朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

佐賀大土木大好き

2017-03-07 01:10:06 | 21世紀
佐賀大土木大好き
2017/03/07
昔、一緒に働いた同僚の思い出です。
大林組の同僚の二宮紘一郎さんは昭和38年ころの佐賀大卒業生です。若くして亡くなられましたが、将来、支店長・役員になられ、私どもを指導する人材だと、若いうちから思われていました。
温厚・知性的・いつも落ち着いた話しぶり、ハッタリなし、笑顔で自分から話しかける、リーダーの要素十分な男前紳士でした。若い頃、佐賀県の大きな農業用水門を後の部長となられた蓮尾所長の次席として担当され、その有能さは、他現場に働く私どもにも伝わって来ました。きゃしゃな体付きでしたが、体調悪く、支店安全課の仕事に付かれました。日明下水処理場工事に私が従事している時、現場視察に来られ、階段を上がるとき、後ろに付いていた二宮さんが「ナベさんは、大きな尻だなあ。うらやましい。俺は太りきらない体質で尻も小さい」と言われたのをおもいだします。それから間もなく、病死されました。社内報でお見舞金の募集がありましたが、2000万円位も集まったと聞きました。破格の金額だ。皆残念に思っているのだなと感じました。
大河澄男君は奥村組の土木屋で、佐賀大昭和50年卒業位の人です。
新日鉄構内の北九州LNGの現場で一緒でした。揉め事の全くない現場でした。工事主任の私は、円熟期で自分で考えた新工法を実施し良い成績を得ました。2000立米のコンクリート床版を80cmの空間を開けて打設するのに、盛り砂をし、後、真空ポンプで吸い取る砂支保工方式を計画しました。一番に賛成してくれたのが大河君で、試験施工・施工計画をして貰い、結果は大成功でした。大量の砂を使うので、あとどうするという意見などありましたが、冷却水大口径配管の埋設に使用し、材料費ゼロの工法になりました。
防液堤の移動式型枠、鉄筋プレハブ組み立て、移動式鉄筋足場、などのアイデアの実施試験・施工計画も、彼が担当し、立派な実作業ができました。
彼がいなかったら、私のアイデアも揉め事のもとになったかもしれません。
佐賀大土木科教授には、同級生の三浦哲彦さんも勤務されていました。洒脱の人柄で、学生時代には彼に先生の雰囲気はありませんでした。彼の育てた生徒が大河君たちとすると、最高の教師と思います。
元佐賀大学長の上原春男先生も素晴らしい方です。上原先生の私塾に、私も
5年間参加し、良い影響を受けました。はじめのうちは、頭が固い、凝り固まっている、と言われていましたが、年取っても現在、柔軟性があり、こんな作文書いているのは、先生の影響です。
高校生で土木に進みたい人、佐賀は勉強するに適した街ですよ。佐賀大に。