いつもの通り屋根裏部屋で夜中ずっと起きていると時々屋根を打つ激しい雨音に耳を聳えかすこともあり、そうかと思えば腹に何かを入れようと下に降りるときに観る、上に向いて傾斜した窓からは早く走る雲の間に月さえ見えることもある冬の天気だった。
日曜昼の2時を廻って起きだし、キッチンに下りると白いものが庭に見えた。 霰とも雹ともいわれるものだ。 もう大分溶けて小さくなっているようだ。 なるほど夜にはヘッドホーンの音楽の間に入り込み聞こえていた、強く屋根を叩いていたものは雨ではなくこれだったのだ。 けれどその後また雨がなんども降っていたのだから夜に降っていたものがこれだったらもうとうに溶けている筈でこれはその後降ったものだ。 コーヒーのいい香りがしているのでそれを手に空を眺めていてこんな天気が冬中続くと退屈しないのにと思った。 冬でも入道雲がでていて遠くでは時雨れている風でもある。 妙なものでただその形からなのだろうか、外気2℃のこんな天気でも冬の入道雲を見ていると去年の暑い大阪の夏が思い出される。
視覚の影響というものは大きいものだ。 寒ければ厚着をすればそれで凌げるけれどドンヨリとして湿った灰色の空は肌着の間までその冷たさが入ってくる心地がして堪らない。 実際の温度や湿度は大して変わらなくてもそこでポイントとなるのは青空と日光なのだろう。 ここは日照時間が子供の時から育った大阪の三分の一だと知らされていたのがとくにこの時期、陽のありがたさが肌身で分かる。 それが温帯から北ヨーロッパに越してきて長く住んだ感想だ。
そういうことも忙しくてあれやこれやと体を動かしゆっくり空を眺めることもなく、次から次へやらなければならない雑事をこなしていかなければならない日常であればそのまま通り過ぎていくのだろうが、少しは時間も出来、周りを眺めることも出来るようになってみればこのような今まで見過ごしていたわけではないけれど身に沁みては感じなかったことがここにきて改めて見渡せるようになるのだ。
日曜昼の2時を廻って起きだし、キッチンに下りると白いものが庭に見えた。 霰とも雹ともいわれるものだ。 もう大分溶けて小さくなっているようだ。 なるほど夜にはヘッドホーンの音楽の間に入り込み聞こえていた、強く屋根を叩いていたものは雨ではなくこれだったのだ。 けれどその後また雨がなんども降っていたのだから夜に降っていたものがこれだったらもうとうに溶けている筈でこれはその後降ったものだ。 コーヒーのいい香りがしているのでそれを手に空を眺めていてこんな天気が冬中続くと退屈しないのにと思った。 冬でも入道雲がでていて遠くでは時雨れている風でもある。 妙なものでただその形からなのだろうか、外気2℃のこんな天気でも冬の入道雲を見ていると去年の暑い大阪の夏が思い出される。
視覚の影響というものは大きいものだ。 寒ければ厚着をすればそれで凌げるけれどドンヨリとして湿った灰色の空は肌着の間までその冷たさが入ってくる心地がして堪らない。 実際の温度や湿度は大して変わらなくてもそこでポイントとなるのは青空と日光なのだろう。 ここは日照時間が子供の時から育った大阪の三分の一だと知らされていたのがとくにこの時期、陽のありがたさが肌身で分かる。 それが温帯から北ヨーロッパに越してきて長く住んだ感想だ。
そういうことも忙しくてあれやこれやと体を動かしゆっくり空を眺めることもなく、次から次へやらなければならない雑事をこなしていかなければならない日常であればそのまま通り過ぎていくのだろうが、少しは時間も出来、周りを眺めることも出来るようになってみればこのような今まで見過ごしていたわけではないけれど身に沁みては感じなかったことがここにきて改めて見渡せるようになるのだ。