Takepuのブログ

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川島芳子死亡確認

2010-01-26 04:46:08 | 時事
「東洋のマタハリ」「男装の麗人」として知られた川島芳子は、戦後、死刑の際、替え玉説が根強くあったが、共同通信がこのほど、川島芳子の死刑を確認した、との中国側の資料が台湾で発見されたと報じた。

川島芳子はれっきとした中国人、満州人で、本名は愛新覚羅顕●(王へんに子)=あいしんかくら・けんし=。清朝の皇族だ。ラストエンペラー溥儀の親戚だ。中国の通称名が金壁輝。
いまでも金姓はもともと愛新覚羅だったという人は少なくない。もちろん朝鮮族にも金は多いが。イスラム教を信じる少数民族の中には馬姓も多い。もちろん、漢族でも馬姓はいる。台湾の総統・馬英九はもちろんイスラム教徒でも西域の出身でもない。
清朝滅亡直前、父親の粛親王が日本とのつながりをもって、場合によっては亡命先にしようと、川島浪速の養女とした。少女時代を日本で過ごした。その日本語能力と人脈、人をひきつける性格などで関東軍は彼女を諜報活動に利用し、満州国建国前に溥儀の夫人、U+742C蓉(えんよう)が天津から脱出する際に護衛した。
写真は遼寧省旅順にあった芳子が日本に来る直前まで過ごした家。粛親王は清朝滅亡直前に北京を脱出、旅順に亡命していた。

テレビ朝日がかつて、芳子は中国東北部で暮らしていた方おばあちゃんだ、という女性の証言や、彼女が生前大切に持っていた蓄音機や李香蘭の蘇州夜曲のレコードなどを紹介した。かなりリアルな感じがしていたが、その後、長春市当局によって否定されたという。現在の共産党政権にとっても、川島芳子は漢奸(売国奴)だから、死刑から免れた、というのは国民党政府の不手際だったとしても、あまりいい話ではないだろう。
共同通信が当時の国民党政府の死刑執行に関する書類を見つけたといっても、当時の腐敗した官僚体制を考えれば、決定的な証拠とは思えないが、芳子が生きていた、としても、ナンセンスな話ではある。
近くNHKが芳子についての番組を放送するようだが、この辺までは踏み込めないだろう。


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