
 私が滝川氏を知ったのはけっこう古く、小浜逸郎氏を介してだった。1980年代後半、即ち昭和末期頃から、臨時教育審議会(昭和59年)を筆頭に公的な教育の改革が叫ばれたのだが、それにも、世間一般の教育言説にも違和を表明するいくつかの学校論が出た、滝川氏はその最後のあたりに、精神医学の分野からここに加わった(と、またしても、私には思われた)。
 因みに、この時期に出た上に属すると思しき書籍を列挙しておく。自分のも入れるのは、図々しいと思われるだろうが、ご容赦ください。

 昭和58年 佐藤通雅『<教育>の現在』(砂子屋書房)
 昭和59年 佐々木賢『学校を疑う―学校化社会と生徒たち』(三一書房)
 昭和60年 小浜逸郎『学校の現象学のために』(大和書房)
 平成元年 由紀草一・夏木智『学校の現在』(大和書房)
 平成2年 諏訪哲二『反動的! 学校、この民主主義パラダイス』(JICC出版局)
 平成6年 滝川一廣『家庭のなかの子ども 学校のなかの子ども』(岩波書店)

 これらはバブル期に露わになった学校関連問題、不登校・いじめ・家庭内暴力・校内暴力、などを考察し、日本社会及び意識の構造的な変化に突き当たった、という共通点がある。高度産業社会の到来とか、個人化の進展とか、人によって呼び方はまちまちだったが、一番簡単に言うと、日本人はお金持ちになった。金満家に相応しい資質やら行動様式は、貧乏だったときとは当然違う。それはそのまま、「子どもはどのように成長する(ことが期待される)か」の課題に影響し、当の子ども自身の発達の方向(とされるもの)にバイアスをかける。そこで何かが起き、前掲のような問題として現出した。
 以下、敬称は略します。

 当ブログでは既に、滝川の前著『学校へ行く意味・休む意味 不登校ってなんだろう?』(日本図書センター平成24年)を取り上げて、次のことは述べた(「子どもはどこにいるのか その6」)。
 特徴的な指標は二つ。
①高校進学率。戦後一貫して伸びてきたが、昭和50年に90%を越え、以後漸増、というか、現在まで下がることはなかった。
②長欠率。【文科省は、経済上あるいは健康上の問題など以外の、あまり理由が明確でないままに学校を年間50日以上休む児童生徒を「学校ぎらい」と名付けて、昭和41年~平成2年の間学校基本調査で統計をとっている。その後は年間30日以上が指標となり、また平成10年以降は「学校ぎらい」に代わって「不登校」と言われるようになった。】長欠率は小中学校合わせて昭和41年度の0.11%から年々減り続けて昭和47年度の0.07%で底を打つ。その後52年度から上昇に転じ、平成10年度の0.89%に到達して、不登校は大きな学校問題と考えられるようになった。
 この二つを見れば、高校進学率が上限に達したのと同じ時期に、不登校(←学校嫌い)の増加が始まっていることはすぐにわかる。ただ、統計はないけれど、戦後すぐの長欠児童・生徒数は、今より多かったろう。それは主に、貧しさのため、子どもを学校にやる余裕がないことに因っていただろう。52年以降の不登校には、もっと別の要因が働いているはずである。
 一番根本まで遡って考えると、子どもが学校へ行くのは決して「当たり前」のことではない。もっとも、フィリップ・アリエス風に、「子ども」とは近代の産物だと考えるならば、それは学校とともに生まれた人工的な期間であり、学校なしにはあり得ない、とも言える。「学校」とは、社会に出る前の準備期間としての「子ども時代」を確定する制度なのである。
 必ずしも個々の子どもの自然な性向に即したものではないから、「学校嫌い」が一定程度出るのは、それこそ自然なことでしかない。多くの男子は野球が好きだが、中には嫌いな子もいる、というふうに。【大部分の「教育学」はここを認めない。認めないために存在する、と言っても過言ではない。だから、現実に対応することは決してできない。】
 では、昭和52年以降、それが、1%以下ではあっても、目に見えて増加したのはなぜか。
 まず、ほぼすべての子どもが高校まで行くのが当たり前になった時代、学校へ行くことの特別な意味など感じられなくなった。「学校へ行かないと将来困る」と大人は言うけれど、具体的にどう困るのかまでは誰にも言えない。いや、言える? 「学校へ行ってないと馬鹿にされるばかりだ」、と? そうかも知れない。しかしそれは、「子どもは学校へ行くのが当たり前」になった結果なのだ。なぜ当たり前になったのか。それが当たり前でなかったとしたら、世の中は困るのか? どんなふうに? これを個々の子どもに納得させるのは容易ではない。
 現在でも、大半の大人は、学力ということなら、「読み・書き・そろばん」(新聞記事程度の文書の読み書きと四則計算)ができれば十分なのである。むろんそれだって、学校なしで、ほぼ全員ができるようになるかは(ならない、とも言い切れないが)、疑問ではある。しかしそのためだけなら、小学校過程までで十分。その後、中学・高校の六年間はいったいなんのためのものなのか。
 世の中の側から見れば、高等数学ができる者も英語が理解できる者も、一定はいないと困るけれど、全員にそれは期待できないし、現に期待していない。すると、この一定程度以外の、半数以上の子どもが中学校以上の学習をする意味はなんだろう。それはわからない。わからない以上、無理をして、いやな思いをこらえながら学校へ行くなんて、理不尽と感じられても不思議はない。
 急いで言わねばならないが、現在の学校でもよく聞かれる上記の疑問は、生徒にとって悪く働くだけとは限らない。例えば将来の職業は大工、と決まった青少年が、釘を打ったり鋸を引く訓練をするのは、将来確実に役に立つ。もちろんそれは大工になるなら、の話であって、他の職業については全くそうではない。「いや、人間身に付けた技能は、いつなんどき役に立つかわからないものだ」とは言えるけれど、それは学校の勉強も同じことだ。むしろ、さしあたりなんの役に立つのかわからない知識だからこそ、応用範囲は広い、ような気がする。さらに、大人とは別次元に生きる「子ども」にとっては、将来の職能とは直接結びつかないところが相応しい、ようにも見える。
 従って、学校のカリキュラムを、部分的にいじろうとする試みは、昔から今まで絶えることなく続いているが、リベラルアーツに由来するいわゆる主要五教科(国数理社英)は基本的に不動である。それは、「子ども時代」を楽しもうとする子どもにとっても有利なのだ。学校の勉強なんておよそつまらない、と思いながらも、気楽な学生生活を送り、学校が要求する学力の水準(多くの学校で、文科省の学習指導要領の水準をはるかに下回っている)は、その場限りでも(テストの時だけでも)一応クリアできる子どもにとっては。
 このような意味・価値の二重性は、この種の話をしようとするときには至るところに現れる。面倒くさいでしょうが、できるだけつき合ってください。

 より深く、現在特有の学校問題を理解するために、滝川の発達理論はたいへん役に立つ。下記の図は、本書の心臓と言うべきグラフで、成人千人の精神発達の分布状況を座標上にプロットしたもの。

(本書P.169)

 まず、発達の指標として「認識」(Y軸)と「関係」(X軸)を取り上げる。前者に関する代表的理論家はピアジュ、後者はフロイト。この二人の説をこんなふうに関連付けて使うことは、精神科医にとって驚くほど大胆な発想であるらしい。
 この相違は次のように考えて大過なさそうだ。「認識」とは、この人物が「ママ」であり、こちらは「パパ」である、と知ること。「関係」は、もっと進んで、この人は自分にとっては「ママ」だが、「パパ」にとっては他の何か、「妻」というような存在であることまで知ること。言わば人間関係の網の目の中に「自分」を含めた世界を位置づけること。実際は、これができて初めて「自分」というのもまた理解されたことになる。
 人間はこのX,Y両極の間のベクトルZ軸に沿って発達するものであろう。この二分野は互いに支え合っているので、どちらかの分野だけが突出して高くなったり低くなったりということはあまりない。しかし、より重大なのは、各人の発達段階は、Z軸を縦の中心線とした楕円形にほぼ散らばること。その中心点Tは、X軸とY軸のちょうど中心にも位置し、ここに近い者が「定型発達」、いわゆる「普通の人」で、当然ながら数が多い。右上に行くほどまばらになり、これは「優秀な人」である。
 問題は左下のほうだ。発達に遅れがある、ということになる。それは、「認識」の分野より、「関係」の分野のほうがより深刻である。滝川によると、この部分に質的にも量的にも最も重大な発達障害があり、症状名としては「自閉症スぺクトラム」とか「広汎性発達障害(PDT)」と名づけられている。図中のA,B,Cの領域にはより細かい診断名がついている。
A→高機能自閉症。もう少し認識・関係両分野が発達すれば普通の人。
B→自閉症。
C→アスペルガー症候群。認識能力はけっこう高いのに(知能テストではよい点数を取ったりする)、関係、中でも一番複雑で一番重大な人間関係は苦手。時に天才的な能力を発揮すると言われ、アインシュタインはアスペルガーだった、なんぞという話を聞くと救われる思いをする人もいるだろう。が、もちろん、アスペルガー症候群の人がすべてアインシュタインになれるわけではない。

 障害そのもののことはしばらくおいて、私の主たる関心領域である学校問題に引きつけて述べる。本書では最後の部分で集中して論じられている。
 現在の二大問題、不登校といじめとは、いずれも人間関係上の病と捉えてよい。端的に言って、学校内の人間関係をうまく処理できないと、周囲から感じられた者が、しつこいからかい・いじめの対象になる。そして、その結果か、あるいは周囲が何かする前に学校での居場所がないと当人が感じた場合、不登校になる。後者が増加したのは、人間関係に関する能力が重要性を増し、その分難しさも増えたことの直接の結果なのである。
 これまた今まで何度も述べてきたことだが、この際もう一つ重大な指標がある。戦後日本の産業構造の変化。具体的には、第一次産業(農林水産など)から第三次産業(最広義のサービス業)への就業人口のシフトが挙げられる。昭和25年(1950)には第一次産業が人口比48.6%、第三次産業が29.7%であったものが、35年(1960)には第一次32.7%、第三次38.2%と逆転している。その後もこの増減の傾向はずっと続き、平成27年(2015)には第一次4%に対して第三次は71%に達している(国勢調査に依る)。
 産業別人口割合の中で第三次産業が急激に伸びて行った昭和40年代こそ、高校進学率も併せて伸び、不登校率は下がっていった学校の黄金期だった。サラリーマンになり、かつそこで成功するためには、学校へ行くことが不可欠と感じられたから。しかし、誰もが高校までは行くことも、サラリーマンになるのも当たり前になれば、学校なんてそんなにありがたい場所とは感じられなくなる。これが前述した、昭和50年以降に起きたことである。
 ただしかし、それでも、第三次産業においては、人間関係の処理能力こそ最も一般的に、多大に求められる事実も一方にはある。これは日本の学校の得意技と言える。2015年に実施されたPISA(OECDによる学習到達度調査。十五歳児を対象として、3年に一度実施)で新設された「協力して問題解決する力」(2017年発表)では、日本は二位、OECD加盟国の中では一位になっている(全体の一位はシンガポール)。
 これについてはいろいろなことが言われているが、次の二つと関連があることは否定できないところだろう。
①日本人は「和を以て尊しと為す」。元来、個人の突出した能力より、集団で何かを成し遂げることを喜ぶ。
②日本の学校では主に学校行事(体育祭、文化祭、など)を通じて、生徒同士で協力して何かを成し遂げる機会を伝統的に保持している。
 それならめでたいだけの話かと言えば、そうはいかない。②の部分で他の生徒とうまくやれず、葛藤と挫折を体験する子は必ずいる。それが一過性で済むなら、成長のための苦い薬と言えるかも知れない。
 より問題なのは、普段の、「皆で一緒に」何かする目的など特にない、普段の学校の日常なのである。グループ学習の手法で、学習に共同性を持たせようとする試みは昔からあり、一定の成果を収めることもあるが、学習とは所詮、個々人の生徒が何をどれくらい理解したかにポイントがある。そのうえ、前述のように、学習内容そのものにはたいした意味は見出せなくなるとしたら?
 それでも、教室内の人間関係は残る。日本はおそらく、小学校から高校まで、基本的にずっと同じ教室内で同じ集団で過ごす時間については、先進国中随一であろう。今学校で求められている人間関係の処理能力とは、同じ地域の、同じ年齢の者が集められているという意味で同質性は高いが、その中にいる積極的な意味など容易に見つからない場で、「他人と適切な距離を保つ」ことで「うまくやり過ごす」ためのものなのである。
 この能力は、将来の企業や近隣との付き合いの上でも生かせるだろう。が、誰もがうまくやれるわけではなく、(例えば私のように)不得手な人間もいて、その数は決して多くはないのだが、けっこう辛い学校生活を送らざるを得なくなる。女子に多い例として、しょっちゅういっしょにくっついていた子と些細なことで揉めただけで、学校に来れなくなる生徒は、たいていの学校に年に一人か二人いる。
 もちろん「些細」というのはこちら(教師)の見方ではある。が、そう反省してみてもたいてい解決策は見出せない。

 学校は変わるべきなのだろうか。
 学校のエートスは近代的な勤労者のそれと連動していて、少なくとも日本では、近代化のために大きな役割を果たした。それを簡単に、具体的言うと、「人工的に決められた時間に決められた場所へ行って決められたことをする」というもので、自然の天候などによって労働の質や時間を変えざるを得ない第一次産業で必要とされるものとは微妙だが決定的に違う。このエートス、というか、「サラリーマンとしての勤労」一般に魅力がなくなると、学校の重要性も薄れて見える。これは滝川その他、最初に述べた学校論の著者たちも夙に指摘していたことで、前述した学校の有難味低下の言い換え。
 だからと言って、ここを変えられるだろうか? 「働き方改革」で「自由裁量制」の労働とやら、言われ出しているようだが、そこでもタイムカードを使おうか、なんぞという話も聞かれ、勤務時間を多様にする、という以上の変革は今のところほとんどないようである。おそらく、ここ当分の間は、大半の人が「企業や役所によって決められた時間に決められた場所へ行って決められたことをする」形態で働くしかないのだろう。ただ、仕事の中身が、人間関係の重要性が高まったものになっただけで。
 だとしたら、学校もまたその形態で生徒を来させるしかないのではないか。つまり、一定の登下校時間とクラスとカリキュラムを児童生徒に「押しつける」以外にはないのではないか。それに従う類の「真面目さ」なら、世間でまだまだ高く評価されているのだし。
 ここにもまた学校に要求されるもの/学校が要求するもの、の意味の二重性がある。服装や化粧で「個性」を出そうとする青少年を、多くの大人が実際は嫌っている。ただ、そういう人はなぜかTVの教育番組などでは発言しない。だけでなく、青少年を直接叱ったりもせず(できず?)、それはすべて学校に預けて、「もっとちゃんとやれ」と文句を言う。さらに、その同じ人が「教師ってのは頭が固いな」などと嘲笑したりする。そんなふうに扱われるまでが教員の仕事なのかも知れない、と思わないでもないけれど、こんな「仕事」ではなかなか成果は出ず、フラストレーションだけが溜まっていくのもまた確かである。
 学習面だけを考えたら、それは、一人一人の子どもに応じた学習法を考えてやった方が、全体として伸びるだろう。しかし、それを充分にやるためには、金が要る。教員を今の十倍にするぐらいの。大人の方々、そんなもん、出す気がありますか?
 そんな気がないなら、学校に、「個性」だの「自ら学ぶ力」だのと、途方もないことを要求するのはやめたほうがよい。その詳細はかつて当ブログで夏木智がきちんと説明している。この時直接槍玉にあげたのは「ゆとり教育」=「新学力観」だが、「個性重視」を明確に掲げた臨教審(昭和59年)以来の改革という名の改悪はすべてやめたらいい。投げやりになっているわけでも、悪態をつきたいわけでもなく、それが現在有効な唯一の「教育改革」だ、と私は信じている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反知性主義的教育改革を駁す・夏木智氏との対話 その6(最終回)

2016年08月20日 | 教育


6 ゆとり時代からこっち(由紀草一)
 さて、尽きない議論が尽くせないでいるうちに、平成14年度から、臨教審の個性化・自由化路線を過激に押し進めた「ゆとり教育」の実施となった。ところがこれは、教育再生会議よりもっと早く、翌年の15年、高校まで完全実施になった年に実質見直されることになった。
 こんなことでは子どもは勉強しなくなるんじゃないか、という可能性への憂慮が高まったからだ。この年に実施されたPISAのテストの結果は、詳細はほとんど誰も知らなくても、この可能性を裏付けるものだとされた。
 それで、この年の十月、中教審が文科大臣の諮問に答える形で「初等中等教育における当面の教育課程及び指導の充実・改善方策について」という答申を出している。その第二章は、「新学習指導要領のねらいの一層の実現を図るための具体的な課題等」と名づけられていて、あくまでも「ゆとり教育路線を変更するのではなく、その本当の意図を明確にする」んだというタテマエなんだが、ここで「学習指導要領の基準性の明確化」がうたわれている。
 指導要領は「最低基準」なんであって、これを越えたことを教師が教えることを妨げるものでないってこと。だから、円周率は必ずしも「およそ3」と教えなければならないわけではなくて、3・14と教えてもいい。数学に多いいわゆる「はどめ規定」、例えば「数学Ⅰでは二重根号をはず計算は扱わない」というやつにしても、

これら……は,学習指導要領に示された内容をすべての児童生徒に指導するに当たっての範囲や程度を明確にしたり,学習指導が網羅的・羅列的にならないようにしたりするための規定である。したがって,各学校において,必要に応じ児童生徒の実態等を踏まえて個性を生かす教育を行う場合には,この規定にかかわらず学習指導要領に示されていない内容を指導することも可能なものである。ところが,その趣旨についての周知が不十分であるため,適切な指導がなされていない状況も見られる。

のだそうだ。「おい、ちょっと待てよ」と言いたくならない? 周知が不十分も何も、そんな趣旨説明、いったいいつあったんだ?
 こんな三百代言ふうのやりかたではあったけれど、学習内容を減らす、という側面でのゆとり教育はこのときもう死んだんだ。ただ、授業時間数が増えるわけじゃないから、夏木さんの言うように、宿題などで補わなくちゃならなくなった状況が生じたがね。
 そればかりじゃない。「詰め込み教育」だって、決して否定されていたわけじゃないんだと言うんだから、驚くじゃないか。今次の指導要領改訂のために一月に出た中教審答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について」は、右の十五年の答申をかなり忠実に踏襲しているんだが、こんな文章がある。

教育については、『ゆとり』か『詰め込み』かといった二項対立で議論がなされやすい。しかし、変化の激しい時代を担う子どもたちには、この二項対立を乗り越え、あえて、基礎的・基本的な知識・技能の習得とこれらを活用する思考力・判断力・表現力等をいわば車の両輪として相互に関連させながら伸ばしていくことが求められている。

 いやはや、すばらしい。基本的な知識はもちろん大事だ。それはしっかり教え込め。しかし、これからの時代ではそれだけでは不足だ(って、それだけで十分な時代って今まであったの?)、思考力も判断力も表現力も課題発見能力も問題解決能力も自ら学ぶ力も必要だ。これらすべてをひっくるめて、今後は「確かな学力」と呼ぶ。教師はこれを、子ども一人一人の「個性を生かす」形で、身につけさせるようにしなくちゃいけない……。
 正に、「言うだけなら簡単だよ」の見本だね。
 学校に期待されているのはまだこれで終わりではない。総合的学習の時間では何を狙うのかというと、指導要領では「各教科間にまたがった総合的な知見」「地域でのボランティア活動や勤労体験を通して主体的に学ぶ姿勢」「国際感覚」などが挙げられている。これらを通じて「生きる力」を獲得しろとね。
 まさにデパートなみになんでもあり、と言いたいが、もちろんそういうわけにはいかない。すばらしい総合的学習の時間の実践例というのは、すぐに有名になるくらい少ない、と考えた方がいい。たいていは芋掘りをやったり一日店員をやったり、ただ図書館から本を借りてきて生徒に読ませて終わり、なんだよね。
 それにしたって、それ相当の準備と後始末の手間がかかるから、同じ教師として、馬鹿にしたような口は決してきけない。「立派なお題目の割には、やることはいたって地味だなあ」と、生徒や親から思われるのはとても気の毒だ。現実は、誰でも、できることしかやれない、という平凡至極なところにいつも落ちつくものなんだ。
 これらすべてをひっくるめて、「ゆとり教育」というのは、本当に親からも生徒からも教師からもゆとりを奪うやり方だったんだよね。何よりも感情の分野で。
 「創造性」だの「国際性」だの、正体ははっきりしないがいかにもよさそうには見える言葉をチラつかせて、「これからの時代はこういうのが必要ですよ。これがないと遅れてしまいますよ」と、漠然とした希望と裏腹な不安を煽って、子ども、よりも実際は親を、駆り立てようとするところなんか、巷の能力開発なんとかセミナーとか教材屋そっくりのやり口だ。
 ゆとりというか、余裕というか、おおらかさか、そういったものが決定的に欠けている。もちろん文科省はありあまるほどの善意でそうしてるんだろう。しかし、結果は同じ事だ。

 さてそこで、このような「ゆとり教育」が見直されるということで、指導要領も改訂されたんだが、それでどうなったかな?
 多くの小中高で、早い段階で、先取りで授業時間は増やした。ただし、原則土曜日休業は崩さないという上の方針だから(なぜかはわからない)、夏休みなど長期休業日のうち何日かを授業日にしたり、それでも足りないと思えるから、ふだんの日の授業時間が延びている。七時間目を週に二~三日設定したりしてね。その分明らかに週日は大変なわけだが、ただ授業時間はもどってきた分だけ、宿題などは軽減されるだろうか?
 そうはならなかった場合のほうが多いようだ。だって、教師にしてみりゃこわいもの。前の年より宿題を減らして、テストの平均点が落ちたりしてごらんよ。それは宿題を減らしたせいかどうかはわからないとしても、校長や親からはきっとそう見られて、自分は不熱心な教師というレッテルを貼られるんじゃないか? そう思ったら、よほどの自信家か鈍感な教師じゃなかったら、宿題を減らすことなんてできなくなるよ。まして今は単年度で、デジタルに教員が評価される時代だからね。
 それは要するに教師が臆病なだけで、政府とは関係ないんじゃないか、と言われれば、そうかも知れない。しかし「あんたに言われたくないよ」ってかね、少なくとも教育行政担当者には、そんなふうに教師を非難する資格はないと思うよ。ゆとり教育を完全に否定するでもなく、そのうえにどんどんやることを重ねてきたんだから。これから先は夏木さんが言ったことの繰り返しになるが、せめて、
「ゆとり教育路線や新学力観は全くまちがいでした。だから総合的学習の時間も観点別評価も廃止して、ついでに教員の評価も廃止して、一から出直します」
と言ってくれてからなら、そういうお小言も聞くけどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反知性主義的教育改革を駁す・夏木智氏との対話 その5

2016年08月12日 | 教育

5 やる気を出させる可能性(夏木・由紀)
由紀 今の話はたいへん説得力があって、すぐに賛成したいところだ。ところが、教育言説の世界ではこれが当たり前になっていない。
 夏木さんの教育観はとてもオーソドックスなものと言っていいと思うが、それをなんとか転換させようとする勢力も昔からあってね。古くはルソーまで遡るだろう。教育学という学問は、「既存の知識を、説明と訓練によって次代に伝える」のが教育だという考えを、一変させるまではできなくても、少なくとも修正を加えるためにある、と言ってもいいくらいだ。
 つまり、上から押さえつけて勉強させるんじゃなくて、子どもの自発性を引き出して自ら学ぶように導こう、とか、型にはめるんじゃなくて、その子の個性を伸ばすようにしてやろう、云々ね。今でも「理想の教育」と言えば、だいたいはそういうイメージになるんじゃないかな。
 実際、夏木さんが挙げた二つの授業例のどっちでも、生徒が自発的に参加してくれるなら、それに越したことはないよね。最初のほうだったら、二次方程式を使った練習問題に嬉々として取り組むとか、二番目のほうだったら、二次方程式の原理に関することに、どんどん意見を出すとかね。教師として、そういうのに憧れない人はいない。
 反対に、生徒たちの大半か全員が、授業にいっさい興味を示さないとしたら、どういう授業をしようと問題じゃない。彼らは、二次方程式の解法も学ばなけりゃ、それを導き出すためのプロセスから思考訓練をするわけでもない。自分とは全く無関係と思える話がされているのを、じっと耐えて終業ベルが鳴るのを待っているか、終わる前に耐え切れなくなって授業を乱すか、どっちかになる。
 ところで、だいたいにおいて、前の状態は正に理想であって、教師の憧れの中にしかなくて、後のほうは現実に、かなり多くの学校でざらに見られることだ。すると、すべての前提は生徒たちの勉強への興味であり、「やる気」ではないか? そう思えてくるよね。また、それが間違いであるはずはない。
 問題は、生徒の「やる気」を引き出すことは絶望的に難しい、いつでも、どこでも、どんな生徒にも、「やる気」を持たせようというのは、おそらく不可能だというところだ。

夏木 「やる気が問題」という視点を打ち出したのが、まさしく「新学力観」の意味するところだね。私が言いたいことは、やる気が問題なのではなく、(たとえば、テストの)結果を問題にすべきだと言うことだ。
 そして、この場合、結果というのは、方程式が正確に素早く解けることを優先してかまわない。解き方を理解することはあったほうがよいが、それを自分で見つける必要はない、ということだ。もちろん限られた時間内でどちらかを選ぶしかないという前提のもとだが。
 肝心なことは、子どもにとって学校における勉強というのは、大人にとっての仕事のようなものだということだ。大人が仕事をするとき、誰もがやる気満々で取り組んではいないだろう。むしろ、つらいなあ、できれば別のことをしたいなあと思いながら、仕方なく取り組んでいるものが多いんじゃないかな。
 嫌々ながらも仕事に取り組む、それはなぜかと言えば、そうしないと給料がもらえないからだ。この場合、やるべき事をきちんとやってくれれば、給料は払われる。やる気があったかどうかというのは大して問題ではない。
 子どもにとっては、勉強それ自体にやる気を見いだすのは、多くの大人と同様難しい場合が多いだろうね。しかし、それでもいやいやながらも学校に来て授業に取り組む。それはなぜかと言えば、その仕事によって、学力という給料が支払われるからだ。それが短期的には、親からの賞賛、長期的には有名大学合格、いい職業という未来へつながると考えているからだ。
 勉強なんて、大人にとっての仕事と同様、その活動自体がおもしろいなんて事は滅多にないことだと思うよ。そういう意味ではやる気を引きだそうなんて発想自体が間違ってる。

由紀 もう少し考えを進めると、「やる気=自発性」を「引き出す」ということ自体パラドクシカルだよね。外からの働きかけによって心の中に湧いてくる自発性っていったい何? それ以前に、「自発的に、あることを学ぶ」こと、「知識欲」と言っていいものは、すべての人間に生まれたときから普遍的に備わっているものなのか、それとも社会が個人に押しつけることによって初めて出てくるものなのか。これに完全に答えることなど絶対にできないだろう。
 もちろん教師はそんなものに抽象的に悩んでいる暇はない。毎日の授業の中で、「今日も生徒たちは授業中退屈しきっていたな。どうすればいいかなあ」と悩んだり、「今日の授業はみんな食いつきがよかったな。この調子を持続できたらなあ」と前向きな気持ちになったり、の繰り返しだ。ここに「やる気」をめぐるアポリアが現実的にかつ鮮明に現れているわけだが、教師にできるのは、迷いながらルーティーンワークとしての授業をこなしていくことだけだ。

夏木 その通り。実は、さっき例にあげた結果とプロセスは必ずしも二律背反ではない。問題によって、与えられた時間によって、生徒のレベルによって、教員側が可能な範囲で両立を図ってきたものなのだ。
 これは、さっき言ったようにいわば教育の職人技のようなもので、長年の蓄積によって磨かれてきたものだ。にもかかわらず、そういうものにいっさいの尊敬を払わずに、何も知らないくせに自分たちは正しいと思っている連中が見事に破壊しようとしているわけだ。

由紀 それも不思議はない。昔から教育学の世界で議論されていることも、政府の教育政策も、こういうこととはなんの関係もない。現実になされている教育より、「可能性としての教育」を美しく歌うことを第一の使命としている。そんなの絵に描いた餅に過ぎないのだけれど、なんといっても政府の施策は、学者の意見とは違って、現実に学校や授業のあり方を変えようとする構えのものだから、こちらにはいくらか興味を持たざるを得ないし、また興味を惹くような装いをしている。
 我が国で、現在まで続く教育改革の理念の大本を公的に打ち出したのは臨教審(昭和五十九~六十二)だと言っていいだろう。教育の個性化・自由化がここで声高に叫ばれた。その背景には、公共事業の民営化やら規制緩和をよしとするいわゆる新自由主義の政治・経済思想がある、とも言われるが、ここではそんなに話を広げる必要はない。
 とりあえず、教育では子どもの個性を伸ばすことが大事だとか、学校の枠組みはもっと自由なものであってもいいはずだ、と言われると、なんとなく、とてもいいことが提唱されたような気になった人もいたんだ。自分の子どもの成績が悪いのは、これまでの学校の教え方が悪いからであって、もっと子どもの個性にあった教え方をしてくれたら、もっと学力が伸びるんじゃないか、とか。選択教科が増えれば、いやな教科を学ばなくてすんで、もっと学校が楽しくなるんじゃなかろうか、とかね。
 こういうのはただの幻想だったことは、ほとんどの場合すぐに明らかになったと思うんだが、ただ、可能性までは否定しきれないからねえ。一方、教師の中でも特に良心的な人は、生徒が興味をもってくれないのは、自分の授業の工夫が足りないせいだろう、と考えて悩んだりする。その可能性も、そりゃ、否定できない。そのうちに、こういう工夫で生徒たちの興味をひいてすばらしい成果を挙げることができました、という実践報告も多数出てくるから、可能性は単なる可能性ではなくなったような気にもなる。
 ただ、それならいっそのこと、その実践報告がかなりの部分、あるいは完全に、インチキである可能性も考慮に入れておいたほうがいいと思うんだが。可能性の議論って、こんなふうに、きりがないんだよ。

夏木 教育実践のことについては「誰が学校を殺したか」で詳しく議論したから、繰り返さないけど、一言で言えば、よくて自己満足、悪ければ自己中心のなんの意味もないあだ花にすぎないよね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反知性主義的教育改革を駁す・夏木智氏との対話 その4

2016年08月05日 | 教育


4 新学力観こそ元凶だ(夏木智)
 問題は、これまでの教育に比べてもっとよい教育があるかということだからね。つまり、これまでの「詰め込み教育」より、「新学力観に基づく教育」の方がいいかという話だ。これは肝心の所だから、少し詳しく論じよう。下の例を見てくれ。格好の例とは言えないが、それぞれのことについていくつかのことは分かる。

 それぞれの方針を、私なりに解釈して、2通りの指導を考えよう。【以下の式で2は2乗を示します】
2次方程式、x2+4x-3=0をとけという問題にしてみよう。

①「詰め込み教育」だとこうなる。
「解の公式というものがあって
 
からa=1、b=4、c=-3
だから代入してx=-2±√7となる。
わかったかな。では、いくつか練習問題を解いてみよう」 

②次は「新学力観教育」だ。
「さあどうやったら、この方程式は解けるだろうか、はい、○○君、順に数を当てはめてみる? なるほど、いい考えだね、やってみようか。まず1はどうかな、だめか、-1は、うまくいかないねえ。どうしてかな、そうだね、解が整数とは限らないものね、じゃあ、どうしたらいいだろうか。因数分解? そう、前はそれでうまくいったけど、解が整数でないと因数分解はどうかな、手が上がらないね。じゃあ、少しグループに分かれて研究してみよう(教員ここで見回る)。
はい、それじゃ、みんな注目して、**グループが面白い考え方をしているので、聞いてみよう。
なるほどxのかわりにX-pを代入したんだ。
するとXの係数は-2p+4になる。
そこで、p=2とおくと、
方程式はX2+4-8-3=0で、X2=7。
これを解いてX=±√7、x=X-2だから x=±√7-2と分かるというわけだ。
なーるほど、みんなの意見はどうだい。そうだね、いつでもX-pを代入すればいいのかという疑問があるね。他の方程式を試してみようか。もちろん他のやり方でも、試してみる人はやってみて」
解の公式の証明



 まず、「詰め込み教育」だが、ここでは、生徒の考える部分はあまりない。もちろん、解の公式の成り立ちについて教員は説明するのだが、なるほどと感心することはあっても、それ以上のことは考えないだろう。その代わり、説明は短時間で済み、しかも、とても分かりやすい。だれでも、どんな問題にも直ぐに取り組めて、短時間で答を出せるようになるだろう。「画一的」だ。だれもが同じ作業に取り組むことになる。
 では、「新学力観教育」ではどうか。ここでは、生徒が自分の頭で考えることが要求されている。そこには、意外な発見というおもしろさもあるかも知れない。だが、その一方で失うものも多い。
 まず、「詰め込み」と比べて、とても時間がかかると言うことだ。これだけの言葉を使って、まだ、解の公式にさえたどり着いていない。この分では一〇倍くらいの時間がかかるだろう。
 さらに大きい問題は、このやり方では,授業は優秀な一部の生徒だけを相手にすることになってしまうだろう。いろいろな解法の発見から、この後期待される「解の公式」という「一般化」まで、優秀な頭脳であれば興味深くたどってくれるかも知れないが、凡庸な頭の持ち主には、結局「見ているだけ」で終わってしまう公算が強い。彼らにまで参加させるとしたら、さらに膨大な時間が必要だ。
 で、どうなるかといえば、普通の頭の持ち主は、このあと、二次方程式が出てきたときには、常に「解の公式」を使うことになるのだが、詰め込み教育でなら可能だった練習の時間がなくなっているぶん、スムーズにも正確にも解けない可能性が高い。このやりかたは、確かに「画一的」でないが、それは、実は格差を生み出すということに他ならないのだ。
 つまり、平凡な才能にとっては「つめこみ」は、つまらなくて機械的だが、問題を解く力を与えてくれる。「新学力観教育」は、おぼろげながら解の公式の生まれる筋道を教えてくれるが、それを使いこなすことができないということになる。

 さて、われわれは、どちらに価値を見いだすか。ここで、もう一度、学校教育の意義を考えてみて欲しい。子どもたちはなんのために学校へ通っているのか。それは、授業を楽しむためではない。大人になったとき、学んだことがその人の人生に役に立つ、そういうことを学ぶために来ているのだ。
 それでは、「新学力観教育」は何を与えてくれるだろう。「自ら学ぶ力」? ナンセンスだ。少なくとも普通の頭の持ち主にとって、二次方程式の解の求めかたを工夫してうまくいかなかったという体験をしたからって、いったいどういう風に自ら学ぶ力がついたと言うんだい。そういう経験を持てば、いろんな場面でどういう知恵が出てくるというのだ。
 失うものがないならそれでもいい。しかし、その代わり解の公式がうまく使えないとしたらどうなる? 数学は積み重ねだ。次の問題の授業では、二次方程式の解を求めるのに解の公式を使う。解の公式がうまく使えないものが、次の問題を考えるときに、どうやって自ら工夫できるというのだ? 子どもたちの能力も時間も限られている。

 我々は、何もかも手に入れることはできないのだ。我々は選ばなくてはいけないのだ。自ら学ぶ力などという当てにならないものか、それとも、形式的であっても実際に問題を解き、そして次の問題に取り組める力か。
 答は、明らかなように思う。そもそも、我々は、数学のような「学問」とは何かと言うことをもう一度思い出さなくてはならないと思うよ。
 学問とは、これまで積み重ねてきた、問題をとく知恵を体系化して分かり易く、次世代に伝え、またそこから新しいものを生み出すものなのだ。先人が苦労して時間をかけて考えてきたものを、後生は学ぶことで短時間で身につけることができるわけだ。だからこそ学ぶ価値があるんだろう。

 たとえば「解の公式」というのはまさにその学なんだ。それは、ただの知識ではない。意味を知って、使って、問題を解いてこそ価値のあるものなんだ。それができることを「学力」と呼ぶべきだと私は思うよ。
 もちろん、丸暗記ではない方がいい。しかし、自分で発見しなければなんて、ナンセンスだ。そんなことは、ある程度一通り「学問」を学び終わって、一通り平凡な問題が解けるようになってからでいい。何度も言うが、そうやって時間を節約することこそ学ぶ価値なんだから。
  別の言い方をすれば、昔の限られたすぐれた者達だけが解けた問題を、公式のおかげで凡庸な頭の持ち主でも解けてしまうことこそ、数学の価値だと言ってもいい。そう考えれば、「新学力観教育」よりも「詰め込み教育」のほうが、大多数の子どもたちにとってまだはるかに価値があるのは明らかだと思うよ。まして、小学校や中学校ではね。
 
 それなのに、強引に新学力観教育を始めてしまったことが、最大の失敗だった。聞いた話では、始まったばかりの頃、小学校では、これからはドリルのような反復練習はしてはいけないという時代があったらしい(学校にもよるとは思うけど)。二,三年して、テスト的な学力ががた落ちして、これはたいへんだとドリルが始まったり宿題を出し始まったりしたという話だ。

 要するに、授業では問題解決、学力は宿題と塾でという非効率教育はそのころ始まったのだ。こうして不満がたまっていたところへ、さらに「ゆとり」がとどめを刺したと言うところだね。「総合学習の時間」は、まさしくこの新学力観の延長上にあるものだ。
 高校の数学教師の立場から言うと、ゆとりの新学習指導要領(平成十一年版)は、実は、前の指導要領よりいい部分がたくさんあるんだ。新学力観が始まってすぐの頃の教科書は、問題解決的なことを重視するもので、「現地調達式」という方法でつくられていた。本来は、数学は積み重ね方式といって、やさしいことから難しいことへという順で教えた方が、わかりやすい。しかし、この方式では、やさしいことを学んでいる間は、それになんの意味があるのかわかりにくい。
 そこで文科省は、まず目標の問題を提示して、その問題を解くために必要なものは何かを考え、その必要なものを学ぶという形で教科書を作った。学ぶ意味が分かるようにという意図だ。
 だが、これは、ひどく分かりにくいものだった。なぜなら、数学で学んでいるのは単に「知識」ではなく、「考え方」「概念」「技能」といったものだからだ。解の公式を学ぶことは、二次方程式の問題が出たら答を出すやり方を学んだのではない。そうではなく、二次方程式という概念を学び、もし、ある種の問題が、二次方程式に帰着されるならば、そこから答を出せるということを学んだのだ。
 それが、心にすんなりしまわれ、いつでも引き出せるようになるまでには、時間と訓練がいる。その状況があれば、二次方程式を使う応用問題は簡単に感じられるだろう。しかし、まず、応用問題があって、それを定式化すると、こういう方程式ができるね、こういう方程式はどうやって解いたらいいだろう、などという順序でやっていたら、最初の問題はとても深遠で難しく感じられてしまう。順序よく学んでいれば学べたものが、逆順にされたためにとうとう分からないと言うことにもなる。
 なにしろ、数学Ⅰの教科書が確か2次関数から始まっていたんだ。関数はもっとも苦手な分野なのにね。もちろん、そのまま正直に教えたところは少ないと思うけど。とても評判の悪い教科書で、この前の改訂で三割削減されたのはひどいけど、教える中身はまた元に戻って、前よりはずっと分かりやすくなったんだ。少しは反省したんだなと思ったけど。
【平成26年度の改定で中学に解の公式が復活した。しかし、その定着度はゆとりの前とは桁違いだ。今の学校はやっぱりドリルということを嫌っているようだ。】

 余談が長くなりすぎたかもしれないけど、要するに、「学力低下」の引き金を弾いたのは「新学力観」という一種の妄想だということはわかったと思う。この時は同時にいくつかの評価に関する妄想も導入された。
一つは絶対評価だ。これについては説明の必要はないと思う。観点別評価というものも導入された。これはたとえば、授業に対する「関心・意欲・態度」を評価しようというもので、つまらない授業でも面白いフリをして参加できるかということを評価の対象としようというナンセンスだ。
 こうしたやり方が、それまで現場で積み重ねてきた、「学力をつけるための指導」のノウハウをいわば破壊した。少なくとも数学についてはそうだ。
 私の考えではそれまで国際学力調査で好成績をとっていたのは、現場の教育が世界的に見て優れていたものだったからだ。それは一朝にしてなったものではなく、職人の技術のように、努力の積み重ねによって出来上がってきたものなのだ。
 ここでいう学力は「知識量」のことじゃないよ。英語だってそうだろうけど、知識があれば問題が解けるわけじゃない。公式を教えれば、公式が使えるようになるだろうというのは大きな間違いだ。公式を使いこなすには、それなりの「理解」が必要だ。そういう「理解」を引き出すためには証明が必要なこともあるし、適切な説明、うまい例が必要なこともある。そういうことを含めて何をどのくらいどのように教えるかという点で、技術だといっているんだ。

 時代といえば時代なんだろうけれども、昔は教員の自主的な研究会などというものがけっこうあった。しかし、今は、官製研修ばかりだ。教育書が全く売れなくなったという話も聞く。これまで「わかる」ことを目標に授業をしてきたのに、これからは「わからないことを考える」ことを目標に授業をやれといわれるのだもの。おろかな管理職に「とにかくおれのいうことを聞け」とゴリ押しされたら、とにかく従う以外の方法はないよね。意欲などうまれるはずもない。そもそも、以前よりはるかに無駄な仕事が増えて、暇がないしね。
 こうしてせっかくのノウハウを新学力観が台無しにした。フィンランドが教員を大事にして一位をとったのと対照的に、教員を虐めて順位を下げた理由といったら図式的すぎるかな。
 いずれにしても、学力(というのは、さっきいった意味で、問題を解く力のことだけど)をつけるのはそんなに簡単なことではないということをきちんと理解せずに、「学力は世界トップクラスだけど」なんて当たり前に得られているものと勘違いして、「もっと応用力を」なんて、まるで教員たちが何もしていないかのように、「教育改革」を強引に押し進めた結果が、今の非効率な「ゆとり無し教育」につながってしまっているんだ。
 学力というのは、知識量でもなければ、その反対にあるように思える「考える力」でもない。その中間にある「ある程度既知の問題を解く力」のことだ。易しい問題が解けるようになることで、難しい問題も解けるようになる、その場合の「易しい問題を解ける力」が学力で、それこそ、社会が求めているものだ。
 少なくとも、「考える力」などというものは、その学力の延長にあるもので、「考える力」だけをまず育てようなんておかしな話なのだ。
問題を解く力という意味での学力が落ちたかといえば、解ける問題の範囲は狭まったが、ある範囲に限っては落ちてはいないだろうと思う。
 落ちてはいないが、前より多くの労働を払って少ない学力を得ると言う貧乏な状態におかれていることが不幸だと思うし、そこをこそ改革すべきだ。再生会議の案は「解ける問題の範囲を広げるよう労働を増やせ」というものだから、この点から言うと「言語道断」だということはわかるだろう。
 
 やるべきことははっきりしている。「新学力観」の排除だ。「総合学習」をただちにやめ、観点別評価もやめる。
「授業時間を確保します、宿題も出さなくて結構です。免許の更新もしなくていいです。なるだけ負担は減らしますから、その代わり、教員のみなさんは授業を充実させて、受験に対応できるような学力をつけてあげてください」
と、宣言するのが最善の方法だと思うよ。
 教員の私がこんなことを言うと、我田引水のようにとる人が多いんだろうね。結局、現場のことを知らないで、けしからんといばりちらす、そういう経営者が、教育を滅ぼしているんだと言うことがわからないんだね。悲しいことに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反知性主義的教育改革を駁す・夏木智氏との対話 その3

2016年07月29日 | 教育


3 教育で天才は生み出せない(夏木智) 
 まさにそこが問題だ。「ゆとり教育」という言葉が一人歩きして「ゆとり」が問題であるように誤解されているのだけれど、問題の本質は別のところにある。

 しかし、そのことを論じる前に、「教科内容の削減」の問題をはっきりさせておこう。数学が一番問題になっているし、わかりやすいだろう。数学は、由紀さんのいうように一本調子の削減とはいいにくい部分がある。しかし、スプートニクショック以降の「現代化」でひどく難しくなってからは、だいたいにおいて易しくなってきたことは間違いない。これには、やはり、高校の全入化が大きいのかもしれない。
 ただ、「ゆとり教育」を、イコール教科内容の削減のことだと機械的に解釈するのは、誤解を招きやすい。いうまでなく、教科内容の削減が常に悪いものだというのは明らかに間違っているよね。限られた時間の中で、どれだけのものを勉強したらいいかという量には、おのずから適正なものがある。日本の学習指導要領というものは、その適正な量の基準を全国的に定めておこうというもので、なかなかよい制度だと私は思っている。もちろん、あとに述べるように、定める側がおろかだと逆効果ではあるがね。

 学習指導要領に定められた「学ぶ量」は、数学の場合、削減傾向にあるといっても、実は、部分的に見れば増えたり減ったりしている。簡単にいえば、難しすぎたと感じられた時は次の改定で易しくするが、今度は易しすぎたということで難しくしてみたりという感じかな。
 で、これはあくまでも私の印象なんだが、実は、ゆとりが問題になる前のさっき話に出ていた平成元年の改定で実施された内容が、とても内容が薄いもので、「これじゃ易しすぎる、これじゃ学力が落ち過ぎ」という感じを多くの人が持っていたように思う。そういう意味で不満がたまっていたところへ、あろうことか「三割削減」などというものを打ち出したので、一挙に不満が爆発したのだと、思っているんだ。
 内容を削ったのが悪いのではなく、要するに適正と考える量からあまりにかけ離れてしまったという危機感が、子供達に近いサイドから噴出したものだと思う。彼らにしてみれば、文科省や中教審の委員たちがあまりに机上の空論をくり返しているように見えたのだね。危機感は正しかったのだが、それが「ゆとり」=「内容の削減」という単純な図式に結びついて議論されてしまったために、問題をこじらせてしまった。
 さっきもいった通り、「学校で教えてくれないなら、宿題を出せ、放課後や土曜日も勉強させろ」という声になって、これまで学校の時間だけで学べていたことを、膨大な時間をかけて学ばなくてはいけないという、おかしなシステムが出来上がってしまったわけだ。ありもしない受験地獄を嘆いていた連中が、自ら勉強地獄を造り出しているのだからおかしな話だといったら、ちょっと図式的すぎるかな。

 つまずきの石は、実は、ゆとり教育と呼ばれる前回の三割削減の指導要領ではなく、さらに一つ前の指導要領改訂(平成元年版)にある。そこで、由紀さんのいう「自ら学ぶ力」を、当時は「新学力観」という言葉を使っていたが、学力として想定することを、いわばこれまでの教育の一大転換として打ち出したんだ。
 この「新学力観」こそ迷走のはじまりだった。ちなみに、学力低下が叫ばれるようになったころの大学生や高校生はこの新学力観の頃に小中学校の教育を受けた世代であることに注意する必要がある。
 「新学力観」に基づく教育改革とは何か。それはこれまで学力と考えられていた、知識や技能ではなく、自ら進んで問題を解決しようとする関心や意欲や態度を「学力」とみなし、それを育てることを目標に教育しよう、というやり方だ。これは、実はあきれた、あきれただけならいいが、むしろ有害なやり方なのだが、そのことは、必ずしも理解されていないようだ。

 まず、こういう話から始めてみよう。大学の先生なんかがよくこういうことを言う。
「日本の学生は、言われたことはできるんだが、自分で考えることができない。留学生などの方が知識はなくても問題解決能力に優れている。もっと、問題解決能力を身につける教育が必要だ」
 これこそ新学力観を生んだ考え方だね。
 だが、これは、おろかな言説だと思うよ。というのは、まず、ここにいう意味での問題解決能力というものは、おそらく、問題の本質を見抜く洞察力、解決のためのアイディアを生み出す創造力といったものなのだろうが、私の考えでは、こうしたものは教育によっては生み出せないからだ。いや、厳密に言えば生み出せないわけではないのだが、そのことはあとで説明する。
 今は、仮に教育によって育てられるとしよう。まず私の言いたいことは、もし、そうだというなら、その大学教授は、高校までの教育に無い物ねだりの要求をするより、自分で教育したらいいじゃないか。あるいは、それができないと言うなら、問題解決能力のある学生を入学させたらいい。それをしないで、そういう生徒を作り上げて大学によこせというのはずいぶん身勝手な話だ。
 問題解決能力というものがどういうものかしらないが、有名大学がそれを要求するような大学入試を作りさえすれば、少なくとも高校では、すぐにでもそういう訓練を始めるだろうよ。正解を出すことを要求するような入試を続けておいて、「与えられた問題は解けるんだが」はないだろうと思うよ。そんなありさまで、権力をふりかざして新学力観などと悦にいっているから、結果として「与えられた問題さえ解けない子ども」を生み出してしまって、今度は学力低下を嘆いているわけだ。それこそ問題解決能力のないのは一体誰なんだといいたくなる。

 とはいえ、教育というより日本の風土が、「独創性」の芽を摘んでいることは、確かかも知れないとは思うよ。というのは、日本では人と同じであることこそ「美徳」であって、人と違うことは「悪徳」であると、親も学校も社会も信じていて、それを何とか子どもたちに教えようとするからね。その点、人と違うことを美徳でないにしても悪徳としない諸外国とは、感性が違うだろうね。人と違うことを言ってみようとか、やってみようとすることに、論理的以前に道徳的なブレーキがかかっている部分は確かにある。誰だって、変人と見られるのは嫌だものね。
 実は、こういう思考傾向を疑えずに、独創だの自主性だのを論じているのでたいへんおかしなことになっている。独創というのは、誰も考えないことを考え出す力だけれど、日本では、考えて欲しいことを人に言われずに考え出すことという意味にしかならない。自主性というのは自分の考えで行動することだけど、日本では「人に言われずとも行動して欲しいように行動すること」という意味にしか使われない。そういう範囲で独創性を育てようと言うのは、それこそ自己矛盾というものだ。そういう部分をきっちり見据えた上で、「独創性を育てる教育」を口にするのならそれはそれで価値のあることだと思うよ。そういう意味では、日本の教育界はがちがちの石頭ばっかりだと常々思っているんでね。

 
 まあいい。次に人々が望むような、新しい発見を生み出すような創造力や洞察力というものは教育によっては生み出せないという話をしよう。この話はちゃんと話すと相当に難しいのだが、要するに、そういうものは人に与えられた僥倖にすぎないからだと簡単に言っておこう。
 我々はたくさんの天才を知っているが、それらの天才を生み出す共通項が何かあるだろうか? 要するにそういう人々は、天賦の才に恵まれるか、さもなくば、金鉱を掘り当てるという幸運によって、天才と呼ばれているだけのことなのだ。運がいいから宝くじに当たったのではなく、宝くじに当たったから運のいい人と呼ばれているだけなのだ。
 そういう天才を生み出す教育があるなら、もうとっくの昔に全世界に普及しているだろう。そういうものがあるだろうと考えるのは、宝くじが当たる幸運の壺の話と大差ないと思うよ。むしろ、問題は天才がいてもその価値を見出せない頑迷で保守的な思考回路がこの国で支配的であることだろうと思う。まあ、この話は微妙だから今は深入りしない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反知性主義的教育改革を駁す・夏木智氏との対話 その2

2016年07月24日 | 教育


2 ゆとり教育の来歴(由紀草一)
 「ゆとり教育が学校からゆとりを奪った」構図は今言われたとおりだろうね。しかし、ここではもう少し細かく見ておくべきことがあるように思う。夏木さんには明らかなんだろうが、一般の人にはなかなか明らかにならず、現に議論されていることがある、という意味でね。そのためにも、話を進めて、ゆとり教育という方策がどのようなもので、なぜ、このような状況を生み出すことになったか」に踏み込んでおこう。

 ゆとり教育は、けっこう長い歴史を持っている。現行のものは、平成八年の中教審答申「二一世紀を展望した我が国の教育の在り方について」で導入が唱道され、平成十一年に改訂された学習指導要領に全面的に盛り込まれ、小中は平成十四年から、高校は平成十五年から実施された。
 しかし、小学校一、二年の理科・社会を廃止して生活科を置いたのは平成元年の指導要領改訂から(平成六年に小学校から高校まで完全実施)だし、これにともなって四年には第二土曜日が学校休業日となっている。さらにさかのぼって昭和五十二年の指導要領改訂から学習内容・授業時数の削減は始まっている(昭和五十七年完全実施)。我々が教員になる少し前から、ゆとり教育は少しずつ進行していたんだよ。
 実際、教員になってから使った英語の教科書は、私が高校生の時使ったのと比べて格段にやさしくなっていた。特に高一のがそうだった。構文の複雑さも、語彙数も、我々の中三時代に使った教科書のほうがずっと難しい。文法事項にしても、かつては中学ですべて一通り教わったのに、今は仮定法が高二で出てきて、そこまで完成しない。

 総合的学習の時間も、覚えているかしら、私が教員になったのは昭和五十八年で、次の年に夏木さんが同じ学校に新採教員として配属されてきたんだが、あの学校には週に一時間、「ゆとりの時間」または「学校裁量の時間」と呼ばれるものがあったじゃないか。これが元祖ね。当時は試行期間だから、すべての学校にあったわけじゃないけど、話に聞くと、小中では相当多くの学校がやらされたらしい。ある小学校の校長が、
「『これはゆとりの時間なんだから、子どもを自由に遊ばせておいて、先生方はお茶を飲んでいてもいいんだ』なんて教育委員会は言うんだが、冗談じゃない。先生達の目が離れたところで、子どもが怪我でもしたら、やっぱり学校の責任になってしまうんだから、とても子どもだけで遊ばせるなんてできない話だ」
と言っていたよ。当時は、少なくとも行政のほうは、のんびり構えていたとも言えるのかな。現場の困惑は今と変わらない。
 我々の「ゆとりの時間」でも、全校集会をやったり校庭の草取りをやったり学校行事でつぶしたりしたが、それでも残っちゃった時間をどうやって消化するのかに迷って、「ゆとりの時間のおかげでゆとりがなくなってしまう」とは、当時からささやかれていた。ただし、教育委員会への報告には、きっとそんなことは書かなかったろう。なんらかの成果があったと報告されて、やがてめでたく総合学習の時間全面導入となるわけだ。教育関係の「試行」では、決して本当のことは学べないといういい見本だね。

 さてそこで、このような「ゆとり」要求がどこから出てきたのか、ということだけど、文部省(当時)から、とは言えない。日教組も、マスコミも、「学校にゆとりを」という論調が主流だったのだから。その論調の主要なものは、結局「学校の勉強がたいへんで、子ども達が苦労しているから、なんとかしよう」というものだった。「落ちこぼれ」なる言葉が登場したのも、この頃だった。
 ところでどうだい? その頃から教員稼業を、どちらかと言えば勉強が得意じゃない子どもを集めた学校で始めた者の実感として、生徒達は本当に勉強ができなくて苦しんでいたかい? そりゃ、全然平気だったと言えば嘘になるけど、勉強は彼らの青春の悩みのうちで、一割以下の重さを占めていたにすぎないんじゃないか?
 これは今でも変わっていない。だいたい、勉強ができなくて実際に困る場面というのはそんなにないからね。落第なんて、義務教育期間には実際上もうなくなっていたし(制度的には可能)、高校だってめったになかった。ただ一つ、具体的に大きな問題になってくるのは、高校・大学への進学時でしょう。入学試験によって、きっぱりと振り分けられるんだからね。
 これについて、現在に至るまでどれだけの言論が費やされたか、思い出すのも面倒なぐらいだ。「受験地獄」という言葉はもっと前からあって、昭和五十五年以降はそんなに聞かれなくなったかと思うんだが、「受験の重圧」とかね。これによって子ども達はたいへんな労苦を強いられている、という印象は、ほとんどすべてのマスコミが流していたものだ。苅谷剛彦の研究(『教育改革の幻想』平成14年)で、これも幻想であって、この頃の青少年は、受験は確かにたいへんな問題ではあったが、それなりには楽しく青春を過ごしていたことが明らかになっているがね。

 本当に問題視したのは、親の側じゃなかったのかな。昭和六十二年に出た村崎芙蓉子『カイワレ族の偏差値日記』がいい例だが、ある種の親、たいていは高学歴の親と考えていいと思うんだが、彼らにとって、子どもがいい高校・大学へ入れないのは一大問題になる。そこで彼らの一部から出る「学校の勉強をもっとやさしくしてくれ」という声は、実質的には「もっと簡単に高校・大学へ入れるようにしてくれ」という意味になることが多かった。
 この要望に応える一番の方策は、学習内容を減らすことなんかじゃなくて、高校・大学の数を増やすことだよね。事実、この頃大都市周辺では新設高校ラッシュで、我々が出会った高校もその一つだった。大学も新しいのがずいぶんできたし、高校は全入時代になった。
 ところがそれで、村崎のようなタイプの親が満足したかというと、そんなわけにはいかない。だって彼らは、高校・大学と名がついてさえいればどんなところでもいい、というわけではなく、「いい高校」「いい大学」へ子どもを入れたいんだからね。彼らが多数いた場合、全員を満足させるのはもともと無理な話だ。だって、例えば東大の入学定員を十倍にしたとしたら、東大生であることの価値及び東大出身の価値はインフレによって十分の一に下がるよ。一方、それでも入れない人たちの不満は、質(不満の大きさ)も量(不満を抱く人の数)も十倍になるんじゃないか。
 以上はつまらない冗談にしか取られないかも知れないが、全体としての高校・大学では正にこういうことが起こったんだよ。高校全入が実現されたら、高校進学の値打ちなんて、入った人にはほとんど感じられなくなる一方で、それでも経済的な事情その他で入れない人の不満とかコンプレックスが強くなってしまった。高校へ行くことは、なんでもない、普通のことだが、行かないことは大問題なんだ。次には大学が、同じようになるかも知れない。まあさすがに、二十二の歳まで子どもをただ遊ばせておいてもいいと考える親はそうはいないようだから、大学全入時代はまだだけどね。
 
 この先が問題になってくるんだが、こんなふうに高校生の数、というか、高校進学者の割合が増えていくと、そのこと自体が、ゆとり教育、つまり学習内容を減らすことの現実的な根拠になってくる。だって、進学率が五〇パーセント以下の時と、九〇パーセントを超えた時とでは、同じ内容を教えるってわけにはいかない、と自然に感じられるじゃないか。小中はもともと全員が来るんだが、どうしても高校の学習の予備段階という面もあるから、やさしいことを教えるようになった高校へ入るためには、やっぱりやさしいことを教えたっていい、とこれまた自然に感じられてくるじゃないか。
 どうも私の言うことは錯綜しているように思われるかも知れないが、これは私の頭が悪いせいじゃなくて、事情のほうが錯綜しているんだよ。村崎みたいな相当に頭のいいはずの人が、子どもをいい高校へ入れたくて狂奔したあげく、それを「偏差値教育のせいだ」と指弾する、という錯乱を演じるほどにね。
 因みに、こういう人にとっても、学校の学習内容がやさしくなることに反対する理由はない。子どもたちがみんなやさしいことしか習わないで、その分ボンクラになったとしたら、自分の子どもは、自分で教えたり、塾に通わせたりして、ボンクラ度を解消できれば、それだけ受験では有利なんだからね。
 そこで夏木さんが言った塾・予備校の跋扈も、この時期に始まる。みんなが塾・予備校へ行くようになったら、それもむだ、かえって行かないことからくる不安ばかり大きくなるというところは、さっき高校について言ったのと同じ。ただ、塾・予備校は学校よりは多様だから、少なくともそう思われているから、いい塾・予備校に当たったら、他を出し抜けるかも知れない。教育熱心な親というのは、この期待は捨てられない。

 だいたいそういった事情で、ゆとり教育は、寺脇たちが強力に推し進める前は、たいした反対もなく進んできた。
 ただ、さっき言った英語など文系科目とは違った事情も理系科目にはあるようだね。自然科学は日進月歩だから、大学の理工学部の先生などからみたら、高校時代にこれくらいは学んできてもらわないと困る、という基準が別にあって、そこからの圧力で、学習内容が変わり、必ずしも易しくはなってないって話を聞いたことがある。これ本当かな? 夏木さんならわかるだろう。
 仮にそうだとしたら、理系科目まで、一律三割削っちゃって、有名になった例だと円周率三・一四をおおむね三、なんてしちゃったところが今回のゆとり教育の最大の失敗だったのかも知れないね。それになんと言っても、目立たないようにやらずに、「三割減」とバンと打ち出しちゃったところね。
 これで子どもが「その分勉強をやらなくてもすむんだ」なんて思い込んだとしたらたいへんだ、と親はたいてい思う。「子どもにもっとゆとりを与えてくれ」と言っていた人も含めてね。
 これまた当然の話だ。「学力」を「知識量」の意味に取るなら、教える内容を三割減らしたら、「学力」も三割方減るのは全く当たり前、というかトートロジーでしかない。テストでその結果が示されたからって、今さらオタオタすることはない。ホリエモンのように、「想定内です」ってすましていればいいわけだ。
 
 そうは言えなかったので、代わりに文科省の言うことが微妙に変化していった。「ゆとり教育は、決して子どもを遊ばせようというものじゃないんだ」という具合に。ここで登場するのが、そもそも学力とは何か、の本質論だ。
 夏木さんが言ったように、それが本当何を意味するか、多くの場合はっきりしないまま使われているから、逃げ道にもなる。「こんなことをするから、子どもの学力が下がっちゃったじゃないか」と言われたら、「いや、私たちは、詰め込み教育がもたらす学力じゃなく、本当の学力を目指していたんです」と。
 そう言われてみると、確かに文科省はそういう意味のことを当初から言っていたようでもある。ゆとり教育が目指すのは、従来の学力とは違う、創造的な問題発見型の学力であり、そのための「自ら学ぶ力」なんだというふうに。
 こういう、「隠れた、本当の学力」という概念あるいは信仰も、いろいろ名前を変えながら、たぶんゆとり教育より古くから教育の世界に居座り続けている。今でもゆとり教育の理念は正しかったんだという人も、ここに賛成しているんだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反知性主義的教育改革を駁す・夏木智氏との対話 その1

2016年07月20日 | 教育

Extract from Ship of Fools (painted c. 1490–1500) by Hieronymus Bosch

前口上(由紀草一)
 反知性主義、なる最近の用語は、ある種の、ひと昔前の用語だと「進歩派」なる陣営に属する知識人たちが、自分たちの反対派は「バカ」なんだ、ということを、多少お上品に言ったものです。だから、とてもイヤな言葉になってしまいましたが、元の、小難しいだけでものの役に立ちそうにない理屈や、それを口にする理屈屋に対する反感や不信という意味なら、世界中にあり、日本にもあります。
 反知性主義というよりは反知識主義、ですかね。「知性」というのが既に、ブッた言葉ですから。それを、学校の中に取り入れようとする向きがあり、現に一部取り入れられている、と言うと、ちょっと不思議な感じがするでしょう。学校の第一の役割は知識を伝えることにあるはずですから。
 でも、これはわりあいと自然なことです。何より、明治時代の草創期から、すべての子どもが学校に通うことは国家の要請だった。子どもを学校へ通わせることは国民の義務なんです。いわゆる、義務教育。子どもの側から見ると、誰もが、一定年限、否応なく行かなくちゃいけない場所、それが学校。ならば、「もうちょっと、オレの役に立つことを教えてくれてもいいじゃないか」という不満も、出てきがちではありますね。
 学校側では、上の不満に応えようとした場合、さすがに知識なんて無益だ、とは言えないので、もっともらしく装います。それにはざっと二種類あって、
①学校では個々の知識とは別に、もっと「人として大事なこと」を学ぶべきだ、と。道徳教育がその具体的な方策として出てきました。これに対する批判は、本ブログ、「道徳教育という不道徳」でいたしました。
②従来学校でやる勉強には、何かしら欠けたところがあった。もっと多くの人を幸せにする「真の知識」があるはずだ。
 近年、これに呼応した形で進められた「ゆとり教育」は、さんざん批判されて、どうやら頓挫したように見えます。でも、その謂わば双生児である「新学力観」は、名前こそ「問題解決能力」とか「生きる力」とか、いろいろと変わりましたが、依然として学校に居座っています。
 ①と②の両方とも、一種の反知性主義、あるいは反知識主義だ、というのが我々の、少なくとも私の、見立てです。もちろん、敢えてレッテル貼りをして、人の注目を惹きたいという動機もあることは否定しません。
 そして今回の標的は、当然②です。

 相方、じゃなくて実質的に「対話」の主である夏木智さんを紹介します。私と同じ茨城県立高等学校の教諭です。たまたま同じ学校で出会ったのですが、教育、というより学校問題について文章を書いたのは彼のほうが先でした。それに触発される形で、私も書いて、二人のを合わせて『学校の現在』というタイトルで出版できたのは、全くの幸運としか言いようがありません。
 夏木さんの単著としては他に『誰が学校を殺したか』、『誰が教育を殺したか』、それに小説『不思議の学校のアリス』(これは物語としても面白い、傑作です。もっと知られてもよいのにと、他人の著作で歯がゆい思いをしたのは後にも先にも一度きりです)があります。同人誌『ひつじ通信』の主催者でもあり、ホームページへは左欄の「ブックマーク」中の該当項をクリックすれば行けます。
 夏木さんから、久しぶりに学校論を共同でやろうじゃないか、と誘いを受けたのは、第一次安倍内閣の「教育再生会議」が、そろそろ最終答申を出そうかという七年前でした。対話形式がよかろう、でも、本当にしゃべって、その原稿を起こす、なんてたいへんだから、メールでやりとりをしたのをまとめようじゃないか、と決まりました。今回のシリーズはその時、つまり七年前にまとめて、『ひつじ通信』に掲載した「対話」の一部です。本当はメールのやり取りであるため、「対話」にしては、一人の発言部分が非常に長くなっている場合が多いことは、初めて読んでくれる人のためにお断りしておきます。
 これをまた引っ張りだそうと思いついたのは、次の理由からです。最近またちょっと教育行政について考える機会があり、参考にはなるかな、と思って読み返してみたら、全然古びてない。というか、日本の学校は今日でもまたこの時期の「改革」の流れの中にあるとわかって、唖然としました。流れをなんとか押しとどめているのは、ひとえに教員の「鈍感力」(上からああしろこうしろ言われても、なかなか機敏に、その通りには動けない鈍重さ)の賜物です。
 以上が本当かどうかは、読んでくださる人の判断にお任せするしかないでしょうが、あくまで個人的には、新学力観なんたらいう教育行政由来の反知性主義を、今後機会があるごとに批判していきたい、その出発点としてこれが最適、と思えました。最低限の手直しだけして、数回に分けてブログに掲載し、できれば皆様からのご批判を仰ぎたく思いますので、皆様、そして夏木さんも改めて、宜しくお願いいたします。
 以下は夏木さんに送ったメールの、ほとんどそのままの引き写しです。

 最初に、「ゆとり教育の見直し」から。見直すってことは、よくなかったんだということのはずなのに、どこがどうよくなかったのかの検討は全くなされないまま、中途半端な形で方向転換がなされようとしている。
 今次の学習指導要領は小中高すべてで授業時間の一割増をうたっていて、その結果「総合的学習の時間」は節減されたけど、それでもなお週に一時間は残っちゃったというところ(以前のでは、小学校では三年生以上から週当たり三時間程度、中学校では週当たり二~四時間程度、高等学校では卒業までに三~六単位の配当)。よくないと決まったもんなら、すっぱり全部よすがいいのに、それじゃこのために努力した人たち、そこには制度を考えた人も、実施に当たった現場の教師も入るけど、彼らの面子をつぶすことになるから、忍びない、ということらしい。
 けれどこんな日本的温情主義(かな?)は、この場合最悪なんだよ。だって、もう総合的学習の時間には概ね意味がない、って公に認めちゃったようなもんでしょ? そうでなかったら削る理由はないんだから。そういうあからさまに無意味な時間が週に一時間、時間割の中にあるってのは、教師にとっても生徒にとっても不幸だよ。
 この温情主義は、日本的責任の取り方、それは結局は無責任ってことになるんだけど、その構造を支えるものとしてよく指摘される。今度も、日本的な形で責任を取らされた人がいる。「ミスターゆとり教育」とまで言われた寺脇研。官僚のトップである事務次官候補だったのに、降格されて、文科省をやめちゃったでしょう。今もマスコミにはよく登場するが、ゆとり教育が間違っていた、とは一度も認めていないね。
 たぶん、間違っているとは夢にも思っていないんだろうな。信念の人じゃなかったら、当初から学力面に関して危惧の声が高かったゆとり教育の、非常に目立つ旗振り役になんかならないよ。官僚としてはそれは、不必要な危ない賭けだからね。
 寺脇がそういう人だってことはそれまでとして、誰も彼を論破できない、っていうか、そもそも政府側では反論しようとする人さえいない、というところが問題でね。彼の言ったこと・したことの正否は棚上げにして、ともかく世間で評判が悪いから、ここは涙を飲んでくれって構図。そこで彼は、正しいことをしたのに、時に利あらず、一身に責を負って野に下った賢臣をいつまでも気取っていられるわけだ。
 いや、ゆとり教育は、少なくとも理念としては正しかったんだと言う人は、民間にもけっこういる。実際的にも、学力低下にしたって、文部科学省が実施した「平成一七年度高等学校教育課程実施状況調査」では、高校生の学力はやや向上しているってことだしね。つまり、ゆとり教育体制でも、学力の維持・向上はできていた、ということみたい。ならば、もともと、ゆとり教育で学力が落ちたというのは本当だったのか、という疑問も生じてくる。
 問題提起としてはこんなもんでいいだろう。で、夏木さんにバトンタイッチする。

1 ゆとりは効率を奪う(夏木智)
 まず、今の方向転換がいかにも場当たり的だということはその通りだね。導入と同様に、何の冷静さも論理も節操もない。では、どうあるべきかということから考えなくてはならない。
 いくつかの考え方の基本から確認することにしよう。一つ目は、この問題については、本当は目標がかなりはっきりしているし、人々の意見も一致していると言うことだ。「学力」の中身は後で議論するとして、学校とは、その本来の目的は学力を身につけるためにあって、それこそ人々ののぞんでいることだと言うことだ。
 「学力」の中身が何であるかは議論の余地があるが、とにかく、それは今現に学校で教えられている数学や国語の内容であり、それによって問題が解ける力であることは、多くの人が漠然とではあれ、賛成していることだ。言論の世界では何とでも言える。しかし、現に社会を見れば、多くの一流大学が「学力」を元に入学者を決定していることは現実だ。社会を見れば、話はもっと複雑だが、しかし、少なくともその入り口の部分において「学力」がものを言っていることは現実だ。
 たとえば「理科離れ」が憂慮されている。もし、学力が価値のないものだったら、こんなことを憂慮する理由はないはずだ。社会は、若者に学力を身につけてもらうことをのぞんでいるし、子どももまた社会で価値ある存在と認められるために学力を身につけることを望んでいる。そして、学校とはその学力を身につけてくれるところであるからこそ、人々は学校へ通うのだ。こう考えれば、学校がまず果たすべき役割は、子どもたちに「学力」をつけさせることなのだ。それをこそ、最優先させなくてはならない。
 こんなことは、私には当たり前のことに思える。しかし、少なくとも、文部科学省を初めとする教育行政、教育学者、教育評論家、教員達にはちっとも当たり前のことではないようなのだ。
 今初中等教育において私立が人気を博している。その最大の原因は「いじめ」の問題だが、それに次ぐ大きな問題として、私立はこの学力の問題に正直だと言うことがあげられる。うちの近くの私立の宣伝は「塾へ行かなくても学力をつけられます」だという。つまり、公立学校へ行くなら、塾へ行かないと学力はつかないということが、かなり広く共有された認識だということなのだ。
 「ゆとり教育」の名で批判されたものは何かといえば、それは、一言で言えば、公立学校の経営者の「学力軽視の姿勢」だったのだと言える。それに関しては、議論の余地なく明らかだと私は思う。授業時間の削減、内容の3割カット、その代わりに「総合学習」をしますなどといっても、そもそもその中身さえ「現場の努力」などと繰り返しているのだから、誰がどう見たって明らかじゃないか。親も子も学力を身につけるために、少なからぬ苦労をして学校へ通っているのに、授業時間は減らしますよ、内容もやさしくしますよ、これで落ちこぼれはいません、楽しく学校へ通えますよ、なんて言われて黙っていられますか。そんなんじゃ、何のために学校へ通っているのか分からないと多くの親子は考えるはずだよ。
 結局、そうした危機感が、教育施策の問題を指摘するための証拠として飛びついたのが「学力低下」問題であって、本当に「学力低下」しているかという問題はむしろないがしろにされているとさえ言ってよいと思うよ。まあ、私に言わせれば、それでよいと思うんだがね。というのも、「ゆとり教育」そのものが間違っているのだから、学力低下の証拠を探すのはむしろ本末転倒だと思うくらいなんだ。
 ゆとり教育の問題点は次のことにつきる。すなわち、それまで子どもたちは学校の中だけでいわば勤務時間内の労働でかなり多くの学力を手に入れていたのに、ゆとり教育というシステム変更によって、子どもたちは多くの時間外労働によって前より少ない学力をようやく手に入れるような貧困生活に陥らされてしまったということだ。
 ゆとり以前は、勉強は(宿題はもちろんあったが)、それなりに学校内で完結していたのだ。詰め込みすぎという批判はあったかも知れないが、学校で教えてくれないので、塾で教えてもらうというような本末転倒は存在しなかった。ところが、ゆとり教育によって、授業内容がすかすかになり、教える時間も削られたために、足りない分を子どもたちが時間外労働で補わなくてはならなくなったのだ。
 これは、実は教員の側もそうだ。学校の授業時間では、それこそ総合学習や、体育や徳育に力を注がなければならなくなり、教科教育に時間を割けなくなった分、宿題をだすことで、教科教育を行わなければ学力を保てない状況に陥っているのだ。
 子どもの話だが、小学校のある担任は、授業ができるときには、生徒に自習させ、そのあいだに宿題の点検をしているという。確かにそうでもしなければ、膨大な宿題のチェックをやっている時間は小学校の教師には存在しないのだ。昼休みでさえ給食指導をしているのだから。しかし、勉強は宿題でさせ、授業時間は自習にしておいて宿題の点検というのでは、本末転倒もいいところだろう。もちろん、一部の話を全体に広げられないが、しかし、本質的な部分では同じ構図だということは認識しておいていい。
 ゆとり教育の生み出したものは、「学力低下」というよりは、むしろ、「効率性の悪さ」なのだ。子ども、保護者の立場に立ってみれば、以前は少ない時間で、比較的安上がりに手に入れていた「学力」を、ゆとり教育によって、多くの時間と費用をかけてやっと手に入れられるような状況にされてしまったということなのだ。
 実はこれこそ、学力の二極分化をもたらしたものでもある。平坦で走りやすい道を走っていれば、体力、能力に劣るものもそれほど遅れないでついていけるだろう? しかし、でこぼこでおまけに起伏も多いとすれば、よいシューズをもっていなかったり、足が痛かったりするものにとって、ついていくのに多大の障害があることは間違いない。
 もちろん、ゆとり教育そのものはこういう状況を目指して導入されたものではない。しかし、経営者たるもの、ある改革がどういう効果をもたらすか、きちんと見通してその正否を論じるべきだし、まして、すでに現実となったこういう状況をきちんと把握さえできないとしたら、完全に失格だろう。
 「学力低下」というのは、基本的には、社会が子どもたちの労働の結果だけしか見ていないということだ。子どもたちに長時間労働を強いてかまわない、子どもたちの学力さえ上がってくれれば、という態度が、真に子どもたちや保護者、ひいては社会全体のために誠実な態度だと言えるだろうか。
 だが、最近の教育改革は、子どもたち(と教員)の労働時間を増やすことが、正しい改革だと信じて疑わないように思えるがね。全く、子どもたちを見ていない、自分さえよければいいという、典型的な思い上がったワンマン経営者だね。やるべき改革は全く逆だ。必要なことは、ゆとり教育によって奪われたゆとりを取り戻すことなのだ。
 これをもう少し具体的に言うには、ゆとり教育というシステムがどのようなもので、なぜ、このような状況を生み出すことになったかを、もう少し具体的に見ていかなければならない。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道徳教育という不道徳 その3(何かが伝わり、残る)

2015年07月24日 | 教育

 上は今からちょうど10年前、平成17年に出たACジャパンのポスターです。モデルは栗山千明さんですね。彼女がナレーションで語りかけているCFも、TVで何度か流れたので、覚えておいでの方もいらっしゃるでしょう。
 中身は自殺防止のためのメッセージで、「身近な人に、あなたが大切だと伝えてあげてください」ということです。それを、上から直接言うのではなく、何か思いを秘めている雰囲気の若い女性に間接的に呟かせることで、説教臭さを消しているわけです。さすがにプロの仕事で、うまいもんだなあ、と感心します。
 それはともかく、私はこれを見た時、「なんだ、政府の偉い人だってほんとはわかってるんじゃないか」と一瞬思ってしまいました。でも、よく考えてみれば、いくら公共の広告でも、ACは政府とはあくまで別の、会社なんですよね。
 何がわかってるって思えたかと言うと、公的な制度が、「生きる力」がどうたら言っても、結局「命は大切だ。命を大切に」と何千回何万回繰り返すしかできはしない、ということです。そして、そんなのは「生きる力」にはならない、ということ。それがわかっているなら、道徳を教科に、なんて話には、なっていないはずです。

 以上は道徳教育に関して私が一番言いたいことの、いわばマクラです。次には、現代日本人が自分の小学校時代を回想した二つの文章に依りつつ愚考を開陳して、拙い話を締めくくろうと思います。
 一つ目は、戦前の話です。東京の尋常小学校五年生のF少年は、ある日担任のK先生に呼び出されます。K先生は若く、休み時間にも生徒たちと遊んでくれたりするので、なかなか人気があったそうです。
 K先生の話とは、こうです。F少年の家庭は裕福というほどではないものの、子どもを学校へやるぐらいは問題がなく、彼自身は成績優秀で、三年生からずっと優等(学年トップ)でした。今年も優等になるだろう。しかしここに、同級生のM少年がいて、家は貧しいうえに、遠く離れた場所にあるのに、毎日休まずに学校へ通い、F少年の次ぐらいの成績になっていました。その健気な努力に報いるために、優等の座を彼に譲ってやってはくれまいか、との相談だか懇願だかをされたのです。
 このとき、F少年の心には言い知れぬ不快感が残ります。それは、優等の座を不当に奪われたこと自体から来るのではありません。事実優等は自分なのであり、それをK先生は知ってる。そのうえ、友人のために我が身を犠牲にする英雄気分も少しは味わえるのですから、決して悪い話ではなかったのです。
 不快感はK先生の態度に由来するものでした。F少年は大人になってから、この事情を次のように分析します。K先生は不誠実なのです。彼自身は気づいていないだろうが、あの時、幾重もの欺瞞を働いていたのだ、と。
 まず第一に、もともと先生と生徒という立場の違いがあるのだから、「相談」という形を取ろうと、「お願い」口調で言われようと、それは実質的に命令としか受け取れない。小学五年生に断れるものではないのです。それでもK先生が表面上「命令」しなかったのは、正規なことをしようとするのではないために(本当は優等ではない者を優等にする、厳しく言えば詐欺を働こうとしているために)、権柄づくで接することはできない、と感じたからでしょう。そこのところは、F少年ほど潔癖ではない私には、やむを得ぬことと理解できます。
 ただ、第二に、もう少し微妙な問題があります。K先生は、何も自分の利益のために「厳しく言えば詐欺」をやろうとしているのではありません。貧しくてもがんばっている生徒を励まそうという「教育的配慮」を働かせて、そうしたのです。
 他の教師に言われたのか、自分一人で思いついたのか、それはわかりません。どちらにもせよ、このような配慮は、正しさが疑われないまま、学校ではけっこう流通します。なぜ疑われないかと言うと、もともと大したことがないところで使われるからです。優等になると、賞状の他に鉛筆だかノートだかの副賞がついたものかどうか、今の学校から類推すればせいぜいそんなものだろうと思います。優等か否かが、子どもの将来にとって大きな意味を持つことなどありません。もしそうだとしたら、K先生も、もっと手の込んだダマシのテクニックを考えたはずです。子どもへの「お願い」だけで済ませたのは、その程度で済ませられる事柄だからです。
 F少年は後に高名な評論家になったので、このできごとを文章にしたのですが、そんなことになる確率なんて、宝くじが当たる場合以下でしょう。普通は、一年もたたぬうちに、先生も生徒も忘れてしまう。それだけに、K先生が、M少年やF少年の人間性を深く考慮して、何をすべきか決断する、なんてめったにないことです。
 要するに、こんなに長々しく分析してみせるには相応しくない、軽い、どうでもいいような話なんです。学校でやることは、一つ一つ取り上げたら、たいていはそんなもので、むしろそれを覆い隠すためにこそ、教師たちは「教育的配慮」なんて、もっともらしく言うのです。
 問題は、F少年が、そんな「教育」ゲームの、ひと駒として使われたんだ、と感じたところです。

 今でもそのときのK先生の表情をはつきりおぼえてをります。そこにはふやけた笑顔があつた。その「理解ある」笑顔に私は虚偽を感じとつたのです。それは、人格と人格とが生きて相対してゐないといふ感じ、先生と自分との間の人間関係が本物ではないといふ感じであります。教師が怒りに任せて生徒を打つときにも感じられる生きた人格の真実が、そこには欠けてゐたのです。

 成長したかつてのF少年は、このエピソードに続けて次のように言っています。人が人に意識的に教えることができるのは、知識と技術だけである。しかしこの国には昔から珍しくない「教育好き」、あるいは「教育狂」と称すべき人たちは、それ以上を求めたがる。典型的なのが、「知育偏重批判」=「徳育の要請」であろう。
 なるほど、区区たる知識・技術より大切な、「真に人間的なるもの」はある。それを子どもたちに伝えようとするのはいけないか? なんとか伝える方法はあり、それができないでいるのは、教師たちが怠慢だからではないのか? さほどの「教育好き」ではなくても、そう聞きたくなる人はいるでしょう。
 そこでK先生です。「教育的配慮」に則った言語を使うと、彼はF少年に、ただ勉強ができるだけではなく、恵まれた境遇にいない同級生に優等の座を譲ってあげられるような、「やさしさ」を持つことを教えようとしたことになるのでしょう。知識より「やさしさ」のほうが大切。それはそうです。一般論としてなら、文句のつけようがないくらい正しい。それで具体的に、優しい行為をするように求めた。それだって正しいはず、ですか? 多くの「教育好き」や、「教育好き」の言うことには従わなくてはならないと感じる教師が、陥りやすい罠がここにあります。「正しすぎる」または「ただ正しいだけ」に陥るという罠が。
 他でもない、教師や、教師に代わる人が、ある「人間として大切なもの」へ子どもを導こうとするとき、子どもは非常に敏感に、その手つきを見抜くのです。そして、ここでの「教育」は、動機はなんであれ、子どもの心を操ろうとすることであり、そんなことができると、あるいはやる必要があると思われるのは、結局子供だから、一個の人格として尊重される必要はないと思われているからだ、というところまで、感じ取ります。
 子どもの心により強く訴えるのはこちらの要素であり、結果として、例えば「やさしさ」を伝えようとする教育者の意図は、確かにあったとしても、雲散霧消してしまいます。
 以上を納得してもらうのはなかなか難しい。そういうことをするのが即ち教育じゃないか、と信じている人はけっこう多いですから。「お前は教師のくせに、教育は不要だと言うつもりか」と今まで多くの反発を招きましたし、今も、これからも招くでしょう。
 一言弁明しますと、なるほど、一番教えなくてはならない「真に人間的なもの」は、決して意識的に教えることはできず、その点では教育は無力のようですが、それは何もペシミスティックな話ではないのです。子どもは、教師が意図的に教えようとすることより、その「手つき」を見抜く、というところは、逆にも考えられますから。単なる知識の伝達であっても、人間同士が相対して行われる以上、必ず知識以外の何物かも伝わってしまう。つまり、教師が真剣に知識を伝えようとする態度があるなら、その態度そのものから、子どもは、人間として大切な何ものかを学ぶこともある、と期待されるのです。
 子どもに最も伝えねばならない大切なことは、学校では、そのようにして昔から伝わってきたのだし、これからもそのようにしか伝わることはないでしょう。そして、それで十分なのです。

 二番目の話は、戦後間もなくの頃で、「道徳的な物語」に関連します。道徳教育推進派も、さすがに、抽象的なお説教だけでよし、とはしませんので、偉人のエピソードを教えるなどして、道徳の正しさを具体的に伝えるようにと要望するわけです。
 そんな物語はたいていは退屈だ、という以外にも問題はあります。第一に、子どもといえども現実の浮き世(憂き世)にいるのですから、「現実と物語は違う」という真理にすぐぶつかってしまいます。私も小さい頃、自分が物語の主人公になったつもりになって、ひどい目にあった覚えが何度かあります。ただ、まとまった話にはならないので、例として、他人の体験談を使わせてもらいます。
 T少年は母子家庭で、とても贅沢ができるような金はなかったが、どうしても映画が見たくて、お母さんがやっていた商売の売り上げ金を盗んで、こっそり見に行きました。それを同級生に告げ口されて、帰りの会で、みんなの前で先生から詰問されるのです。なかなか口を割らないT少年に、先生は、かのワシントンの話をします。

「アメリカにワシントンという立派な人がいました。イタズラでお父さんの大事な桜の木を切ってしまいましたが、正直にお父さんに白状してあやまったといいます。立派な人になりたければ、正直でなければなりません」

 この話に、T少年は素直に感動します。「そうか、ワシントンも俺と似たような子だったのか。顔も知らないワシントンが柴田くんと同じような友達に感じられた」。そこで、「正直に言えば、この屈辱から解放されると」思って、白状したら、

(前略)私はパチンと頬をぶたれた。山田先生の手のひらがムチのように頬に飛んだのだ。熱い痛みが頬に残った。
「席につきなさい!」
 〝声″が私に命令した。私はおろおろと歩き出した。教室の床が涙ででこぼこに見えた。笹田【T少年の犯行を告げ口した同級生】が低い声で「ドロボウ」とののしった。席に着くと私の横の席の村上という女の子が、机を持ち上げて私から離した。汚いものでも見るような顔で「ドロボウ」と言った。そして私の机をつき押した。
 私はごみになったような気持ちでうつむいていた。ワシントンが、笹田や村上より嫌いになった。


 その挙句、山田先生からお母さんにも知らされたので、泣かれて、箒で背中をさんざん叩かれて、その後五日も口をきいてもらえなかったそうです。
 遺憾ながら学校には決して珍しくない、インチキな「指導」の一例です。インチキがはっきりしているだけ、先のK先生のやり方よりはマシだとは思いますが。しかし、こんなときにダシに使われて、日本の小学生に嫌われたジョージ・ワシントンは気の毒ですねえ。
 もとの話では、ワシントンのお父さんは、ワシントンを叱らず、かえって「お前は正直なよい子だ」とほめたことになっているんですよね。するとこれは子を持つ親向けの教訓話だったのでしょうか。「子どもが悪いことをしても、叱るだけが能ではありませんよ」と。それならいいですが、子ども向けに使ったら、たいてい嘘になるでしょう。「正直者は馬鹿をみる」という、現実の一面を伝えるためにこの話を使うなら、別ですけど。 
 「正直なのはいいことだ」(Honesty is the best policy.)ということを教えたいんだったら、むしろマイナスです。なぜなら、正直な人がみんなワシントンになれるわけはなく、ワシントンが本当に正直だったとしても、それだけで彼がアメリカ合衆国初代大統領になれたわけはないんですから。「ワシントンは正直だったんだからあなたも正直になりなさい(そうすればワシントンのような立派な人になれます)」なんて理屈、どこをどう押しても出てくるはずはないんです。この話は、たぶん歴史的な事実ではないから嘘だ、というのではなく、子どもに教訓を与えようとして使うところで嘘になってしまうのです。こんなのでも、相手が子どもならバレないだろう、なんて思うとしたら、子どもをナメきった、非常に不道徳的な態度だとしか思われません。
 道徳の教材として偉人伝やら古典を使え、というのは保守派の人に多い意見で、教育再生会議の第三次報告にも「偉人伝、古典、物語、芸術・文化などを活用し感動を与える多様な教科書を作る」とあるんですが、何を使おうがこのような弊害は免れないでしょう。前にも同じようなことを申しましたが、敢えて言葉を重ねます。
 嘘、と言うと言葉が強すぎるとしても、結局のところ、小林秀雄ふうに言うなら、今人(いまびと)の賢しらで偉大な人物や文学の価値を切り刻み、矮小化することには必ずなります。私の好みからすれば、小学生に英語を教えるくらいなら、日本の古典を教えてもらったほうがいいと思いますが、それなら平凡なお説教とは全く別次元の、古典の全体像を伝えるように努力すべきです。そうでないと、古典に対して失礼、という意味の不道徳を働くことになります。

 では道徳教育は不要なのか? そんなことはありません。だいたい、子どもを育てながら、道徳的なことに触れずにいるなんて不可能です。子どもが、自分の家の金であっても、無断で持ち出したりしたら、それは叱らざるを得ません。自分の子どもはもちろんのこと、教師なら生徒など、身近にいる子どもに対しては、そうするのが大人の義務という以前に、そうでなければ「子どもを育てている」ことにはなりません。【でも、できるだけ一人で叱って、恨まれるなら自分だけ恨まれるようにしたいもんですね。】
 そしてだいたいにおいて、こういうときに使える言葉は、至極平凡なものです。これも仕方がないことで、従って、「どろぼうはするな」「正直になれ」などの、平凡な徳目自体が不必要だとも言えません。
 ただし、ここでのポイントは、ある具体的な状況の中で、肉体を備えた「私」が、同じく肉体を持った「あなた」に呼びかけているというところなのです。「あなたが大切だ」と思っている「誰か」が言うから、言葉は平凡でも、やり方は下手くそでも、何かが伝わることもある、と期待できるのです。
 T少年の話には続きがあります。怒りかつ悲しんで、五日間口をきいてくれなかったお母さんですが、五日目にはT少年を風呂に入れて、背中を流してくれながら、「もう泥ぼうするな。母ちゃんはお前のために苦労しよっちょけん」と泣きながら言ったそうです。その時の顔は今でも忘れられない、とも、成人して有名な歌手兼俳優になったT少年は書いています。つまり、そういうことです。
 個人的な関わりの中でなら、生徒に対するその「誰か」に、教師がなることも不可能ではないでしょう。いやむしろ、普通に思われているよりも多く、そうなっているかも知れません。しかし一クラス四十人の生徒を前にした場合、その教師の力量や熱意とは関係なく、そういうことはもともと不可能なのです。そこの彼/彼女は必ず制度的な存在なんですから。
 そういうものとしての教師は、クラスの秩序を守るために、私語をしている生徒を注意することはできるし、現代社会で礼儀として定まっている型を教えることもできます。しかし、人格や「心」の根底にまで「仕事として」積極的に関わろうとするのは、むしろ控えるべきです。F少年の例で見たように、どのように偽装しようとも、「制度によって権威づけられた者によるおしつけ」であることは免れないのですから。
 押しつけ自体がいけない、と言うのではありません。教育はすべて押しつけと言っていいと私は思います。そうであるからこそ、学校で押しつけることは上に述べたような範囲に限るべきだ、と考えるのです。
 正しいことならなんでも、できるだけ効果的にとのみ考えて、押しつけていい、いや、押しつけるべきだ、ということでやったら、その「正しいこと」より、押しつけられた屈辱感のほうがずっと後まで残ってしまいます。T少年のように、クラス会での教師と同級生からの糾弾(人民裁判に近いですよね)を経験した者は、たいていそうなります。かくいう私も、その一人です。これは学校によってなされた最大の不道徳だと、今も思っています。
 実際問題としては、この「範囲」は曖昧になりがちですが、それでも心がけていかねばならない教師の倫理性だということを、私は、教職に在籍すること三十二年を越えた今まで、疑ったことはありません。
 ところで、T少年の話にはさらに続きがありました。お母さんの涙の説諭には、決定的な効果があったかというと、残念ながら。その後怪獣映画「モスラ」が近所で上映されたとき、T少年は誘惑に勝てず、またしても店の金をくすねて見に行った、と著書で白状しています。その時には見つかったものかどうか、それは何も書かれていません。
 これについては、「そういうもんだね」と、平凡な親兼教師である私としては、溜息といっしょに言うしかありません。いつの時代の子どもでも、悪さをします。それを完全に防ぐ「道徳教育」は存在しなかったのです(存在したら、逆に、とても恐ろしいと思います)。
 そんな目に見える効果とは別に、人と人の心がつながり、何かが伝わり、残っていく、その「何か」が積もり積もって、「人格」と呼ばれるものになる、これがつまり徳育です。「何か」とは何か、一言で言うことはできませんし、言う必要もないでしょう。しかし、制度的にどうこうできるものでないことだけは、確かだと思います。

 以上、いろいろ述べてきましたが、「子どもを躾けるのに、何もそんなに理屈をこねる必要はないんじゃないの」という人もいますね。一理あります。藤原正彦『国家の品格』の中で私が唯一共感した箇所に、彼の父(新田次郎)は、「弱いものいじめをするな」「嘘はつくな」などと少年のときの彼に教えたとあります。でも、父の偉かったところは、それには理由はないことをはっきりと認めていたところだ、と。
 なるほど、男らしくてなかなかいいですね。いいことはいい、悪いことは悪い、理屈は不要、議論も不要、だったら学校で週一時間授業をするなんて、当然不要。これにて一件落着。……とはいかんでしょうけど、私の話のほうはこれで終わります。

【出典を言わずにすますのは不道徳ですね。F少年とは福田恆存先生のことで、昭和32年の文章「教育・その本質」を、エピソードをほんの少し変えて、使わせていただきました。これは現在、『福田恆存全集 第四巻』(文藝春秋社昭和62年)や『福田恆存評論集 第五巻』(麗澤大学出版局平成20年)に収録されています。
T少年のほうは金八先生こと武田鉄矢氏で、自伝『母に捧げるバラード』(集英社平成2年。現在集英社文庫)から引きました。実はこのエピソードは、以前に、拙著『団塊の世代とは何だったのか』でも使わせていただいておりました。武田氏には、合わせてお礼申し上げます。】
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道徳教育という不道徳 その2(評価、など)

2015年07月16日 | 教育


 道徳を教科にする、というからには、制度的に次の三つの整備をしなければならないでしょう(ただし、法的な根拠は必ずしもないようです)。(1)教員(免許)、(2)教科書、(3)評価です。前出中教審答申「道徳に係る教育課程の改善等について」ではそれはどうなっているか、見ていきましょう。

(1)道徳を教える教員についてですが、「3 その他改善が求められる事項」の「(2)教員免許や大学の教員養成課程の改善」に次のようにあります。

 「特別の教科 道徳」(仮称)を担当する教員について、特に、中学校については、扱う内容や指導方法の高度化が求められることなどを踏まえ、将来的には専門の免許状を設けるべきとの意見があった。また、学校図書館法に定める司書教諭のように道徳教育に関する一定の講習を修了した者を道徳教育推進教師に充てる仕組みとすべきなどの意見があった。
 また、大学の教員養成課程における道徳については、人間に対する理解を深めるとともに、教員としての指導力を身に付けるため、理論面、実践面、実地経験面の三つの側面から改善・充実を図る必要があり、現在、小・中学校に関しては、「道徳の指導法」の2単位、高等学校に関しては、履修が必須ではない状況となっている基準を見直し、道徳教育を専門的に学べるようカリキュラムの改善と履修単位数の増加を検討することが必要との意見があった。あわせて、各大学において道徳教育の指導に当たる教員の養成のためにも、大学における道徳教育に係る教育研究組織の改善・充実に向けた積極的な取組が期待される。


 文末が「意見があった」×3+「期待される」でして、要するにまだ何も決まっていない、ということです。それでいて3年後には小学校で「特別な教科 道徳(仮称)」を実施する、というのはどうなのかなあ、と素朴に感じられませんか?
 もう一つ素朴な疑問。道徳を教える、ということですと、今の教員にその資格・能力はあるのか、という批判がよく聞かれます。もっともだと思います。だから「専門の免許状を設けるべき」とか「道徳教育に関する一定の講習」を、なんて意見も出てくるんでしょう。しかし、ではいったい、将来道徳の専門家たるにふさわしい教員を養成する大学の先生たちには、それにふさわしいだけの資格・能力はあるのでしょうか? 「理論面、実践面、実地経験面の三つの側面」いずれから見ても申し分ない人材がそろっているのでしょうか?
 そこまで考えたら、道徳の教科化は当分の間、あるいは永久にできない。だから、考えずにやってしまおう、という人が多いようですが、私はそのような態度は道徳的とは言い難いように思います。そうでなければ道徳の教科化はできないということなら、やめるべきだ、とも思っているわけです。

(2)教科書。「2 道徳に係る教育課程の改善方策」の「(5)「特別の教科 道徳」(仮称)に検定教科書を導入する」より。

 現在、道徳教育用教材として文部科学省が作成した「私たちの道徳」が全国の小・中学生に配布され、道徳の時間をはじめ、学校の教育活動全体で行う道徳教育において、また、家庭や地域との連携などにおいて活用されている。
 道徳教育の充実を図るためには、充実した教材が不可欠であり、今後、道徳教育の要である「特別の教科 道徳」(仮称)の中心となる教材として、全ての児童生徒に無償で給与される検定教科書を導入することが適当である。
 このため、「特別の教科 道徳」(仮称)を学校教育法施行規則及び学習指導要領に位置付けるための制度改正を行った後、「特別の教科 道徳」(仮称)の特性を踏まえ、教材として具備すべき要件に留意しつつ、民間発行者の創意工夫を生かすとともに、バランスのとれた多様な教科書を認めるという基本的な観点に立ち、教科書検定の具体化に取り組む必要がある。また、学習指導要領の改訂においては、教科書の著作・編集や検定の実施を念頭に、これまでよりも目標や内容、内容の取扱い等について具体的に示すなどの配慮が求められる。


 ここでも具体的なことは何も決まっていないわけですが、「特性を踏まえ」るべきモデルとして、「心のノート」を引き継いだ「私たちの道徳」(中学校用。小学校編は「わたしたちの道徳」で、1~2年用、3~4年用、5~6年用の三つに分かれている)が現にあります。ここから推測されることを述べますと。
 『私たちの道徳 中学校』は、短いもので一行のいわゆる箴言(スピノザや魯迅、なぜか井上ひさし、などの有名人の著作から抜粋したもの)、長くて8頁の「読みもの」(既存の文科省編著の文集から選ばれたものが多い)などで構成された文集です。章立てと頁数は、「1 自分を見つめ伸ばして」38頁「2 人と支え合って」50頁「3 生命を輝かせて」36頁「4 社会に生きる一員として」106頁。【因みに、今もなお話題になる「愛国心」が扱われているのは「4」中の「(9)国を愛し、伝統の継承と文化の創造を」で、全8頁。それも写真や表、それに生徒に書き込ませるところが大部分で、文章は末尾のコラム「人物探訪」を含めても半分にも足りません。】
 「2」と「4」はすぐに分かるように直結した主題を扱っています。そしてこの、広い意味の「社会性」に関する部分が全体の約66パーセント、つまり三分の二を占めていることからも、どの面の「特性の涵養」が主に目指されているかは明らかです。因みに『わたしたちの道徳』も、(息子が持っているものなどから)管見の限りでは、同じような構成です。
 このこと自体は妥当だと言えるでしょう。学校とは、今日、家庭の外に出た子どもが行くべき第一の場所であり、子どもの社会化を促すところに第一の機能があると考えられるからです。そして人間とは、「人と支え合って、社会の一員として生きる」者であることに、間違いはありません。間違いがなさすぎるので、ことさらに、教科として、児童生徒に伝える意味は本当にあるのか、と思えてこないでしょうか。
 例えば、「2」の章末には、茨木のり子の「知命」という詩が置かれています。最後の二連は、「ある日 卒然と悟らされる/もしかしたら たぶんそう/沢山のやさしい手が添えられたのだ」「一人で処理してきたと思っている/わたくしの幾つかの結節点にも/今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで」。人間が生きていくうえでどうしても避けられないゴタゴタ、たいていは些末で、わざわざ言挙げするのも憚られるようなものではあるのですが、けっこうストレスになり消耗する、そういう問題を、人は、(たいていは)やり過ごすことも含めて、自分一人で処理してきた、と思いがちです。しかし実際は、つい見過ごしてしまうほどのさりげなさで、優しい他人の手が差し出されていた、それに気づいた、ということです。
 大事な気づきです。ただ教材としてこれを見た場合に少し気になるのは、この詩の前のほうでは、他の人がやってきて、こんがらがってほどけなくなった糸の束をなんとかしてくれ、と言うので、「(前略)仕方なく手伝う もそもそと/生きてるよしみに/こういうのが生きてるってことの/おおよそか それにしてもあんまりな」「まきこまれ/ふりまわされ/くたびれはてて」で、前出の二連に続くのです。糸がほどけないならいっそ断ち切ってしまえばいい、と言ってもそれもならず、一応ほどく手伝いをしてみる、結果こちらもけっこう消耗する、そういうのが人生か、あんまりだ。しかし気づいてみれば自分だって……というわけで、中年以上まで生き延びた人間が抱きがちな、人生に対する苦い思いが背景としてあるわけです。この部分も中学生に伝えるんですか?
 それは、中学生といえども、人間関係のゴタゴタで苦しむことは少なくありません。こんがらがって容易に解きほぐせない、といって一思いに切り捨てる勇気もなかなか持てない、というような。でも、「それがつまり人生だ」と、教えられますか? 経験が乏しい、殊に今現在苦しみの最中にいる者には、「たくさんのやさしい手」に気づくのは容易ではありません、という以上に、「それにしてもあんまりな」と、いい大人でもつい愚痴をこぼしたくなる人生の実相を、少なくともその一面を、伝えられるか、ということなんです。できるとしても、やったほうがいいと思いますか? 
 私同様、多くの人が、それには二の足を踏むでしょう。そして、「人と人の支え合いの大切さ」のみを言うことになると思います。しかしそれでは、この詩の味わいは半分以下に減ってしまいます。
 ついでながら、茨木のり子でもう一つ。彼女の最も有名な詩は、国語の教科書にはよく取り上げられることもあって、「わたしが一番きれいだったとき」ですね。この詩は反戦詩ということになっているようですが、それは少し違うんじゃないかなあと思います。六連目には戦後のことが言われているんです。「わたしが一番きれいだったとき/ラジオからはジャズが溢れた/禁煙を破ったときのようにくらくらしながら/わたしは異国の甘い音楽をむさぼった」と。だから戦争が終わってよかった、という話ではありません。続く七連目は、「わたしが一番きれいだったとき/わたしはとてもふしあわせ/わたしはとてもとんちんかん/わたしはめっぽうさびしかった」でして、彼女のふしあわせでとんちんかんでさびしい状態は、戦後も続いたと見るのが妥当です。だいたい、戦争でおしゃれも恋もちゃんとできなかった、そして「わたしの頭はからっぽで/わたしの心はかたくなで」あったから、戦争はいけないんだ、なんぞというと、別の詩では「駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/わずかに光る尊厳の放棄」「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」(「自分の感受性くらい」)と歌っている茨木さんから怒られるんじゃないですか?
 要するにこの詩では、いついかなる時代であっても、総体としての他者である世の中・社会に違和感を抱きがちな、自意識と呼ばれる、感性のあり方が表現されているのです。それでも、というかむしろそれだからこそ、他者との関わり・支え合いは大切だ、とは言えます。言えますけど、そう言われたからといって「生きづらさ」が消え去るわけでもありません。
 というようなことがらは、文学の領分であって、だから国語の教材にはなっても、道徳では使えない、と普通は感じられるのでしょう。教訓になりませんものね。これ、「道徳の壁」と言うべきものです。つまり、道徳的な訓話・お説教というものは、正しいことは知ってはいてもなかなかそうは生きられない、もっと言えば、正しいだけでは生きられない、人間の根源的な弱さ、そこから来る苦しみと悲しみを捨象するからこそ、完璧に正しくなるのです。そんなの、いわば「ただ正しいだけ」であって、無意味以上に、苛立たしいだけだ、と私は思います。それはお前のようなひねくれ者だけで、道徳的な教訓に素直に感動できる人もいるんだ、と言われるかもしれません。でも、それほど素直な人には、殊更道徳なんて教える必要は最初からないんじゃないですか?
 道徳の正式な教科書ができるのはこれからですから、この「道徳の壁」があってもなお、各社の「創意工夫」で、多少は面白いものも出てくる可能性までは否定できません。それは今後のお楽しみとして、現時点での私からの希望を言いますと、有名人からの片言隻句を並べるのは控えたほうがいいんではないか、と。まあ、「ゲーテ曰く」式のことは、私もついやってしまいがちではありますけど、やり過ぎるのはねえ。作品(詩)の全体が載っている茨木のり子だって、つまみ食いになるだろうと予想されるんです。まして、スピノザとか、ハイデッカーとか。彼らの思想総体から切り取られて、そこらのおじさんでも言いそうな箴言にしたものを陳列するなんて、大思想家に対して失礼だし、愚かな権威主義にしか見えないんじゃないですか。それなら、黙っていたほうがまだしも道徳的だと思います。

(3)評価。これこそ問題中の問題です。「2 道徳に係る教育課程の改善方策」中の「(6)一人一人のよさを伸ばし、成長を促すための評価を充実する」より。

 道徳教育における評価は、指導を通じて表れる児童生徒の道徳性の変容を、指導のねらいや内容に即して把握するものである。このことを通じて、児童生徒が自らの成長を実感し、学習意欲を高め、道徳性の向上につなげていくとともに、評価を踏まえ、教員が道徳教育に関する目標や計画、指導方法の改善・充実に取り組むことが期待される。
 現行学習指導要領においては、道徳教育の評価について、「児童の道徳性については、常にその実態を把握して指導に生かすよう努める必要がある。ただし、道徳の時間に関して数値などによる評価は行わないものとする。」(小学校学習指導要領。中学校学習指導要領においても同旨。)とされている。
 また、指導要録は、児童生徒の学籍並びに指導の過程及び結果の要約を記録し、その後の指導及び外部に対する証明等に役立たせるための原簿であり、文部科学省が示した参考様式をもとに、学校の設置者が様式を定めているものである。
 現在の参考様式の「指導に関する記録」には、道徳の時間の記録欄が示されていない。一方、各教科、道徳、外国語活動(小学校)、総合的な学習の時間、特別活動やその他学校生活全体にわたって認められる児童生徒の行動については、「行動の記録」欄が設けられている。同欄については、学習指導要領の総則及び道徳の目標や内容、行動の記録の評価項目及びその趣旨を参考にして、設置者が項目を適切に設定するとともに、各学校が自らの教育目標に沿って項目を追加できるようになっており、各項目の趣旨に照らして十分に満足できる状況にあると判断される場合に、○印を記入することとされている。
①評価に当たっての基本的な考え方について
 道徳性の評価の基盤には、教員と児童生徒との人格的な触れ合いによる共感的な理解が存在することが重要である。その上で、児童生徒の成長を見守り、努力を認めたり、励ましたりすることによって、児童生徒が自らの成長を実感し、更に意欲的に取り組もうとするきっかけとなるような評価を目指すべきと考える。
 なお、道徳性は、極めて多様な児童生徒の人格全体に関わるものであることから、個人内の成長の過程を重視すべきであって、「特別の教科 道徳」(仮称)について、指導要録等に示す評価として、数値などによる評価は導入すべきではない。
 道徳性の評価に当たっては、指導のねらいや内容に照らし、児童生徒の学習状況を把握するために、児童生徒の作文やノート、質問紙、発言や行動の観察、面接など、様々な方法で資料等を収集することになる。その上で、例えば、指導のねらいに即した観点による評価、学習活動における表現や態度などの観察による評価(「パフォーマンス評価」など)、学習の過程や成果などの記録の積み上げによる評価(「ポートフォリオ評価」など)のほか、児童生徒の自己評価など多種多様な方法の中から適切な方法を用いて評価を行い、課題を明確にして指導の充実を図ることが望まれる。


 「①評価にあたっての基本的な考え方」の前は、戦後から現在まで道徳(的なものを含む)が記録としてはどう扱われてきたか略記した部分です。後の叙述に便利なので挙げました。先に①のほうを見ましょう。簡単に書いてありますが、ずいぶん無理な、矛盾を含んだ「基本」もあったものだと、感心してしまいます。
 因みに、これに先行する文書としては、文科省のサイトで「資料2 道徳教育の評価について」というのが閲覧できます。中教審の中の道徳教育専門部会(第6回、平成26年6月19日)の配付資料で、それまでに出た意見を集約したもののようです。「これまでの主な指摘事項」の最初は以下です。

 数値による評価を行うことは不適切であり、この考え方は引き続き維持すべき。児童生徒の内面そのものを評価の対象としたり、入学者選抜等の他の判断の基礎としたりすることについても厳に慎むべき。

 まことにごもっとも。しかしこれでは道徳の評価はできません(だから、やるな、というのが私の考えであるわけです)。「君は~の面でとても成長した」などと言えば、内面を、即ちいわゆる人物・人格を評価したことになってしまうでしょう。もっとも、「内面」に「そのもの」がついているところがミソかも知れませんが。
 ともかく、道徳を教科化するのはもう決まったことである。ならば、内面を評価するのはやむを得ない。しかし、数値化はしない。A君は人物評価はAである、B君はそれより劣るBである、なんてことがしたいわけではない。記述式で、即ち文章で、その生徒の「努力を認めたり、励ましたりする」ようなものにする。そのへんを落としどころにしたいようですが、さて、どうでしょうか。
 まず、評価とは何なのか。今の学校では、道徳以外でも、「観点別評価」なんて有害無益なものがありますので、これについては稿を改めて詳述したいと思います。簡単に言いますと、飲み会や井戸端会議での無責任な「評判」ではない、公的な機関がやるに相応しいちゃんとした評価はどういうものでしょうか。私見では、不完全な人間には所詮不完全な評価しかできないので、むしろそれはちゃんと心得た上で、せめて「何を、どういう方法で評価するのか」の基準が明らかになっていることをもって、「ちゃんとしている」とするべきでしょう。
 学校が昔からやっている普通教科の評価、いわゆる成績は、国語なら国語、数学なら数学という限られた分野で、全生徒に同じ条件でテスト(いわゆる客観テスト)をして、その結果をおおもととする、というところに客観性が備わっています。それがナンボのもんじゃい、と言われるなら、いかにも、大したことはないかも知れません(だからこそよい、とまでは言えなくても、大きな問題にはならずにすんでいるのです)。ともかく、発問は適正であったかどうか、本当に全員公平な状態でテストが実施されたか、やろうと思えば後から検討できます。公正性とは、つまりそんなものです。
 「特別な教科 道徳」ではそんなの必要ないんだ、と言いたげですね。何しろ、他人との比較が問題なわけではないんだから、と。そうはいかんでしょう。どういうのが道徳的に好ましい人間なのかのイメージ(「期待される人間像」ですな)と、子どもはそこに向かってどのように成長していくべきなのか、教える側にある程度の共通了解がなければ、一年かそれ以上にわたって子どもを教導するなんて、できない道理です。この了解が、そのまま評価基準になります。
 候補としては、発達心理学による年齢ごとの発達段階、及び発達課題というものがあります。私は、個人的な経験から、その科学的客観的な妥当性を疑う者ですが、しかしよく知られているんですから、一応の有用性はあるんだ、としましょう。また、「心のノート」は実際には河合隼雄門下の心理学者たちの編著とのことなので、「特別な教科 道徳」には臨床心理学がいくらかは入り込んでくるんだろうと予想されます(因みに、「共感的な理解」というのは元来はカウンセリングの用語です)。しかし、前面には出ないでしょう。DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル)などを応用した発達段階のチェック表などはもういくつか出ていますが、そこでは当然、精神疾患・発達障害、とまでは言わなくても、「発達課題をちゃんと果たし終えていない」というようなマイナス評価はあり得るのです。
 客観的な評価基準とはそういうものです。具体的な誰それとの比較はしなくても、発達心理学だったら、例えば、この年齢の子どもならこの程度の社会性は身についているはずといった、それこそ基準を統計的に割り出した上で、テストを使ってそれと比較して、「この子は発達の遅れが見られる」との診断(≒評価)を出すわけです。
 それがない、ということなら、どれだけ資料を積み重ねようと、どれほど精緻に観察しようと、出て来るのは恣意的な評価、としか言いようがなくなります。それでも、ないことにするんでしょうね。何しろ、必ずほめなくてはならないようですから、そうせざるを得ません。例えば「他人に対する思いやり」でも、それがどの程度にあるのか、客観的に測る基準があったとしたら、「他の子よりは足りない子」が出てきてしまいますんで。いろんな資料を用意したり子どもを細かく観察する教員の、膨大な手間は今は度外視するとしても、なんという奇妙なことをやらせようとするのか、思いやっていただくことはできないもんでしょうかね。

 話はこれで終わりません。実は、この妙ちきりんな「評価」に近いことを、学校は今まででもずっとやってきているのです。せっかく文科省が機会を与えてくれたのですから、そこにも光を当てておきましょう。それは前出の中教審答申からの引用文中、「①評価にあたっての基本的な考え方」よりも前の部分に出ている「行動の記録」です。
 「行動の記録」と言っても、すぐにはわからない人が多いでしょう。「基本的生活習慣」「責任感」「協調性」「公正」等々の項目があって、いくつかに○がついていたりするやつです。「そう言えば、通知表の中にそんなのがあったな」と思い出していただけましたか。考えてみたらこれ、「内面の評価」ですわな。私の年代ですと、A・B・Cの三段階で、「数値評価」がなされておりました。実は、中身は現行も同じです。A→B→Cが、○→空欄→×、になって、わかりづらくなっただけです。
 ただし、よくは覚えていないのですが、昔もC評価はほとんどつかなかったと思います。現在、×は慣習として、つけないことになっています。「劣っている」評価はほぼない、ということです。ここでまだしも、学校という公的な機関が「内面の評価」なんてことをやる恐ろしさには、一応の歯止めがかかっていると言えないこともないです。
 それ以上に、これが現在までほとんど問題にならないできたのは、上級学校(中学なら高校、高校なら大学)へ進学するとき、つまり入試の時の資料として、「行動の記録」は、ほとんど使われないからです。主に使われるのは、普通教科に関する五段階または十段階評価、つまり、ごく普通に言う「成績」です。まあごくごく稀には、以前に拙ブログで述べた内申書裁判時のような例外はありますけど。
 それから、学校の、生徒に関する公式記録簿である指導要録には、「行動の記録」欄の下に「所見」とか「備考」とかいう欄がありまして、ここは文章で、例えば、「本人は三年間野球部に所属してチームのために貢献し、クラスでは環境美化委員としてよく義務を果たして」云々などと書きます。これまた、原則として、悪いことは書きません。茨城県では、「他の生徒との比較ではなく、本人の長所を見つけて」書くように、というような上からのお達しまで現にあります。
 これに基づいて内申書(正式には「調査書」。中学校から高校へ送られるものは慣習的にこう呼ばれている)の「所見」あるいは「備考」も書かれることになっておりますので、当然ながら、特例を除き、本人の不利になるようなことは書かれません。すると、入試という、選抜試験の材料としてはほとんど使われません。それはそうでしょう。「他人との比較」は度外視して書かれたはずの記録を、全受験者分なんらかのやり方で比較したうえで、合格者と不合格者に振り分ける材料にするなんて、あからさまな矛盾ですから。で、これも誰も気にしない、とは言い切れない、受験シーンではみんなナーバスになるんで、内申書に何が書かれているか、気がかりにもなるでしょう。が、それが過ぎたらすぐに忘れます。その程度のものです。
 道徳の評価もその程度のものなら、指導要録に記入欄ができ、通知表で児童生徒や保護者にも伝えられ、さらに調査書で上級学校(中学なら高校、高校なら大学)にも知らされるとしても、ほとんど問題にならないでしょう。「行動の記録」及び記述式の欄が今のままで、その上に道徳の「評価」の記述があっても(これもどうなるか、現段階ではまだ決まっていません)、それを書く教師の手間が増えるだけで、ほとんど誰も気にしない、ということです。
 本当はみんな知っているように、学校でやることの社会的な効用は、九割以上、上の学校への受験にどれくらい関わるか、によってが決まるんです。関わりが少ないものについては、まず保護者があまり気にしない。それなら、児童生徒も気にしなくなる。すると、教師も、たいていは、そんなに気にしてはいられなくなります。学校もまた、現実の需要によって最も動かされるのですから。今まで教科ではなかった道徳が、あまりきちんと取り組まれなかった理由はつまりこれです。教科になってからでも、「入学者選抜等の他の判断の基礎としたりする」ことはない、と明言したりしたら(それは潔くて立派だな、とは思いますけど)、いったいなんのためにこんなものがあるのか、誰にもわからない、なんてことにすらなりかねません。
 道徳教育を推進しようとする側にとっては、これは当然面白くないでしょう。どうすればいいのか。手っ取り早いやり方は、上で述べたことから自然に浮かんでくるでしょう。「資料2 道徳教育の評価について」にあった指摘とは真逆に、入試で使わせることです。
 さすがにそれはない、と信じたいですねえ。道徳の授業をちゃんとやって評価がよくなると、いい高校・大学へ行きやすくなる。だからちゃんとやる、なんてことが道徳的と言えますか? こんなところにつながりがちなので、私は制度(この場合具体的には学校制度)が道徳に直接関わろうとするのはやめるべきだと考えるのです。関わること自体が不道徳的だとさえ言えるんじゃないか、と。
 実際問題としては、現在、ちょっと危ないかな、と思える方向は、道徳教育からは別の場所から出てきています。大学入試を「人物(評価)重視」に改めるという、一部では話題になっているアレです。ただ、マスコミの報道とは違い、政府側の、中教審などから出てきている文書には、この言葉はほとんど見当たりません。具体的な改革の方針としてまとまったものだと、教育再生実行会議が平成25年10月31日に出した「高等学校教育と大学教育との接続・大学入学者選抜の在り方について」(第四次提言)中の次の文が端的に伝えています。

○ 各大学は、学力水準の達成度の判定を行うとともに、面接(意見発表、集団討論等)、論文、高等学校の推薦書、生徒が能動的・主体的に取り組んだ多様な活動(生徒会活動、部活動、インターンシップ、ボランティア、海外留学、文化・芸術活動やスポーツ活動、大学や地域と連携した活動等)、大学入学後の学修計画案を評価するなど、アドミッションポリシーに基づき、多様な方法による入学者選抜を実施し、これらの丁寧な選抜による入学者割合の大幅な増加を図る。その際、企業人など学外の人材による面接を加えることなども検討する。

 一言で言えばAO入試を拡大しろ、ということです。その際、様々な記録(ポートフォリオ)やら面接(パフォーマンス)から受験生の人物(でしょう?)を評価すべきなんだと。ところで、同じようなことを、道徳の評価についても言われていたのです。それが記録され、調査書にも記載される。それでいて入試選抜の材料に使わない理由なんて、ありますか?
 で、使う、それもかなり大きな比重で、となった日には、前述の問題の他に、その評価の適正さはしばしば疑問視されることにもなるでしょう。数値ではない、基準もはっきりしない評価には、いかようにも文句をつけられますから、評価者である教員がよほどうまくやらない限り、収拾がつかない事態になることだってあり得ます。そうなったほうが面白いかもな、それで初めてみんな、この種の「評価」の危うさを意識するだろうから、なんて気分にもついなってしまいがちな私です。
 しかしそれにしても。道徳教育からは少し離れますが、この種の入試改革案は、一昔前からずっと続いてきていて、今までに何をもたらしたのでしょう。AO入試は、低偏差値大学では、学力にも「人物」にもほとんど関係なく、経営の見地から、学生を早い段階で集める「青田刈り」の手段と化しています。現在の教育再生会議の座長は早稲田大学の総長(因みに中教審の会長は元慶応義塾塾長)ですが、自分とこのAO入試ではどういう成果があったのか。重要な参考になると思うのに、なんで資料を出さないんでしょう。
 単に事務的な話でも、例えば面接なんて本当にやるつもりでいるんでしょうか。早稲田大学法学部には六千人からの受験者がいます。本当を言えば、調査書だってそんなにちゃんと見ているとは思えません。全員を面接するとしたら、一日に百人やるとして六十日、つまり二か月かかります。たぶん、ペーパーテストや書類審査で定員の倍ぐらいにしぼってから実施する、なんて考えているのかも知れませんが、それでも定員は約七百人ですから、千四百人は面接することになります。外部の人の手を借りるにしても、複数の面接官、それも全受験者を見ているわけではない(一人で千四百人には会えませんよね)人々の間の、採点基準の統一を「丁寧に」図ることはできるのか。【実際は、定員のせいぜい一割ほどを別枠にして、それも調査書の評定平均が5段階で4.5以上とかの受験資格を設けて絞り込んだうえで、この別枠受験者にだけは面接をする、ということになるでしょう。これなら、二百人以内で済みそうです。今のAO入試もこんなもんですが、名前だけ変えたりしましてね。肝心なのは、実質的には、大した変りはない、変えることはできない、というところです。】
 まあ、私などには余計な心配でしかありませんが、どうも余計な苦労を自ら招いているように思えてなりません。、
 最後に、この第四次提言で、唯一「人物評価」という言葉が出ているところを紹介しましょう。

 国は、メリハリある財政支援により、以上の取組を行う大学を積極的に支援する。国及び大学は、大学入学者選抜の改革について、その成果を検証し、継続的な改善に取り組む。公務員の採用においては、特に平成14年度以降、人物評価の重視に向けた見直しが図られてきており、引き続き能力・適性等の多面的・総合的な評価による多様な人材の採用が行われることが期待される。

 人物評価重視は、直接には公務員採用について言われているわけです。それで、その結果、平成14年度以降になった人は、みんな立派な公務員なんでしょうか? 出し惜しみせずに、資料を見せてくださいよ。
 それからまた、「メリハリある財政支援」とは、先ほどの入試会改革を積極的にやる大学には予算・補助金を多く与えよう、ということですね。「金をやるから、言う通りにしろ」と。お上の諮問機関も、ずいぶん道徳的なことを言うもんなんだなあ、と思わざるを得ません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道徳教育という不道徳 その1(教科化まで)

2015年06月26日 | 教育


 去る6月14日、しょ~と・ぴ~すの会(「日曜会」の一部)で発表したものに、その折の参加者のお話や、そこからさらに思いついたことを基に大幅に加筆して、今後2~3回にわたって当ブログに載せます。

 由紀草一と申します。茨城県の高等学校で、最後の頃は主に定時制だったのですが、普通のいわゆる全日制を含めて三十二年間教員をやりまして、この三月に定年を迎えました。しかし、再任用という制度のおかげで、いまだにほぼ普通の教員生活を続けております。そんな私が、道徳教育について、思うところを述べて、皆様のご批判を仰ぎたいと思います。
 話の根幹を短く言うとこうです。教育、今の場合は学校教育に限定しますが、これは公権力の一部である。それが証拠に、小中学校に子どもを通わせない保護者には罰則が設けられています(学校教育法第百四十四条)。もっとも実際にこれが適用されて罰金を取られた人がいるのかどうか、知らないのですが、ともかく規定があるということは、学校に子どもを通わせることは公権力の意志であるということを示しています。そうであれば、この教育とは押しつけである。それはごく当然というだけなのですが、権力の適用範囲は、つまり何をどの程度に押し付けていいかについては、限定されねばならない。無制限の権力ほど恐ろしいものはない、というのは人類が長年の間に培ってきた知恵であるはずなのです。特に個々人の内面に土足で踏み込むようなまねは慎まねばならない。
 と言っても、教育となりますと、厳密にはそれは難しい。知識技能だけを教えろ、という主張には賛成しますが、知識技能には必ず価値観が伴うのです。早い話が、英語や数学を学校で教える、だから、英語や数学のできる人間が世の中で有用になっている、わけはありませんが、人生の早いうちからこの価値観を知らしめる働きを学校はしている。それから、国際性がどうたらで、最近小学校でも英語が教えられるようになった。国際的、と言いますか、日本の外でも活躍できる人間のほうが価値が高い、とすれば、理の当然として、英語が使えるほうが価値が高い。そんな雰囲気は、日本人の欧米コンプレックスと相俟ってかなり昔からこの国にはあり、その片棒をもっとしっかり担げ、と叱咤されているのが学校であるわけです。
 その他、社会での有用性という意味での価値観は、学校での教育活動から切り離すことなどできません。「学校でやったことなど、実社会では役に立たない」という言い方は、昔けっこう聞きましたが、これが悪口であるとしたら、「学校でやることは社会で役に立つべきだ」という思いが社会の側にあることになる。古文・漢文などの、いわゆる古典的な教養はどうかと言うと、これは西洋のリベラル・アーツに由来する「教養人」(man of culture)、その尻尾みたいなものです。なんの役に立つのかはわからないけれど、それだけに際立つ高級感を身に纏うことの価値は、近年だいぶ落ち込んでいるとはいえ、完全に否定しきれるものではありません。だからここでも学校は社会の価値観と全く関係のないことをやっているわけではない。やれるわけはないんですね、少なくとも、税金で運営されている公立学校が。
 それで、「人格」(character)と呼ばれるものに直接関わる道徳性の養成も学校で考えてもいいんではないか、さらには、やるべきではないか、という要請も出てきがちなんですが。しかし、これはやっぱり非常に危険なことである。人間に道徳性を直接植えつけられる、植えつけるべきだ、という考えは、どうやら、人間性の奥深さに関する畏敬の念を欠いている。その意味で、最も不道徳なものになる可能性がある。今回私が一番強調したいのはこれです。

 まず、戦後教育における道徳教育要請の歴史のうち、主に平成になってからを大雑把に振り返って、今度出てきた「道徳の教科化」の特徴について、考えてみたいと思います。里程標としては、政府側の文書が、すべてネット上に公開されていることもあって、便利でもあれば重要でもありますので、それを年代順に並べて、省察を付け加えていきます。

(1)昭和33年の、小中学校の学習指導要領改訂
 第三章に「道徳,特別教育活動および学校行事等」というのが入りました。これでわかるように、道徳はいわゆる特活(部活動、生徒会、ホームルームなど)や学校行事と同じ範疇に入っていて、週に一時間、基本的にHR担任が行い、成績などはつけないことになりました。この路線は基本的には今日までずっと続いています。内容面もそうです。このとき「道徳の目標」とされたものを以下に挙げますと、

1 日常生活の基本的な行動様式を理解し,これを身につけるように導く。
2 道徳的心情を高め,正邪善悪を判断する能力を養うように導く。
3 個性の伸長を助け,創造的な生活態度を確立するように導く。
4 民主的な国家・社会の成員として必要な道徳的態度と実践的意欲を高めるように導く。

 
 これと、現行のひとつ前の旧学習指導要領平成10年度版を比較してみてください。最初の「総則」第1の2に道徳について詳しく書かれています。

 道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め,進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。
 道徳教育を進めるに当たっては,教師と児童及び児童相互の人間関係を深めるとともに,家庭や地域社会との連携を図りながら,ボランティア活動や自然体験活動などの豊かな体験を通して児童の内面に根ざした道徳性の育成が図られるよう配慮しなければならない。


 前段が「目標」ということになるのでしょうが、文言と配列を替えただけで、中身は前といっしょです。例えば「人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念」というのは、前者の2の「道徳的心情」をより具体的に(それでも十分に抽象的ですが)したものだ、と見ることができるでしょう。戦後社会でどこからも文句の来ない道徳の目標となると、結局こんなもんだということですね。
 後段は道徳教育の方法に関するところなんですが、①教師と児童(中学校では生徒)及び児童相互の人間関係を深める②家庭や地域社会との連携を図る③ボランティア活動や自然体験活動などの豊かな体験をさせる、などを通じて、道徳心を育成しろ、と。ただ、その中身は学校任せです。「自然体験学習」なんてのは、林間学校とか臨海学校の形で、昔から多くの学校で実施してきたことなんですから、それでいいなら、なんの問題もありません。
 これに対して、もっと積極的に道徳教育を推進すべきだという動きも当然ありました。京都学派の哲学者高坂正顕が執筆し、昭和41年中央教育審議会(以下、中教審)が「後期中等教育の拡充整備についての答申」の「別記」として出された文書「期待される人間像」はけっこう有名です。しかし古いことは措くとしまして、

(2)平成12年、小渕内閣が組織した教育改革国民会議(以下、国民会議)が、最終報告として、森内閣に提出した「教育を変える十七の提案」
 この中に、「学校は道徳を教えることをためらわない」という項目があり、中身は以下の通りです。

 学校は、子どもの社会的自立を促す場であり、社会性の育成を重視し、自由と規律のバランスの回復を図ることが重要である。また、善悪をわきまえる感覚が、常に知育に優先して存在することを忘れてはならない。人間は先人から学びつつ、自らの多様な体験からも学ぶことが必要である。少子化、核家族時代における自我形成、社会性の育成のために、体験活動を通じた教育が必要である。

 「自由と規律のバランスの回復」ですから、今はバランスを欠いているんだ、という認識ですね。「自由の履き違え」なんて言い方もよくありましたし、今もあります。要するに、若者はあんまり勝手気まますぎるんじゃないか、という「大人」の思いは、中教審より、首相の私的諮問機関である国民会議や後出の再生会議などのほうが、ストレートに出てくるものですね。
 しかしそれより、この後に関連した「提言」が四つ並ぶ、最初のものがもっとすごいのです。

 小学校に「道徳」、中学校に「人間科」、高校に「人生科」などの教科を設け、専門の教師や人生経験豊かな社会人が教えられるようにする。そこでは、死とは何か、生とは何かを含め、人間として生きていく上での基本の型を教え、自らの人生を切り拓く高い精神と志を持たせる。

 すごい、というのは、「死とは何か、生とは何か」なんぞという最も根源的な問の一つを学校で直接扱わせようとしているところが、です。ここまで野心的な提言は、現在までそんなにはありません。
 ただ、この副産物と考えていいものなら平成14年に出ています。文科省が「補助教材」として作成し、全国の小中学校に配布した「心のノート」。これのためにこの年だけで七億三千万円使われています。そんな金をかけて、実際はどれくらい使われているものか、国会でも質問されたので、文科省は翌15年に各教育委員会を対象に利用状況を調査しました。これは結局「利用しろ」と圧力をかけているのと同じです。使用率は小学校で97%、中学校で90%に及んだそうで(『朝日新聞』平成15年9月22日)。しかし、「使用」とは言っても、仄聞の限りでは、道徳の最初の時間に生徒に配布して、それで終わり、という小中学校も多かったようです。もちろん、補助教材ならどう使おうが、そもそも全然使わなくても、完全に学校・教員の自由なはずなので、それでもなんの問題もありません。逆になんらかの形で使用を強制するとしたら、韓国や中国じゃあるまいし、実質的な国定教科書か、という疑問が出てきます。

(3)平成18年、第一次安倍内閣による教育基本法改定
 今日まで直接つながる、理念としての道徳に関するもっとも重要な措置でしょう。
 旧基本法の第二条「教育の方針」は、

 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

 これが、次のように変わったのです。改訂と言うより、条文の新設と言うべきでしょう。項目名も「教育の目標」になりましたし。

一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。


 このように非常に長く詳しく、箇条書きされています。そのすべてが道徳に関することなので、道徳こそ教育の中心と考えられていることは、ここでもわかります。
 中でも、今政府に反対する勢力が問題にしているのは、当然五です。「期待される人間像」のときもそうでしたが、愛国心という言葉がはっきりと登場したことで、日本の右傾化はいよいよ促進される、とか。これがあまり広範囲な共感を呼ばない理由の一つには、「またか」と思われてしまうところにあると思います。そもそも、(1)の、昭和33年の道徳の時間設置時から、日教組などは、これは戦前の修身の復活であり、またあの暗黒の時代にもどろうとする「逆コース」の一部だ、なんて批判してきたのです。それから六十年近くたって、危ないことがわかったのは、むしろ彼らが信奉していた社会主義思想のほうでした。そうでなくても、週に一時間何かやって、戦前型の思想(というのは一体何かも曖昧ですが)が子どもたちの頭に注入されるだろう、なんて、普通の人が心配できるものではないでしょう。
 これを逆から見ると、道徳教育推進派が望むような愛国心などの理念も、週一時間で子ども達の頭に植え付けるのは不可能、ということです。そこはどれくらい自覚されているのか、不明ながら、安倍内閣はより積極的にやろうとはしてきたのです。実際、道徳(あるいは、徳育)の教科化は、この頃から具体的な要請として登場してきました。

(4)安倍首相肝入りの教育政策研究及び提言機関である教育再生会議(以下、再生会議)が、平成19年6月に出した第二次報告「社会総がかりで教育再生を」
 その「Ⅱ 心と体―統一の取れた人間形成を目指す」のうち、最初の二つの提言がそうです(【  】内は、サブタイトル的なもの)

提言1 全ての子供たちに高い規範意識を身につけさせる。【徳育を教科化し、現在の「道徳の時間」よりも指導内容、教材を充実させる】
提言2 様々な体験活動を通じ、子供たちの社会性、感性を養い、視野を広げる。【全ての子供に自然体験(小学校で1週間)、社会体験(中学校で1週間)、奉仕活動(高等学校で必修化)を】


 「提言2」のほうはそれまでと大した変わりはないのですが、「提言1」で、「規範意識」が、前出(2)の、「自由と規律のバランスの回復」より明確に打ち出されたところがミソです。当時は、学校内では「いじめ」が大きな問題としてクローズアップされ、また授業が成立しない「学級崩壊」現象が広く話題になってからかなり経っておりましたから、「子どもたちをもっときちんとさせよう」という要請自体は、割合と支持を集め易かったのだと思います。今でも「道徳教育」と言えば、このへんをイメージする人が多いのではないでしょうか。
 実際、私も、いじめも学級崩壊も、学校で多少は体験しましたので、なんとかできないものか、という気持ちなら、よくわかります。ただし、道徳を科目として実施したら、事態改善の役に立つだろう、などと考える教師は、おそらく一人もいないでしょう。
 それかあらぬか、平成20年に福田内閣に提出された再生会議の最終報告では、「徳育を『教科』として充実させ」云々という文言はありますが、それ以上は踏み込んでおらず、ちょっとトーン・ダウンした感じになっています。実際、この提言は学校現場にはほとんど反映されませんでした。ただ部分的には、都立高校で19年度から奉仕作業が義務化されたり、我が茨城県では全国にさきがけて20年度から高校でホームルームか総合学習の時間に道徳を教えなければならないことになったり、といった変化はもたらしています。

(5)この20年に改定された現学習指導要領
 道徳の教科化は見送られました。
 それには上記以外にいろいろな要因が考えられます。一つには、文科省内部にもこれをいやがる人がいたんじゃないかと推測されることがあります。伊吹文明文科大臣(当時)が平成19年6月5日の参院文部科学委員会で「(道徳について)国がある価値観を持って決めるというような検定教科書的なものをつくるということは、やっぱり非常に難しいんじゃないかなと私は思っておりまして」云々と答弁しているのが一点。
 それから、平成19年2月に組織された第四期中教審の会長には山崎正和がなりました。彼は以前から学校での道徳教育、それに歴史教育も不要、という意見を述べていたのです。会長就任後の4月に、日本記者クラブで講演して、「倫理の根底に届く事柄は学校制度(で教えること)になじまない」云々と発言したことは少し話題になりました。
 私は、このようなものこそまともな感覚だと考える者です。
 それはそうと、このときの指導要領は、「生きる力」というのがサブタイトル扱いになっておりまして、「ゆとり教育」理念の尻尾がまだついていることがわかります。その小学校編、総則第1の2にはこうあります。

 学校における道徳教育は,道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うものであり,道徳の時間はもとより,各教科,外国語活動,総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応じて,児童の発達の段階を考慮して,適切な指導を行わなければならない。
 道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間尊重の精神と生命に対する畏(い)敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し,個性豊かな文化の創造を図るとともに,公共の精神を尊び,民主的な社会及び国家の発展に努め,他国を尊重し,国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓(ひら)く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。
 道徳教育を進めるに当たっては,教師と児童及び児童相互の人間関係を深めるとともに,児童が自己の生き方についての考えを深め,家庭や地域社会との連携を図りながら,集団宿泊活動やボランティア活動,自然体験活動などの豊かな体験を通して児童の内面に根ざした道徳性の育成が図られるよう配慮しなければならない。その際,特に児童が基本的な生活習慣,社会生活上のきまりを身に付け,善悪を判断し,人間としてしてはならないことをしないようにすることなどに配慮しなければならない。


 先の(1)で挙げた旧指導要領を長くしただけじゃないか、と思われるかも知れません。新たに入ったのは、「我が国と郷土を愛し」つまり愛国心ですが、他の中に紛れてあまり目立たなくなっていますね。目立つのは、最後に置かれた「基本的な生活習慣,社会生活上のきまりを身に付け」云々の規範意識で、これが(4)の、再生会議第2次報告の名残と言えるでしょう。

(6)中教審平成26年10月21日答申「道徳教育に係る教育課程の改善等について」
 中教審として戦後初めて道徳の教科化を打ち出しました。またこれによって、道徳の教科化は既定の路線となったようです。
 これが出てくるまでの過程はまたいろいろあるんですが、とりあえず、平成20年に解散した再生会議が福田内閣で「教育再生懇談会」となり、民主党政権になってからはそれも途絶えていたものが、第二次安倍内閣発足に伴って平成25年「教育再生実行会議」として蘇った、その最初の提言「いじめの問題等への対応について」からして道徳の教科化を求めた、それが直接の背景です。

 学校は、未熟な存在として生まれる人間が、師に学び、友と交わることを通じて、自ら正しく判断する能力を養い、命の尊さ、自己や他者の理解、規範意識、思いやり、自主性や責任感などの人間性を構築する場です。
 しかしながら、現在行われている道徳教育は、指導内容や指導方法に関し、学校や教員によって充実度に差があり、所期の目的が十分に果たされていない状況にあります。
 このため、道徳教育の重要性を改めて認識し、その抜本的な充実を図るとともに、新たな枠組みによって教科化し、人間の強さ・弱さを見つめながら、理性によって自らをコントロールし、より良く生きるための基盤となる力を育てることが求められます。


 引用の第二段落、「しかしながら」以下は、「どうも、教科になっていないと、多くの教師は真面目に徳育に取り組まないのではないか」ということを言っているわけです。事実としてはその通りです。しかし、それには、個々の教員の熱意や能力だけでは決して片付かない事情があります。それを無視して、教科としての道徳を、というのは、非常に大きな問題がある。これが私が提出したい第一の論点です。
 さて、次に標記の中教審答申ですが、一読して、何かより奇妙なことになったな、という印象が持たれます。端的には冒頭部の、「1 道徳教育の改善の方向性」の「(1)道徳教育の使命」の部分から。

 なお、道徳教育をめぐっては、児童生徒に特定の価値観を押し付けようとするものではないかなどの批判が一部にある。しかしながら、道徳教育の本来の使命に鑑みれば、特定の価値観を押し付けたり、主体性をもたず言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育が目指す方向の対極にあるものと言わなければならない。むしろ、多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて、誠実にそれらの価値に向き合い、道徳としての問題を考え続ける姿勢こそ道徳教育で養うべき基本的資質であると考えられる。
 もちろん、道徳教育において、児童生徒の発達の段階等を踏まえ、例えば、社会のルールやマナー、人としてしてはならないことなどについてしっかりと身に付けさせることは必要不可欠である。しかし、これらの指導の真の目的は、ルールやマナー等を単に身に付けさせることではなく、そのことを通して道徳性を養うことであり、道徳教育においては、発達の段階も踏まえつつ、こうしたルールやマナー等の意義や役割そのものについても考えを深め、さらには、必要があればそれをよりよいものに変えていく力を育てることをも目指していかなくてはならない。
 また、実生活においては、同じ事象でも立場や状況によって見方が異なったり、複数の道徳的価値が対立し、単一の道徳的価値だけでは判断が困難な状況に遭遇したりすることも多い。このことを前提に、道徳教育においては、人として生きる上で重要な様々な道徳的価値について、児童生徒が発達の段階に応じて学び、理解を深めるとともに、それを基にしながら、それぞれの人生において出会うであろう多様で複雑な具体的事象に対し、一人一人が多角的に考え、判断し、適切に行動するための資質・能力を養うことを目指さなくてはならない。


 道徳とは価値観の押しつけである、という、よくある批判、というか、今教育論議全般が盛んではありませんので、マスコミでよく見かけるというわけではないのですが、東京弁護士会などはしている批判に対する反論から始まっているわけです。学校ってもともと価値観を押しつけるところではないの? 国民会議の言う「学校は道徳を教えることをためらわない」とはそういう意味ではなかったの? という疑問がまず湧いてきます。
 でも、押しつけではないんだ、と。時に対立することもある多様な価値観を前に、「主体的に」道徳の問題を考え続ける姿勢こそ、道徳教育で養うべき資質だ、と言うんですね。
 規範意識は? これを身に着けさせる、というと、普通には有無を言わさず子どもを躾ける、つまり規範を押しつけることだろうとイメージされがちです。でも、そうではなく、ルールやマナー(即ち規範、と考えていいですよね?)の意義や役割をよく考えて、必要なら(誰にとって、ですか?)変えることができるほどの力を育てる……?
 知識の獲得より、自分の頭で考えていく力こそ重大だ、とした「ゆとり教育」を、道徳の分野に応用するとこうなるのでしょうか。これは、普通の教科以上に、やめたほうがいい企てのように思えますが、どうでしょうか。これが、ここで提出したい第二のポイントです。

 本格的に考察する前に、後者に対する軽いジャブを出しておきましょう。「ルールやマナー等の意義や役割そのものについても考えを深める」とは、例えばこういうふうに問い続けることですか? 「朝知り合いに会ったら、『お早う』と挨拶をするの? なぜ?」「年上の人と話をするときには敬語を使わなくちゃいけないの? なぜ?」「人の話を聞くときにはガムを噛みながらではいけないの? なぜ?」「なぜ自動車は道路の左側を、人は右側を通らなくてはいけないの? アメリカでは逆なのに」等々。小学生からこう聞かれたら、教師はちゃんと答えなくてはいけないのでしょうか? あるいは、小学生同士で議論させる。それも、納得させるため、というよりはむしろ、このような問題を考え続けるために? ……やめたほうがよくはないですか?
 より重大な道徳的問題を出してみましょう。ずいぶん以前に、あるTV番組で、中学生が、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と問いかけたら、その場にいた大人たちは誰も答えられなかった、というのが話題になったことがありますね。これを例題として、私が答えを探しますと。
 キリスト教の神様のようなものが信じられている社会なら簡単です。「命は神から授かったもので、他人の命でも自分の命でも、勝手に奪ってはいけない」が、とりあえずの答えになるでしょう。もっとも、ここからさらに、「では、なぜ神様は、全能であるはずなのに、人間を、そういう悪いこともできるように作ったのか」という大問題が生じますが、それはいいでしょう。日本人は、私も含めて、そもそもこういう神様を信じていない人が大部分なんですから。
 これ以外の最有力理由づけ候補は、やっぱり以下でしょう。「さらば凡(すべ)て人に爲(せ)られんと思ふことは、人にも亦(また)その如くせよ」(「マタイ伝」第七章十二節)「己(おのれ)の欲ざる所は人に施すこと勿(なか)れ」(「論語」顔淵二、衛霊公二十三)。イエスと孔子という、文化的背景がまるっきり違う二人の聖人が、肯定的と否定的の表現の違いこそあれ、まず同じことを言っているわけで、これは倫理学の世界では「黄金律」(golden rule)と呼ばれているそうです(マイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう』による)。これを応用すると、こう言える。「あなたは殺されたくないだろう。だから、人を殺してはいけないのだ」。絶対的な価値にしてすべての価値の源泉(たいてい、神と呼ばれる)を持ち出さずに回答するとしたら、これ以外にはないように私には思えますが、どうですか?
 さらにまた、こう言われたらどうですか? 「オレは殺されたっていいんだよ。ただし、あんたを殺してからならね」。これに対して、「あなたは殺されてもいいかも知れないけど、私は殺されたくないんだから、やめて、と答える」と言った人が、現にいます。この場合は、人間は基本的には同じような欲望を抱くものだから、それを根拠として倫理を建てる、という前提は完全に捨てられており、人間の個別性が強調されるわけです。すると、「あなた」の欲望と「わたし」の欲望が対立した場合、どちらを取るか、その基準はあるのか、という問題が立ち上がります……。
 私は、こういうのはとても好きなタチなので、お望みとあれば、同種の「倫理問題」をいくつも考え出してお目にかけましょう。いやまあ当然、私の好みで、学校でやることを決められても困るでしょうから(でも、ある特定の人々の好みによって決められているように感じるのは、僻みですか?)、それは抜きにして、一般的に、上のようなことを、中高生に議論させたいですか?
 やめたほうがよくないですか?
 マイケル・サンデルの「白熱教室」は、なんと言っても、ハーバードのような名門大学で、倫理学に興味を持っている学生を相手にしたもので、90パーセント以上の青少年が来るような場所でやるなんて、無茶な話です。いや、絶対にできない、とは言いませんけど、あなたが、中高生の子を持つ親だったとしたら、こんな話を延々と続けることを喜びますか、ということなんです。
 やめたほうがよくないですか?
 もう一つ、サンデルの場合、自分が提出した問題に対して、あからさまには言わない時でも、いつも答えは用意されているようです。それは多分、教師としては必要なことなのでしょう。私は、答えを知らない、というか、こういうことには究極的な答えはない、つまり、いつでもどこでも誰をも納得させることができる答えはない、あっても人間にはわからない。それが前述した絶対の価値を見失った近代人の宿命であり、また一面では、人間というものの奥深さに直面する通路だとも思っております。こういう人間は、道徳の教師たるに相応しくない、のでしょうか?
 これ自体も、道徳の問題の一部として議論され得ます。今回はそれは措いて、別の角度から上記二つのポイントを検討していくことにしたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもはどこにいるのか その6(最終回)

2013年10月02日 | 教育
メインテキスト:滝川一廣『学校へ行く意味・休む意味 不登校ってなんだろう?』(日本図書センター平成24年)

サブテキスト:広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』(講談社現代新書平成11年)

 日本の学校の現状に至る里程標として昭和49年(1974)は逸することができない年である。この年初めて、高校進学率が全国で90パーセントを超えた。昭和30年(1955)にはそれはほぼ50パーセントだったものが、昭和40年(1965)には70パーセントに達し、それから9年で9割に及んだわけで、このような上昇のスピードは世界でもあまり類がない(年度別の細かい数値については日本統計協会編『日本長期統計総覧 第5巻 新版』の「25-12 就学率及び進学率(昭和23年~平成17年)」参照)。
 この背景としては、戦後日本の産業別労働人口の推移がよく指摘される。「国勢調査eガイド」のグラフを見ると、昭和25年(1950)以来、第二次産業(製造業。イメージとしては工場労働者が代表格)従事者の就業人口に占める割合はほぼ20~35パーセントの間を推移しているが、第一次産業(生産業。農業漁業中心)と第三次産業(広い意味のサービス業。営業・販売職もここに入る)の割合の逆転は顕著である。昭和25年(1950)には第一次産業が48.6パーセント、第三次産業が29.7パーセントであったものが、35年(1960)には第一次32.7パーセント、第三次38.2パーセントと逆転している。その後もこの増減の傾向はずっと続き、平成18年(2006)には第一次4.9パーセントに対して第三次は68.3パーセントに達している。
 このような戦後日本のドラスチックな産業構造の変化の中で学校が果たした役割は見易い。学校の学習の中心、英数国理社に関する学力は、生産・製造業などで、モノを相手にする場合より、人と直接関わる仕事のほうに類縁性が高いと考えられている。
 前々回取り上げた「山びこ学校」でも、「息子を教育したんで、百姓がいやになり、その家はつぶれてしまった」という話が出てくる。これを逆に言うと、百姓、に象徴される生産業がいやだとすれば、高い教育をすべし、ということになり、進学率が押し上げられる、というわけだ。そうではなく、教育を受けても 百姓がいやにならないように生産形態のほうを変えるべきだ、という無着成恭たちの考えはまっとうであっても、現実に日本が歩んだのは、彼が教育を実践していた東北の寒村をますます荒廃させるような道だった。
 学校が全体として日本の産業社会を成立させるために果たした役割はひとまずおいて、こうして高等学校に至るまで学校によって囲い込まれるようになった子どもたちのことをここでは主に考える。
 高校進学率の上昇と、長欠率(学校の長期欠席者数の全生徒数に占める割合)の推移には相関関係があるのを指摘したのは滝川一廣の功績である(P.157)。文部省は、経済上あるいは健康上の問題など以外の、あまり理由が明確でないままに学校を年間50日以上休む児童生徒を「学校ぎらい」と名付けて、昭和41年~平成2年の間学校基本調査で統計をとっている(その後は年間30日以上が指標となり、また平成10年以降は「学校ぎらい」に代わって「不登校」と言われるようになった)。これをもとに国立教育政策研究所がまとめた資料によると長欠率は小中学校合わせて昭和41年度の0.11パーセントから年々減り続けて昭和47年度の0.07パーセントで底を打つ。その後52年度から上昇に転じ、平成10年度の0.89パーセントに到達して、不登校は大きな学校問題と考えられるようになったのである。
 つまり時期的に言うと、高校進学率が目に見えて上昇していた時期には長欠率は下がり、前者が90パーセント超に達してこれ以上は上がる余地があまりなくなった時期から、後者の増加が始まった。
 これはどういうことかと言うと、次のように考えられるだろう。第一次産業従事者の子どもが第二次・第三次合わせた勤め人になることを夢とした時代には、上に述べたような理由で学校へ行く目的は明快であり、そこへ通うことは恩恵であった。また実際、単なるサラリーマンなら多くの人間がなれたから、今に続く学校のスローガン「やればできる」もまんざら嘘ではなかった。
 で、サラリーマンが増えた、となると、それは誰にでも手の届くポジションだと見えるようになった。そういうものは、憧れの対象になどならない。高校進学率が90パーセントに達した昭和50年代には、TVドラマなどで、「将来はサラリーマンになりたい」などと子ども言えば、「夢がないなあ」などと言われるようになっていたのを記憶している人も多いだろう。
 さればとて、農林水産業に夢を持てるものでもない。もっと言えば、会社内の出世やら広い意味のキャリア・アップによって、自分の社会的な重要性が増すという内容の「夢」は、もともと第三次産業に固有のものではなかったか。そういう夢もまた、サラリーマンが社会で普通になるにつれて、誰もが実現できるものではないことも、よく知られるようになり、そうなればやがては子どもにも知られる。
 社会がこの段階に至ると、上の学校まで進学し、そこを卒業してサラリーマンになることは、なんら特別な恩恵だなどとは考えられなくなる。が、そうするしかない。第一次産業従事者がサラリーマンとなることは社会的なステップアップで、逆はステップダウン、このイメージは残っているから。あくまでイメージで、実態が踏まえられているわけではないのだが、イメージこそ現代社会では強力なのである。
 かくして学校は、「いやでも行かねばならぬ場所」になった。それはシェークスピアの時代から変わらないわけだが、現代では「行かねばならない」しばりがきつくなっただけ、「いや」の感情のほうも大きくなり得る。それで、行かなくなれば、現代の「普通」から転落することになる。そういう強固なイメージがある。この恐怖が、親から子どもへと伝わり、不登校は、時に家庭内暴力も伴う、病理現象として現出するようになった。
 もっと別の側面もある。九割以上の子どもが高校まで行くようになった時代には、学校がすべての子どもにとって特別ではなく、ごく普通の、生活の場になる。友だちを得るのも失うのも学校である。友人関係が良好でありさえすれば、学校へ行く意味はともかく、楽しさはあり、おかげさまで今でも九割以上の子どもが不登校にならず、通学している。しかし、一度うまくいかなくなってしまうと。強いストレスを受けながら、行かなきゃ困るよ、と親などに言われるから行っているだけの場所に何ヶ月も行き続け、居続ける強さを、皆が持てるわけではない。
 そのうえ、第三次産業中心の社会では、人間関係こそが決定的に重要だから、それに関する意識が鋭くなる。その意識・感覚は、主にTVを通じて、すぐに子どもの世界にまで浸透する。そうでなくても、大人社会の利害関係から離れた学校内での人間関係では、つきあい上の人物評価(どれほどイケてるかイケてないか、面白いか面白くないか、など)が露骨になり、勢い低く評価された場合には非常にキツイものになり得る。そのことは当ブログでかつて「学校のリアルに応じて その2」書いた。

 改めて、学校とはなんなのか。根本的な機能はざっと二つある。
(1)「子ども時代」を制度的に確定し、そのことを通じて「国民」を作る。
(2)大人たちのまねをする自然なまねび=学びではなかなか身につかない「学業」を与え、産業社会を支える。
 後の方についてもう少し詳しく述べよう。この場合、学校という場所で与えられる知識よりもっと重要なのは、体に染みこませる「訓規」のほうである。教育学者は時にこれをヒドゥン・カリキュラム(hidden curriculum、隠れた学業)と呼ぶ。毎日決められた時間に決められた場所へ行き、決められたことをやること。終わりまでの時間も「時間割」によって細分化され、そこに属するものは、それに従って、一斉に動かなければならない。自然の運行に従ってそれこそ自然に身につく仕事や生活のリズムとは別の、人工的な時間。それは工業・商業中心の産業社会を成り立たせるためには必須な前提でもある。
 この二つとも、現在学校を考えるうえでほとんど意識されることはないだろう。それは、国民国家も、産業社会も、あるのが当たり前で、その是非は取り立てて考えられることがないのと同じである。「子ども」とは近代の発明品だというフィリップ・アリエスの主張(『子どもの誕生』)は、様々に批判されていることは知っているが、次のように言えばより妥当になると思う。子どもは、近代になって、教育されるべき存在として改めて、一般的に発見された。
 だから、学校の現在の状況は近代の道筋として当然のものだと言える。また、ではその学校に問題があるとすれば、近代そのものが抱える問題なのであり、近代化に即したような方向では、決して解決も解消もされないだろう、とも。
 それは例えば次のようなところに現れている。明治以来、我が国の学校制度は急速に発達し、定着したのだが、国民一人一人に本当は何をもたらすかは常に疑いの目で見られていたことも本シリーズの「その2」に書いた。実際、上記の二つの機能とも、国民というよりは国家の必要に応じていることはすぐにわかる。にもかかわらず、子ども時代のすべてを学校が占有したような状況になって、学校はある桎梏を抱えるようになった。
 広田照幸は、高校進学率が急速に上昇した1960年代を「学校の黄金期」と呼び、それまでは主に都市部に見られた「教育する家族」が全国に広まり、これも普通になったと述べている。かつて「教育ママ」なる言葉で言われた主婦がいる家庭のことだと思ってよく、ここでは子どもには、学校で成功することが何よりも求められる。成功の証も明確で、偏差値で上位の高校・大学へと進学することである。
 こういう家庭は学校からすればありがたい存在だろうか? そのはずである。もともと、家の手伝いなどより学業を優先するように求めたのは学校ではないか。言わば、家庭は学校の補完物になるように要請していたのではないか。しかしながら、このような家庭は、しばしば、学校こそ家庭の補完物であることを当然のこととして求める。学校は、わが子の「成功」のために全力を上げるべきなのである。たとえ子どものほうがその「成功」の価値に疑問を持ったとしても。というか、そういうときには尚更、子どもを「よい方向」に導くべきではないのか。
 この思いが昂進した者たちが、現在モンスター・ペアレンツと呼ばれている。この対策には、他人事ではなく、私も苦慮することがあるが、もともとは学校の自業自得ではないかとも思える。すべての子どものすべてを囲い込むために、すべての親と子に満足を与えることができるような顔をしてしまったのだから。
 ではどうすればいいのか。簡単な対策などあろうはずはない。ただ、多少なりとも有望な道筋は、「教育」を強化するのではなく、逆に弱めるほうにあるのではないかと思う。今はそれぐらいしか言えないので、今後機会があるたびに考えをすすめていきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもはどこにいるのか その5(内申書裁判・学校の正体を求めて)

2013年08月31日 | 教育
メインテキスト:小中陽太郎『小説 内申書裁判』(光文社昭和55年)

 今回の話題の中心人物は現存の、かなり有名な社会運動家・著作家である。のみならず、最近は政治家として、公人(世田谷区長)となった。名前を伏せる必要は全くないのだが、どうもTVで何度か見たこの人の容貌は、多感な中学生というのとは少しズレる。それはまあ、私にしても、他のどのオヤジでも同様の、当たり前のことに過ぎないのだが。しかし、この話の主役は中学生であることが決定的に重要なのである。それで、申し訳ないことながら、以下では頭文字で登場していただくことにする。

 以下が麹町中内申書裁判、あるいは内申書裁判とのみ(調査書の開示を求めた裁判が他にもあるので、不正確になるが、調査書がらみで最も有名であることにまちがいない)呼ばれているものの概要である。
 昭和四十七(1972)年三月十八日、当時十六歳のHとその両親は、千代田区と東京都に対して、国家賠償法に基づく損害賠償の訴訟を起こした。Hはこの前年東京都千代田区麹町中学校を卒業したが、受験した公私の全日制高校すべてに不合格となっていた。それは、内申書(調査書が正式名称だが、中学校から高校へ送られるものについては、慣習的にこう呼ばれることが多い)の「行動の記録」欄中、「基本的な生活習慣」「公共心」「自省心」の三項目にC評価(ABC三段階中の最低)がつけられ、またとりわけ、在学中の政治活動について、詳細に、また否定的に記載されたためであると考えられた。これは憲法一九条の定める「思想及び良心の自由」、二一条の「表現の自由」、二六条の「教育を受ける権利」に違反したものであり、また、卒業式当日、複数の教員によって取り押さえられ、別室に監禁されて式に出席できなかったのは、体罰を禁じた学校教育法第十一条に違反している、というのが根拠である。
 原告側から見た裁判の結果を記すと、
 五十四年東京地裁判決、勝訴。
 五十八年東京高裁判決、敗訴。
 六十三年最高裁によって上告が棄却され、敗訴が確定。

 次に、「在学中の政治活動について、詳細に、また否定的に記載された」とされるのは、内申書中の「備考欄」の次の文章である。資料によって文言に若干の異同があるが、ここでは小中の本から引用する。
 この生徒は、二年生のときに「麹町中全共闘」を名のり、機関誌「砦」を発行しはじめ、過激な学生運動に参加しはじめる。その後も学校の指導に従わず、他校の生徒と密接な連絡をとり、四十五年八月には、「全関東中学校全共闘連合」を結成した。九月十三日、本校文化祭会場に他校の生徒十数名と共謀して、裏門を乗り越え、ヘルメット、覆面、竹ざおを持って乱入し、ビラをまいたが、麹町署員に逮捕された。その後も過激な政治団体「ML派」と関係をもち、集会・デモにたびたび参加し、学校内においてもいっこうに指導に従う様子がなく現在も手をやいている。

 これだけでよいかと思ったが、最高裁の裁定からでも四半世紀経っている。せっかくHについて、家庭環境から始めて詳しく紹介してくれている小中陽太郎の小説もあることだし、事件についてもう少し細かく説明したほうがよさそうだ。
 まず、時代背景。日本の学生運動が空前の盛り上がりを見せたのは、昭和四十三年(68)だった。東京を中心に全国の大学で紛争が巻き起こった。それが高校・中学にまで波及した例も、少数だが、あった。
 しかしそれも、翌四十四年一月、東大安田講堂の学生による占拠が解除された後は、次第に下火になって、政治上の争点の一つだった日米安保条約が延長されるかどうか決まる年、いわゆる七〇年安保の年である四十五年には、もう闘争(学生運動のうち、過激なもの)も散発的に見られるだけになっていた。それだけに、なんとか活動を継続しようとする学生運動諸派は、いよいよ尖鋭になって、迷走するようになり、もと同じ党派(革共同)に属していた革マル派と中核派は、一般人にはよくわからない路線上の対立から、お互いに襲撃を繰り返す「内ゲバ」に陥った。
 以前は学生運動に同情的なところもあったマスコミや世間も、こうなっては批判一辺倒になる。火焔ビンや鉄パイプを持って、戦闘的な闘争に従事する者たちは、暴力学生と呼ばれ、彼らが属する組織は過激派と呼ばれるようになった。
 Hが麹町中に在籍したのは、まさにこの、四十三~四十五年だった。活動スタイルや言葉遣いが、大学生の運動家たちのコピーだったのは当然であろう。
 まず、二年生の時、クラスの仲間と語らって、『砦の囚人』(後に『砦』)という機関誌を出す。三号目で、禁止される。内容が過激だという理由で。「私はいいと思うけど、うるさいことを言う人がいるのよ」と、このときの担任教師は言ったらしい。それは事実だろうが、中学生の目からは、卑怯な言い逃れに見えた。
 次に、デモや集会に参加する。と、警察に補導され、学校へも通報される。そういう時代だったわけだが、今から見ると少々無理がありそうに感じられる。警察に届けを出してやっているデモや集会は適法だし、飲酒喫煙と違って、中学生はしてはいけない、という法律があるわけでもない。
 しかし、警察から電話があったとき、教師が、例えば、「そうでしたか。でも、警官隊と衝突するような過激なデモじゃないんなら、別にいいんではないですか?」なんて言ったら、きっと呆れられたろう。なんて非常識な教師なんだって。それだけではなく、左翼教師のレッテルを貼られて、今度はその教師が、教育委員会に通報されて、なんらかの処分を喰った可能性だってある。Hには「指導」を加えねば、「職務怠慢」と言われかねない。
 実を言えば、教師にはどちらかと言えば左翼的な考えの持ち主が多い。殊に当時は組合活動も今より盛んだった。政府を批判するデモ・集会に参加したことがあるかどうかはともあれ、それに参加すること自体が悪いと考える教師は、ごく少数であろう。従ってこの場合の指導は、要するに口頭での指導、つまりお説教でしかないのだが、それも非常に煮え切らないものだったようだ。前の担任教師の「言い訳」同様、このような教師の態度は生徒からはだいたいにおいて不信感を持たれる。
 三年生になると、学校に元からあった「社会科研究クラブ」、ここは「地理班」と「歴史班」に分かれていたところへ、新たに「政治経済班」を作ろうとして、禁止される。これ以後、Hの活動は、学校への反発を前面に出したものになっていく。
 裁判でもなぜかきちんと言われなかったようだが、禁止する理由はあるのではないかと思う。公立学校は、特定の思想やイデオロギーに対しては不偏不党であるべきだとされている。例えば、生徒の一部が、「キリスト教研究部」を作って、校内で実質的な布教活動をする、なんてのは普通はダメだろう。
 だから、「お前は政治経済研究会の名で、左翼思想を広める運動をしようとしているのだろう。そういうのは、公立中学校ではダメなんだよ」と言えることは言えるはずだった。しかし、言わなかった。それでHが納得するわけないし。反論として、「学校は、現在の資本主義体制を肯定した内容の勉強をさせているんでしょう? 不偏不党だなんて、欺瞞じゃないですか」なんて、言ったかどうか分からないが、言ったとしたら、それをどう説得するのか、いかにも面倒だ。学校の存立基盤に関連する問題だとも言えるが、中学生のガキ相手にそんなこと真面目に議論してもな、という感覚になったとしても、気持ちとしてはわかる。
 一方Hにすれば、ここでガキ扱いされることに一番腹が立ったろう。可能な限りでの、過激な行動に走るようになる。生徒集会で、発言しようとして、マイクの電源を切られてしまう。文化祭の時、他校の仲間(「全中共闘」なる組織が一応あった)といっしょに、ML派のヘルメット姿で、屋上からビラをまく。「学校に管理された文化祭なんてナンセンスだ」というような内容だ。同じような内容のビラを、はがされてもはがされても、しつこく教室中の壁に貼り続ける。最後にはビラに、「卒業式粉砕」と書かれる。
 こうなると、教師からしたら、こんな生徒の「ため」をも、学校は図らなくちゃならないのか、となる。学校に迷惑ばかりかけている、それも確信犯でやっている奴のために。それでは、学校は成り立たなくなっちゃうよ、という判断は、どうやら、教師より校長よりさらに上から来たらしいが、それが、形として明確に現れたのがあの内申書だった。
 この結果、Hは受験したすべての全日制高校に落ちて、最後に都立高校の定時制に合格した(ただし一年もしないうちに退学している)。このときの内申書には、前述の「備考欄」の文言は変えられていたらしい。その前後、学校のやり方に我慢できなくなったHの父母が、人を介して弁護士に会う。中心になって相談に応じたのが、中川明、仙谷由人(後に民主党代表代行になったあの人)、秋田瑞枝の若手三人だった。彼らはもともと左翼には親近感を持っていたろうし、管理教育にも反対する立場だった。「そんなことをしていると内申書に書くから、高校に入れなくなるぞ」と生徒を脅して、言うことをきかせようとしたり、まして、脅しがきかないとなると本当に書いたりする教師は許せない、とまず思ったろう。
 因みに、「管理教育」なる言葉は、この後の学校批判言説のなかで頻発するようになるが、それはこの事件が最初ではないにしろ、広めるきっかけにはなったのではないかと思われる。
 それから、弁護士のみならず、この裁判を支援したすべての人の中に、根深い感情があったに違いない。つまり、教師は一心に生徒のためを思って、進学については、希望が適えられるように、一所懸命努めるべき者だ。学校が学校であるためには、それは全く疑えないし、疑ってはならないポイントだ、という感情だ。それなのに、逆に、内申書を使って高校進学を妨害するとは、なんというやつらなんだ、許せない、と。

 さてしかし、この許せないやつらをどう罰したらいいのか、これがなかなか難題だった。弁護士たちが一年の間勉強して、たどりついたのは、以下の論理だった。教師たちが、特定の思想・信条の持ち主について、そのことを内申書に書けば、高校に入りづらくなる、と承知の上で書いたのだとすれば、思想・信条、及びそれを表現する自由を阻害し、ひいては教育を受ける権利を侵害する結果になる。
 思想・信条、及び表現の自由に関連する最高裁の判決は次のようになっている。

(原告側の)所論は、教師が教育関係において得た生徒の思想、信条、表現行為及び信仰に関する情報は、調査書に記載することによつて志望高等学校に開示することができないものであるにもかかわらず、この情報の本件調査書の記載を適法とした(高裁の)原判決は、憲法二六条、一三条に違反する旨を主張するのであるが、本件調査書の備考欄等の記載は、上告人の思想、信条そのものの記載でもなく、外部的行為の記載も上告人の思想、信条を了知させ、またそれを評価の対象とするものとはみられないのみならず、その記載に係る行為は、いずれも調査書に記載して入学者の選抜の資料として適法に記載し得るものであるから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、採用できない。

 ここで法律論をやろうとは思わない。ごく普通にみて、備考欄の文から、Hがどのような思想・心情の持主であるか「了知」することは難しくはないのではないかと思う。「マルクス・レーニン主義に共感し」などとは書いてないので、いいわけか(ML派のMLとは、マルクス・レーニンの頭文字なんだがね…)。それにしても、「(思想・信条を)評価の対象とするものとはみられない」一方で、「入学者の選抜の資料として適法に記載し得る」とはどういうことか。「選抜の資料」とするなら、即ち「評価の対象」にする、ということではないのか。
 たぶんこのへんでは、最高裁も世間一般にありふれている「評価」や「選抜」をめぐる混乱を引き継いでいるのだろう。高校入試では、内申書もまた点数化されて、ペーパーテストの点数と合わせて選抜の材料とされることは、特例を除いて普通である。しかしそれも、教科の成績評価(5段階か、10段階評価が多い)を中心に、あとは「行動の記録」のA~C評価など、あらかじめ点数化されているものが使われる。「備考欄」の文言については、生徒会本部役員なら何点とか、部活動の全国大会なら何点、などと、各学校の裁量で決める場合はあっても、さほど大きな部分を占めるわけではない。それ以外の、「~を熱心に行った」とか「~で活躍した」などの文は、だいたい点数化のしようがないものであって、その意味では「評価の対象」になるとは言えない。
 ただし、そのような選考とは別の次元で、高校も大学も「この受験生は本校の生徒には相応しくない」と判断することはあり得る。どの程度にまでその判断に従って受験生を篩い落とすことができるのかはけっこう難しい問題ではあるが。ここでは考える上でのリーディング・ケースになりそうな実例を二つ挙げておこう。
(1)平成4年、兵庫県で筋ジストロフィー患者の少年が、公立高校受験で落とされたのは不当であるとして、訴えて、勝訴になっている。障害は公立高校に入学させない理由にはならない、ということ。
(2)平成20年、神奈川県の公立高校で、過去三回にわたる受験で、茶髪や眉を剃っている受験生をチェックして不合格にしていたことが発覚し、問題とされた。そういうことは公立高校入試の評価基準として明示されていなかったから、ということである。
 両方のケースとも、不当なことをしたとされるのは受け入れ側の高校である。たぶん(1)のケースで、受験生が筋ジストロフィーであることを伝えたのは内申書なのだろう。内申書には、受験上不利になることは書いてはいけない、ということならば、この時も中学校が罰せられるはずである。しかし、訴えられもしなかった。中学校は、当該受験生がどういう人物であるか、重要な情報を高校に伝えた。それを見て、合否を決めたのは高校である。Hのケースでも、中学時代に政治運動に関わった人物を入学させないことが不当だとするならば、罰せられる対象は高校ということになる。中学校はただ事実を書いただけで、それを「選抜の資料」としたのは高校なのだから。「学校内においてもいっこうに指導に従う様子がなく、現在手をやいている」の部分には、なるほど明確に悪意が感じられるが、それをも含めて、書いてあることはすべて事実に違いないのである。
 以上を典型的な「屁理屈」だと感じる人もいるだろう。外から見たら、入試は受かるか落ちるか二つに一つであって、ペーパーテストの点数が低いのが理由でも、「人物」が見られたのだとしても、そんなことは普通あまり意識されない。だいたい、テストの点数では合格範囲に入っていたのに、「態度が悪い」というような理由で合格させないのは不当、と感じられたからこそ上記(2)のようなことも問題になるのである。
 しかしそれならば、内申書・調査書などを入試の選抜資料にするのはやめるか、少なくとも、どうしても「人物評価」になりがちな「備考欄」や「所見」など文章で記載する部分は廃止すべきないだろうか? 実は私は、それに賛成する者である。
 ただどうも、「ちゃんと点数化できる領域だけで入試の合否を決めるべきだ」という考えは、「点数主義」などと言われて、いまいち評判がよくない。たいていの親が、点数には現れないわが子の「よいところ」を認めてもらいたいと願い、それを調査書を作成する教師に期待する。それは無理はない。
 それにつけても以下のことは忘れないでいただきたい。内申書・調査書は、入試の選抜につかわれるからこそ意味がある。ということは、有利・不利と言っても、すべて比較相対上の話だということである。例えば、「野球部に三年間所属し、三年次にはキャプテンとしてチームをまとめ、県大会優勝に貢献した」と書かれているものは、「野球部で活動した」とだけ書かれている者より有利だ。後者は、前者より不利だ。だったら後者のように書いてはいけない…、などということになったら、やっぱりこんなのは全廃するに如くはない。そうなると、前者のような子や、その親には不満が残るだろう。自分の側の「よいところ」が入試のシーンで無視されてしまうのだから。
 つまり、他人の有利はイコール自分の不利ということ。内申書問題とは、このように非常に微妙でいじましい、人間的な、あまりに人間的な問題なのである。

 もう一つ、指摘しておかねばならないと感じられることがある。より「教育」に即した問題だ。弁護士たちは、Hの「教育を受ける権利」は侵害されたと言うのだが、そもそも彼は、教育を求めていたのだろうか。単に知識を学ぶ、という意味でなら、そうだったのだろう。現に高校を受験したわけだし。ただ、知識を教えるだけが教育ではないはずだ、などともごく普通に言われている。麹町中の教師たちも、知識とは別のところで、「教育者失格だ」と内申書裁判を支援した側から言われたのだ。
 途中から裁判の弁護団に加わり、団長になった中平健吉は、次のようなエピソードを語っている。これも小中の本を基にして述べる。中平は東京高等裁判所の判事を勤めてからフリーの弁護士になった。辞めるきっかけになったのは、弁護士として関わりたい二つの事件に出会ったからだと言う。そのうちの一つは、ある牧師が、学生運動をして警察から追われた高校生二人を教会に寝泊まりさせ、反省の機会を与えようとして、犯人隠匿罪に問われた、というもの。

「(前略)おまえたちのやっとることはマンガみたいなものだ。おまえたちの主張は全然生活に根ざしてないじゃないかと一生懸命説得したんです。ここがまた麹町中学の先生方と違うところですね」

 これが人を教育の対象とする、ということである。中高生の言う話の中身など本気で相手にはしない。表面的また論理的にはどう見えようと、それは結局子どもの戯言に過ぎない。その態度では、麹町中の教師たちも、この牧師も、変わらない。違いは、後者は教会を反省の場として提供し、たぶん数週間説得を続け、官憲など、権力の手に渡すことはなかったところだ。前者は、有形力(暴力)を使って子どもが卒業式に出るのを妨害したうえ、それ自体が権力機構となって、彼を排除した。
 許せない、と中平たちは言う。公立学校もまた、警察や裁判所と同様、元来公権力の一部だと言うことは、彼らの目には映っていない。たぶんそのことは、このときのHのほうが、ちゃんと認識していたろう。
 今はそれは問わないにしても、どうだろうか。Hは、「おまえのやっとることはマンガみたいなものだ」と言われて満足したろうか? 中学校時代には明らかに、決してそうはならなかったろうが、「成長」してからはどうだろうか。「あんときは反抗したけど、先生の言うことはもっともだったんだよなあ」などと思ってくれたものだろうか? 中学時代の彼は自分なりに現在の社会を一所懸命に考え、答えを見つけようして、行動したはずである。その意味も、主張も、「子どもだから」という理由で一顧もされず、自分はただ「教育されるべき者」としてだけ位置づけられる。それがありがたいか? あるいは、後には、ありがたかったと思えるのか?
 以下は私の勝手な見解と言われてもかまわない。Hは言葉にはできなかったし、意識もしなかったかも知れない。が、この時彼は「学校」と呼ばれる、一見柔らかだが、それだけにひどく欺瞞的でもある権力構造に直面したのである。
 「もっとちゃんと弾圧しろよ!」と、団塊の世代に属する故つかこうへいが書いた戯曲「飛竜伝」の初期のバージョンで、学生運動家が機動隊に向かって叫ぶ。権力がむき出しの力として対峙してくれるものなら、自分たちの「敵」も、戦う意味も、明確になってくる。それをどこまでも「教育」の対象として、包みこまれたのでは、自分たちの闘争は、一過性の、「はしか」以上の意味を持たないものとなる。しかも、権力とは無縁そうな、ものわかりのよさそうな大人さえ、そうするべきだ、なんてしたり顔で言う。実際はこれほど残酷で徹底した「弾圧」はないのではないか。
 それだけではない。学校はそのような「無限の教育」の場であることが望まれているようでいて、一方で選別機関でもあることも望まれている。平成3年、宮澤内閣で文部大臣になった鳩山邦夫によって、中学校での業者テストは廃止された。結果、中学教師は、進路指導(ある生徒が、どこの高校なら合格できそうか、判断して薦めるのが主な仕事の内容)の有力な道具としての偏差値を失い、それは、公立学校のさらなる権威の失墜を招いた。子どもをちゃんと選別しもしない学校なんて、なんの意味がある、と本当は、かなり多くの人が思っているのである。
 我々は本当は学校に何をすることを望み、何をしないことを望んでいるのか。主権者であるなら、一度じっくり考えてみたほうがいい。そのための材料として、内申書裁判を使わせていただいた。関係者の皆様に不快感を与えたとしたら、お詫びします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもはどこにいるのか その4(山びこの残響)

2013年07月31日 | 教育
メインテキスト:無着成恭編『山びこ学校』(初版は青銅社昭和26年。岩波文庫版平成7年)

サブテキスト:佐野眞一『遠い「山びこ」 無着成恭と教え子たちの四十年』(文藝春秋平成4年)

 「僕の家は貧乏で、山元村の中でもいちばんぐらい貧乏です」と、1949(昭和24)年12月16日の日付のある作文「母の死とその後」は書き出されている。筆者は江口江一、この時山元中学校の二年生だった。極貧の中、六歳の時にまず父を亡くし、その後三人の子どもを育てながら働きづめに働いてきた母も死んだ。弟と妹は親類にもらってもらい、家には江一と74歳の祖母しかいなくなってしまった。母は、「江一さえ一人前になれば」と口癖のように言っていたが、母がどんなに一所懸命働いても借金が増えるばかりだったものを、自分が同じぐらい働けば、いや、母の倍働いたとして、暮らしは楽になるのだろうか、と江一は疑問を持つ。江口家の収入は、三段歩(約30a、900坪)の畑から家庭用の菜園に使っている部分を引いたところで取れる葉煙草で、その取れ高は毎年ほぼ決まっている。それを売った収入で、米などの必需品を買い、税金を納めた場合には、村からの扶助があってもなお、借金をしなければ生活できない。貧乏生活から抜け出すことができないのは、当たり前のことだったのだ。
 最大の問題は田がないことで、もしも不作で誰も米を売ってくれなくなれば、飢え死にするしかない。だから田がほしいと思うのだが、自分が買えば、売った人は今の自分ような苦労をしなければならないのではないか。驚くべきことに、この少年はそこまで考えている。
 担任の無着成恭からは、より差し迫った問題を訊かれる。江一は二学期になってからもう一ヶ月半も学校を休んでいる。仕事が忙しいからだ。いつになったら一段落して、登校できるようになるのか。無着に言われて計画表を作ってみると、十二月には一回か、よくても二回ぐらいしか来られないことがわかった。無着はその計画表をクラスの佐藤籐三郎など、主だった者に見せ、「なんとかならんのか」と問うと、佐藤は「できる。おらだの組はできる」と力強く答える。そして土曜日にクラスの者たちが江一の家へ来て、一人では何日もかかる仕事を一日で終えてしまった。感激した江一は、作文の終わり近くにこう記している。

 明日はお母さんの三十五日です。お母さんにこのことを報告します。そして、お母さんのように貧乏のために苦しんで生きていかかなければならないのはなぜか、お母さんのように働いてもなぜゼニがたまらなかったのか、しんけんに勉強することを約束したい思っています。私が田を買えば、売った人が、僕のお母さんのような不幸な目にあわなければならないのじゃないか、という考え方がまちがっているかどうかも勉強したいと思います。

 以上簡単に要約したところからも、これが圧倒的な感動を呼ぶ作文だったことは理解されるだろう。感動の理由を列挙すると、次のようになるだろうか。
(1)わずか13歳の子どもの肩にのしかかる、困難な生活の圧倒的なリアリズム。
(2)地域の者たちが力を合わせれば、その困難な生活も改善できるのではないか、と明るい希望を抱かせる。
(3)筆者の江一の目は自分の生活状況の冷静な分析に及んでいる。この目はやがて、社会全体の矛盾の発見、さらには改革を志すところまで及ぶのではないかと期待される。

 現在でも詩文集『山びこ学校』のエッセンスを示すと言われている「母の死とその後」だが、同書の出版に先駆けて活字になっている。昭和25年、日本教職員組合(日教組)と教科書研究協議会の主催による第一回全国生徒児童作文コンクールに山形県教組によって応募され、文部大臣賞を受賞したからである。
 江口の担任教師無着成恭は、昭和23年、新採教師として山形県の山元中学区に赴任した。二十一歳だった。翌24年に教え子の中学二年生たちの詩文集『きかんしゃ』第1号を手作りのガリ版刷りで発行。「母の死とその後」はその第2号に載った。『山びこ学校』は全部で16号出たこの『きかんしゃ』から抜粋、編集して出来上がったものだった 。
 佐野眞一の著書を頼りに、もう少し遡った背景を見ておこう。
 山形県は戦前から生活綴方運動の指導者村山俊太郎や国分一太郎を排出し、いわゆる北方性教育の本拠地と目されていた。しかし、同県の禅寺に生まれた無着は、教師になった時点では、これらの教育方法とは無縁だった。彼は同じ山形でも自分が継ぐべき寺がある本沢村に戻り、そこで教師兼住職をしながら、青年たちの文化運動のリーダーを務めることが夢であった。案に相違して山元村に赴任してから、この寒村の子どもたちをどう教育したらいいのか悩み、旧知の山形新聞編集員の須藤克三から国分一太郎を紹介され、そこで初めて綴方=作文教育という方法に目覚めることになった。
 しかし、指導者の経歴や資質以上に重要なのは、終戦直後にそれまでの修身・公民・地理・歴史を廃して始められた「社会科」の存在ではなかったかと思う。この科目の創設は、昭和21年4月に提出されたアメリカ教育使節団の報告書に基づき、日本の教育の「民主化」を目指した方策のうち、いわば目玉になるものだった。それだけに、これを具体的にどう教えるかについては、たいへんな苦労を経なければならなかった。昭和22年5月には小学校用の「学習指導要領社会科編(Ⅰ)」が、6月には中学高校用の「学習指導要領社会科編(Ⅱ)」が出ており、実施はこの年の9月、つまり学年の途中から、というのもたいへん異例だった。
 無着自身が、この新しい教科である社会科を専門とする教師だった。『山びこ学校』初版の「あとがき―子どもと共に生活して―」で、次のように書いている。
 社会科の教科書の一つ『日本のなかの生活』中の「日本のいなか」【註、たぶん、『日本のいなかの生活』として昭和24年に刊行されたものの前身だと思われる】のまえがきには「この教科書は、わが国のいなかの生活がどのように営まれてきたか、その生活に改善を要する方面としてはどんなことがあるかを、学習するに役立つように書かれたものである」のだから、「いなかに住む生徒は、改めて自分たちの村の生活をふりかえって見てその欠点を除き、新しいいなかの社会をつくりあげるように努力することがたいせつである」云々と書かれていた。そこで無着が「文部省の考えの深さに驚いた」などと述べているのは皮肉であろう、と百合出版版(昭和30年刊行)の「解説」で国分一太郎は述べている。
 それはそうと、では、どうやったら教科書に書かれているような努力を生徒にさせたらいいのか、そのやり方として発見されたのが綴方だったのだ、と無着は言う。例えば、
(a)ある生徒が、隣人の話として、「息子を教育したんで、百姓がいやになり、その家はつぶれてしまった」と綴方に書いてくる。
(b)では、「教育を受けるとなぜ百姓がいやになるのだろう」と生徒たちに問いかける。
(c)生徒たちからは、「百姓はつらい仕事だから」「百姓は馬鹿でもできるから」「百姓はあまり物を知らないほうがよい」などなどの答えが返ってくる。議論が煮詰まると、概ね、「百姓は働く割には儲からないからだ」というところに落ち着く。
(d)それは本当にそうなのか、ということになって、米や繭や葉煙草の価格から肥料や農具の値段などを、班が作られて分担して調べられ、計算されて、実際に「百姓は割損」であることが実証される。
(e)すると、「やはり百姓はあまり考えると馬鹿らしくてできなくなり、といって他に仕事も見つからないのだから、あまり考えないほうがいい」という悲観的な考えが出てくる一方で、「損をしても働かねばならないなんて、そんな馬鹿な話があるものではない。百姓は損をしなくてもすむように頑張るべきだ」という意見も現れる。これに無着は思わず「そうだ、そうだ」と怒鳴る。
(f)しかし、では、どうすれば百姓の仕事が割損にならないようにすむのか、という点になると、当然ながらそう簡単にはいかない。すべての前提として、いったいなぜこんな社会状況になっているのかが検討されなくてはならない。社会科の教科書だけではなく、さまざまな本を読んで一応、第一、かつての身分制度があった時代の社会習慣や考え方がまだ残っている(このことは、他の綴方からも確認される)。第二、諸外国に比べて日本の耕地面積は狭いので、生産高も低い。この二つは、農村を豊かにするために大きな障害になっていることはつきとめられる。
(g)第二の点の解決策としては、耕地面積あたりの生産性を高めることが改善策として考えられるが、それには機械化が必要であろう。しかし、一軒で機械を所有すれば、その費用だけでも割高なので、何軒かで共同で使うようにすればいいのだが、その場合、「共同責任は無責任」ということで、みんなの機械がぞんざいに扱われるようなことがあってはなんにもならない(これまた、ある子の綴方に出てくる)。
(h)以上から、次の二つが今後の農村にとって大事であることが確認される。
1 農民をもっと金持ちにすること。
2 農民はもっと共同のものを大事にして、自分だけよければよいという考えを捨てること。

 作文とクラス討議を通じて、ここまで生徒を導いた無着の教育実践には、改めて目を見張る思いがさせられる。もちろんここでの作文=綴方とは、一つの作品として仕上げられることが重要なのではなく、文章にするために客観的・分析的にものごとを見る目を養い、文章にすることによって考えをまとめ、出来上がった文章を他人に読んでもらうことで、自分の考えをさまざまな角度から検討する、その材料になることが一番重要なのだった。これはまた、終戦直後、主にアメリカから求められた民主主義的な教育は、この日本で、具体的にはどのように展開されるべきか、一つの明確な回答を出したものでもあった。

 しかし、見事であればあるだけ、危うさもあった。
 一つには、『山びこ学校』は有名になり過ぎた。これも佐野によると、売り上げは発行二年間で十二万部に達し、26年の一年間だけでもこれを取り上げた新聞・雑誌は百を超し、知識人であれば誰もがこれについて一言以上あるべきだ、という雰囲気にさえあったという。中学生の文集がここまで話題になるのは世界的に見て稀であろう。それというのも、戦争に敗れた後の新生日本のあるべき姿を底辺から希求する、貴重な声がここにあると考えられたからだろう。
 ただし、それもこれも、外部から見た話である。作品の舞台となった山元村の住民からすれば、惨めな貧窮状態が全国に曝されるようなのは、面白くないと感じられる場合もあったろう。
 それ以上に、今から見ても「こんなことをバラして大丈夫だったのか?」と思える内容の文章もある。たぶん無着の手になる「作者紹介」で「愛される理論家」と評されている川合義憲の一連の作文など、彼が実際に見聞したいわゆるヤミによる商品売買が、赤裸々に描かれている。駐在だって、炭などをヤミで買ったことがある。それでも、時には農家を摘発する。川合の家は大丈夫だったらしいが、こんなことを書いて、と父母からは叱責された。それが活字になった。おかげで我々は貴重な記録を目にすることができるのだが、直接の当事者である川合家の人々や関係者に、これを「教育」の一環として理解しろと言っても、無理な話ではある。
 それから、当然予想されることだが、無着の教育によって、子どもたちは社会に対する批判的な目を身に付ける。作文ではそれは、村の大人たちへの直接の批判として現れる。批判されれば、その内容の適否以前に、中学生のガキが、何を生意気な、と今の大人でも(大半がこのときの山元中学校の生徒より年下になるわけだが)反感を持つだろう。それはただちに、彼らの指導者である無着への反感となる。昭和26年と言えばサンフランシスコ講和条約が署名された年だが、朝鮮戦争後に方向転換したGHQによるレッド・パージの記憶はまだ生々しいものとしてあった。そこで無着は「アカではないか」と言われることもあった。
 昭和28年、ウイーンで世界教育会議が開催されると、無着はその出席者の一人に選ばれた。帰途、羽仁五郎のすすめで、日本の当局には無断で東欧に入り、さらにはモスクワに迎えられて、モスクワ放送に出演した。当然大騒ぎとなり、この事件がきっかけで無着は村を逐われることになった。こうして無着成恭の公立学校教員生活は五年で終わったのである。

 たぶん今でも、『山びこ学校』を読めば、その教育のすばらしさを否定する人は稀であろう。しかし、では、自分の子どもにこのような教育を施してもらいたいか、となると話は別になるだろう。
 山元中学校の生徒たちの手になる作文の迫力は、なんと言っても彼らが中学生であっても生産の担い手であったことに由来する。つまり、彼らの家のほとんどが農家であって、小さいときから野良仕事の手伝いをすることは、この頃までは当たり前であった。前述した農業社会の現状への疑問も、彼らにとっては少しも抽象的な話ではなく、生活の中でぶつからねばならない切実なものとしてあった。労働人口の八割以上が勤め人となり、家庭と生産現場がほぼ完全に分離された現在では、この教育実践の土台は完全に消えている、と言える。
 それに付随して次のことは指摘されなければならないだろう。江口江一を初め、日本全国の農村の子どもたちが苦しんでいたのは、結局貧乏だからだ。「貧乏綴方」という悪口は、『山びこ学校』以前から、綴方運動に対しては言われていたようだ。彼らは貧乏だからこそ興味深いのじゃないか、というわけである。それはともかくとして、経済状態が改善され、子どもが、江口のような苦しみを嘗めないほうが、優れた文章が出るよりもっといいと、普通には考えられるだろう。
 その後の日本で、改善はなされた。しかしそれは、山元中学時代の無着や彼の生徒たちが望んでいた方向とは違うものだった。岩波文庫版のあとがきでは、無着はこう言っている。

 明治維新のとき自らを後進国と自認した日本は、軍隊が強くなれば世界は認めるだろうということで、天皇を絶対なる神であると措定し軍国主義で日本人の心をコントロールしてきました。それが崩れた一瞬のすきにできたのが『山びこ学校』です。しかし、池田首相の所得倍増論をきっかけに、こんどは、お金もちになれば世界中が認めるだろうということで経済主義教育につっぱしり、いじめ、登校拒否、オウム教などの今日的状況を作りあげているわけです。

 いじめや登校拒否やオウム真理教などが「経済主義教育」の結果生まれたと言うにしては、もっといくつも補助線を引かねばならないと私は思うが、経済状況に限っても、戦後日本社会の歩みを完全に肯定することなどできないとも思う。経済的発展とはあくまで商工業に関するものであって、農林水産業、いわゆる第一次産業は完全に置き去りにされた。地方は過疎化が進み、山元中学校は平成19年に廃校になっている。
 この歪みと犠牲の上での繁栄なのだが、問題は、このやり方以外には、貧乏人が多少とも豊かになる道を人類が発見していないところにある。山元中学校の生徒たちが作文製作と討議の結果たどり着いた理想的な農村のイメージは、社会主義国の集団農場に直結しそうだが、周知のようにこれは、ソ連でも中国でも成功しなかった。無着の教育実践をストレートに現在に生かそう、などと簡単に言うことはできない。
 何よりも無着自身が、山形を去って東京の明星学園の教師になってから、同じような実践を続けることはなかった。この後の彼の教師・タレントとしての活動の跡を詳しくたどるのはここではやめるが、最終的には学校教育そのものに絶望したようだ。明星学園内部での種々の対立の結果、昭和58年に教壇を去り、盟友だった遠藤豊(明星学園小中学校校長を務めた。同じ時期、無着は同校教頭だった)を校長として自由の森学園が開校(昭和60年)されても、そこに加わることはなかった。

 それにつけても、「一瞬のすきにできた」とは、無着もわかっているなあ、と思う。軍国主義が終わり、経済主義がまだ始まらない狭間に咲いた美しい教育の夢の花、それが『山びこ学校』だったのである。夢は消えても、現実の学校は残っている。そこを多少ともよくしていこうと思ったら、かつての思い出に耽るより、なぜそれが今成り立たないのか、その諸事情を熟考することこそ正道であろうと思う。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもはどこにいるのか その3(福澤先生に訊こう)

2013年06月20日 | 教育
メインテキスツ:(1)山住正巳編『福沢諭吉教育論集』(岩波文庫平成3年)
(2)「福翁百話」(原文は明治29年より30年『時事新報』紙に連載され、30年時事新報社から単行本として刊行された。『明治文学全集8 福澤諭吉集』筑摩書房昭和41年、昭和59年第6刷より引用)


草一 : 明治期の学校についていろいろ、もちろんおおざっぱに、考えて来たのですが、ここらで、近代日本最大の教育者にして啓蒙家の福澤諭吉先生のお話を聞きたくなって、厚かましく参上いたしました。よろしくお願いします。

福澤 : 手短に頼むよ。死んだ人間なんだから時間なんてもう関係ないと思っておるか知らんが、儂は今、日本で一番高い札になって、日本中、いや世界中を飛び回っておるのだからして、そんなに暇はありゃせん。

草一 : はい、わかりました。では、単刀直入に。先生の教育理念の要諦を一言で示したものとしては「一身独立して一国独立する」(「学問ノスヽメ」第三篇。拙ブログ中「近代という隘路 その3」参照)が一番よいように思われます。それでよろしいですか?

福澤 : まあ、そうじゃな。これから日本が西欧列強に伍していくためには、国民一人一人が、知識と気概を備えた独立不羈の国民とならねばならん。実際のところ、西洋の強さの秘訣はそこにあるんじゃから、日本もそこは学ばねば、国家の独立は保てん。それは儂の目には全く明らかに見えた。そのためには、学校が是非必要じゃ。これもまた、全く明らかなことじゃった。

草一 : そういう単純明快さは、明治という時代の特長で、私たちからは羨ましく見えます。独立した国民と、国家との齟齬を、全く考えなくてよかったということが。

福澤 : 儂にわからん後の時代のことを言ってみてもしかたないじゃろ。そういう話を続けたいなら、儂はもう帰るぞ。

草一 : 申し訳ありません。話を戻しますので。教育の目的は国民に知識と気概とを与えることであるわけですね。人は知識があれば必ず、独立した個人としての気概が持てましょうか。

福澤 : そこはなんとも言えんな。ただし、逆は言えるじゃろうな。人として知識がなければ、世間を渡って行く上で、自分ではどうしたらいいのか皆目わからず、他人の言うがままにせざるをえんじゃろう。それでは、一個の独立した人間としても気概なんて持ちようもない道理じゃ。

草一 : ごもっともで。ところで、実際に先生の言うように教育を推進していくうえで、障害と言いますか、問題視されてくるところがざっと二点あると思うのです。
 第一に、知識ばかりあっても徳がなければ人としてダメだろう、また、国としてもまとまらないだろう、だから、教育の要諦は、知識の取得ではなく、道徳の涵養に置かれるべきではないか、という論です。先生の時代でしたら、明治23年に出た教育勅語を中心にして、これが非常に盛んだったように思うのですが、先生はいわゆる「徳育」の問題についてはどうお考えでしょうか。

福澤 : いろいろなことがこんがらがって、そういう意見が出がちなのだがな。今の場合の「教育」とは、学校教育のことを指す、でいいのかな?

草一 : はい、それでけっこうです。

福澤 : そうだとすると、まず、短絡があるな。人として大事なものは、個々の知識より徳性である。それには反対しづらい。そこで、学校も、というわけだが、それは学校教育というものの特質を弁えん論じゃ。
 学校だけで人間ができるわけではない。これを植物に譬えるなら、教育とは肥料のようなものじゃ。ある植物が形成されるについては、肥料の他に、種子のときから持っている性質、つまり天稟じゃな、これもあるし、土壌や天候も大きな影響をもたらす。肥料は重要だが、それだけで植物がどういう性質かが決定されると考えたら、それはまちがいじゃ。
 人間の場合もな。実を言えば、土壌や天候、この場合は家庭環境と社会状況がそれに当たるかな、これが立派な植物、この場合は立派な人間、の育成に適していないのに、肥料、即ち教育だけで育成せよというのは、無謀を通り越して愚かなんじゃよ。
 今の子どもや青年に徳が足りんと、本当にそう思うのであれば、学校教育をどうこうより、まず、その人間が立派な徳性を発揮して、後身の手本になるよう努めるべきじゃ。そういう人間が世の中に多くなれば、水が自然に低きところへ流れ込むように、青年一般の品行もよくなるじゃろう。それ以上の妙策なんぞありゃせんし、学校にだけやれと言うのは、一種の責任転嫁と言ってよいな。((1)中の「徳育如何」。明治15年初出)

草一 : まことに、おっしゃる通りです。

福澤 : ついでに言うがな、今の(もちろん明治時代の)大人が、最近の若い者の品行の衰えを嘆いたり、第一若い者が生意気になって、目上の者の教えに素直に耳を貸さん、なんぞと言うのは全く馬鹿げておる。だいたい、年寄りがそう言って嘆くのは、今に始まったことではないが、そうすると、人間の品行は時代が下るに従ってどんどん劣化していることになって、人間世界はとうの昔に真っ暗闇になっていなければならん。そうなっていないのは、そんな嘆きにはさしたる根拠がないことの何よりの証拠ではないか。
 若者が生意気というのもそんなもんで、自分が若いときのことを思い起こしてみればいい。今の(明治時代の)政財界の大立者と言えば、明治維新を成し遂げたか、それに貢献した者じゃないか。彼らが、若い頃、目上の者達の言うことに素直に従っていたとしたら、維新そのものがなかったはずじゃ。そうではなかったおかげで出来上がった新時代には、旧弊な目から見たら、ずいぶん新奇で、時には風俗の紊乱と見えることもあるじゃろう。しかし、そうなった前後の経緯も考えずに、これを嘆くとしたら、大人というのはずいぶん忘れっぽいと言わざるを得ん。(同前)

草一 : 全く異論がございません。福澤先生のような著名で偉大な方のおっしゃることが、未だに常識になっていないのが不思議なばかりです。
 さてそこで、第二の、より根本的というか、やっかいな点に移らせていただきたく思います。他でもございません、学問知識は、それを学んだ者を、必ず幸福にするものでしょうか? 先ほどの「気概」とは当然別の話なのですが。いや、これは先生に対してはまずい訊き方ですね。ええと、順序を踏んでお尋ねしましょう。
 先生の大ベストセラー「学問ノスヽメ」が出版されたのと同じ年(明治5年)に「学制序文」が出まして、ここでは先生のお考えと一致すると思われる学校観が述べられています。つまり、「学校」以前にも学問はあった。しかしそれは、「方向がまちがっており」「枝葉末節や空理空論に走り、高尚にみえても実践性・実用性に欠くものがほとんどだった」と言われています。ここからすると、今後必要とされる、だから学校で教えなければならない学問とは、実用的、すなわち実際の役に立つものだということになります。ここがけっこうひっかかるところでして。個々人に即して見た場合、学問は学んでも、役に立たないこともけっこうあるのではないでしょうか?

福澤 : それは、あらゆる知識があらゆる人の役に立つわけではない。漢籍を読むのも、和歌を習うのも、悪いとは言わんが、その類のみが学問の名で呼ばれてきたのは、我が国にとって不幸なことじゃった。おかげで、学問と言えば、世の中の実際の役には立たぬものの代名詞のようにさえなったのだから。まず、これを改めねばならん。これまた、新時代をこれから作ろうとする者にとってはあまりにも明らかだったから、儂の「学問ノスヽメ」と「学制序文」が同趣旨になったのは、どちらかがどちらかを真似たとか、影響したとかいうのではなく、ごく自然なことだったのじゃ。
 しかし、明治も二十年もたってみると、新奇だからという理由で、その人間には無用な知識を学ぶ者がでてきた。虚飾に走って自分の分限を弁えぬ輩がな。山村にも女子英語学校なるものができて、生徒数が常に十数名を数えるのを、教育が盛んになった証拠だ、などと言って喜ぶ者もおったが、狂気の沙汰じゃよ。三度の食も覚束ない農民の娘、嫁しては夫の服を繕うようなことが主な仕事になる貧者たちに、英語を教えてなんになる。有害無益でしかないではないか。((1)中の「文明教育論」。明治22年初出)

草一 : はい、そのお話はよくわかります。しかしそうだとすると、学校で教えることはすべて世の中で実際の役に立つことに限られるべき、ということになりそうです。しかし、実際はそうではない、そう思われることは、明治期から、我々の時代まで多く、むしろ普通のことになってさえいます。

福澤 : そこは学校というものの実際が儂の理想とは一致しなかった点なのじゃ。学問とは、ただ文字を読むことに止まるべきことではない。それを儂は既に「学問ノスヽメ」第二篇(明治6年刊)の緒言に記しておいた。実際問題としても、特に初期の頃は、貧窮のために小学校も途中でやめねばならぬ者も多かったんじゃから、小学校では、多くの人間から見て、途中までであっても、それなりに役に立つことを教えるべきじゃ。読み・書き・そろばんから、帳簿のつけ方、などをな。
 そうならなかったのは、実際に学校を始めるときには西洋に範を仰ぐしかなかったから、我が国の国情には必ずしも合致しない制度になったこと、これと、先ほどの徳育と並んで、小学校でさえ、学問と言えば何やらもっと高尚なもののように見せかけたがる悪い癖が合体して、妙なものになってしまったせいじゃ。知識とは別になるが、学齢期の七、八歳になれば、農家の子どもは田畑の仕事を手伝わされるのが普通じゃ。そこで一日中追い使われて、疲れ切っている者に体育をやらせて何になる。しかし、西欧諸国の学校のカリキュラムには入っているし、また、学校はいわゆる勉強だけやらせるわけではないと示したいために、入っておる。残念ながら世の中は、往々にしてそういうもので動かされるんじゃ。((1)中の「小学教育の事」。明治12年初出)

草一 : ここに既に、容易には解きがたい問題があるように思いますが、それを先生にお尋ねするのは控えましょう。今はお話の流れに従いますが、そうしますと、大多数の国民は、読み・書き・そろばんに帳簿つけ等までで、学校で習うことは終わりにしたほうがいいように思いますが、それでよろしいのですか?

福澤 : さっきは必要最低限のことを言ったまでじゃ。もし可能なら、もっと深く学ぶ方がいいに決まっておる。ただ、英語とか、古典の注釈とか、実際の生活とほとんど関係ないものは、少数の人間がやればよい。
 万人が学びたきものは、例えば物理じゃ。火をつけるにしろ、薪を割るにしろ、そこには必ず一定の法則が働いておる。それを知らなければ出来ぬわけではないが、より合理的なやり方があり得る、とわかっておれば、長い目で見れば役に立つこともある。そういうのが根底で、文明の進歩を促すのじゃ。
 あるいは医学。万人が医者と同等に人体の仕組みや病への対処法を知る必要はない。しかし、少なくとも、まじないなんぞで病気が直るわけはないと知り、科学的な医療を信頼して、医師の指示に従うようになっていなければ、すぐれた医師が何人いようと、無益なこととなる。これで明らかにわかるじゃろうが、学問と、それがもたらす文明が、どの程度に広く、深く伝播しているかは、なんら抽象的・精神的なことがらではなく、国民の生活そのものに密接に関わっておるのじゃよ。((2)中の「実学の必要」)

草一 : たいへんお見事なご説明で、感服の他はありません。
 最後におうかがいしたいのは、人々が学校に対して漠然と抱く、ある種の反感についてです。先生がおっしゃったような学問の効用を否定できる者はいないと思いますが、そこにもっときらびやかなと言いますか、自分の、あるいは自分の子どもの栄達、というような望みを込める場合は非常に多いのです。これは今日でもそうですが、明治時代にはもっとあからさまだったことでしょう。
 「学制序文」にある「身ヲ立テ」るということ、「学問ノスヽメ」でしたら「一身(の)独立」でしょうか、その意味は、最初の頃おっしゃったことで尽きているのでしょう。しかし、明治17年頃から卒業式で歌われることになった「仰げば尊し」ですな、その歌詞には「身を立て、名を挙げ」と列挙されます。それが自然な感情で、つまり「身を立てる」とは栄達することで、学校とはその手段を与えてくれる機関ではないのか、と期待してしまうのです。実際、そうなった人も多いでしょう。しかし、より多くの人はそうならなかったし、今でもならないので、そこで何か、だまされた、と言うか、無理をして子どもを学校へ通わせたのはなんのためだ、という恨みが生まれ、年々堆積されると、けっこう大きな社会感情として働いてしまいます。

福澤 : それも儂に尋ねられてもしかたのないことじゃな。しかし、せっかくじゃからちょっと関連しそうなことを言おうか。
 学校で、できるだけ高級なことも学ばせると、みんなが高級なことに目覚めるようになる。すると、糞桶(こえおけ)を担いで畑へ出るというような仕事がいかにもつまらなく思えて、誰もやらなくなるのではないか、と心配する者があった。無用のことじゃ。学校教育が始まって間もないので、それを受けた年少者が、受けていない年配者よりものが分かったように思って、生意気になり、またよそからも重んじられることもあろうが、賢愚はしょせん比較相対の話なのじゃ。今後学校教育が普及すれば、そんな知識はたいていは凡庸でしかなくなる。既にそうなれば、多少の学問があったとて農民は農民、商人は商人で、他に稼業などありはせん。稼業の上でも学問が役に立つこともあるのは、前に言った通りじゃが、さればとて、つまらぬ、賤業(原文のママ)につく者がいなくなるわけはない。((2)のうち「教育の過度恐るヽに足らず」)

草一 : まあ、そうでしょうな。「やればできる」なる言葉が私たちの時代では盛んで、つまり努力すればなんでもできると言って、子どもに勉強させようとしているのですが、将来の成功までその「なんでも」の中に含めるとしたら、確かに、皆が「できる」わけはないことは最初からわかりきっています。そうは言えないのが、私たち現代の教師のつらいこところでして。

福澤 : 教育は人間の天稟を伸ばすことしかできんのじゃ。人間や世の中をすっかり変えるような魔法の杖ではない。しかし、必要なんじゃよ。((2)のうち「教育の力は唯人の天賦を発達せしむるのみ」)

草一 : 確かにそうなのですが…。いや、これ以上は愚痴になります。先生にはご迷惑なだけですね。これまでにいたしましょう。ありがとうございました。
 最後に、読んでくださった人にお断りいたします。福澤先生のお言葉の出典は(  )内に記しましたが、それは現代語訳ではなく、私の言葉も付け加えた、いわゆる翻案と言うべきものです。これをもって、私ではなく、福澤先生を批判するようなことは…。そんな人、いないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする