暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

舅姑の60年

2011年12月13日 02時22分31秒 | 想うこと

日曜の午後、孫、曾孫達を除いて来るなら来てもいいというので娘四人とその婿共が舅姑の家に集まった。 親達は米寿に近く二人共もう静かな余生を送っているものだから孫や曾孫達をつれて個別に来るのならいいけれど皆が集まるパーティーは嫌だというので子供たちだけの集まりとなった。 だから親族郎党が一同に集まるのはもう本人達が共に生きている間はないということになるだろう。

第二次世界大戦中にドイツに侵攻されたオランダの17歳の若者が強制徴用されドイツに連れて行かれ、強制労働下の工場が味方の連合軍に爆撃されたとき爆弾があたりに降る中に放り出されその隙にフランスまで命からがら逃げおおせてそこでアメリカ軍に合流し生き延びてともにオランダに戻り、オランダ解放後の祭りで隣村の若い娘と知り合い、許婚になったのはいいけれどすぐさまインドネシア独立を制圧する目的のオランダ軍に徴兵され南方に移動し、そこで幸いなことに人に弾丸を一発も撃つこともなく引き上げた後、また自分の村に戻り、兄弟姉妹、女11人一番下が男というような酪農農家のその娘と結ばれたのが今から60年まえのこの日だった。 これが後に自分も含めた家族のはじまりである。

日本の自分の親の戦後史と言うものもこれと大して変わらないように思う。 灯火管制で怯え、遠くの神戸や大阪、堺の爆撃の惨禍を明かりや煙だけでしか見たこともなく、周りは農家だから食物には戦中戦後大して不自由なく育ち、それはオランダの姑と同じようなものだったものの、大阪南部の何キロか離れたところに飛行場があってそこには見せかけの張りぼての飛行機しか置いていなかったからアメリカのグラマン戦闘機や爆撃機が来て余った爆弾を落として帰るのが丁度このあたりで柿の木の近くに不発弾としてそういうものを落された、というような話ぐらいしか聞かなかった。 村の墓場に行けば親戚のおじさんたちであった男達の墓が沢山並んでいたし伯母は戦死したいいなずけの弟と結婚しているからどちらの親の世代にも傷跡は残っているもののその子供たちには不思議なくらいそれが残っていないのは戦後の復興の仕方にも関係しているだろうし、辛いことは子供たちに話したくないという心理も働いていたのだろう。

舅はもともと気が優しく心の傷が癒えていなかったのか女ばかりの姦しい家族の中で段々寡黙になり、ここにきて戦中の辛い思いがふつふつと湧いて来た気配がある。 姑は自国がドイツにが占領されていたとはいえ物資を敵のドイツ兵に持っていかれたことはあるものの差し迫った身の危険はなく、漠然とした戦争は日常ではあるものの近所家族に被害はなかったから生死の境を彷徨った自分の夫のことが分からない。 それをいえば経験のないものにはそれを分かれというのも辛いものがあるけれど、それが夫婦間の何がしかにおいて鬱屈するところにもなっているようだ。

子供たち、ましてや孫達にはそういうことは分からないのは当然で年寄りが戦争のことをいうと煙たがるようなこともあったようだ。 それに戦後の復興期の勢いの中でそういうことも忘れさられ、普通には思い返すことも少ない60年だったのだろう。 それが今思い出に生きる季節となれば言葉に出来ないものが内にこもるということか。

家人がこどものころのパーティーで母がいつも作っていたものをつくろうと手短に詰めてもって行ったものをテーブルに開ければそれは30年ほど前に初めて家人の両親の所に行ったときと同じカクテルパーティーに供されるものだった。 そうすると舅姑の60年の後半のほぼ半分を自分も家族として付き合うことになっていたのにはじめて気がついて少々驚いた。 そういえばこの夫婦の金婚式のパーティーは親戚友人一同皆揃って盛大に祝ったのだった。 それからもう10年経つ。 そのとき二人とも2mほどある義弟たちがその余興で女装してヘタな歌を歌ったことも思い出され日頃仕舞われたままになっている記憶からそういうものが引っ張り出されてきて一同笑いの中に当時のことを穿り返して一層腹の出た二人を茶化すのだった。 その二人にはこの間にもう複数の孫達が出来ている。

ツイッターや携帯のプロヴァイダーのどこがいい悪いのと喧しく喋るこどもたちの中でコンピューターのキーボードに触れたこともない世代が運河を眺めながら久しぶりに出かけた教会のミサの話をしているのを聞くチグハグさはこれらの世代を象徴するもののように思え、果たして我々の30年後にはどのようなものになるのかには到底思いも行かない。 その日のハイライトは女王、知事から寄せられた祝いの手紙だったのだが、今週中にはまた市長の訪問があるらしい。 子供たちはそんな署名入りの手紙を眺めながら自分達の時には政府のハードディスクから自動的に送られる携帯メールになるに違いない、直筆のオリジナル・サインなど期待できない味気ないコピーになるに違いないと笑いあうのだった。