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わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

今更2013年観劇記録

2014年02月19日 | 観劇記
今更も今更、2013年中に観た舞台を挙げてみたいと思います。

1月6日・16日・19日・28日 シラノ(日生劇場)
2月2日 ウィンザーの陽気な女房たち(新国立劇場)
4月11日 銀河英雄伝説(青山劇場)
4月13日 ロイヤルホストクラブ(シアター1010)
4月23日 おのれナポレオン(東京芸術劇場)
6月1日 スウィーニー・トッド(青山劇場)
6月7日 レ・ミゼラブル(帝国劇場)
6月14日 佐山陽規さんのライブ(サロン・ド・えとわーる)
6月15日 冒険者たち(サンシャイン劇場)
6月21日 21Cマドモアゼル・モーツァルト(東京芸術劇場)
7月5日 レ・ミゼラブル(帝国劇場)
7月28日 二都物語(帝国劇場)
8月31日 佐山陽規さんのコンサート(サロン・ド・えとわーる)
9月12日 バクマツ(IMAホール)
10月6日 五人衆(博品館劇場)
10月12日 トゥルー・ウエスト(世田谷パブリックシアター)
11月15日 ラブレター(新宿文化センター)
12月21日 森は生きている(神奈川県立青少年センター)
12月28日 モンテクリスト伯(日生劇場)

これぐらいでしょうか?
感想を書いた舞台もありますが、書いていない方が多いですね(苦笑)。
思い出したら、書きたいと思います。


 

冒険者たち

2013年06月15日 | 観劇記
ミュージカル「冒険者たち~The Gamba9~」
2013年6月15日マチネ
サンシャイン劇場  前から3列目かなり上手寄り

早くに梅雨に入ったと宣言したのに、毎日晴れが続いて、梅雨はどこへ?でしたが、ここ数日はこれぞ梅雨という感じになってきました。今日は雨はふりませんでしたが何と蒸し暑いことか!
そんなじめじめした日常を吹っ飛ばしてくれる、元気いっぱい、希望溢れる舞台「冒険者たち」を観劇してきました。

あらすじ
ガンバ(上山竜司さん)は町でのんびり、夢を見ることだけが好きなネズミだった。マンプク(金澤博さん)に誘われ、港での港ネズミや船ネズミのパーティへ出かけた。そこで船ネズミのヨイショ(坂元健児さん)と喧嘩になるが、お互いに相手の強さを認め、仲間になる。パーティを楽しんでいると、夢見が島から逃げてきた島ネズミの忠太(山下翔央さん)が傷ついた姿で現れ、「島ネズミがイタチに全滅させられてしまう。」と助けを求める。しかし、イタチのボス、ノロイ(今拓哉さん)の強さを知るヨイショは助けることはできないという。
ガンバは冒険が始まる、と熱い思いで忠太と一緒に夢が島行きの船に乗る。しかし、初めての船、海、冒険。不安でいっぱいだった。眠りにつこうとすると、ごそごそと音がする。その音とともに現れたのは、ヨイショやマンプクたちだった。全員で9匹。ノロイは怖いが力を合わせて頑張ろうということになる。
島に着くと、いきなりツブリ(延山信弘さん)という鳥に襲われる。ツブリは家族をイタチに襲われたのだが、ガンバたちをイタチと思ってしまったのだった。
忠太の家族がいたはずの場所に行っても誰もいない。が、めぐり合うことができた。ところが、一郎(和田琢磨さん)はガンバたちの助けを快く思っていなかった。
ノロイは執拗に攻撃してくる。と言っても、歌やダンスを見せてネズミを油断させる手法だった。ノロイの歌を聞くと、酔いしれるようになってしまうのだった。耳をふさいだりして攻撃をかわしていった。
しかし、このままではいつかは追い詰められてしまう。ガンバたちは激しい流れに隔てられた島へ移ることを考える。引き潮を利用して泳いで渡るのだ。
泳いでいる間に、潮が満ち、激しい流れが始まる。ノロイも執拗に攻めてくる。そこへ空からツプリが攻撃をしてくれる。激しい流れにノロイは巻き込まれてしまう。
ネズミたちは無事島へ渡った。しかし、忠太の姉潮路(皆本麻帆さん)はノロイの傷と疲れからか死んでしまう。
傷心のガンバであったが、またヨイショたちと船に乗って冒険を続けると誓う。


こんなところでしょうか。

全体に、歌とダンス満載の舞台でした。

主役のガンバ上山さんは「イントゥ・ザ・ウッズ」の再演でジャックを演じたときに拝見しました。いやぁ、大人になりましたね。印象が全然違いました。熱演でした。若いときでなければできないこのガンバを、精一杯演じていたと思います。

潮路の皆本さん。素晴らしく澄んだ歌声。希望を歌う歌は本当にキラキラしていました。これからの活躍が楽しみです。

ツブリの延山さんは、以前マッスルミュージカルで見たことがある、布をロープとしてぶら下がりながら技を演じる、力技を披露して下さいました。すごいです。

本当に若いキャストの中、尾藤イサオさんが半分ぼけたおじいちゃん、本当はすごい重要人物、いえネズミを好演。
坂元さんは、こういうロック調の歌は本当に聞いていて心地よいですね。

そして、なんといっても、そう何と言っても、今拓哉さんです。
いやぁ、もう、すごい。ほんと、それしか言葉がありません。
ノロイの攻撃が、歌、なわけですが、私なんかもうすぐふらふらとして近付いてしまいそうです。もう、圧倒的な歌の力。
衣装もメイクも、爪の色と長さ、そうそう靴の高さもすごい。もともと相当身長が高いのに大男でした、笑。最初、すごく脚が長くてびっくりしたのです。
まあっ白なスーツに、白のイタチのふさふさした毛がついています。そして、真っ黒な長い爪。その姿で圧倒的な歌声と、時々妖艶とも思える手招きをしたりするわけですよ。
ネズミ目線の観客としては、非情なやつめ、ではありますが、こんなにすてきならノロイが勝つものもありかと・・・・・
あのぉ、今さんをあまり知らない観客の皆様、今さんはどちらかというと、普段は目がクリクリしていて、優しすぎるぐらいの印象ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

なんだか、本筋とはまったく離れた感想になってしまいましたが、たまには、こんな熱い思いがいっぱいの若手が大活躍する舞台に触れるのもいいもんだなぁと思いました。

では、また。

広田勇二さん

2013年06月06日 | 観劇記
広田勇二さんは、下記の日程で、音楽座ミュージカル「21C:マドモアゼル・モーツァルト」にご出演の予定です。

東京公演 2013年6月14日~2013年6月23日   東京芸術劇場プレイハウス
大阪公演 2013年6月29・30日   シアターBRAVA!
愛知公演 2013年7月6・7日 青少年文化センター アートピアホール
広島公演 2013年7月13日 上野学園ホール
ホームタウン公演  2013年7月20・21日 町田市民ホール


(以下、敬称は略させて頂きます。)

原作:福山庸治
脚本・演出:ワームホールプロジェクト
音楽:高田浩・八幡茂・井上ヨシマサ
振付:杏奈・畠山龍子
美術:朝倉摂
衣裳:原まさみ
音楽監督:高田浩

主なキャスト:高野 菜々/広田 勇二/宮崎 祥子/安中 淳也/秋本 みな子/藤田 将範/新木 りえ/新木 啓介/井田 安寿/佐藤 伸行/山崎 穂波/渡辺 修也/北澤 明奈/乾 直樹(客演)/齋藤 睦/小林 啓也ほか

詳細は音楽座のHPをご覧下さい。



ロイヤルホストクラブ

2013年04月13日 | 観劇記
ミュージカル・コメディ「ロイヤルホストクラブ」
2013年4月13日マチネ
シアター1010 ほぼ劇場の真ん中

あらすじ
新宿は歌舞伎町のホストクラブ「パラダイス」。女性が夢を見に来るお店ではありますが、ホスト達が売上ナンバー1を競う厳しい場所でもあるわけです。
現在のナンバー1は白金豪(今拓哉さん)。ナンバー2は花咲愛人(桜木涼介さん)、ナンバー3は維舞聖夜(松原剛志さん)だった。
白金豪を心から慕う客がピアニストの朝比奈ルイ(川島なお美さん)。しかし、豪はなかなか心を開かない。
あるときひょんなことで、ダメホストと言われていた芥川直木(進藤学さん)がナンバー1になる。
豪は汚い手を使って、ナンバー1を取り戻そうとする。それに怒ったホスト達が、直木を応援する。
今月の売り上げが決まるであろう日に、ルイは豪のために飲みまくる。他の客もホストも直木のために飲みまくる。
直木が「もうやめましょう」と言い、勝負はついた。
豪はホストをやめ、ルイと一緒に彼女の夢をかなえるために歩んでいくことを皆に告げる。


あらすじを書いてみると、割とシリアスなお話しですが、とにかくコメディ。ダメホストもおかしいですが、お店にやってくるお客様が実に個性的。本当に可笑しいのです。最後はハッピーエンドですし、本当に笑い転げた舞台でした。

そして、今さんファンにはたまらない舞台でした。歌にダンスにもう十二分に堪能いたしました。
ちょっと怖い部分もあるのですが、これだけかっこよければ許されちゃいますね。
立ったり座ったりするときの、脚の動きが・・・たまりませんよぉ。

私は、もちろん、ホストクラブなどという場所に行ったことはありません。が、もし、この「パラダイス」が現実だとしたら、豪さんのタイプは近づきがたいですね。
聖夜さんが、ほんわりしていていいですかね。その聖夜さんを演じる松原さんのダンスシーンをはじめて拝見したように思いますが、とてもすてきでした。また、歌もダンスもある舞台で拝見してみたいと思いました。

ホストクラブに行きたいとは思いませんが、この舞台は、ちょっと元気が欲しいときに、また観てみたいです。

ウィンザーの陽気な女房たち

2013年02月02日 | 観劇記
「ウィンザーの陽気な女房たち」

2013年2月2日マチネ
新国立劇場小劇場

「美しい日本語」を伝えるスペースUの公演ということで楽しみでした。
また、新国立劇場小劇場は何と言っても大好きな空間です。とは申しましても、この劇場はレイアウトを大きく変えることができるので、ときにはまったく違う印象の空間にもなります。しかしながら、今回は割とベーシックな配置でした。私は、この形が好きです。

あらすじ
酒と女が大好きな、おデブの騎士フォールスタッフ(大島宇三郎さん)は金に困り、金持ちの女房に近づこうと考えた。ターゲットはフォード夫人(星奈優里さん)とページ夫人(中原三千代さん)。宛名を変えて同じ内容のラブレターを送るよう子分に命じるが、断るのでクビにすると、子分は彼女たちの夫にフォルスタッフの計画を告げ口してしまう。ページ(羽田真さん)は気にしないが、フォード(今拓哉さん)は逆に妻に嫉妬と疑いをもちはじめる。一方、フォルスタッフのラブレターを受け取り、互いに同じものと知った2人の夫人は、フォルスタッフをこらしめてやろうと一芝居打つことを計画する。ところが、嫉妬と疑いの念からフォードは「ブルック」と名乗ってフォルスタッフに近づく。このフォードの行動が、せっかくの夫人二人の計画をめちゃめちゃにしていくことになるのだが・・・
結局、フォードの誤解であることがわかり、全員でフォルスタッフを懲らしめ、一件落着なる。


この作品を観劇する前でしたか、シェイクスピアの作品を翻訳するということはどういうことか、シェイクスピア作品の魅力とかをラジオで翻訳家の松岡和子さんと俳優の勝村政信さんが語っていらっしゃいました。その中で、私がストレートプレーがあまり好きではない理由がわかったのです。日本には俳句という文化があることに象徴されるように、言葉を削って削って削りきって相手に伝えるという文化があります。それに対し、ヨーロッパは飾って飾ってこれでもかっと言葉を飾って相手に思いを伝える文化だそうです。つまり、ストレートプレーだと、言葉の洪水の中で私は溺れてしまうようなのです。日本人なんだなぁと思います。また、演じ手も日本人なので、飾る言葉が自然ではない、つまり、日常では使ったことがない言葉を言うので、芝居臭くなりすぎるのだと思います。

さて、それをわかって、「美しい日本語」を伝えるスペースUの公演を観ました。
非常に、日常、自然にしゃべっている言葉が台詞となっていました。それは翻訳の力でもあるのだと思いますが、キャストが普段から如何にいろいろな言葉を話しているかなのだと感じました。

膨大な台詞を、はっきりと、そして、それがその時に生まれたかのように自然に発せられていく楽しさは、まるで心地よい音楽を聴いているのと同じです。
本当に、素晴らしいキャストの皆様でした。

いつまで、残っているかわかりませんが、大島さんと今さんの対談です。
http://blog.livedoor.jp/enbublog-forecast/archives/51849843.htmlとても興味深く拝読致しました。

では、また。

くれない坂の猫

2012年10月07日 | 観劇記
2012年10月7日昼の部   赤坂レッドシアター

脚本が素晴らしいと思いました。初演とは思えない完成度の高さに感激しました。

あらすじ。
大阪万博を翌年に控えた1969年の大阪、町医者の木原整骨院の待合室が舞台。
木原家は母やえ(奈良谷優季さん)、長女園恵(福田温子さん)、次女琴実(和田真季乃さん)、そして医者で園恵の夫暢秋(佐藤祐一さん)で構成されている。暢秋の大学病院時代の恩師高橋の息子浩一(尾崎喜芳さん)と琴実は見合いをし、浩一は非常に積極的だった。琴実はあまり乗り気ではなかった。医者であるのに、けがをしている猫を助けようとしなかったことも不信感を募らせる。その猫は元気を取り戻しシロと呼ばれ、なんだか幸福を運んでくれるような予感を感じさせていた。
ある日、診察時間終了後に在日二世の3人連れがやって来た。一人がかなりの傷を負っていたのだった。いくつもの病院で診察拒否をされたと言った。やえは「今、先生は外出中だけど、帰ってきたら診ます。」といい、彼らを受け入れた。
琴実はけがをしていた山村(高橋和久さん)が全快しないうちに土木工事の仕事に戻ることを心配し、見舞いがてら治療の手伝いをするため、彼らの住む地域へ何度も足を運んでいた。
そのことを見咎めた浩一と仲人鴨志田(大谷恭代さん)は、破談を申し渡した。病人がいたら病人を助けることが医者の務め。患者の身分、人種は関係がいないと考える木原家とは考え方が大きく違っていたのだ。
木原整骨院の患者、ご近所でも木原一家と在日の人々との関わりに対しいろいろな意見があった。
地主から明け渡しを求められていたので、万博を目前にしながらも、木原一家は長野に移転を決めた。
琴実は山村のことが忘れられず、大阪に残りたいと思っていた。家族は大反対。山村も「自分のことは忘れて長野に行くように」と伝えた。
引っ越しの日がやってきた。
山村がやって来た。「二年待って欲しい。二人で生活していける道を探すから・・・」と伝えた。琴実は家族を説得するために一緒に長野に旅立つ。

こんな感じでしょうか。

脚本:長田育恵さん 演出:田中圭介さん
あらすじ内に書ききれなかったキャスト:原元太仁さん、てるやひろしさん、若林幸樹さん、岡本幸子さん、高橋エマさん、尾崎宇内さん、遠藤哲司さん


物語は待合室だけで進んでいくのですが、その舞台装置、小物が本当によく出来ていました。あんなマッサージ機どこにあったんでしょうか?ダイヤル式の黒電話。物干し竿。昭和って不便だったけれど、温かく、そして、パワーがあったなぁと感じました。

あらすじには書きませんでしたが、病院の常連が3人。そしてその中の一人の娘も含め4人のキャラクターが本当に整理され尽くされていて、日本人と在日の人々との関係をどうしていくのかを考え、在日の人々の中でも、在日のままか帰化するのか、の選択をどう考えるのか、日本人でも在日の人々と同じような仕事をしている仕事のライバルとしての問題など、本当にいろいろな問題を問題として整理して下さっていました。

キャストの皆様の演技も素晴らしかったので、脚本家の意図したキャラ立ったのだと思いました。
印象に残ったのが・・・
母親の奈良谷さんはすごく自然体で、こういうおばちゃんいるわ~~~。と思いました。
笹舟亭という落語家で実は帰化していたという難しい役どころを、軽やかに演じつつも、自分の生き方をしっかり持っていると伝えて下さった原元さん。

こういう話題は取り上げるときに難しいのだと思います。一方的に憐みの目で見てしまい、返って反感を買うこともあります。この作品はそういう点がなく、それぞれの立場の人が自分の立場をきちんと主張しています。そして、違う立場の人も、違いを理解しようと皆が努力していました。
何より、最後が変にハッピーエンドでも、悲劇でもなかった点がよかったです。
これから2年頑張れ、と応援したくなる気持ちにもなります。そして、もし自分がこういう立場だったら、どうしようと考えを巡らすことが出来る終わり方でした。


日本は単一民族で構成されているだと言い切ってしまうことが度々ありますが、決してそうではありません。違う民族同士、互いを尊重しながら日本という社会を盛りたてて欲しいと思います。
この作品の構想を練っていらした際には、日韓関係の良好さがあったのだと思います。しかし、ほんのちょっとしたことで、この関係は崩れてしまいます。しかし、それは政治の面のことだけだと信じたいのです。日韓、日中の関係はともに、本当に難しい時代がありました。長い時間をかけ、少しずつ、少しずつお互いを理解して、交流を深めてきました。どうか、政治家がどう振舞おうが、顔も名前も性格も知っている友人に対して今までと同じ気持ちを持ち続けて欲しいと思います。政治家はその立場がいつか変わります。でも友人との友情は変わらないはずですから!!!

山村と琴実はきっと結婚しましたよ。
家庭では、キムチ入りお好み焼きなんかを作ったでしょうね。
ご近所さんとも、その美味しさで、すごく仲良くなったはずです。

などと書いていたら、お腹がすいてきました。豚肉を買ってきてあるので、豚キムチ丼にしようかな。

では、また。

森は生きている(こんにゃく座)

2012年09月16日 | 観劇記
俳優座劇場
2012年9月6日A組初日      前から2列目ほぼセンター
2012年9月16日A組楽日      後方上手寄り

9月になれば少しは涼しくなっているかと期待していましたが、両日ともとても暑い日でした。以前も真夏にこの作品を観劇しましたが、やはりもう少し寒い時期に観たい作品です、笑。
有名なお話ですし、もともと脚本の形式で書かれた作品なので、あらすじは割愛致します。

「森は生きている」は、1943年に作られた作品ではありますが、今の私たちのために書かれた作品ではないかと思えるのです。
私が、この作品を最初に知ったのは、記憶にないほど幼い頃だったと思います。林光さんの「十二月の歌」を冬になると歌っていたものです。
ここ数年は、林光さんの音楽ではないいろいろなバージョンを拝見したり、林光さんの音楽を取り入れた子どもの学芸会の出し物として関わったりもしてきました。
そのような関わりの中で、この作品で一番大切にしたいもの、一番伝えて欲しいものはこれだなぁと感じています。
それは、「女王の成長」です。
作品では「女王」ですが、愚かな人間の代表といえるのではないでしょうか?
女王の成長は二つの面から支えられています。
一つは、十二月の精に出会って、自然が自分にとって大切であり、怖いものであるかを知るという体験による成長です。
そして、もう一つは、貧しい娘との出会いによる権力者としての成長です。
女王の目を通して、私たちは、自分の身の回りを振り返ることが出来ます。
自然の大切さを感じることもあるでしょう。
権力者ではあったけれど、人間として大切なことが欠けていてはだめなんだと感じることもあるでしょう。
また、子どもには、親の愛情、もしくは、それと同様の温かくも厳しい見守り大切であることも感じられるのです。

私は、こう感じているので、子どもも大人も楽しめる作品だと思っています。

さて、こんにゃく座の「森は生きている」はどうだったのでしょうか?
大変厳しい意見だと思いますが、私が大事だと思っている「女王」の存在が弱かったように思います。逆に十二月の精が強いのです。
こんにゃく座はオペラなので、マイクを使いません。そうなると、台詞も含む歌声の実力の差が歴然です。
十二月の精の男性陣の歌声の素晴らしさからすると、存在感が増すのは当然だと思います。
それなら、どこかでバランスを取るべきです。とすれば、「見た目」つまり衣装ではないかと思うのです。
ところが、今回のこんにゃく座の十二月の精達の衣装の豪華なこと!!!子どもたちは喜ぶかもしれません。まず興味を引く、が大切ですから学校公演を考えてのことだったかもしれません。しかしながら、疑問も感じます。まず、十二月の精の衣装が季節のイメージと合わない月がある点。そして、衣装はその役柄のイメージを観客に知らせる大切な役割も果たします。舞台は短い時間でその役柄を観客に知らせなければなりません。身分、職業、性格などです。私は、こう考えているので、他の役の衣装についてもかなり疑問を持ちました。特に、娘とその継母と義姉の衣装はもっとみすぼらしい方がいいと思います。継母と義姉が太っているなら、なぜそこまでして金貨が欲しいのかわかりません。また、この後の旅公演は小学生の観客が多いと思います。今の子供たちは「貧しい」娘一家の印象がないと、娘の必死さが伝わらないと考えます。
プログラムを拝見すると、今回の新演出を担当された大石哲史さんは「十二月の精が主人公」と考えていらっしゃるようなので、主人公は「女王」と考えている私が観るといろいろ違和感が出てきて当然なのかもしれません。

また、女王、先生(博士)、老兵(兵士)の三人が十二月をいっぺんに経験する時の季節の変化がわかり難いなぁと思いました。ここは、女王が自然から学んで成長するところなので、もっと季節が変わって行くときの人間の感じ方をはっきりと表現した方がいいのではにいかと思いました。歌だけでは少し弱い気がします。照明も含めた舞台装置が限られた中ですから、やはり、衣装や小物に工夫が欲しいと思いました。何といっても「冬、女王」と言えば、「毛皮」ではないでしょうか。着る物で季節の変化を感じることが私たちには容易に出来ます。

これは舞台装置と演出の問題だと思いますが、女王が他の人たちより低い位置にいるというのは問題だと思いました。子供たちが観る場合の、身分の違いを感じさせないという配慮があるのかもしれませんが、この作品は身分の違いがあった時の話です。身分の違いがあるという点を強調しないとおもしろくない作品とも言えます。もっと、女王が威圧的に登場する方が、ラストでその成長を感じることが出来るはずです。

などなど、いろいろ思うところはありますが、音楽の素晴らしさと、歌い手の表現力の素晴らしさが舞台の魅力を引き立てていました。逆説的にいえば、そこに素晴らしさがあるのですから、もっとシンプルな衣装、シンプルな演出がよいのではないかと思うのでした。

たまたま、初日は1月の精がB組の高野うるおさんでした。もう一回は武田茂さんでした。お二人ともとても伸びやかな歌声、威厳のある佇まいでした。
この威厳に対して、さわやか、さわやか、さわやか、という歌声を聞かせて下さったのが4月の精の金村慎太郎さん。甘いマスクに甘い歌声、本当に4月の精にぴったり!!!オオカミ役もしっかり楽しませて頂きました。
そして、沖まどかさん。いじわるな義姉を演じるのですが、素晴らしい歌声と表現力で笑わせて頂きました。こんなにしっかりと歌える女優さんはなかなかいないのではないかと思います。今後の活躍が楽しみです。

一番の注目は佐山陽規さんなのですが、つくづく思いました。佐山さんは本当にすごいと。勿論、前々からわかってはいたのですが、最近、コンサートなどばかりに伺っていたので、佐山さんだけが歌うわけです。となると佐山さんの歌声が普通になっていました。こんにゃく座はオペラなのでマイクなしです。皆様素晴らしい声量とマイクに頼らない緻密な強弱のコントロールなのですが、それに表現力、説得力となると佐山さんは抜きんでていらっしゃるなぁと感じました。

今、お名前を挙げた皆様のすごさはもう一つあります。初日はかなり前方で観劇し、もう一回は逆にかなり後ろでした。それでも、皆様の声は同じように聞こえていました。近くても大き過ぎず、遠くとも小さくならず・・・どんな魔法なのでしょうか?

いろいろ厳しいことも言いましたが、この「森は生きている」はこんにゃく座の素晴らしさが伝わる作品だと思います。またの上演を楽しみにしています。

では。

テキサスプロンコをぶっ飛ばせ!!

2012年09月09日 | 観劇記
見上げたボーイズプロデュース
「テキサスプロンコをぶっ飛ばせ!!」
2012年9月9日 恵比寿エコー劇場 前から2列目上手

この作品に今拓哉さんがご出演と聞き、概要とスタッフ・出演者のお名前を見た時、頭に浮かんだ作品がありました。数年前に観た「風を結んで」です。特に、川本昭彦さんに心強く惹かれたのでした。しかしその後何作品か拝見しましたが、この作品ほどのご活躍はなく、寂しく思っていました。今回、作・演出ということで、どんな川本ワールドが展開されるのか非常に楽しみでした。

チラシに「これは現代日本ミュージカル界に対する宣戦布告だ。」とありました。もうミュージカル好きの観客には、「ええ、そんなこと言っていいの」「俳優の皆さんもそう感じているねえ」と頷いたり、爆笑したり!!!

あらすじ
今日は、アメリカ人演出家(デビット・チャップマンさん)が日本の童話をもとに作ったミュージカルのプレビュー公演。止めずに通すはずのプレビュー公演なのですが、演出家は何度も止めてしまうのです。通訳(川本昭彦さん)が窮地を救おうと思ったのか、演出家の通訳をせずに自分の考えを演出家の言葉として話していく。ところが、一観客(白井諒子さん)が「通訳が演出家の言葉を訳していない。反対のことばかり言っている」と指摘。公演は中断。
しかし、通訳の日本演劇界への熱い思いを聞き、以前劇団を主宰していた田所(幸村吉也さん)と吉田(畠中洋さん)が、一発逆転を狙ってキャストが作る即興の劇を始める。もともとの作品の主役だった綾小路(今拓哉さん)は途中で嫌気がさし、劇場を去ろうとするが付き人(牧野亜希子さん)に説得されて舞台に戻る。
舞台は、ハチャメチャな方向に進むが、無事幕を下ろす。
が、それは一日のこと。明日からの本公演はなくなった。
しかしながら、田所や吉田はまた劇団を主宰しようと、夢をもって進もうと今日の出来事を大切な一歩とした。

こんな感じでしょうか。
辛辣な批判の部分とかはかなり割愛しました。
それについては、また別の記事でお話ししたいと思います。

とにかく笑いました。
今さんが劇中劇の主役とは言え、金太郎です。衣装が、あの金太郎のスタイルなのです。この姿で、あの素晴らしい声量で、歌い上げるのですから、もう、爆笑するしかありません。劇中で、「この衣装は嫌だ」と言って、別の衣装になりそれも演出家とのもめごとの一つになるのですが、そもそもこの役を受けた今さんに拍手を送りたかったです、笑。
楽日でしたので、最後にキャストの皆様からの挨拶がありました。川本さんが今さんに出演を依頼した時の話が出てきて「役柄が金太郎なんだ・・・とさらに4時間飲みました。」と話されていました。

あらすじには出てきませんでしたが、ウサギ役をしていた武者真由さん。素晴らしい女優さんでした。金太郎の母親役を急遽することになる場面があるのですが、それまでのひょうきんな表情とはがらりと変わり、しっとりとした歌を聞かせて下さいました。その後、いろいろごだごたした中でも歌うのですが、歌のしっかりさとその場の臨機応変な演技が、とにかく素晴らしかったです。観劇した皆様にはご理解頂けるのですが、あの場面を文字にするのは不可能と思われます、苦笑。

川本さん始め、見上げたボーイズの皆様(幸村さん、縄田晋さん、福永吉洋さん、平野亙さん)のメッセージはしっかりと受け止めました。そして、この作品に出演なさった俳優の皆様、スタッフの皆様もきっと同じ思いなのだと思います。その思いは、これからしっかりと広めていきたいと思います。
そして、久しぶりに川本さんの素晴らしいセリフ回し、演技に接し、もっともっと舞台を拝見したいと思った次第です。

暑い夏を総括したような、熱くそして本当に楽しい舞台でした。


追伸
2005年6月に上演された「風を結んで」の観劇記です。
http://blog.goo.ne.jp/workingmother/e/8d5e4c094b2427b7a831ce1cbb755879
結成して7年とおっしゃっていたので、この作品がきっかけだったのでしょうか?

「Re:verse」

2012年07月08日 | 観劇記
「Re:verse」

2012月7月8日 昼公演
下北沢の小劇場・劇

坂上忍さん脚本・演出の作品を観てきました。

すごい作品でした。
今、この時によく上演なさったなぁと思いました。その勇気と情熱に頭が下がりました。
もう少し大きな劇場で、多くの人たちに観て頂きたい作品でした。

2011年3月11日から一年後に茨城沖で大地震が発生。東日本大震災以上の被害が起きた。その数ヶ月後、テレビ番組の収録スタジオに被災者が何人か集まってきた。「その時」何が起こったのか率直に話して欲しいというインタビュアーに対し、被災者は話したい気持ちが強いのか、どんどん話していく。

寝たきりの父親を救えなかった中年の男性が「父を見殺しにしてしまった」と言ったとき、インタビュアーが「殺したんですか?」と聞いた。それまでのスタジオの様子が一変する。

また、数日後、先日の被災者の家族が集まっていた。同じく、どんどん話をする被災者。しかし、また、インタビュアーの厳しい追及に、スタジオは前回以上に凍りつく。

子育てがうまく出来ず、悩んでいた母は、津波の中でしがみついてきた子供の手を離した。
寝たきりの父を迎えに行かず自分だけ逃げた男性。
足の悪い姑が荷物を取りに帰ると言ったのを止めなかった嫁。
消防団の仲間を置き去りにした男性。

彼らの話は、自分が同じ状況に置かれたら、どうすべきなのだろうと考えさせられるものばかりでした。
その話が縦軸だとすると、横軸にインタビュアー自身の問題がちりばめられる。

彼女は東日本大震災で両親を亡くしていた。夫とうまくいっていなかったのもあり、まだ幼い二男児がいるにも関わらず、結婚後やめていたテレビの仕事に復帰しようとしていた。
出ていった日が、茨城の地震の日だったのだ。
夫と二男児を失った。
「生きていく意味があるのだろうか?」
彼女はその答えを見つけようと、自分と同じように本当は助けるべき命を助けなかったり、助けられなかった人々の生き様を見ようとしたのだった。


本当にすごい作品でした。
現実をまっすぐに見つめたものすごい作品でした。
皆が逃げたいと思っていることを真正面から取り上げた作品です。
問題提起の答えはないと思います。
でも、もしその時がきたら・・・・・
観客に「その時」を考えさせてくれる作品です。

演じて下さった俳優の皆様の精神的なご負担も相当なものだったと思いますが、もし、再演の機会があれば、より多くの方々に観て頂きたい作品です。

そのすごい作品を創り上げて下さったキャストの皆様(敬称を略させて頂きます)
吉井怜、三浦孝太、塩澤英真、大芝孝平、美元、荒井奈緒美、はづき、橘花梨、武本健嗣、佐藤祐一、お宮の松
(子役の方は私が観た回の出演を確認していませんでしたので、省略させて下さい。申し訳ございません。)

サロメ

2012年06月16日 | 観劇記
サロメ

2012年06月16日マチネ  新国立劇場中劇場  最前列センター

最前列で見る衝撃は、ちょっと計り知れないものがありました。
お芝居とはわかっていても、生きている人が最期を迎えていくことへの恐怖、悲しみは、もう少し距離を置いたところで見ていたかったように思います。

思い出すのも結構辛いのですが、少々感想を。

白を基調とした現代風の家具。天井は鏡。無機質な世界で繰り広げられる舞台でした。
あらすじは、簡単に言えば、サロメが、義父ヘロデ王を困らせて、預言者ヨカナーンの首を貰う、という話です。

私の思いこみかもしれませんが、サロメは妖艶だと思っていました。しかし、今回のサロメは聖書のなかにあるような少女でした。
そういう設定もありだと思いますが、そうだとすると、この戯曲では無理があるように思いました。

ヘロデ王は兄王から奪った美しくも怪しいヘロディア妃がそばにいるにも関わらず、宴会の間サロメをずっと見ていたとあります。
部隊長もサロメを見て、そして、サロメがヨカナーンに惹かれていることを知ると自殺してしまうのです。
まあ、皆が皆、少女趣味だったというのなら、少女サロメもありかと思いますが、どうなのでしょうか?

最前列で見ていたので、ヨカナーンとサロメの出会いの場面は、観客というよりは、舞台にいる一兵士ぐらいの気持ちで参加していました。
ヨカナーンの成河さんの目の動き、息づかいが手に取るように伝わってきます。ヨカナーンはサロメを一目見たときから、心惹かれたのだと思います。自分が預言者であり、サロメの母ヘロディアをいさめるためにこの城に来たにもかかわらず、その娘サロメに心惹かれてしまう。その動揺は、サロメに誉められているときより、なじられているときに大きくなります。しかし、心を押し隠し牢へと帰って行くのです。

預言者ヨカナーンの心をとらえるサロメはやはり妖艶であって欲しかったですね。

キャストの方への感想を少し。

サロメの多部未華子さん。膨大なセリフを自分のものとして、堂々たるサロメ。素晴らしかったです。妖艶さとは程遠いとはいえ、彼女はそれを演出家には求められていなかったと思うので、彼女のせいではないと思います。

ヨカナーンの成河さん。素晴らしかったです。肉体美といい、表情の動きといい、素晴らしいかったですね。そして、何より声が魅力的です。サロメでなくとも、ヨカナーンの予言をずっと聞いていたいです。意味がよくわからないのに、ずっと聞いていたくなるその声に惚れ惚れしました。本当に預言者なのではないかと思ってしまったほどです。
当然ですが、私の中では成河ヨカナーンの首を欲しがるサロメへの憎悪はすごかったですね。もし、サロメが舞台の客席側の淵に来ていたら、突き落としていたかも・・・(というぐらい、舞台に引き込まれていたのです)しれません。

ヘロディアの麻実れいさん。とにかく妖艶で、計算高くて、いやな女を、好演。あの難しい時代を生き抜くには、そして娘を育て上げるには、こういう妻であり母でなくてはならなかったのだと思われる真の強さを醸し出す素晴らしさ!!!麻実さんの娘としてのサロメというとらえ方なら、今回の多部サロメなのかとも思います。

演出、舞台装置が斬新でした。
が、最前列は厳しかったですね。


その日の夕食は、骨付き鶏肉のトマトソース煮込みのはずだったんですが、さっぱり醤油仕立てにしたのは言うまでもありません、苦笑。


センス・オブ・ワンダー

2012年04月27日 | 観劇記
「センス・オブ・ワンダー」

2012年4月24日と27日(両日とも19時開演)  光が丘IMAホール

ミュージカル作品がおもしろいかそうでもないかは、いろいろな要素が絡み合っていると思いますが、おおむね3点にあるのではないかと思います。
まず、ミュージカルに限らないと思いますが、脚本も含めたお話自体がどうであるかです。
次に、ミュージカル特有の歌詞も含め音楽がどうかだと思います。
そして、ミュージカルでははずせない俳優の歌の力がどうかだと思います。

今までたくさん舞台を観ていますが、多くは、俳優の特に主演級の皆様の歌の力がどうかで、私の舞台への感想は左右されてきたと思います。

しかし、この「センス・オブ・ワンダー」は、最初にあげた「脚本も含めたお話」が私にはしっくりきませんでした。観客になにを伝えたいのかがわからないのです。

あらすじは「沈黙の春」を書いたレイチェル・カーソンという女性の一生なのですが、なぜ彼女が、多くの人、企業を敵に回してでもこの本を書こうとしたのかが、すごくあっさりしているのです。
そして、もっと深く描いて欲しいのに、と思う話は・・・
「沈黙の春」は出版当初一般市民からも叩かれます。単に社会を混乱させるだけだと。批判する市民の台詞に「世界は害虫でいっぱいになってしまう」という感じで、今の私たちからしたら農薬の方が害虫より(そもそも多くの害虫は人間にとっては害のある虫であるけれど、自然の営みの中では害ではありません。)危険であることは常識です。しかしながら、当時、農薬は魔法の薬だったのです。
出版当初の批判にも関わらず、この本は、アメリカ政府を動かしていき、今の私たちの農薬に対する常識を当時の社会へ浸透させてくれました。
このことは、とても大変なことであり、すばらしいことであったわけです。が、舞台ではそこがとてもあっさりと描かれているのです。彼女のガン病状が進み、病床に横たわっているところに、出版に関わった仲間がやってきて、「ケネディ大統領が動き出した」「シュバイツァ賞に輝いた」と伝えるだけなのです。
確かに、彼女の一生を描くだけならそう描くしかないのだと思います。「沈黙の春」が世の中に出てからは、彼女は体調を崩し、活動はほとんどしていなかったようですから。でも、今、この話を舞台にしようというのは、大きな問題を投げかける人がいて、それを受け止める人がいない、どちらかというと批判されるという時にでも、問題の投げかけが正しければ、いつか批判していた人々も受け入れてくれるというという面があることを伝えたかったのではないのでしょうか。
そうであるとすれば、「沈黙の春」で投げかけられた問題を、どういう人たちが作者の代わりに、あるいは、彼女に勇気づけられて、多くの人々に伝えたのか、そして、人々はどうして受け入れるようになったのか。その面こそを描かなければいけなかったのではないでしょうか?
より具体的に言えば、原発の危険性を唱える人がいても、その危険性が現実のものとなるまで誰もその人の言葉に耳を貸そうとしなかった今の私たちへの大いなる反省を促す舞台にして欲しかったですね。

また、なぜ、最初に「沈黙の春」が出版されて危険な本だという抗議が起きた場面を出してしまったのかがわかりません。
初日にあった、繰り返しばかりの場面は2回目に観たときはカットされていました。が、カットすべきはこの場面だったのではないかと思います。
抗議の場面は、彼女の一生で最大のピンチだったわけで、一番の盛り上がる場面でもあるわけですから、2回見せるのは興ざめです。

と、作品自体はなにを伝えたいのかよくわからなかったのですが、俳優の皆様の歌は素晴らしかったです。全編歌だったので、歌の素晴らしさを堪能しました。

レイチェル・カーソンの伊東恵里さんの歌声はいつ聞いても心地よいです。ただ、年とったレイチェルとはいえ見た目をあんなに老けさせなくてもよかったのでは。

最後の方にだけ登場するレイチェルの晩年に出会った親友ローラの井料瑠美さん、歌い方がかわったなぁと思いました。いわゆる四季的な歌い方を脱却して、井料さんの本来の声量が生かされているように思えました。
ただ、このローラを登場させる意味があったのかな、という感じはしています。秘書のマリー・ローデル(杵鞭麻衣さん)に晩年のレイチェルに付き添う役をさせてもよかったのではないかと思います。

レイチェルの本の挿し絵を書いているボブの阿部よしつぐさん。歌も、演技も素晴らしかったです。

レイチェルの父親の佐山陽規さん。レイチェルの海への憧れを誘う歌など、いつもながらに説得力のある素晴らしい歌声でした。この舞台の前の作品では、あまり歌がなかったので、ファンとしては佐山さんの歌声に少々飢えていました。そのせいもあったかとは思いますが佐山さんの歌にとても引きつけられました。

素晴らしい歌と演技、元気な子供たちのかわいいダンスなど魅力いっぱいだっただけに、何か、煮えきらない脚本が本当に残念でした。

レイチェル・カーソンの偉大さを広めるとともに、いつまでたっても減らない環境破壊への警鐘のためにも是非、もう一練りして上演して欲しいと思います。


もし、私が脚本を書くなら・・・
最初に、今の私たちの置かれている状況、3.11の後のさまざまなニュース音声を流してもいいと思います。その後少し落ち着いたことを想定して、例えば、高校の教室などを想定して、生徒の一人が、こんな本があって「今、私たちは分かれ道に立っている・・・」と朗読しているところへ、レイチェルの声を重ねていって、今回のお芝居をはめていきます。
そして、先に述べたあたりを膨らませて、最後にまた高校の教室にもどして生徒たち全員が「今、私たちは分かれ道に立っている・・・」と朗読しているという設定はどうかなぁ、などと考えました。

伝えて欲しいことが詰まっているのに、勿体ない舞台だったので、ついつい余計なことを書いてしまいました。失礼しました。

雪やこんこん

2012年02月20日 | 観劇記
「雪やこんこん」

2012年2月20日ソワレ  紀伊國屋サザンシアター   かなり前方のセンター

ミュージカルの観劇が多い私ですが、ストレート・プレーが続きました。
前回は「下谷万年物語」。あまりのセリフのシャワーに湯当たり(シャワーで湯当たりもおかしいけれど)したのですが・・・
この「雪やこんこん」、本当に楽しかったですね。もう一回観劇したいと久しぶりに思った作品でした。都合が付かず断念しました(涙)。
「下谷・・・」と同じようにセリフは膨大です。が、一つ一つが美しいのです。宝石のようなセリフに酔いしれつつも、作品の結末が気になる気になる(笑)。

どんでん返しなんだ!と思ったら、さらに予想が外れて、ええ、そういう結末!!!!!となりました。

お話自体が推理小説のようで、セリフは宝石のように輝いています。
そして、キャストの皆様がとにかくスゴイ。

座長である中村梅子役の高畑淳子さん。気風のよさは本当にかっこいい。私が好きなのは、老婆に化けて楽屋見舞に来るところ。そこのセリフがキャストもまた観客の私たちをも泣かせるのです。

中村梅子一座が公演をし、宿も借りる旅館の女将役、キムラ緑子さん。高畑さんとの息もぴったり。そして、夢を捨て、生きるために頑張っている女の悲哀も出ていました。

座員は5名。その中の二枚目役を演じる秋月信夫役が今拓哉さん。この秋月の相手役の女形を演じる明石金吾役が村田雄浩さん。

今さんファン全開の感想ではありますが、本当にすごかった。何度か今さんのストレート・プレー作品を観ていますが、やっぱりミュージカルがいいなぁ、という感想でした。歌があればこその今さんという印象は否めなかったのですが、今回はそんな思いを覆して下さいました。今さんを知らないでこの舞台を観た観客は、今さんの活躍の場が多くはミュージカルだとは思わないでしょう。
村田さんとの絡みが多いわけですが、息もぴったり。といいましても、多くは罵声の浴びせ合いなのですが、それがおかしいのなんのって!
村田さんが女形というのだけでも笑えるのに(失礼)、観客が想像する村田さんの女形の妙を、今さんがバンバン突いてくる。その台詞のスピード感、間の良さ。
そして、少々脇に控えている場面でも、小芝居のオンパレード。おかしいやら、すごいやら。

今さんだけがすごかったわけではありません。
でも、皆様への感想を書いているといつまでたっても記事が終わらないので、今回はお名前だけで、ご勘弁下さい。

久米沢勝次役の金内喜久夫さん。舞台をピシっと引き締めて下さいました。
三条ひろみ役の山田まりやさん。
光夫役の宇宙さん。
女中お千代役の高柳絢子さん。
立花庫之介役の新井康弘さん。
本当に素晴らしい面々でした。

是非是非もう一度観たい作品です。
芝居をやる、芝居を観る、その原点を教えてくれる井上ひさし氏の傑作だと思いました。

SHINGEN~風林火山落日~

2011年11月26日 | 観劇記
脇組公演
SHINGEN~風林火山落日~

2011年11月26日マチネ
シアター1010 10列目センター

最近、なぜか忙しく、何の予習もなく観劇に出かけることが多くなってしまいました。同じ作品を観る場合も多いので、そういう感じになってしまっているようです。
というわけで、この「SHINGEN~風林火山落日~」も、園岡新太郎さんがご出演ということで行ってみようと思い立ち、ストレートプレーなのか、舞踏劇なのか、まったく知らずに出かけました。

あらすじは、武田信玄の弟武田信廉と、信玄の息子武田勝頼を「ハムレット」のクローディアスとハムレットに置き換えた筋書きでした。
基本はストレートプレーです。狂言もありました。

戦いの場面を旗振りが表す開幕の場面から、スピード感溢れる舞台でした。

特に、勝頼が率いる武田軍が、織田信長軍に追いつめられる場面、大立ち回り、殺陣の場面は凄かったですね。
舞台とは思えない、真剣勝負!!!

私が観劇したのは、2公演目だったのですが、すでに声が潰れている俳優の方々がいらっしゃるのはとても残念でした。
ストレートプレーはセリフが聞こえないと、どうにもならないので、是非、頑張って頂きたいと思います。

園岡さんは、信玄の重鎮として、とても重要な役どころを演じていらっしゃいます。殺陣も素晴らしかったです。

殺陣の激しさを観ながら、観客は何を思うのでしょうか。
私は、戦国の世の厳しさを感じていました。
そして、今、も思っていました。

織田信長は、古い「しきたり」を打ち破り、鉄砲の登場により戦いの方法も変えてしまいました。
もし、信長が明智光秀に殺されずに、将軍となり、幕府を開いていたら、今の日本はなかったと思います。
鎖国など、しなかったのではないでしょうか。

新しい道具に新しい考えを持った指導者。

今、私たちはそういう場面に出くわしているのだと思います。
これから、どうしていったらいいのか。答えは見つからないとしても、歴史に参考になる事柄はたくさん刻まれています。

日々の忙しさに押し流されて、自分たちが直面している問題に気付かないまま過ごしているように思います。
劇場という非日常の中で、向き合わなければならない本当の日常を感じたような気がしました。

東京公演は、明日一日ですが、俳優の皆様の真剣勝負に触れられてみてはいかがでしょうか。




レ・ミゼラブル

2011年06月05日 | 観劇記
「レ・ミゼラブル」
帝国劇場 2011年6月4日マチネ 1階10列目あたりのサブセンター

このバージョンのラスト公演だと聞いていましたが、当初観劇予定はありませんでした。
ところが、数日前から、なぜか、本当になぜか無性に観劇したくなったのです。
まして、行かれそうに4日マチネは今拓哉さんのジャぺ。
チケットも持たないまま、のこのこと、それも10時の当日券発売時間はとうに過ぎていたのですが、とりあえず行ってみました。
「満席」と書いてあるにもかかわらず、窓口に念を押す私。「キャンセル待ちは?」「本日はそれもございません。」
しゅん。
とその時、女神さまが現れました。
というわけで、無事、それも、とても良い席を譲って頂きました。
女神さまは知り合いの方の突然のキャンセルで困っていらしたので、女神さまにとって、私は使徒ぐらいではあったかもしれません。

何とも、計画性のない行き当たりばったりの私の人生を象徴している出来事。で、周囲の皆様に助けられて、いつもなんとかなっているのです。でも、これだけは言えるかもしれません、「やらない後悔より、やって後悔する方がいい」と言うことで、帝劇まで行った甲斐がありました。

さて、それで、舞台の方ですが、本当に素晴らしかったです。
今という時が、キャストの皆様を奮い立たせているのかもしれません。
そして、観客も熱いです。本当に、熱いです。

どうなるか分かっているのに、涙が止まりませんでした。
牢獄の場面で、ジャぺが歌うところから泣いてしまって、この先どうする?
という状態でした。
今さんのファンですが、あまりジャベール役は好きではなかったのです。
でも、今日は今ジャぺ、すごかったです。
バリケードでの、パルジャンとの対決。
下水道の出口での、パルジャンとの対決。
いつもは、パルジャン目線でしたが、今日は不思議とジャぺ目線で、観ることが出来ました。
今更ですが、また、発見があったわけです。


私は、レ・ミッズ大好きなファンの方に比べれば、あまり回数を観ていないのですが、
割と長くは観てきたと思います。
初演から観ていますので・・・年がばれる、苦笑。

今のバージョンより長いバージョンも観ています。
世の中が、比較的明るい時期の上演も観ています。
そして、今回。

演劇は、作る側にしても、観る側にしても、想像力のぶつかり合いだと思うのです。
作り手の想像力がないと、本当に薄っぺらな舞台になります。
レミゼもそういう時期がありました。上手い役者が揃っているのに、何も伝わらないという舞台が続いていました。
現実の世の中としては、それがいいのだと思います。
今回の震災を体験して、レミゼに描かれている悲惨なことが、歴史上のことだけ、脚本の中のことだけ、ではなく、
自分と隣り合わせなんだ、と役者も観客も感じたのだと思います。
舞台で描かれることが、今まさに身近にあることとパラレルに感じられる。
私は、舞台を観るとき、想像力を総動員しています。でも、今日のレミゼは総動員する必要がありませんでした。
俳優の皆様が、まさに、その役として生きていたからです。
そして、私の思いも、想像力を働かせる必要もなく、次々、つい最近、あるいは、今起こっていることが思い出されて、胸が熱くなってしまいました。

最近ミュージカルのファンとなって観劇していない人、子供に見せるのを忘れているパパとママ、チケット入手は大変難しくなっているようですが、是非、帝劇へ行ってみて下さい。
今、自分にできることを、一生懸命やっていこう、という希望や勇気に出会えます。

「レ・ミゼラブル」
本当にありがとうございました。



佐山陽規ドラマチックリサイタル

2011年02月11日 | 観劇記
第6回翠嵐会音楽会「佐山陽規ドラマチックリサイタル」
2011年2月11日関内ホール小ホール

数日前から、「雪、積雪注意!」の天気予報が出ていた今日。朝、窓の外からぽたぽたという雨の音を聞き、ほっとしました。とりあえず行きは無事に着けると確信したからです。

朝の予想通り、無事、会場に着き、寒い外のことはすっかり忘れる佐山陽規さんの素晴らしい歌の数々に出会いました。

15分の休憩をはさみ約2時間の舞台でした。
第一部は、いろいろなジャンルの歌を歌われました。題名にも書いた「翠嵐会」とは佐山さんの高校の同窓会の名前です。佐山さんが活躍なさっているミュージカルにあまり触れることのない観客の方もいらっしゃるということもあり、ミュージカルナンバー以外の曲が何曲もありました。
一番メジャーな曲といえば、やはりこの曲「千の風になって」です。たくさんの方が歌っていますので、いろいろな印象を持つ歌でもあります。佐山さんは風景を思い起こさせて下さるアプローチだったように思います。
なだらかな傾斜地にある墓地。少女がお墓の前で涙をこらえているときに、吹き過ぎるさわやかな風・・・その風が歌となっているような印象でした。

「千の風になって」の原詩が注目を浴びるきっかけになったのは、2001年9月11日に発生した同時多発テロ事件から一年後の追悼式典である少女がこの詩を朗読したことにありました。
同時多発テロは、私が大好きな「太平洋序曲」アメリカ公演の夢を打ち砕く大事件という面を持っていました。その後、関係者のものすごい情熱によって、上演決定となったわけですが、ファンの私でさえひどくショックを受けたあの事件を、関係者の一人でいらした佐山さんはどのように受け止められていたのでしょうか。その事件がきっかけとなって誕生したこの「千の風になって」を聞くたび、私は事件のことはもちろんですが、「太平洋序曲」アメリカ公演の前後のことを思い出さずにはいられません。
来る6月にはこの関内ホールのほど近い地で再演が決定していることもあってか、なぜかより深くいろいろなことを思い出してしまいました。

すごくさわやかな風という印象の歌声であったのに、いえ、さわやかであればあるだけ、いろいろなこと、悲しみ、苦しみ、そして希望など、本当にいろいろなことが思い出されたのだと思います。

佐山さんはMCで「私なりのアプローチで歌いました。」というようなことをおっしゃっていらっしゃいましたが、本当のところはどんなアプローチだったのでしょう?
と、興味がわいてしまいます。

いきなり長くなってしまいました、苦笑。
「太平洋序曲」が絡むと、話が尽きないのですよね。すみません。
反省して、次に進みます。

どの歌もすてきなのですが、佐山さんの魅力がすごく感じられるのは「三文オペラ」の「モリタート」(通称、「マック・ザ・ナイフ」)。マックがそこに生きて、動き回っているような印象です。すごく聞いていて楽しくなります。もちろん、マックはものすごい悪党なので、「楽しい」って言ってはいけないのかもしれませんけれど・・・

こんにゃく座の舞台作品の中、皮肉っぽい歌もとても楽しく聞きました。

ラブ・ソングにもうっとり・・・

と、あっと言う間に第一部はおしまいでした。
高校時代の思い出話もありました。「そうそう」という相槌をうつ皆様がいらっしゃいました。いろいろな行事で司会をしたりしていたそうで、相当、目立つ学生でいらしたのだと思いました。楽しい話がいっぱいの前半でした。

第二部はチェーホフの「白鳥の歌」をベースにした歌入り一人芝居でした。
酒に酔った老役者が、真夜中の劇場で、一人のプロンプターを相手に自分の役者人生を振り返るという話です。
佐山さんもプログラムの中で、また、第一部の終わりにも、「今の自分と重なるところがある。」ということもおっしゃっていました。
それに注目してしまうと、ちょっと重い作品ですが、人生を振り返る中には、愛を語る場面、力強く役に取り組む場面、喜劇もありと、佐山さんの魅力、大全集という作品でした。

この作品のセリフに「観客はいい加減なんだ」みたいな行(くだり)があるのですが・・・
う~~~ん、まったくその通り、と反省しています。
劇場にいる間は、作品や俳優さんに没頭しています。まあ、数日、没頭することもあります。が、すぐに忘れる。
数時間前に、実践していました!!!
一緒に行った友人と電車の中で1月に観たある舞台の話題で盛り上がるはずでしたが、二人とも役者の名前はわかっているのにどんな役柄だったが思い出せないのです。最初の場面から振り返るうちに・・・そうそう、あの役じゃない、と一件落着。二人とも、「いい役者になったよね」と話しだしたのにこの様・・・
「観客は確かにいい加減です」と謝りたくなった一場面でした。

観客はいい加減なことが多いです。が、敢えていい加減なこともありますよね。
私の場合、舞台にものすごく引きずり込まれることが多いのです。そうなると、役柄と俳優が別々の存在だと思えなくなってしまうのです。大好きな俳優の方が、私にとって悪人の役だったり、理解しがたい考えを持った役だったりすると、「ええ、あんな人だったんだ。」となります。
理性的に考えれば、その役柄が舞台の中ですごく重要で、すごく上手いからそう思えるわけです。が、感情が高ぶってそうは思えないことがよくあります。
そんなときは「敢えていい加減」を実行致します。きれいさっぱり忘れます。

まあ、どんなに言い訳をしても「観客はいい加減です」、苦笑。

今日は、いろいろ脱線する日です。
というのも、とても楽しくて、とても元気になったからです。これで一カ月は大丈夫そうです。

そして、アンコールに「壁の歌」。林光さんの作詞作曲だったと思いますが、以前聞いたときにもとても印象的でまた聞きたいなぁと思っていたので嬉しかったです。
最後の最後は「Stars」。
レミ・コン以来でしょうか。
この一曲で、元気はさらに一カ月延びたような気がいたします。

というわけで、感想というか、なんというか、いろいろ思わず書きたくなってしまうほど、楽しんだ佐山陽規さんのリサイタルでした。

それでは、また。