Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

エジプトから中国は?

2011-02-17 00:34:47 | 時事

チュニジアから波及した民主化デモが、エジプトのムバラク政権を倒した。この勢いはイランやバーレーン、リビアなどにも拡大している。

一時の東欧の共産政権の一斉崩壊を思い起こさせるような動きだ。チュニジアの政変の際に、某紙の社説でチュニジアを「中東」としており違和感を感じた。「北アフリカではないか」と。ただ、この文章には「文化的には中東と言ってよい」とあった。今となっては、チュニジアの政変がエジプト、その他、アラブ・中東諸国に飛び火していることから、ああ、なるほど、そういうことだったのか、といまさらながら納得した。

90年代初めに中国でしばしば使われた「和平演変」という言葉が思い起こされる。すなわち、中国で、平和的手段を用いてソ連や東欧でのように社会主義体制を崩壊させることを指す。1989年の六四天安門事件以降、中国指導部は、外部の資本主義国家群やそれと連なる団体らが、反体制勢力を思想的、経済的、情報面などで支え、武装蜂起による手段でなく中国共産党政権を転覆させる、すなわち「和平演変」を企てているのではないか、と考えていた。

ところで、エジプトの政変について、中国では当然のことながら、極めて抑制的な報道をしている。報道を遮断する、ということはないが、「国内の混乱によって、観光業が壊滅的な打撃を受けている」「デモによって観光業回復の見込みは立たない」といったような論調のニュースが目立っている。もちろん、中国で同じようなデモが起きたら、経済的な損失が大きいぞ、と「金」の面から民主化運動をけん制しているのだ。写真は新華社のサイトから飛んで見せられた、中央電視台のニュース映像。

ところで、今回の中東の民主化運動が中国の民主化の導火線に火をつけるのだろうか?
16日の朝日新聞の「耕論」で紹介されていた、師岡カリーマ・エルサムニー女史のインタビューが興味深かった。いわく、「フェイスブックで蜂起を促した若者グループのアピールが瞬く間に広がったのは、貧富の差が大きく、コネと不正が支配する社会に、人々がうんざりしていたからだ」。中国と同じだ。エジプトも中国も前提条件は変わらない。
エジプトでは運動が理性的で秩序だっていたのを「メディアの発展。西欧の映画やテレビ番組を通じて、民主主義下の市民はどういう行動を取るのかを自然と学び、大枠としての同意が出来ていた」と紹介している。ここは中国ではどうだろうか。少なくとも1989年の六四の時には、このような感覚に乏しく、運動は失敗したと見てよいだろう。報道管制を敷かれている今でも、若者たちの一部はそのような考えを身に着けていたとしても、全体としてのコンセンサスを得るところまでは望み薄ではないか。

さらに、「鍵を握るのは軍。-中略- 軍は、ムバラク政権の手先となってきた警察組織や治安部隊と異なり、国民の軍であり、・・・『あなたがたの軍隊は、この偉大な国民に銃を向けません』という声明は、民衆の運動を力づけました」。
中国の人民解放軍にこのような行動を求めるのは不可能だろう。

学生時代にある先生から「中国で『人民』という言葉は『幹部』と置き換えれば理解しやすい」と伺ったことがある。つまり「為人民服務(人民に奉仕せよ)」は「幹部に奉仕せよ」。人民日報は幹部が読む新聞。人民解放軍も実際は人民のための軍隊ではないのだ。

中国当局が報道を抑制し監視を続ける限りは、エジプトや中東諸国のような情勢が中国で生まれる可能性は極めて低いだろう。ネットなどを通じて、「人民」だけでなく、老百姓(庶民)が、中東経験を学習するチャンスが持てれば幸いなのだが。