暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

ルガー マークIII 22口径

2013年09月07日 23時23分46秒 | バンバン


ルガーというのは我々子供の時から憧れの拳銃だった。 それはデザインが美しいルガーP08のことで、このほかのドイツ製ではワルサーP38、モーゼルC96などにもなじみがあった。 ワルサーの方は後ほど007ジェームス・ボンドが護身用のイタリア製ベレッタからワルサーPPKに変えられるところを小説で読んで四角いものからモダンな三角形のものになってボンドが急にファッショナブルになったような気がしたものだ。 けれどどういう訳かスマートなPPKにはあまり魅力を感じずむしろ見栄えのぱっとしないベレッタのほうに惹かれていた。

そのうちルガーにはドイツとアメリカのルガーがあると聞きいた。 20年ほど前に射撃を始めたときに第二次大戦中のルガー08の流れとみてもいいようなアメリカン・ルガー・マークIIがクラブの練習用の銃としてありそれを手にとってこれがルガーかと感慨に耽ったものだ。 それまではマークIIの形状からしてアメリカン・ルガーはドイツの製造元が姉妹、小会社を戦後アメリカに作ってそれが広がったのだろうと思っていたがそれは大きな間違いだった。 カタカナで書くとどちらもルガーなのだがドイツのP08は L, アメリカのは R の Luger, Ruger であり、こうなると全く別ものだったのだ。 日本人が喰う Lice と Rice の違いほどだろうか。

20以上年前に黒のマークIIを初めて手にしたときにはその銃身の形状からしてこのマークIIIより一層ルガーP08に似ていると思った記憶も二つが同系企業の製品だと疑うことがなかった理由だったに違いない。 ただ二つの銃は形状が似ていてもメカニズムが決定的に違う。 戦時中日本軍の拳銃だった南部式十四年式拳銃も枢軸国ドイツの写しだと言われたものだが形状は似ていてもメカニズムはマークI,II,IIIと同じもので、こうなるとP08の尺取虫構造は独特なものと写る。 尚いままでいろいろな拳銃を手に持ったけれど木目の美しいP08ほど手にしっくり納まる拳銃はなかった。 戦争映画のなかでもでもアメリカ兵が戦利品としてP08を欲しがるシーンがあるがその理由のひとつもこれなのかもしれない。 

22口径の弾丸がまだ幾つもあったので金曜夜、久しぶりにクラブに行ってマークIIを撃とうと思ったら修理中でマークIIIがあてがわれた。 15mのところに的を置いて老眼鏡で10発撃った。 4発は直径5cmの中に、あとの6発は直径15cmのところに納まっており、握り具合、引き金の圧といいこれが練習用に最適だといわれる理由がこれで分かるだろう。


ウィキペディア: アメリカン・ルガー マークI, II, III の項; 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BCMkI

ウィキペディア:ルガーP08 の項;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BCP08

ウィキペディア: 南部大型自動拳銃 の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%83%A8%E5%BC%8F%E8%87%AA%E5%8B%95%E6%8B%B3%E9%8A%83

涼しくなったり、また夏がぶり返したり、、、、

2013年09月07日 00時20分29秒 | 日常

4日ほど前まで秋らしくなって、、、と書いていた。 それが3日ほど前にまた夏がぶり返したのか30℃を越えたと報じられ、それから今まで夏日が続き夜には屋根裏部屋の自室で窓を開け放していても夜中の3時で27℃なのだからこれでは普通のオランダ人はかなわない。 それにカラカラに乾いているから庭の草木に散水は昨日まで欠かせなかった。 

思い返してみると9月に入ったといっても大抵は必ずまた夏を思わせる日が何日か戻りそのうち徐々に涼しくなって、、、という風で、この月曜にもそんな風に日が短くなり涼しくなった夕方9時前にフィットネスのジムに自転車を漕ぎながら夏も終わりだと想いながら向かったのだがどっこいそうは簡単には秋にはならない、ようでその翌日には真夏が戻っていた。 もし10月に入ってこれならたまげるけれどまだ9月の第一週なのだからこういうこともあるだろう。 

もう20年以上前、娘が生まれた年に大阪から今の自分ほどの年頃の母が、小さい子どもをつれてハーグから越してきた今の家と二人目の孫を見に、それにまた日本の暑い夏の避暑がてら7月、8月とオランダに来たことがあった。 こちらに来て涼しすぎるのかデパートでオーバーを買うようなこともあったりしながらもフランス、ドルドーニュのキャンプ地で2週間ほどのバカンスも経験し9月に入ってから大阪に帰った。 けれど戻ってすぐ大阪の暑さに参って2週間寝込んだこともあったからそれ以後はこちらの涼しさは魅力ではあっても戻ってからの揺り返しがきついからたまらないとそれからはもういくら誘ってもオランダに来なかった。

北海道の北部に住んでいる人ならこれが分かるかもしれない。 自分は暖かい大阪で育ち寒いのが苦手だから大学も暖かい温泉のある松山にしたのにその後まさか樺太ほどの緯度にある北ヨーロッパに33年も住むことになるとは夢にも思わなかった。  それになんの因果か、住んでいるうちに体調もオランダ人並になっているから今の温度に少々バテ気味なのだ。 年末年始時期に帰省するときには大阪の冬は今の自分には寒くない。 こちらで使っているオーバーを念のために持っていくのだがほとんどがもち腐れだ。 そんなことを思っている間にそろそろ帰省のための航空切符を予約する時期に入る。 昨今は早めに予約すると少しは安くなるシステムなのでそのころのスケジュールが決まり次第予約しなければ11月ごろになると料金がかなり上がっていることからこれから2週間ぐらいの間に決められたらいいとしよう。

もどった夏といっても前庭にはこの22年ほどでドングリから13m以上に伸びたドングリの木にもう実が出来る季節になっていて、あと何週間かしたらそれが茶色になり、それが落ちてあたり一面に散らばるようにになるころにはこんな暑さはもうどこにも見られない。