Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

胡耀邦再評価か

2010-04-16 01:56:02 | 時事

新華社をボーっと眺めていたら、人民日報に温家宝首相が寄せた「興義を再訪し耀邦を回想する」という文章が配信されていた。4月15日は胡耀邦元総書記の命日。
写真のように1面トップでこそないが、2面の上のほうに大きくスペースが割かれている。
文章では、数日前、旱魃の調査のため貴州省を訪れた際、24年前の86年、温家宝が中央弁公庁副主任として胡耀邦の貴州、雲南両省と広西チワン族自治区の視察に随行したときのことを思い出した、と懐かしそうに振り返っている。注目すべきは後半部分で「耀邦同志のそばで2年間仕事をしたが、常に大衆を想い私利私欲なく党と人民のために身を粉にして働いている様子を忘れることはできない。87年1月以降、耀邦同志が中央指導部で仕事をしなくなった後も、私(温)はしばしば家を訪ね、89年4月8日午前、耀邦同志が倒れたときもずっとそばにいた。亡くなった時も真っ先に病院に駆けつけ、90年12月5日に江西省の共青城に遺骨が埋葬されるときも見送った。その後も毎年春節期に家族を訪問している」と、政治的に微妙な時期も一貫して胡耀邦とその家族と付き合ってきていることを白状している。

胡耀邦は、自らが進める政治改革を快しとしない保守派の攻撃に遭い、1986年末の安徽省合肥、上海などで発生した学生デモに寛容だったと詰め腹を切らされ、87年1月16日の政治局拡大会議で総書記を解任された。89年4月の政治局会議中に心筋梗塞で倒れ、15日に亡くなった。その死を悼んだ民主化を求める学生らによるデモが次第に拡大、六四(第2次天安門事件)の引き金を引いた。
2005年に生誕90周年記念座談会が開かれ、当時の曽慶紅国家副主席が式辞を述べ、一定の名誉回復をしたが、最高指導者の胡錦濤総書記兼国家主席は外遊を理由に巧みに出席を避けた。もし胡耀邦が完全に名誉回復されるなら、89年の六四の再評価につながりかねず、胡耀邦の後任の趙紫陽の失脚に伴い上海から呼ばれ総書記に就任した江沢民前総書記の中央進出問題とも絡むため、中国当局は慎重にならざるを得ない。

こうした中、当時の曽慶紅の中央政治局常務委員会での序列(5位)より上の序列3位の温家宝が、胡耀邦の功罪に触れずに人となりを評価、さらに失脚期間中といえども付き合いを続け、死に際しても病床に駆けつけるなど、その親密度を公にすることは、胡耀邦の地位の変化があるのではないか、と思わせる大きな要素のひとつだ。