Takepuのブログ

中国旅行記とか、日ごろ思ったことなどを書きたいと思います

中曽根大勲位閣下

2009-12-18 04:30:48 | 時事
習近平・中国国家副主席が天皇と会見するために、宮内庁が従来運用してきた「1カ月ルール」を破って特例で会見するよう鳩山政権が迫ったとされた件。小沢一郎幹事長が訪中前の中国へのお土産に、天皇を政治利用すべく宮内庁に特例会見を迫ったとの筋書きが囁かれていたが、15日、前原国交相が一種の爆弾発言をした。
曰く、特例会見を迫ったのは自民党の首相経験者だと。平野官房長官も否定せず、岡田外相も同様の反応をみせた。
一部新聞以外は扱いが悪かったが、この情報を聞いたとき、この首相経験者とは、福田康夫か、あるいはもっと大物の中曽根康弘大勲位しか考えられないと思った。12月上旬に中曽根が官邸を訪ねたという情報もあった。17日朝刊で一紙で中曽根を匂わす報道があった。

なぜ中曽根か?もし本当に中曽根だったなら、もう天皇の政治利用とか、そういう次元の話ではない。
中曽根は「不沈空母」発言など、右寄りの思想の持ち主かと思っていたが、首相在任中、中国共産党トップの胡耀邦総書記が来日した際に意気投合、家族ぐるみの付き合いになったほか、青少年交流事業計画をぶちあげるなど、未来志向の日中関係を考えてきた。

胡耀邦は歴代中国指導者のなかでは最も開明的、民主的だった。中国の将来を考えるうえで期待の星だった。ところが、忘れもしない1987年1月16日、政治局拡大会議で胡の失脚が決まった。当時留学中の僕は「中国の民主化は大きく後退する」と思い、食事も喉を通らなかった。事実、その後、中国の政治改革は胡耀邦時代ほど進んでいない。
胡の失脚の理由の一つに「日本と必要以上に関係を持った」ことが指摘されていた。中曽根は首相として靖国神社を参拝、翌年以降は参拝をやめた。「中国から大きな批判があり、親日派のレッテルを貼られた胡耀邦が失脚する恐れがある」と、参拝をやめた理由を語ったことがある。中曽根は盟友の失脚に責任を感じていたに違いない。ましてや二年後に胡は憤死、89年6月4日の天安門事件の引き金になった。
中曽根は習近平が天皇と会えないと、中国側の、特に習自身のメンツを失わせ日中関係に大きなしこりを残すことを憂慮し、あちこち説得して回ったのだろう。

江沢民以降、絶大なカリスマ性を持ち合わせなくなった中国の最高指導者は、前例踏襲こそが自らの権力の正統性を維持する数少ない手段だ。
副首相時代のトウ小平も、国家副主席時代の胡錦濤も、天皇に会った。同じ待遇が得られないなら習はポスト胡錦濤に極めて不利になると考える。中曽根は中国の要人にもう失脚の原因を与えたくなかったのではないか。
これは民主党とか自民党とか、党利党略の話ではない。

ところで、「1カ月ルール」を守らないのはけしからん、と会見までした羽毛田宮内庁長官の意図は何か?単純に天皇の健康をおもんぱかったからか。会見までしなくても、官房長官に抗議すれば済むことではないのか。民主党政権に対して国民が良くない印象を持つように仕向けたのではないのか。それこそ天皇の政治利用ではないのか。

天皇の健康問題を無視することはできないが、日中関係の良好な未来を考えるのなら、天皇は習近平に会うべきだったし、会って良かったと思う。