暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

2%, 一口50ml ほどで酔ってしまった

2017年12月22日 09時52分06秒 | 喰う

 

義弟の誕生日の集まりに出かけた。 この何年かで段々こじんまりとしてきてもうパーティーという雰囲気はなくなってきている。 それは我々が老齢化するなかで段々家族の主な者だけが集まるようになり若い者は義弟の子供たち、孫たちだけであとは義弟の兄弟、友人にしても全て還暦を越えた者たちばかりだからでもある。 もうこんなことを30年以上も繰り返しているのだから義弟の友人たちにしても髪が薄くなり腹がとびだしているのをみると彼らの若い時のことも思い出し、それはある意味自分を鏡でみるようでもある。

髪はそうだとしても腹は5月末の胃の手術で8割がた切り取ってから体重が減り今の毎週2回のジム通いで体が締まり自分は彼らから一線を引いている。 自負しているというわけではないのだが自然にそうなったのだから仕方がない。 幸いなことによく聞くように食餌の量が少なく一日に5回も6回も小分けにして食事を摂らなければならないということもなく、一日3回、若しくは4回で済ませている。 元々の大食いは資質として残っているけれど流石2割の胃では元のようにはいかず下から持ってきて繋いだ腸を無くなった胃の代償として訓練している。 それによってこの2か月で徐々に量がこなせるようになってきたと自覚している。

義弟が、何を飲む、ノンアルコールのビール擬きがあるけど、というのでそれを頼んだ。 喉が渇いていたので大きな一口で30mlほど飲んだ。 手術後は水にしても何にしても液体をまえのようにゴクゴクと一気に飲み干すということができず、たとえジムのあとの汗まみれの体でも少量でしか飲めず、体もそれでいいと言っていた。 それも小さな胃の許容量がそうさせていたのだろう。 それがこの1か月ほどで食事中にグラスに入った水を飲むのにゴクゴクと飲み込んでいるので自分でもこの変化に驚いていた。 そしてこのノンアルコールのビールだ。

何週間も前に娘が持ってきてくれたノンアルコールのビールをジムの後に飲んでいたことがあった。 アルコール分0.5%未満とあって、正確に言うとアルコールはないことはないのだがノンアルコールと見做されていて飲んだあとにはアルコールの影響は全く感じられなかった。 それがこのノンアルコール・ビールである。 たった一口、50mlほどであるのに話しているうちに酔いが回ってきてまるでウイスキーを飲んでいるかのような酔い心地だった。 妙だと思って義弟に壜を寄越すように言い、持ってきたものをみると2%の低アルコールビールとあった。 レモン味の人工果汁を加えたラドラー・ビールというものだ。 5%ほどが中心だけれど10%あたりまであるビールを色々な人工果汁を混ぜて低アルコールにして若者や車を運転する者向けに発売しているものだ。 昔ビールにコーラのようなものを混ぜて3%ほどにしてシャンディーとしていたイギリスの飲み物の変種だろう。 今スーパーの棚にはこのような変種が数多く見られビールとノンアルコールの間に居場所を広げているのだろう。 若者、娘たちにも広がっているに違いなく、娘たちはその後白ワイン、カクテルに行くだろうし、兄ちゃんたちは甘い物なんか飲んでられないとビールに向かう。 今日もここに出たのは年寄りたちでまだ車に乗るのだから、それにビールではアルコール分が高すぎる、という者たちにじゃレモネードにアルコールの香りがはいっていればいいのだろうというそんな「配慮」からテーブルに並べられたのだ。 勿論こんな爺さんたちはうちでは皆「本物」のビールでありスコッチであったりする。 近所の自転車で来ているものはスコッチを啜っているし自分では運転しない女、婆さんたちはワインを飲んでいる。

1月に胃癌の末期であると分かってからアルコールは口にしていないからほぼ1年、手術後半年の現在、今日初めてアルコールを意図せず口にしてその効き目に驚いた。 それはただ単に慣れていなかったから効いたということでもなく、胃が殆どない上にすぐ腸に廻って今まで以上に効果的であったということなのだろうと思う。何とも経済的なものか。 大学時代の友人にアルコールはいくら飲んでも酔わないから飲まないという者がいた。 それは遺伝で彼の父親もそうだったようで酔わないということはないのだろうが期待するような酔い心地はいくら飲んでも訪れないから飲んでも無駄だと言っていたような気がする。 今の自分はそれの全く逆方向に向いている。 2%、50mlでこれなのだ。 結局1時間ほどで一本分330mlを飲んで1時間半かけて冷まし歩いて駅まで戻り1時間ほどかけて夜中のバスに乗って帰宅した。