暇つぶし日記

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乙女の祈り  (1994);観た映画、Dec. '11

2011年12月19日 19時02分55秒 | 日常

乙女の祈り   (1994)

原題; HEAVENLY CREATURES

100分

製作国 ニュージーランド/アメリカ

監督:  ピーター・ジャクソン
脚本:  ピーター・ジャクソン、 フランシス・ウォルシュ
撮影:  アラン・ボリンジャー
音楽:  ピーター・ダゼント

出演:
メラニー・リンスキー  ポウリーン
ケイト・ウィンスレット  ジュリエット
サラー・パース    ポウリーンの母
クライヴ・メリソン   ジュリエットの父
ダイアナ・ケント    ジュリエットの母
サイモン・オコナー

純粋でいて残酷、あまりにも多感な二人の女子高生が夢見る幻想と現実。夢に溺れる二人は、ついには自分達の領域を侵すものを抹殺しようとする……。実際に起きた事件の映画化で、彼女たちが犯行に駆り立てられるまでを、鮮明に解き明かした心理ドラマ。多感な少女の見る幻想世界の映像や、この年頃の持つ残酷さを描いた心理描写はお見事。「バッド・テイスト」(87)、「ブレインデッド」(92)のP・ジャクソンが新境地を見せた逸品である。

上記が映画データベースの記述である。

ニュージーランド映画というのとこれがケイト・ウィンスレットのフィルム・デビューであることがテレビガイドに出ていて本作をイギリスBBCテレビの深夜映画で観た。 ケイト・ウィンスレットはいくつか観ていたけれどどういう訳かあまり印象に残らず、何年か前に「愛を読むひと (2008) 原題;THE READER」の映画評を観て興味を持ったのだがそのうちそれも観ることが出来るだろうと期待しつつ本作の少女達の世界にも興味を持ち、チャンネルを合わせた。

メラニー・リンスキーが秀逸である。 彼女はこれまでにオーストラリア映画かどこかで観ていたように記憶するが確かではないのだが、そのときの印象がここでもまた観られその一層の上手さに舌を巻いた。 夢見る乙女達の世界を知らない全て男女共学の学校を通過してきた日本人還暦男にはこのような、とくに1952年のニュージーランドの女子中学校高のイントロ場面からの授業風景からして興味深い。 イギリスを宗主とするコモンウェルスの一員としてのイギリス流の教育、階級の違う二つの家庭の様子にも当時のラジオ、ポップ・ミュージックも絡めてどこか懐かしい思いもし、夢見る乙女達のその世界の中で二人が御転婆ぶりを発揮し、徐々に自分達だけの世界を築いていくプロセスやそのファンタジー場面での特撮もよく出来ていて観客もそれにつられて彼女達の世界に触れる事となる。

14歳である。 何とも性徴のはっきりしていることか。 現在では日本でも少女の成熟期が早まっている兆しがあるもののそれでも1954年ごろのここでの様子には叶わないような気がする。 リニンスキーの年上の姉が登場するけれど姉のプロフィールには焦点が当たっていないだけその分リニンスキーの歳と性格が強調されて、姉にしても3つ4つ年上ということでもあるから余計に彼女のことが強調される。 家に寄宿する若い男との交渉の中での描写がストーリーを辿る上での優れた描写になっている。 その初体験の場面が秀逸で彼女に対照すれば男の即物性、その間抜けさに驚くと共に少女の描く夢の世界と残酷さにひやりとするようでもある。

また、ここにウィンスレットの病気が絡むことでも時代が反映されている。 1950年代の病気は何と言ってもまだ結核だ。 少女期の情緒、精神の振れ、ジェンダー、それに当時やっと克服できるようになった、旧不治の病の結核がからんで物語としてはノスタルジア満載の膳立てだ。 

今日本では当時のリニンスキーの歳で少々肥り目の普通の女の子であり、このような才能のあるタレントはいるのだろうか。 多分捜せばいるだろうけれどそのような人材を探し出してこのような作品を作り出す土壌があるかどうかがポイントになるのではないかと思う。

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