Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

名護屋城、平戸、九十九島

2011-02-01 22:51:14 | Weblog

九州の西側の佐賀県名護屋城、長崎県平戸、佐世保を経由し、武雄温泉まで行ってきた。
名護屋城とは、豊臣秀吉の朝鮮出兵=1592年の文禄の役(朝鮮では壬辰倭乱)、1597年の慶長の役(同・丁酉の再乱)=の際の日本側の前線基地になったところ。秀吉もここまで来て、能役者を呼んで楽しんだりしたらしい。規模はとても大きく、城の回りには徳川家康や上杉謙信、小西行長など名だたる大名の陣がある。
韓国の釜山に行ったときに、蔚山の手前にある「西生浦倭城(ソセンポウェソン)」を見てきたことがある。桜の名所だが、城作りの名手、加藤清正が作ったと言われ、石の土台が弧を描く「武者返し」になっている。名護屋城は、いろいろな大名が部分ごとに分担して作ったとされ、統一的なデザインは見られない。こちらが国内の出発基地なら、西生浦倭城は敵前基地だ。文禄の役の時に建てられたらしい。
本丸が建っていたとみられる場所のど真ん中には、東郷平八郎の筆による「名護屋城跡」の石碑がある。

城の脇には県立の博物館がある(無料)。海戦を行った李舜臣将軍発案の朝鮮側の「亀甲船」の模型や、中国・明の万暦帝が秀吉によこした書のレプリカなどがある。「秀吉を日本国王に封じ、金印や冠を贈る」などと書いてある。日韓交流を意識しているようで、両国の歴史教科書の翻訳なども置いてある。1600年の作といわれる豊臣秀吉の木像(レプリカ)もあり、死後すぐの作品ゆえ、本当の秀吉の姿に似ているのではないか、と思った。よく知られている細面の肖像画とはちょっと違い、丸っこくてクシャクシャの顔で、まさに「サル」だ。


呼子でイカを食べてから(いろんな人に進められた海上の店だが、たいしたことなかった。前回ほど感激しなかった)、車で約3時間、平戸に着く。平戸は小さな町。前に一度来たことがある。平戸城の天守閣からは平戸大橋や平戸港、町並みやザビエル教会(戦後の建築)などが一望できる。

「六角井戸」というのは、国内にこのような形の井戸は見られないので、中国人が作ったでものではないか、というあくまでも想像のうえでの中国風井戸。平戸は中国との交流が盛んで福建省などとのつながりが深かった。台湾でヨーロッパからの侵略に抵抗した鄭成功が生まれたところ。父親の鄭芝龍と平戸の日本人女性の間に生まれたのが鄭成功だ。鄭成功出産に際し、母親が産気づき、しがみついたという岩もあるが、街中から離れているので今回は割愛した。

観光地として当地がアピールしているのが、教会と寺院が一度に見えるというこの角度からの絵。
奥にあるのがフランシスコザビエル教会。寺院は特に入らなかった。アングルに注意を払わないと墓石がたくさんフレーム内に入るので、風水などを気にする人にはあまりお勧めできない。ま、見るだけ。感動するほどのものでもなし。

で、温泉が出るというので、平戸で一泊1人9800円、伊勢エビ一人一尾、ヒラメの刺し身付き、というディスカウント料金のホテルに泊まった。天皇も泊まったというホテルだが、継ぎはぎ継ぎはぎで館内が迷路のようになっていて、風呂に行くのも戻るのも大変だった。展望風呂は実際のガラスが曇っていて容易に展望できる状態ではない。ジャグジーもない。露天風呂は朝入ったが、寒かった。こっちにはサウナがあった。


翌日は佐世保を経由し、船越、石岳という2つの展望台から九十九島の眺望を眺めて(風が冷たかった。雪が舞っていた)、武雄温泉経由で帰った。九十九島の眺望は、動植物園裏の石岳展望台の一番高い展望台に登る前の脇にある展望カ所からのアングルが、映画「ラストサムライ」でロケ地として使われた風景らしい。確かに展望台から見るより、島々が重なって見えた。この写真は展望台からのもの。