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わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

アンナ・カレーニナ

2011年01月22日 | 観劇記
2011年1月22日マチネ シアター・クリエ
「アンナ・カレーニナ」

アンナは一路真輝さんでした。

「アンナ・カレーニナ」と言えば、映画や小説の印象が強く、とにかく「暗い」舞台だろうと想像して出かけました。
初演は観ていないのですが、相当前に一路真輝さんのコンサートで何曲か聞いていました。その印象も「暗い」でした。

が、実際の舞台はコミカルな場面も多く、とても楽しく舞台を観ました。

コミカルな場面を担当する、葛山信吾さんや山西惇さんが素晴らしかったですね。

小説も映画も学生時代に触れていました。
かなり理解できていないところがあったように思います。
今、アンナより遥かに年齢を重ね、子育てもして、この作品に出合うと、本当に印象が違いますね。

道徳に外れることをすると、罰を受ける、という主題だと思っていましたが・・・

もちろん、それもあると思います。
しかし、私がとても印象的だったのは、父カレーニンと息子セリョージャとの
心の交流であり、カレーニンがアンナとヴロンスキーとの間の女の子を
喜んで引き取ったようだ、とのくだりです。

親が子どもを育てる、と考えるのが普通かもしれませんが、
子どもと一緒に親も育っているのだと思います。
カレーニンも遅ればせながら、子どもとの時間が自分にどれほど大切なのかに気付いたのだと思えました。

こんなことには、自分が学生だったときには気がつきませんでした。

名作は、読む(観る)度に、印象が違うのでしょうね。

簡単ですが、こんな感想でした。


シアター・クリエには何度か行っていますが、やはり、舞台を楽しむ、というにはこれぐらいの大きさの劇場が一番いいなぁと思いました。

2月6日まで上演しています。当日券もあるようですので、「暗いのはいや!」という方、笑える場面もたくさんあります。小説を読むのは面倒だけど、「アンナ・カレーニナ」は知りたいという方も、どうぞ劇場へ。

七つの人形の恋物語

2010年07月31日 | 観劇記
七つの人形の恋物語
2010年7月31日初日 ル・テアトル銀座 実質前から4列目ぐらいの下手寄り

2008年08月23日赤坂ACTシアターで誕生した音楽座ミュージカル「七つの人形の恋物語」。
初演と同様、初日に観劇しました。

終演後、ちょっと銀座で一杯やってから帰宅したので、眠いのですが、ちょっと書いてみたくなりPCに向かっています。乱文はお許し頂ければと思います。後日、訂正もあるかと思います。

初演を観劇し、再演をこれから観劇される皆様、是非、初めての作品、と思って観て頂ければと思います。かなり違います。特に、前半。
いろいろな意見があるとは思います。初日ということで多少バタバタした感は否めないかと思います。
でも、すごくすっきりしました。

筋書きは、音楽座HPやポール・ギャリコの原作を参考になさって下さい。

初演は、人形のレイナルドと人形を作りあやつるキャプテン・コックの二役を広田勇二さんがお一人で演じられていたので、観客が相当の想像力を要求されました。それが、キャプテン・コックは今拓哉さん、レイナルドは広田さんとなったので、すごく良かったです。その場面についてはまた後ほど。
この二役がはっきり分離したことと、人形たちが人形のまま登場する場面もすごく多くなり、キャプテン・コックと人形対ムーシュという関係がとても分かりやすくなりました。
また、今さんが期待通りの悪役で・・・苦笑。人形たちのムーシュへの優しさとの対比もとてもよくわかり、でも、突き詰めると人形はキャプテン・コック自身だし・・・
今回の演出だと、観客が、ちゃんとキャプテン・コックと人形の間を行ったり来たり出来るのです。初演だと、人形へ気持ちが行くと、キャプテン・コックに帰ることができませんでした。そうなるとキャプテン・コックの心の動きも分かり難くかったのですが、今回は本当によくわかりました。
その一番の場面は、キャプテン・コック一座が劇場での初公演を行う直前にレイナルドが歌う場面です。
レイナルドはキツネの人形です。キツネの襟巻が母の形見という場面がありますから、レイナルドはキャプテン・コックにとってわが身にかなり近い人形だと思われます。
レイナルドは夢だったシラノを演じます。ロクサーヌ役はジジという人形ですが、お稽古どき、ロクサーヌにムーシュを重ねて歌いあげます。これは初演も同じでしたが、今回はキャプテン・コックも舞台に出て、レイナルドの人形を操るのです。じっとムーシュを見つめ続けて。
観客は、想像力を逞しくするのですが、初演ではレイナルド=キャプテン・コックという式を頭では理解しつつも、広田さんの素晴らしい歌声に聞き惚れているうちに、キャプテン・コックの存在をすっかり忘れてしまっていたのでした。

広田さんと今さんの大ファンの私にとって、あまりにも美味し過ぎる舞台になっています。

が、キャプテン・コックがしっかりと描かれた分、ちょっと影が薄くなってしまった人形たち。もう少し、キャラクターを強烈に出して欲しいものです。
パロット(安中淳也さん)とムーシュの出会いの場面で、安中さんのアクロバットが減ってしまったのはかなり残念。なんとなく、あの演技がムーシュに元気を与えたような気がするのです。

ムーシュの関根麻帆さん、大役をしっかりこなしたと思います。キャスト変更からの短い時間で大変だったと思います。一回一回、ムーシュとともに夢を実現していって頂きたいと思います。

と、感動したり、ちょっと辛口だったりと相変わらずの私ですが、ひとつ、ファンだから言いたい辛口があります。

初日、さすがの広田さんも相当緊張なさっていたのだと思います。
私も、始まってすぐは、気持ちが入っていかなかったり、耳が劇場の音の響きに慣れていなかったりします。
いろいろ要因はあるでしょう。
それでも言いたいです、レイナルドの最初のセリフのあたり、早口過ぎます。
キツネは悪賢くて、落ち着きがないという感じを出そうとするにせよ、人(人形)の名前の紹介なので、なじみのない音の羅列ですから聞き取り難い。余計早口のように感じます。
名前を覚えると、ぐっと身近に感じます。是非、観客がしっかり人形の名前を覚えられるように紹介して頂ければと思います。
「あれやろうよ。」と言ってからの「さらば、さらば・・・」歌は本当に素晴らしいです。うっとりです・・・

とかなんとか言っても、シラノとしてロクサーヌへの思いを歌う広田さんは本当にすてきです。この歌声を聴くために、また、劇場へ行こうと思います。

それでは、このあたりで。

ドラキュラ伝説~千年愛~

2010年04月08日 | 観劇記
2010年4月8日ソワレ
新国立劇場・中ホール 実質2列目下手寄り

2年前に初演を観劇している「ドラキュラ伝説」が、改変再演という形で上演されています。
メフィストで登場される園岡新太郎さんの歌をまた是非聞きたいと思っていましたので、とても嬉しい再演です。
その上に、2年ぶりに齋藤桐人さんが舞台に立たれるということで、ますます楽しみにしていました。

かなり大きくキャストが変わりました。衣装も振付も変わりました。これらの変更が作品をどう変えたのでしょうか?
私の感想は後ほど・・・

あらすじです。(ほぼ初演の時と同じ内容です)
15世紀半ば、ドラキュラ伯爵(松平健さん)の妻アマンダ(姿月あさとさん、ミーナと二役)は、流行病にかかっている。戦場から駆けつけた伯爵だが、アマンダは腕の中で息を引き取ってしまう。
その悲しみのあまり、決して開いてはいけないという本を開く伯爵。その本からは悪魔のメフィスト(園岡新太郎さん)が出てくる。メフィストの「アマンダの生き血を吸えば、彼女は蘇る」という話を信じて血を吸う伯爵。しかし、蘇らない・・・メフィストは言う「すぐにとは言っていないぜ」と。アマンダはいつか蘇ることを信じ400年以上生き続けることとなる。それも「吸血鬼」の汚名を纏ったまま。
400年ほど経ったある日、アマンダによく似たミーナを伯爵は知る。そして、ミーナに会いにロンドンへやってくる。
ドレークと偽名を使ってミーナに会う伯爵。ミーナには婚約者ジョナサン(IZAMさん)がいるが、夢に出てきていた人物にそっくりの伯爵に惹かれていく。

ドラキュラがやって来たロンドンの街は、得体の知れない恐怖に震え上がる。
それに立ち向かうのが、ドラキュラによって愛する者を奪われた人たちであった。
精神科医のジャック・セワード(治田敦さん)はミーナの姉のようであった姪のルーシー(紫城るいさん)を奪われた。アーサー(松原剛志さん)はルーシーの恋人だった。
ヴァン・ヘルシング博士(今井清隆さん)は、小さい妹を奪われた。それがきっかけとなって、吸血鬼の研究をしていた。

ドラキュラ伯爵は、ミーナやその周りの人たちの悲しむ姿を見て、自分を葬り去らなければならないと決意する。しかし、その方法はあまりにも無惨なことであるとメフィストから聞かされる。その方法とは?

ミーナは婚約者ジョナサンと幸せになるのか?
ドラキュラによって愛する者を奪われた人々は、ドラキュラに復讐できるのか?
そして、ドラキュラ伯爵の運命はいかに???


謎解きの部分は、是非、劇場でお確かめ頂きたいと思うのですが・・・

ここからは感想です。

メフィストの園岡新太郎さんは、本当にすてきです。ものすごい悪役なのですが、たまらないです。たった2場面(でも、時間にすると結構長い)ですが、ドラキュラがなぜ400年以上生き続けたかの謎を解く人物、いえ悪魔ですから、印象が強烈です。園岡さんのファンであれば、是非、劇場へ!!!

齋藤桐人さんもダンスに歌にと、2年間のブランクを全く感じさせないご活躍でした。
特に、ダンスの切れの良さ!
是非、ダンス・シーンの多い舞台でありますので、ご注目下さい。
ロンドンの町のシーンでは、ヴァンパイアたちの餌食になっています。

アンサンブルの皆様は、本当に何役もこなされます。ヴァンパイアたちの餌食になってしまう齋藤さんのメイクもすごい勢いで変えているのか、何か被っているのかまでは分かりませんでしたが、衣装だけでなく、メイクの変更もすごくあるので、本当に大変です。
本当に、アンサンブルの皆様の素晴らしい活躍があって、すごく盛り上がる場面が多いので、とっても楽しめる舞台です。

でも、敢えて言います。
舞台を引っ張り、作品の完成度を上げていくのは、主演の頑張りがなければ、あり得ないことです。

正直、キャストのお名前を見た時点で、どういう意図でキャスティングしているのか分かりませんでした。でも、キャスティングされたのだから、きっと私の予想を裏切ってくれるとほのかな期待もありました。

開幕して3公演目を見ました。ちょっと、疲れが出るころかもしれません。観客の反応に戸惑っているのかもしれません。
が、それを差し引いても、もう少し頑張ってほしいです、姿月さん!
ルーシーの紫城さんの渾身の演技、バベルの光枝さんの軽妙な演技、先ほども言いましたが、アンサンブルの皆様のスリリングでありながら、堅実な動き。これらに支えられているのに、感情の動きが観客に全く伝わらない、セリフに歌。
ミーナのイメージは、400年の時を超えて愛される女性ですから、やはり可愛くなくてはならないと思うのです。残念ながら姿月さんは、舞台映えがすると言えばそうですが、一緒に登場することの多い紫城さんと比べるせいもあり、どちらか言うとたくましい方です。衣装も、お二人の体格の違いをあまりにも際立たせてしまっているように思いました。いろいろ、姿月さんにはマイナスの要因があって大変だと思います。立っているだけで絵になるとはいかないのですから、もっと、もっと演技で観客を魅せなくてはなりません。
観客が、この女性であれば、男性が心惹かれ、自分の愛を押し通すために、多くの人の命を犠牲にしても仕方がないかも・・・と、思うような女性を演じて下さらなければ、舞台は盛り上がりません。
控え目な女性を演じようとしているのかもしれません。が、観客の私には、ただ、夢見る夢子、という幼稚な女性にしか見えませんでした。こんな演技プランでは、最後の決断へ至るとは思えません。共感も、感動もできないですね。

私が応援している、園岡さん、治田さん、齋藤さんがとても魅力的な役を演じて下さっているのに、多くの方に是非観て欲しい、と言えない悔しさもあり、相当辛口になってしまいました。

東京に戻って来たときに、私のこの観劇記が「うそでしょ!」批判されるように、舞台が変化していくことを祈りつつ・・・

今日はこのあたりで。

レ・ミゼラブル

2009年11月03日 | 観劇記
2009年11月3日 ソワレ
帝国劇場 1階後方かなり上手より

終演後のファン感謝イベントも見ました。
今拓哉さんの司会。小西さん、シルビアさん、新妻さんのトーク。
小西さんがギターの弾き語りで「オン・マイ・オウン」を歌うというミニコンサート付き。

また、詳細は後日書きます。しばらくお待ち下さい。

ミュージカル「シラノ」

2009年05月05日 | 観劇記
2009年5月5日初日 日生劇場 GCほぼセンター

観劇記とは言えないほど、簡単な感想ですが・・・

「鹿賀丈史ショー・ミュージカル・コメディ『シラノ』」という舞台でした。

「シラノ」という作品は、もうそれこそ雨後の筍のようにいろいろな舞台、映画があり、潤色もたくさんあるようです。ということは、大筋さえ抑えれば、どんな脚本も可能なのだと思います。それだけに、新作は、楽しみです。こういう、解釈もあるのか・・・という新発見があるからです。
今回も、いろいろ思うことがありました。本当に、楽しい舞台でした。
現在の社会状況を考えると、楽しい舞台が求められているとは思いますが・・・
それだけでいいのかなぁ???という気持ちもあります。

ミュージカルですから、音楽への感想を一言。「我らがガスコン」という曲はとても印象深い歌でした。が、この歌は主演の俳優のソロではありません。やはり、長く続くミュージカルには、主役の男女のソロ、デュエットなどで忘れられない歌がありますよね。そういう観点からすると、主役のソロの音楽はちょっと弱いかなぁと思います。耳心地はとてもいいのですが、心に残るというか引っかかる感じではありませんでした。

後日、観劇の予定がありますので、いろいろな変化を楽しみにしたいと思います。

森は生きている

2009年01月17日 | 観劇記
森は生きている
09年1月17日マチネ シアター1010

初日を観劇しました。
安崎求さん演出のこの舞台はこれで5回目の公演だそうです。
私は07年夏の公演も観ました。

お話しはとても有名ですから、あらすじは省略します。

舞台の印象は、落ち着きのある舞台、でしょうか。
また、作品としては再演ですが、キャスト特にメインキャストは初演初日という緊張感があったと思います。ちょっと硬いかな、という印象でもありました。

何度観ても、お話しとして面白いだけではなく、環境問題、特に自然と共に生きていかなくなった人間の傲慢さへの警鐘を感じ、日頃の生活の反省にしています。

そして、子供の成長の過程も語られている舞台ですので、特に、「女王様」には舞台の中で成長をして頂きたいのです。
こういう視点からすると、今回の女王様役の池田祐見子さんはちょっと落ち着き過ぎという印象でした。お転婆で、意地悪で、自分勝手で(それらは、孤独ゆえの寂しさの裏返しなのだが)、という負の面が弱いなぁと思いました。
前回私が観劇した07年の黒木マリナさんがあまりにもそういう面を生き生きと演じていたので、余計にそう感じたのだと思います。

娘の辛島小恵さんの演技も非常に落ち着いていました。
メインお二人が落ち着いているので、それはそれで安心して観ていられるのですが、舞台に引き込まれるという感じはありませんでした。そのあたりが、上手さだけでは観客を楽しませられないということでしょうか。まあ、私が思いっきりわがままなのかもしれませんが、苦笑。

07年に続き今回も楽しませてくださったのが、義姉の及川健さん。あの意地悪さ、最高です、笑い。

博士の佐山陽規さんも、前回に引き続いてのご出演です。この博士役の歌を歌う佐山さんの声がとてもすてきです。勿論、どの役も好きですが、この「博士」役はとても好きです。
佐山さんは無名塾の「森は生きている」で一月の精も演じていらっしゃいますが、私は博士の方がお気に入りです。やはり、人間としての心の葛藤を演じて頂きたいからだと思います。
ちなみに、博士はいろいろな心の葛藤があります。教育者として、またちょっと政治に関わる立場の人間としての悩みが凝縮されているのです。
特に博士の教育者としての面は、母としての私にとって、とても興味深い役柄です。
で、最後に思うのは、教育者ががんばってもだめなんだなぁ。体験することが大切なんだ。ということです。
というわけで、出来る限り私はがんばらず、子供達の自主性に任せようと思うのでした。まあ、こういうのを、手抜き、とも言います、苦笑。

なにはともあれ、この作品はとても奥が深いので、何度観ても楽しいです。また、ライズ・プロデュースが制作するこの安崎求さん演出の再演の機会もあるでしょうし、別のバージョンでの公演もあると思います。是非、「森は生きている」という作品の舞台を観劇してみて下さい。

佐山陽規さん

2009年01月03日 | 観劇記
佐山陽規さんは、以下の日程でミュージカル「シラノ」にご出演の予定です。

2009年5月5日~5月28日 日生劇場
2009年6月3日~6月7日  梅田芸術劇場メインホール

(以下、敬称を略させて頂きます。)

演出 山田和也
原作 エドモン・ロスタン
製作 ビル・ケンライト
音楽 フランク・ワイルドホーン
脚本・作詞 レスリー・ブリカッス

主なキャスト
鹿賀丈史 朝海ひかる 浦井健治 中河内雅貴
戸井勝海 光枝明彦 鈴木綜馬
林アキラ 大須賀ひでき

2008年10月8日の記事に追記しました。

マドモアゼル・モーツァルト

2008年12月21日 | 観劇記
2008年12月21日  東京芸術劇場・中ホール
7列目センター

年末恒例となりつつある、音楽座の舞台を観てきました。
舞台芸術といわれる分野の中でも、娯楽性が高いと思われているミュージカルですが、時代背景、社会情勢と切り離せるはずはありません。しかし、その一方で普遍性や娯楽性をいかに伝え、観客を満足させる必要もあるわけです。

「マドモアゼル・モーツァルト」とは別に2006年に音楽座が再結成されたときの演目「21C:マドモアゼル・モーツァルト」があります。このときも著作権絡みで、今回上演された「マドモアゼル・モーツァルト」が上演できなくて、「21C:~」として本筋は同じで、いろいろ変更した作品が上演されたと聞いています。
今回、やっと上演にこぎつけたところ、今度は作曲の小室哲哉氏が話題の人となってしまいました。
小室氏関連のビジネスが数々中止される中、音楽座は続行を選択しました。
この選択が吉と出るか、凶と出るかはわかりません。
非常に難しい問題を含んでいるので、私の考えをお話しするべきではないかもしれませんが、敢えて言うなら、私としては別の演目を上演して欲しかったです。
作品を観劇し、確かに小室氏の音楽はすてきだと思いました。が、音楽座なら別の演目の上演も可能だったはずです。

複雑な思いを抱きながらの観劇となりましたが、舞台はとても楽しかったです。
モーツァルトの高野奈々さん、コンスタンツェの安彦佳津美さん、主役の新人お二人も、新鮮でよかったと思います。
「21C:マドモアゼル・モーツァルト」では、よくわからなかったサリエリ(広田勇二さん)のモーツァルトへの思いもしっかり描かれていました。サリエリとモーツァルトの関係はいろいろ言われています。ライバルを通り越して呪い殺したという説もあります。私は、この作品のような思いがあったとは思いませんが、一番の「理解者」であったという説がしっくりくると思っています。
モーツァルト人気も下火になってしまうところなど、今も昔も人々の心がいかに移り気であるかがわかります。現在のことと重なっていますから、時代を超えた作品と思えました。

それにしても、モーツァルトの音楽は素晴らしいです。これから何百年先でもモーツァルトの音楽は愛され続けるでしょう。この舞台も愛され続けて欲しいのですが・・・
今後の小室氏に対する社会的審判次第でしょうか。

エリザベート

2008年11月15日 | 観劇記
2008年11月15日マチネ  700回記念公演
1階補助席下手寄り

なかなか観劇の予定が立てられずにいました。数日前に、15日マチネなら・・・と思い立ち、ネットを見ると「700回記念公演」と話題になっていました。
チケットを事前に準備できないまま、朝、ちょっとした集まりの後、10時少し過ぎてやっと帝劇にたどり着きました。どうかな?と思いましたが、無事チケットを手にしました。

是非、皆様も思い立ったが吉日。劇場へ足をお運び下さい。

公演の感想はまた、後日あらためて書くことに致します。

09年の大阪公演を終えると796回ですから、700回もただの通過点かもしれません。また、そうなって欲しいとも思います。
でも、カンパニーのなかで700回連続出演を迎えたのは9名のみ(多分)。やはりお祝いしたいですね。
その9名の中のお二人は、治田敦さんとさけもとあきらさん。「太平洋序曲」以来、応援させていただいてる方です。

厳密に言うと、「太平洋」以来というよりは、「エリザベート」での出会いがあって「太平洋序曲」との出会いがあったという方が正しいのです。

東宝での「エリザベート」初演は2000年6月6日。
私は縁あって、6月7日を観劇しました。もう8年も前です。
自分自身、子供の頃から観劇をとてもよくしていましたが、結婚・出産の時期は劇場から足が遠のいていました。それでも、年に1回か2回は行っていました。
2000年になると子供達も観劇できる年齢にやっとなっていましたし、ちょっと預けて一人観劇もできるようになった頃でした。
そして、出会った「エリザベート」。
今日、久しぶりに観劇しましたが、素晴らしい楽曲の数々、ミュージカルらしい華やかな舞台、あらためて素晴らしい作品だと思いました。
本当に出会えてよかったと思いました。
6月7日に観劇して、エルマー役の今拓哉さんに魅せられまして・・・
今日、エルマーの登場を冷静に観ていて、よくこの少ない場面ではまったよなぁ・・・と自分を誉めてしまいました(苦笑)。
今さんの出る舞台ないかなぁ・・・あった!!!「太平洋序曲」???
治田さんやさけもとさんもご出演ということでしたし、期待して観劇しました。
その結果は、期待通りどころか・・・作品に、俳優の皆様にはまりこみました。
今の私の生活の半分がこのあたりで決まったという感じでしょうか。

大人気だった「エリザベート」の当日券に朝早くから並んでいたときに知り合った方と、今でも親しくさせて頂いています。なんというご縁でしょうか!!!

今日は、久しぶりに、補助席に座りました。
こんなに狭かったでしょうか?
01年の再演時、まだ小さかった下の娘を膝に乗せ、あの椅子で観劇したこともありました。若かったです。今は、そんなことしたら翌日寝込みます。

舞台も、随分かわりました。
いろいろ、思うことはありますが、これから変化を遂げながら、多くの方々に愛される「エリザベート」が続いていくことを願っています。そして、この魅力ある舞台に接して、私のように他の作品や他の俳優にどんどん興味を広げていって下さるミュージカルファンがどんどん増えることを切に祈っています。

本当に700回、おめでとうございました。

七つの人形の恋物語

2008年08月23日 | 観劇記
2008年08月23日 赤坂ACTシアター 1階10列目ぐらいのセンター

音楽座が再出発してからの初の新作「七つの人形の恋物語」の初日を観劇してきました。
音楽座が再出発してからの作品は全作品を観劇しています。過去の素晴らしい作品を遥かに凌ぐ、素晴らしい作品が出来上がったと感じました。

この作品はポール・ギャリコの原作がありますので、あらすじは省略します。

作品自体がとても面白いと思います。人形なのですごくキャラクターがはっきりしているのです。舞台という限られた空間と時間の中では、キャラクターの明確さが大切だと思っているのですが、この作品はそれが極端であり、その極端さがそのままでは終わらず、最後は人形から生身の人間へと戻るという素晴らしい設定になっていました。抽象的な話になってしまいましたが、その素晴らしさは劇場で体感してみて頂ければと思います。

ちなみに人形は、

にんじん(吉田朋弘さん):青年ちょっと手前の少年。好青年、という形容がぴったり。
ジジ(野田久美子さん):わがままで美しさに自信溢れる少女。
アリファンファロン(右田隆さん):通称アリ。身体が大きく相手を怖がらせたいのだか、実はとても気が小さい青年。
デュクロ博士(藤田将範さん):ペンギン風。歌がとても上手い。知識があるが、それを鼻にかけている男性。
マダム・ミュスカ(清田和美さん):夫に死に別れた孤独な未亡人だが、おしゃべりで世話好き。
ムッシュ・ニコラ(大場泰正さん):人形作りの老職人。とても親切。
レイナルド(広田勇二さん):通称レイ。キツネです。性格もキツネです。

書いてみると、改めて、強すぎるぐらいのキャラクター7つ。パワー炸裂なわけです!!!

音楽も良かったです。アコースティックな音が多く、心落ち着きました。ピアノの独奏が何度かあるのですが、それが素晴らしいのです。

音楽座のミュージカルは、音楽座という割には、ダンスがとても多かったりして、それはそれで人気の秘密なのかもしれませんが、私はやはり音楽や歌にこだわってしまいます。この作品は、歌が多いように思いました。そして、感情を乗せやすい曲想になっていたと思います。
応援している広田勇二さん(人形のレイナルドと人形を作りあやつるキャプテン・コックの二役)は、音楽座の舞台でたくさんの主要な役柄をこなしていらっしゃいますが、私としては消化不良のこともありました。その理由は、歌が少ない役が多い、だったからです。今回は絶対広田さんでなければ歌い切れないと思われる素晴らしい歌がたくさんあります。ハードルの高い歌を、難なく歌い、観客に感情をぶつける、これこそがミュージカルの醍醐味ではないかと思うのです。

感情をぶつける、と言いましたが、この作品は、音楽座の新しいメンバーが作り出した作品です。どの作品も大切に創っているとは思いますが、やはり、なんとなく、どことなく、過去の栄光を守りたいというか、失敗したくないという感じがあって、無難ではありますが、ぶつかってくるような感動はありませんでした。
その殻が今回は破れたという感じでした。
生の舞台を観る楽しさを感じるひと時でした。

もっといろいろお伝えしたいことはあるのですが、またの機会に。

素晴らしい作品とは言え、ちょっとこれは言いたいと思うのは・・・
宣伝が暗いのでは?
ということです。
重そうなテーマなので、気軽に見に行く雰囲気ではないように思っていました。
舞台を観てみると、小学生も楽しめそうな、明るい場面がほとんどです。宣伝にも劇団側の意図を感じなくてはいけないと思いますが、「夏休み最後の思い出に子どもたちと行こう」というイメージでの宣伝でもよかったのではないかと思います。子どもをぎゅっと抱きしめてあげたくなるような作品ですからネ。

というわけで、子どもも十分楽しめる舞台です。そして、大人はじっくりと考える舞台です。年代、年代で感じることが違うと思いますが、それぞれとても楽しめると思います。
是非、観劇してみて下さい。東京公演は、新名所、赤坂サカスの一角、赤坂ACTシアターで8月31日までです。

音楽劇「母さん」

2008年07月02日 | 観劇記
08年7月2日  大田区民プラザ

サトウハチローの詩と母のものがたり音楽劇「母さん」を観劇しました。

詩人サトウハチローが世に送り出した歌の数々、また、この舞台のために、新たに新垣雄さんが作曲してハチローの詩に曲をつけた歌をベースに、ハチローと母親のことだけではなく、家族のことを物語る作品でした。
ハチローの子ども時代と大人になってからの時代が交錯して舞台は進んでいきます。

笑いあり、涙あり・・・とてもステキな作品でした。

思っていることと、口にすることや行動がとてもかけ離れてしまうハチロー。思っていることを表現できるのは詩の世界だったということなのでしょうか。一芸に秀でる人物というのは、こういう感じの人が多いのかもしれません。
こういう極端な人物を描くので、本当に笑える場面がたくさんありました。病気や戦争、離婚など重いテーマも織り込まれているのですが、明るく楽しい舞台という印象です。
そして、知っている歌がたくさん流れてくるので、いいですね。


さて、俳優の皆様への感想に混ぜながら作品への感想なども。

伊東恵里さん。ハチローの母親ハルとハチローの娘鳩子を演じられました。結構早替わりの連続なのですが、病気で弱々しい母親と元気で気丈な鳩子を演じ切られていました。どうして、あんなに感情を歌に乗せられるのだろうと思います。それでいて、すごくきっちり歌詞も、音程も・・・。弱々しい歌声なのに、歌自体ははっきりしていて、すごく聞き取りやすいのです。
当たり前のことなのかもしれませんが、俳優の感情が先走って、歌詞が聞きとれない歌もたくさん聴きます。これだと観客は一気に冷めてしまいます。良い作品でも、伝える俳優の方々の実力が伴わないと、作品の良さは観客に届かないと思います。
その点、今回のような少人数のカンパニーですと、質の高い舞台が出来上がるので、作品を作品として楽しめると感じています。

ハチローの青年時代とハチローの長男忠を演じられたのは足立龍児さん。どちらも親に反抗する役ですが、それが寂しさの裏返しと言う感じがとてもよく伝わってきました。

大人時代のハチロー、と言っても20代後半から60歳まで、を泉拓允さんが演じられました。酔っ払っている場面が多かったように思いますが、大きな身体なのに甘えるところなんかが、すごくいいなぁと思いました。台詞にあるわけではないですが、子どもの頃思い切り甘えることが出来なかったことにこだわっているのだなぁと感じながら見ていました。

佐山陽規さん。ハチローのよき理解者福士幸次郎を演じられました。
ハチローが小笠原に行かされた時に世話役として同行するのですが、ハチローはこの時に詩を作る楽しさを知ったようです。
私の周囲にも、程度の差こそありますが、思っていることと、表に出る言葉や行動が異なってしまう人は結構多いです。それを理解してくれる人がいるかどうか。それがその人の運命を決めてしまうのだろうと思いました。福士との出会いはハチローにとって運命の出会いだったのかもしれません。
そして、福士はハチローだけではなく、複雑な家庭であった佐藤家全員の理解者だったようです。
そんな心の広い、優しい人柄が佐山さんにぴったりでした。
ここ何作品かはどちらかというと、厳つい役が続いたこともあり、久しぶりの優しく、温かみのある歌声が心に染み入りました。福士も多分20代?というあたりから、60歳ぐらいまでを演じなければなりません。舞台の構成上、いきなり年老いたり、若返ったり。とても不思議な時間でした。
あんな場面も、こんな場面も本当に楽しく拝見しました。また役を離れて、何曲かソロもあり、佐山さんファンの私としましては満足のいく舞台でした。
たくさんの舞台を拝見しているのに、また、新たな魅力を発見した感じです。俳優さんはなんて、たくさんの引き出しを持っていらっしゃるのだろう!!!と今更ながら、驚いています。

とてもステキな舞台なのに、東京での公演は短期間です。また、是非、拝見したい舞台です。一週間ぐらいは継続して頂ければと思うのですが・・・。

それでは、また。

DRACULA~ドラキュラ伝説~

2008年06月13日 | 観劇記
DRACULA~ドラキュラ伝説~
ここ数日、バレーボール関係の記事を書いていましたが、ミュージカルも3作品ほど観劇しました。
「Calli~炎の女カルメン~」「レベッカ」そして本日「DRACULA~ドラキュラ伝説~」です。
「Calli」「DRACULA」はとてもよく知られたお話を、別の視点から見直してみるというコンセプトの舞台でした。
今日は「DRACULA」の感想を。

あらすじです。
15世紀半ば、ドラキュラ伯爵(松平健さん)の妻アマンダ(剱持たまきさん、ミーナと二役)は、流行病にかかっている。戦場から駆けつけた伯爵だが、アマンダは腕の中で息を引き取ってしまう。
その悲しみのあまり、決して開いてはいけないという本を開く伯爵。その本からは悪魔のメフィスト(園岡新太郎さん)が出てくる。メフィストの「アマンダの生き血を吸えば、彼女は蘇る」という話を信じて血を吸う伯爵。しかし、蘇らない・・・メフィストは言う「すぐにとは言っていないぜ」と。アマンダはいつか蘇ることを信じ400年以上生き続けることとなる。それも「吸血鬼」の汚名を纏ったまま。
400年ほど経ったある日、アマンダによく似たミーナを伯爵は知る。そして、ミーナに会いにロンドンへやってくる。
ロンドンの街は、得体の知れない恐怖に震え上がる。
それに立ち向かうのが、ドラキュラによって愛する者を奪われた人たちであった。
精神科医のジャック・セワード(安崎求さん)はミーナの姉のようであった姪のルーシー(紫吹淳さん)を奪われた。アーサー(藤本隆宏さん)はルーシーの恋人だった。
ヴァン・ヘルシング博士(鈴木綜馬さん)は、小さい妹を奪われた。それがきっかけとなって、吸血鬼の研究をしていたわけだが。

ドレークと偽名を使ってミーナに会う伯爵。ミーナも伯爵に惹かれていく。

ミーナは婚約者ジョナサン(大澄賢也さん)と幸せになるのか?

ドラキュラによって愛する者を奪われた人々はどうなるのか?

そして、ドラキュラ伯爵の運命はいかに???

是非、劇場でお確かめ下さい。

ここからは感想です。
主役の松平さんがステキです。苦悩する姿・・・思わず涙してしまいました。
主役もステキなのですが、脇を固める皆様が豪華なこと。そして、素晴らしいのです。
似たような役柄もあるのですが、ひとつひとつのキャラクターがしっかりしていて、削ってもいい役はないですね。脚本の高橋知伽江さんの技ありなのでしょうか?原案を作られた赤坂雅之さんの発想の素晴らしさなのかもしれません。
そして何より、演じられる俳優の皆様が、役に息吹を吹き込んでいらっしゃるのだと思います。脇の役柄がドラキュラ伯爵を浮き立たせ、優しさと苦悩がしっかりと伝わってくるように描かれているのです。
音楽もステキでした。

バンパイアの3人組み(真織由季さん、初風緑さん、初嶺麿代さん)も妖しいだけではなく、歌もとても良かったです。

鈴木さんも、安崎さんも怒りと悲しみが溢れていらっしゃいました。

鈴木さんは、最初と最後に歌われるのですが、特に最初の歌がすごく良くて、ぐっと舞台に引き込まれました。さすがです。

藤本さんも、ルーシーを吸血鬼として存在させないために、埋葬されているルーシーにあることをするのですが・・・この場面、すごく良かったです。もう、涙が止まりませんでした。

そして、執事の光枝さんの軽妙さ。今年になって3作品拝見しましたが、どれもキャラクターが違っているのに、その役として生きていらっしゃるのです。今更ながら、素晴らしい俳優さんだと感じています。

そして、なんと言ってもメフィストの園岡さんです。出番こそ少ないものの、圧倒的な存在感なのです。私は、いつも主役の運命を変える役柄をなさる俳優さんが素晴らしいと、その舞台は輝くと感じています。今回の園岡さんは本当に素晴らしいです。もう、その怖さ、憎々しさ、意地悪さ、非情さ・・・何か、負のイメージばかりですが、その負が強ければ強いほど、ドラキュラ伯爵の真っ白なバラのような心がますます切なく観客の涙を誘うのです。

ドラキュラの暗いイメージはなく、どちらか言うと華やかな明るい舞台です。子どもから大人まで楽しめる舞台ですね。楽しみながら、「愛」とは「生きる」とは?を考えてみたくなる舞台です。

私も結構何かにはまる(愛する)と、長続きするほうです。4年はあっさりクリアします。40年はどうでしょうか?まだ体験がないのですが、この分で行くと(どの分???)クリアできそうな気がします。400年・・・私が愛することは無理でしょうけれど、愛されていたとしたら、怖いけれど、やはり嬉しいのでしょうか?想像つきません。
一青窈さんの「ハナミズキ」を聞いたときも、100年・・・なんてステキな愛なんだろうと思いましたが、その4倍。ステキ過ぎますね。

というわけで、久々に一気に観劇記を書いてみました。

(6月16日に加筆、訂正しました。)

SEMPO

2008年04月13日 | 観劇記
新国立劇場で公演中の「SEMPO」を観てきました。

いろいろ思うことはあるのですが、とにもかくにも

是非、観て頂きたい

です。

作品の構成には言いたいことがあります。(後日書く予定です・・・08/6/20加筆の欄です)
が、杉原千畝さんのことを知って頂ける機会なので、劇場に足を運んで頂きたいのです。

私が杉原さんの名前を知ったのは大学の国際法の授業でした。当時リトアニアはソ連の一部でしたので、詳細は殆ど理解できませんでしたが、ユダヤ人を助けるために本国の命令に従わず、ビザを発給した、ということは分かりました。
しかし、国際法の授業なので、この行為が「国際法上、許されることか?」という論点を中心に教授が話していたと記憶しています。

ミュージカルの主人公になるときに、理想化されてしまうこともあるとは思います。
しかし、世界に誇れる日本人として、私たちが知るべきことがしっかりと含まれているミュージカルになっていると思います。

私たち日本人は、どうも誇れる人物や芸術を自分たちで自覚することがないように思えます。まあ、遠慮がちな日本人らしさとして、それが美学でもあるのかもしれませんが、一歩間違えば「無知」でしかありません。歴史教育もしっかりやって欲しいと思います。

「国際法上の問題点」と「人道を守る必要」
国際法の授業は全体として好きでしたが、この問題についてだけは、私は教授とは全く違う考え方でした。
あのころは、まだ若く、「正義・理想」を追いかけていました。それだから、反発したのかもしれないと感じたことありました。が、今回ミュージカルを観て思いました。
正義や理想を追いかけることを諦めてはいけない。

これを求めるには、すごくエネルギーが必要です。つい逃げたくなります。
でも、このミュージカルからエネルギーをもらいました。
このエネルギーを、多くの人達の役に立てていきたいと思っています

以下は08年6月20日に加筆しました。

あらすじ
酒場で陽気に踊る若者たち。ある老人(沢木順さん)は怪訝に思うが、バーテンダーの「明日出征なので・・・」との説明に納得する。その酒場の片隅でトニー(今拓哉さん)とビル(泉見洋平さん)が口げんかをしている。仲直りのためにトニーがもう一杯と思うがお金がない。後でお金は持ってくるから、とトニーは持っていた首飾りをバーテンダーに預ける。その首飾りを見た老人は、杉原氏(吉川晃司さん)のことを思い出す。

時代は第二次世界大戦前夜。フィンランドの日本大使館。和装姿の杉原幸子(森奈みはるさん)が夫の変わりに訪問客を接待している。明日はリトアニアへ領事代理として赴任するのだ。リトアニアには日本人は一人も在住していない。つまり杉原の使命はヒトラーの動向を探ることだった。
ヒトラーに侵攻されたポーランドではユダヤ人に対する迫害が非常に激しくなっていた。ノエル(今拓哉さん)とエバ(彩輝なおさん)は恋人同士ではあるが、エバの父親ジョゼフ(水澤心吾さん)に結婚を反対されている。ノエルは、混乱している今なら国境を簡単に越えられるから、一緒に逃げようというが、父親に猛反対され、ノエルのみ逃げる。
その後、エバにスパイ容疑がかけられ、父親は殺されてしまう。エバと母親エリーゼ(井料瑠美さん)は逃げるが、「この首飾りは幸せを運んでくれる」と言い残し、途中で母親は力尽きてしまう。
杉原は、ポーランドから逃げてきたユダヤ人と話す機会があり、その惨状に心を痛める。
リトアニアにもソ連が侵攻してくる。
ユダヤ人からは、日本経由で第三国に出国する「日本通過ビザ」の発給を嘆願する声があがっていた。日本政府の了解は得られない。国際法上もビザの発給条件を満たしていないことは杉原も分かっていた。ユダヤ人たちのさまざまな知恵もあり、合法化は得られたものの、本国の許可は取れないままであった。
「外交官の職務」と「人としての良心」との間で揺れる杉原。
杉原の使用人でありながらドイツ軍スパイのグッシェ(田村雄一さん)は「何も見ないで逃げる」ことを勧める。
絶望の中でも希望を失わないユダヤ人の歌声を聞き、杉原はビザを発給する決意をする。
ほぼ不眠不休で、手書きでビザ発給をする杉原の姿に、グッシェも心を打たれ、協力をしてくれる。
周辺の国々からユダヤ人がどんどんやってくる。ソ連から領事館閉鎖を迫られる中、一人でも多くのユダヤ人にビザを書こうとする杉原。
しかし、ついに杉原が旅立つ日が来た。ノエルはエバが着たら二人にビザを発給してもらうつもりだったが、エバはやってこない。杉原から家族ビザを発給してもらう。これがあれば、後でエバに出会えた場合、一緒に出国できるのである。
杉原の出発を見送っていたところに、エバが倒れこんでくる。ノエルは家族ビザで新しい生活を始められると、エバに伝える。

以下、感想となりますが、全体の感想は上述したとおりです。本当に、この作品に触れることができて、嬉しく思いました。これから先、何年、何十年と上演し続けて頂きたい作品です。
こういう熱い思いがあるからこそ、ちょっと辛口で語りたい点がいくつかあるのです。舞台構成の面が多いです。

あらすじにあえて書かなかったのですが、最初の場面の時代設定はちょっとどうかと思いました。首飾りの存在が重要であること、トニーがノエルとエバの孫であること、などプロローグとしてこの場面が大切なことは分かるのですが、この時代背景がベトナム戦争であることは、現在ではわかり難いのではないかと思います。私も、最初分かりませんでした。これが分からないと、混乱したまま本編へと突入してしまいます。現在を見せることで、歴史が繋がっていることを意識させるのはいいことですが、ベトナム戦争でなくても良かったと思います。普通の日常でもよかったのではないでしょうか?まるまるこの場面がなくても良かったと思いました。

あらすじには書かなかったのですが、ポーランド人のルネ(宮本竜圭さん)が司会をしながら、女優さんがドイツ(グレース美香さん)、ソ連(徳垣友子さん)、日本(斉藤レイさん)となって三国の関係を描く場面が2回あるのですが、これがまたよくわからないのです。ビザ発給の舞台となるリトアニアがどういう国際情勢の中にあったかを描くために必要と考えてのことだとは思いますが、私の知る限りドイツとソ連の関係はこの時点で非常に複雑でした。短時間で説明できるようなものではありませんし、無理にしようとすると返って混乱します。この二国間でも難しい話なのに、日本も絡めると、大混乱に。それが、歌と踊りで表現されますから、何だか支離滅裂になっていました。ミュージカルの良さを活かしたい気持ちは分かりますが、逆効果だったと思います。語りや映像で処理した方がすっきりしたのではないかと感じました。

私は、たくさん舞台を観ていますし、想像力も豊かだと思います。が、ノエルがエバを置いて逃げてしまったことがよくわかっていませんでした。二人が別の舞台装置に乗って歌っていたのですが、その歌詞はあまり別れを悲しむものではなかったと思います。もっとはっきりとノエルの切ない思いを観客に伝えて欲しかったのです。後の場面で、杉原が合法ビザしか発給しないとわかっていても、ノエルは家族ビザの発給を頼みますし、最後の最後で、杉原がノエルに合法ではないと思いつつ、家族ビザを発給してくれるわけです。その伏線としての二人の別れの場面は弱いのではないかと感じました。

ここでの別れがよくわからないまま場面が進んだためもありますが、エバと母親はじめ何人もが歩いている場面が理解できていませんでした。リトアニアの場面が手前で演じられ、後方で歩いている場面が展開しているので、距離感がよくわからなかったのです。プログラムを読んで分かったのは、エバ達は、ポーランドの都市ウッジからリトアニアの旧首都カフカナまでドイツ軍に見つからないように2カ月もかかって逃げて来た、ということでした。時間の流れを是非描いて欲しかったのです。

時間の流れと言えば、杉原がビザを書くことが出来た期間は1カ月ちょっとであったことも、もう少し丁寧に描いて欲しかったですね。その間に6000通のビザを発給しているわけですから、どんなに大変なことだったのかがよくわかるからです。

私が、今さんのファンということもあって、今さんを中心に見てしまうからかもしれませんが・・・
「勇気」「正義」に加えて「家族」がこの作品のキーワードであると感じました。その「家族」はノエルとエバの関係に代表されているのですから、とても重要な二人のはずなのに、描かれ方が浅いのではないかと感じたのです。杉原の家族関係はとてもよく描かれていたと思います。エバの家族も崩壊してしまうわけですが、その絆の強さはとてもよく伝わってきました。崩壊という悲しみを乗り越えて新しい家族を作っていくことが出来る人間の愛も描いているのではないかと思うので、もうすこし二人の関係を丁寧に描いて欲しいのです。
私はいつも、歴史は一握りの人物が作っているのではなく、普通の人々が作っていると思っています。(なので、「太平洋序曲」の「木の上に誰か」が大好きです。)舞台で、そういう普通の人々がそっと描かれていると、とても勇気が湧いてくるのです。この作品は杉原さんの功績が描かれているわけですが、その功績は新しい家族、子孫を生むことになってこそ輝いたわけですから、是非、その面を際立たせる意味からもノエルとエバをもっともっとしっかりと描いて頂きたいのです。

随分、厳しいことを書いてしまいましたが、先程も書きましたように、この作品が末永く上演されていくことをとても強く願っています。
近々、「SEMPO」に出会えることを心待ちにしています。

音楽祝祭劇「トゥーランドット」

2008年03月27日 | 観劇記
2008年3月27日初日   赤坂ACTシアター  1階やや後方のセンター

音楽祝祭劇「トゥーランドット」の初日に行ってきました。
(こけら落し公演のはずですが、実際にはバレエの公演があったので、私はあえてこけら落しとは言わないでおこうと思います。)

新しい劇場で、一応新作。すごい人でした。客席はとても観易くていいのですが、ロビーが狭いです。満員電車に乗り降りするような感じです。まあ、初日ということで、人の動きも激しかったのだと思いますが、ちょっと大変でした。

大勢の人達が運び込む花粉もすごくて、集中力が非常に低下していました。鼻をすすってしまうので、なんだかこめかみの辺りも痛くなりますし、もうボロボロです。一生懸命舞台を観ましたが、もし、誤った記述がございましたら、それは杉や檜の花粉のせい、ということにさせて下さい。

さて、本編です。
序曲があり、ほぼ全員が歌う歌で幕が開きます。とても迫力があります。

舞台装置は松井るみさん。3つに分かれている大階段があります。そして、幕にもなっている、金属の塊が組み合わさったような垂。そして、舞台を囲むように二頭の龍がいます。

そして、音楽は久石譲さん。全体に、とても聞き易い、耳なじみのする曲でした。

あらすじは・・・
プッチーニーのオペラのままかと思いましたが、まるで違います。人間関係も全く違いますので、オペラの方に詳しい方は、抵抗があるかもしれません。
ですので、あまりここでは詳しく書かないことにします。まあ、最後は同じ結末ですしね。

感想を織り交ぜながら、役柄などにも触れますので、あらすじも想像してみて下さい。

昨年「テイクフライト」の観劇記に書こうと思っていましたが、なかなか時間が取れず書けなかったこともあわせて書いていこうと思います。

私は「テイクフライト」の初日は観ませんでした。私が観た中日頃は、初日から数日の厳しい評価とはかなり印象が違いました。初日は不時着寸前というフライトなら、私が観た日は乱気流をなんとか潜り抜けて無事着陸か、という感じでした。

その後すぐに観劇したのが、「ライト・イン・ピアッツァ」。完成された舞台でした。ベテラン・パイロットが雲ひとつない青空を気持ちよく操縦している感じです。

私たち日本人は、海外である程度の評判を取った作品の日本版を観ることに慣れているのだと思います。ですから、ストーリーや音楽を知っている観客が劇場に数多くいいるのです。演じ手も一から創る作品よりは、作品を深く掘り下げやすいはずです。当然、完成度の高い舞台を演じ手も観客も創り上げることが出来るのだと思います。

私も、厳しいことをいろいろ言ってしまうのですが、輸入の舞台、再演、再々演、そして、初演の初日など、いろいろな舞台を観てつくづく思うのは、「舞台は、劇場にいるすべての人が創り上げていくもの」と言うことです。つまり、舞台は板の上にいる人だけではなく、実は観客も舞台を創り上げる一人なのだということです。
完成された作品を見慣れた観客には「テイクフライト」はがっかりだったかもしれません。初日は特に。でも、自分も舞台を創っていると思うと、結構楽しめるものです。

「今日は、初日ですから・・・」は逃げ口上だと思いつつも、段々私の目も「将来性」を見通せる目に成長し、「この初日ならいい舞台になる」とわかるようになりたいとも思っています。

でも、今はまだそんなに成長していないので、とりあえず、思ったことをぽんぽんと言ってみます。

『音楽祝祭劇』と謳っている割には、お祝いらしさに欠けました。そして、欲張りすぎです。主役はだれ?テーマは何?となってしまいます。これから、俳優の方々の演じ方次第で、メリハリがつくのかもしれません。また、観客がよい反応を示す役柄が主役になり、観客が涙する場面がテーマになっていくのだとも思います。

お祝いのわりに、華やかな踊りがないのですよね。殺陣もいいのですが、少林武術の人達の活躍をもっと前面に出して、エンターテイメントにして欲しかったですね。この殺陣の場面は演っている俳優の皆様は大変なのだと思いますが、長過ぎてわがままな観客としては飽きてしまうのです。最後のお祭りの場面も、もっと華やかにできるはずなのに、こちらはあっさり終わってしまうのです。
少林武術の皆さんの活躍が分かりにくいのは軍人と衛兵の衣装が似ているせいもあります。ワダさんの素晴らしい衣装の配色には、はっとしますが、この二つの対立する役の衣装の違いの少なさは残念です。

舞台装置も、結構、俳優の方々の動きを硬くしてしまっていると思います。観ている観客も、ハラハラするばかりで、なんとなく劇中に入りこめないのです。これは、日が経つにつれ、解消するかもしれませんが、私はただただ皆さんに怪我がないことだけを祈ってしまいます。

久石さんの音楽はいいですね。特に、後ろに流れる音楽は素晴らしいと思いました。が、「歌」となるとちょっと・・・久石さんの映画のナンバーはとてもポピュラーですから、私もちょっとピアノで弾いたりします。馴染みやすいのですが、いざ、聞かせるための「演奏」となると、聞かせどころをどこにするかとか、切り替えの場所とかを構成するのがとても難しいのです。多くの作品が流れのある音楽だけに、劇中でのドラマティックな音楽はどんなであろうかと楽しみにしていましたが、心を鷲掴みにされる「歌」はありませんでした。メインテーマの「運命は遠い日の約束」も、メロディーが流れているときは、すごくいいなぁ、と思って聞いていましたが、いざ歌となると、ちょっと淡白なのです。勿論、歌い手にも責任があると思うので、音楽自体を取り上げて、あれこれ言うのはいけないことなのですよね。
いい意味で心に違和感を残すメロディーはオープニングの「飢えた満月」や大臣や侍女がワン将軍を責める「論争!」(多分?)です。ということは、やはり歌の印象は歌い手に相当左右されるということなのかもしれません。

オペラ・ファンからは多分、相当批判のありそうな脚本なのですが、私は、そこへのこだわりは全くありません。
しかし、最初に書いたように???はかなりあります。
私は、たくさん舞台を観ますから、想像力は豊かです。それが、実生活での妄想になっていて回りに迷惑をかけることもしばしばですが(苦笑)。
で、今回も想像力をいつも以上に膨らませて、観ていました。初日ですし、ハプニングもあると思いますから、いろいろあってもよい方向へ解釈しようと思ってみているわけです。

一番の疑問は、あの舞台の縁を怪しくとりまく龍の意味が舞台の中であるのですか?序曲を聴いているとき、見るものといえば、あの龍ですよ。

次の疑問は、カラフと東方の島国からいっしょに逃げたティムールワン将軍の軍に殺されてしまうのですが、その死後に、トゥーランドットがティムールの魂と出会う場面があるのです。彼女といっしょにいる物売りにはその姿は見えません。トゥーランドットとティムールが顔見知りであったことはわかりますが、ティムールが彼女に示唆することがよくわからないのです。「現実をみよ」ということで、逃げないで、闘いの場に連れて行くのかもしれませんが、ティムールも一緒にあの場面にいないとおかしいように思いました。連れて行って消えるのなら分かりますが、とても中途半端に感じました。ティムールとカラフとトゥーランドットの関係がはっきりしないままなので、なんだか、すっきりしませんし。トゥーランドットと彼女の父とティムールの関係もよくわからないままですしね。結局それは、トゥーラドットが冷たい心を持たざるを得なかった鍵でもあるので、もう少し分かりやすく説明して欲しかったと思います。
まあ、もともと三つの謎がこの作品の鍵ですから、観客にも謎ときをさせようという亜門さんの意図なのかもしれませんが???

しかし、次々と人が死にます。私はあまり好きではないですね。生きて身を引く。これが本当の愛ではないかと私は思うのです。

愛のために人を殺してしまう作品と言えば「スウィーニー・トッド」。こちらは、もう殺す、殺す、殺しまくります。そして食べてもしまうという、あらすじを聞くだけだと観る気も失せる作品のような気がします。が、観劇し終わると「愛」について考えている私がそこにいるのです。殺人と愛というまったく相容れない事象が、極端を極めると繋がるという不思議な不思議な作品なのです。

「トゥーランドット」もこの極端さが出るかと思いましたが、ありませんね。誰が誰を愛しているのかもわかりにくいのです。謎だらけの作品です、本当に。

というわけで、主役もぼやけてしまいます。
ワン将軍が主役???
初日ならではの感想だと思って下さい。舞台が落ち着くと、変わってくると思いますので。

俳優の方々に話が移ってきます。
初日に印象が強いのは、やはり歌舞伎や大衆演劇というように、演目を短期間でこなしている各界のホープでした。中村獅童さんや早乙女太一さんは何ヶ月も舞台をやってきたように芝居をぐいぐいひっぱっていらっしゃいました。早乙女さんの存在感は本当に素晴らしかったです。
アーメイさんは、やはり台詞でかなり苦労していらっしゃいますね。身分の高い人は直接口をきかないこともあるわけで、もっと台詞を減らしてあげればいいのにと思いました。
私は、今回はじめて岸谷五朗さんを舞台で拝見しました。とても魅力のある方だと思いますが、どちらかというとじっくりやんわり魅力を伝えるタイプの俳優さんだと思いました。そういう点からすると、なぜカラフ役なんだろう、という疑問が私の中では生まれてしまいます。歌が素晴らしいのかも、と思っていましたが、一度聞いて忘れられない歌声ではないのです。トゥーランドットが一目見て、落ちてはいけない恋に落ちる相手・・・あの人やこの人・・・私の妄想は果てしなく広がっていくのです。

物売りの北村有起哉さんは、狂言回し的な存在でもあります。この舞台を支えていると思いました。

私が応援している、佐山陽規さん、越智則英さん、岡田誠さんは、大臣としていろいろご活躍です。やはり、歌はこの方たちの手にかかると、相当な化学反応を起こして、創り手も驚く曲になっているのではないかと思います。
皆さん民衆のときもあります。着替えにメイクに忙しいことでしょう。でも、私は越智さんの民衆姿はわかりませんでした。次回観劇の宿題です。

いろいろ疑問がありますが、答えを決めるのは観客なのだと思います。
以前、「キャンディード」で主役がミュージカル俳優の石井一孝さんのときと、ミュージカルにも多数ご出演ですが、シンガーとしての色が強い中川晃教さんのときとでは印象がちがいました。もともと、この作品自体がミュージカルというよりオペラの色が強いものでした。石井さんの時には、オペラ、として、歌を中心に楽しむ舞台になっていたと思います。指揮者佐渡裕さんだったからでしょうけれど、観客も音楽を楽しむ人が多かったように思います。中川さんのときには、ミュージカルの色合いが濃かったですね。歌や芝居を楽しむ観客が多かったように思います。

この作品が、単なるラブ・ストーリーとなるか、生きることの意味を探す作品となるかも、観客の拍手がどこで多いのかに左右されるでしょう。アクションに拍手が多ければ、エンターテイメント的な作品になります。芝居の部分で涙する観客が多ければ、ストレートプレーの面が強くなるでしょう。そして、歌に拍手が集まれば、ミュージカルの面が強くなると思います。
私の希望は決まっているのですが、ここでは言いません。次回の観劇で、どう変わっていくのかとても楽しみです。
多種多彩な分野から集まっている俳優の皆様。そのファンも多種多彩です。その観客が、板の上での化学反応に、さらなる化学反応を加えることでしょう。その結果がどうなっていくのか、とても楽しみです。

最後に、上演時間ですが、一幕が1時間半ぐらいあります。20分休憩で、後半は1時間ほどでした。参考になさって下さい。

「自分も舞台を創っていると思うと、結構楽しめるものです」とか「段々私の目も「将来性」を見通せる目に成長し、「この初日ならいい舞台になる」とわかるようになりたい」とか書いたくせに、言いたい放題ですね、相変わらず(苦笑)。でも、これでも進歩しました。初日に何度も鍛えられて来ましたから!!!

それでは、最後までお読み頂きありがとうございました。

メトロに乗って

2007年12月21日 | 観劇記
2007年12月21日ソワレ(初日)  1階後方やや上手

音楽座公演「メトロに乗って」の初日を観劇してしました。
初日の緊張感が、劇場全体に張り詰めていました。

原作が浅田次郎氏の「地下鉄(メトロ)に乗って」です。映画にもなり、浅田氏の作品の中でもとても人気のある一作と言えます。
私は、電車で読書人間、ですので、メトロに乗りながら作品を読んでいました。
永田町と赤坂見附を繋ぐ通路は、もう何十年も通っていません。あそこでの乗り換えは、地下鉄通にとって、禁じ手、みたいなものですからね。
登場する駅や地下道の場面を思い出しながら、舞台を観劇するのも楽しみの一つです。

あらすじはカットします。
ほぼ、原作に沿っていますので、知りたい方は原作を読んでみて下さい。
ただ、最後がちょっと違うのですよね。
こういう展開もいいですね。
「忘れること」・・・本当に大切なことです。でも、まだ私も若いのか、忘れたくないことも・・・

と、私のことはさておき、感想です。

初日ですので、どうしても段取りだけ、になってしまうことは仕方のないことだと思います。だから、本気のプレビューをやって欲しいのです。ですから、何作か音楽座の舞台も、そして、多くのキャストの方も観ていますので、別の作品でのことも勘案しながら、感想を書きます。

音楽座の舞台は、原作があると原作に忠実に舞台化します。それは、とても簡単そうですが、非常に難しいことだと思います。文字で「10年経った」「日本人とアメリカ人」「上野から新宿に」とかは簡単です。でも、舞台で表現することは、視覚に9割ぐらい頼り、台詞で不足を補うことになりますから、普通よりははっきりと表現しないと伝わらないし、はっきりさせすぎると原作と違うと言われかねません。そして、感情表現も文字なら相当読者が想像してくれますが、舞台となると演技で見せなければなりません。ただ、ミュージカルの場合歌で表現できますから、かなりいいとは思いますが・・・裏を返せば、やはり歌が大切ということになると思います。

この舞台の前に観た舞台が「ライト・イン・ザ・ピアッツァ」でした。とにかく素晴らしい音楽で、音楽の力の大きさを感じる舞台でした。ですから、多分、次に観る舞台が何であっても、「ちょっとつまらない音楽」という感想になるとは思うのですが、この作品も脚本の素晴らしさに比べると、音楽がとても単調だと感じました。ただ、単調ということは歌い手の力で膨らませる可能性もあるのかと感じています。

そして、音楽座の舞台でいつも気になるのが、生演奏でありながら、音がとても機械的であることです。シンセサイザーの多用も、音楽の広がりがあるので楽しいのですが、やはり、歌と掛け合う場面では、もう少しアコースティックな音が中心になって欲しいと思うのです。ダンスの場面は今のままのダイナミックさでいいと思います。

少々辛口の感想になってきてしまったのには、勿論理由があります。
作品としては気に入りましたが、かなり残念だと思うことがあるのです。
それは、アムールを演じている吉田朋弘さんのことです。
とても華のあるステキな俳優さんだと思っています。音楽座も看板俳優として育てていかれるのだと感じています。
私も応援したいと思います。そう思うからこそ、厳しいことも言いたくなってしまうのです。まだ、若いですし、がんばって欲しいのです。
「泣かないで」の吉岡努役を拝見したときは、本当に素晴らしいと思いました。ですから、「アイラブ坊っちゃん」では成長を楽しみにしました。が、歌詞が聞き取れないのです。
でも、そのときは「不調」の日に当たったのかと思いました。
しかし本当に残念ですが、今回も歌詞が聞き取れないことが多かったのです。
よく「いい意味でストレート・プレーのようなミュージカル」と言いますが、歌が出てくるときの唐突さがない構成であり、なおかつ、歌い手が台詞と同じような息遣いで歌うことが出来ている場合に、私はこういう表現をして、ミュージカルの舞台を評価します。
ですから、歌詞が聞き取れないということは、台詞が分からないことになり、当然、作品の方向性がわからなくなってしまうわけです。観客にとってこれほどストレスがかかることはありません。音程をはずすとか以前の問題だと思います。
アムールは歌も多く、それが重要な場面なのです。自分の苦手な音域に入っても、歌詞だけはきちんと伝えられるようにがんばって欲しいと思います。

吉田さんの場合、苦手な音域になると、言葉の音がふわっと抜けてしまうのです。そこへ、シンセサイザーの音がぶつかると、なんとか抜ける前の短い音を私の耳で拾おうとしても、かき消されてしまうのです。
是非、オケ(というほどの編成ではないのですが)に引いてもらいたいと思います。

道に迷いそうになりながら、原作を知っているので、思い出しながら、また進むべき道にもどってはいました。

そして、野平先生役の勝部演之さんに惚れこんでしまいました。本当に、いいですね。舞台がとても落ち着きます。

みち子役の秋本みな子さんもお時の井出安寿さんも、原作のイメージにとても近く、ステキなのですが、オケの音に私の耳が惑わされているのか、とても金属的な歌声だと感じました。やや、ここから「歌です」という感じがしてしまうのです。そこは残念でした。

照明も、時代の感じを出すために、とても暗いのです。勿論、それは時代にはあっていると思います。が、心情を描く舞台の場合、演技や表情を見たいので、もう少しスポットライトを効果的に使って欲しいと思いました。

私は、小沼真次を演じていらっしゃる広田勇二さんを楽しみに観劇していたのです。が、何箇所か、ここで表情がかわっているだろう、というときに、広田さんが明るい場所にいないことがありました。長く観劇していると、大体どの位置からなら、肉眼で表情がわかるかはわかっています。今回座ったあたりなら、肉眼でも結構大丈夫なはずでした。が、暗いと難しいのです。
まあ、厳しく言えば、それでも分かるぐらい広田さんにはがんばって欲しいのですが・・・
でも、本当に歌声はいいです。台詞と変わらない息遣いで歌って下さるので、いっしょに気持ちが高揚します。
が、ちょっと辛口で語るとすれば、みち子への思いが最初のうちはよくわからないんですよね。原作の真次は本当につかみどころのない人間です。それは、自分が嫌う人間にこそ、自分が重なり合っていることを認められず、すべてから逃げ回っている人間だからだと思います。
でも、舞台でこのままだとあまりにも印象が薄くなってしまうのではないでしょうか?

初日に拝見した広田さんは、本当に原作から抜け出してきたみたいで、素晴らしかったのですが、舞台という凝縮された時間の中では、もう一歩キャラクターをはっきりさせた方がいいのではないかと思います。つかみどころのない人間のキャラクターをはっきりさせるのは至難の業だと思いますが、広田さんならきっと掴んでいらっしゃると思うのです。
広田さんは心(しん)からの舞台人なので、観客の反応によってすごく役を膨らませることが出来る方なのです。ですから、これからの変化が楽しみでもあります。
でも、初日から飛ばして欲しいときもありします。かなりわがままなファンの希望です。

今回は、舞台は素晴らしいと思ったのですが、個々には辛口なことを書いてしまいました。
それは、音楽座の舞台を4作品拝見して、楽しみが増えた分、欲張りにもなってきたからだと思います。
これからも、素晴らしい作品を作り、楽しい舞台で私たちファンを魅了し続けて欲しいと思います。