わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

紹介文を紐解く「カナガワ」

2011年06月12日 | 太平洋序曲2011年公演
初日まで一週間を切りました。
いよいよ、という感じになって参りました。

「こいつ、どこまでお節介なんだ」「よく、それだけ書くことがあるな」と呆れられそうですが、めげずに、元気よく「紹介文を紐解」の第一弾「カナガワ」をお送りしたいと思います。
あと数日で、どれぐらい書けるかわかりませんが、楽しんで頂ければ幸いです。

今回の公演は神奈川県横浜市での開催ですので、観客も神奈川の方が多いと思うのです。
と、すると「カナガワ」って書いたのは、当然、と思っていらっしゃるでしょう。

私は神奈川県民ではないですし、日本史もさらっとやっただけでした。
その知識で「太平洋序曲」を最初に観劇した時、なぜ「ウェルカム・トゥ・カナガワ」?
「ウェルカム・トゥ・ヨコハマ」ではないんだろう?と思いました。
そこで、調べてみると・・・
幕末、「神奈川」と言えば、東海道沿いの宿場町神奈川宿(現在の神奈川区あたり)のことを指していたそうです。
で、「横浜」はと言えば、今では信じられませんが、100戸足らずの半農半漁の寒村だったそうです。
当然、ペリーさんたちは「神奈川」の開港を求めたのですが、幕府は宿場町として繁盛していた場所へ外国人が出入りするといろいろと面倒が起ると思い、「横浜」を「神奈川在横浜」と称し、「横浜」を開港することで折り合ったようです。

繁華街があったのは「神奈川」だったので、「ウェルカム・トゥ・カナガワ」なんですね。そのころ、「横浜」なんて、だれもしらない地名だったのかもしれません。
もし、幕府が「神奈川」を開港していたら、今の「横浜」はなかったわけです。

「神奈川」と表記すると、「神奈川県」を想像してしまうので「カナガワ」と表記したのではないかと思います。

開港から152年を先日迎えました。この152年の変貌のスピードをどう感じるでしょうか?
日本には、日本人には、絶対的な潜在能力があることをこの「横浜」は、私たちに語りかけてくれています。