5月連休の一夜、家にくすぶっている67才同級生が集まり楽しく話しました。行きつけの徳力「侘助」さんは、30席が満席でした。平素は空席も沢山ありますが、ゴールデン・ウイークは、住宅地の飲み屋にとってかきいれどきのようでした。
O病院長・D大企業OB・T商店主・W(私)の四人でした。年相応のいい話で、うれしくなりました。
「健康に生きてポックリ死ぬ方法はありませんか?」
「死ぬ人を何人も看てきました。死ぬときには、本人自身が自分で判るように思います」
「患者の方から呼び止められ、『先生 お世話になりました。これでお別れです。頑張って下さい』などと挨拶されることがあります。『何言いよるん、だんだんよくなっているやん』と答えますが、数日後亡くなられることが多いです。死ぬときが来たら本人にはわかるみたいに思えます」
「自然の動物は、死骸をそこらに残さず、他所へ行って死にます。象の墓場とかの話もあるけれど、身近なカラスやスズメの自然に死んだ死骸は見ないでしょう。彼らは自分の死ぬ事を知って行動するのです」
「人間も自然の感覚を持っていて、その時が来れば分かると思いますよ」
「俺達は100才まで死なせて貰えんと思うよ! 病気になっても治療して貰えるし、100才まで趣味でも仕事でも持って、ボケないでいる方法を考えるのが、先と思うよ」
「今 親の恩給や年金をあてにしている子供もいるし、一旦延命装置をつけたら医者も殺人とされるから、その装置を脳死とわかっても外せません。意識のしっかりしている時に延命装置はいらんと宣言し家族にも納得させていないと本当に死なれんよ!」
「うちの親父が死ぬ時、のどを切開して気道を確保しましたが、かわいそうで見ていられなかった。医者からどうしますと訊かれても『もう結構です』とはお袋も俺も言えなかったものな」
「趣味ややりたい事をするには、気力がいるよ! お袋は95才だけど、趣味の絵は75才でやめてしまった。親父が死んでお袋は意欲をなくしプッツリ描かなってしまった。 75才のとき 県展で特選になり、そのあと個展をひらき、描いた絵も一般の来場者に沢山買って貰い やる気満々だったけれど、一人になって筆を持たなくなってしまい、残念に思う」
「ピカソはあんなに年取っても絵を描いていたけど、意欲があったんだなあ」
「ピカソは孫みたいな女性と結婚し子供もできて金がいるから絵を描いたと思うよ。 若い奥さんが元気の素だよ!」
「お前 自分のことを言いよるね」
「俺は一度死んだことがある。 中学生のとき腸が詰まってしまい、医者から死んだと宣告された後、意識が戻り あと回復した。そのときの死の記憶は苦しく不快だった」
「それは死んでないよ!立花隆の「臨死体験」を読んで見てん。 そこで死んで生き返った人が何人も同じことを言ってるよ! 死んだあと 体外離脱して、高いところに上がり天井から 死んでいる自分と治療している医者を見るんだって! そして苦しみや痛みをまったく感じず、幸せな気分になるんだって」「お前は死んでいないで苦しみ・痛みから意識を失った段階と思うよ」
「俺は若いころ 尿管結石の手術で入院したことがある。 その時別の病院に入院していた上司が、夢に出てきて『調子はどうか? 頑張れよ! お別れだ さようなら 』と言うのよ」
「翌日 見舞いに来た同僚に、その話をしてその上司の見舞いに行ってもらった。 やはり その前日亡くなられていた。 体外離脱して俺のところにきてくれたのかな?」
「超常現象と呼ばれる現代科学で説明できない出来事はいっぱいあります。その上司さんとのかかわりも超常現象と割り切って考えておくのがいいよ」
「死ぬ時は自然に分かる」とは興味ある考えです。そう信じていれば、先のことなど思い煩うことなく、今を精一杯生きる事ができそうです。
Today is the firstday of my futurelife. と田中真澄先生の声が聞こえます。大切なこの日を精一杯生きよう 楽しもう!
楽しい一日一日の積み重ねだけが、楽しい生涯 楽しい人生です。
私たちが心掛ける第一のことは、今日を楽しい一日にすることです。
少し真面目すぎるキリスト的考えかなあ?
楽しいとはどんなことか よく考えよう!
楽しくて 死ねない社会で 高齢化
気力の素 他人に頼らず 趣味に生き
子離れと 世間離れで 自立する
子離れと 世間離れで ホームレス?
O病院長・D大企業OB・T商店主・W(私)の四人でした。年相応のいい話で、うれしくなりました。
「健康に生きてポックリ死ぬ方法はありませんか?」
「死ぬ人を何人も看てきました。死ぬときには、本人自身が自分で判るように思います」
「患者の方から呼び止められ、『先生 お世話になりました。これでお別れです。頑張って下さい』などと挨拶されることがあります。『何言いよるん、だんだんよくなっているやん』と答えますが、数日後亡くなられることが多いです。死ぬときが来たら本人にはわかるみたいに思えます」
「自然の動物は、死骸をそこらに残さず、他所へ行って死にます。象の墓場とかの話もあるけれど、身近なカラスやスズメの自然に死んだ死骸は見ないでしょう。彼らは自分の死ぬ事を知って行動するのです」
「人間も自然の感覚を持っていて、その時が来れば分かると思いますよ」
「俺達は100才まで死なせて貰えんと思うよ! 病気になっても治療して貰えるし、100才まで趣味でも仕事でも持って、ボケないでいる方法を考えるのが、先と思うよ」
「今 親の恩給や年金をあてにしている子供もいるし、一旦延命装置をつけたら医者も殺人とされるから、その装置を脳死とわかっても外せません。意識のしっかりしている時に延命装置はいらんと宣言し家族にも納得させていないと本当に死なれんよ!」
「うちの親父が死ぬ時、のどを切開して気道を確保しましたが、かわいそうで見ていられなかった。医者からどうしますと訊かれても『もう結構です』とはお袋も俺も言えなかったものな」
「趣味ややりたい事をするには、気力がいるよ! お袋は95才だけど、趣味の絵は75才でやめてしまった。親父が死んでお袋は意欲をなくしプッツリ描かなってしまった。 75才のとき 県展で特選になり、そのあと個展をひらき、描いた絵も一般の来場者に沢山買って貰い やる気満々だったけれど、一人になって筆を持たなくなってしまい、残念に思う」
「ピカソはあんなに年取っても絵を描いていたけど、意欲があったんだなあ」
「ピカソは孫みたいな女性と結婚し子供もできて金がいるから絵を描いたと思うよ。 若い奥さんが元気の素だよ!」
「お前 自分のことを言いよるね」
「俺は一度死んだことがある。 中学生のとき腸が詰まってしまい、医者から死んだと宣告された後、意識が戻り あと回復した。そのときの死の記憶は苦しく不快だった」
「それは死んでないよ!立花隆の「臨死体験」を読んで見てん。 そこで死んで生き返った人が何人も同じことを言ってるよ! 死んだあと 体外離脱して、高いところに上がり天井から 死んでいる自分と治療している医者を見るんだって! そして苦しみや痛みをまったく感じず、幸せな気分になるんだって」「お前は死んでいないで苦しみ・痛みから意識を失った段階と思うよ」
「俺は若いころ 尿管結石の手術で入院したことがある。 その時別の病院に入院していた上司が、夢に出てきて『調子はどうか? 頑張れよ! お別れだ さようなら 』と言うのよ」
「翌日 見舞いに来た同僚に、その話をしてその上司の見舞いに行ってもらった。 やはり その前日亡くなられていた。 体外離脱して俺のところにきてくれたのかな?」
「超常現象と呼ばれる現代科学で説明できない出来事はいっぱいあります。その上司さんとのかかわりも超常現象と割り切って考えておくのがいいよ」
「死ぬ時は自然に分かる」とは興味ある考えです。そう信じていれば、先のことなど思い煩うことなく、今を精一杯生きる事ができそうです。
Today is the firstday of my futurelife. と田中真澄先生の声が聞こえます。大切なこの日を精一杯生きよう 楽しもう!
楽しい一日一日の積み重ねだけが、楽しい生涯 楽しい人生です。
私たちが心掛ける第一のことは、今日を楽しい一日にすることです。
少し真面目すぎるキリスト的考えかなあ?
楽しいとはどんなことか よく考えよう!
楽しくて 死ねない社会で 高齢化
気力の素 他人に頼らず 趣味に生き
子離れと 世間離れで 自立する
子離れと 世間離れで ホームレス?
私は23歳のとき、人間とは何かを知りたくて、ある職場を選んだのですが、気がついてみれば、コンピューターを40年以上も使っていました。でも、今は若い人々に対して、人間として役に立つ何かを引き継いで往きたいと思っています。戦後社会の乱れは、教育行政の問題も含めて、この世代間の引継ぎが上手く行っていなかったためではないかと思うのです。社会の流れとか環境などというものは、小さな一人の人間の小さな心がけの集まりによって、大きな流れに発展するのだと思います。
拙い文章で失礼しました。今後ともよろしくお願いします。
少し上の上級生(昭和一桁)は、教科書に墨を塗り、価値観の変化を実感しながら生きてきました。
昭和20年国民学校入学の私たちは、戦後の急ごしらえの価値観の中で、映画と闇市で幼児体験を積みました。
「これは絶対正しい」というものの何もないままに、いつも「どうしたらいいんだろう」と迷っていたのが、私67才のように思います。
2005年の今になって考えるのは、「そういう環境によって、柔軟な脳細胞が残されているのは、前後の年代に比べて、私たち67才だ」と言うことです。
人生100年。 あと33年新たに生きよう。発言しよう。誹られたって、恥ずかしい年は過ぎました。
Watanabehiroshi3@msn.com が私のメールアドレスです。
送り先知らせていただけますれば、作文集『攻めず 守らず こだわらず』 『育ちの良さが邪魔をする』を贈らせていただきます。
有難うございました。これからもよろしくお願いします。
先ず、私のコメントでコンピュータ歴40年以上と書きましたが、私の早とちりで、実際に始めてコンピュータを活用したのは昭和42年で、以来、今でも使っておりますので、38年間ですのでお詫びしますとともに訂正します。
でも、決して、その道の専門家などではありませんので、念のため申し添えます。
私たちの年代は戦中派の人たちとも戦後派の人たちとも付き合いが深く、彼等の良い点、悪い点もよく理解できる年代であるとの考え方、同感いたします。
今の私は、いわゆる長年にわたって蓄積して来た資料の整理に忙しく、なかなかお付き合いもできないかも知れませんが、何卒よろしくおねがいします。