暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

喰えない

2018年08月26日 12時09分38秒 | 喰う

 

このコラムは「食う」なのに喰えないことを書く。 普通は喰ったもの、喰った感想なりそういうことを書くのだが今日はそれ以前の「喰えない」ということを書くのだから、それなら「食う」のコラムというより「健康」に関してのことでもあるのだからそこに書けばいいとはいえ、喰いたいのにちゃんと喰えなかったものの写真も撮っているので「食う」のカテゴリーに収めることにした。

自分の経験していることは胃を切った人に共通する現象なのだと説明された。 知り合いの親戚にもう10年以上も前に胃を半分切った人がいて日常生活で一日に5回も7回も食事をしている人がいる。 例えばうどんを5筋ほど食えば満腹してもうそれ以上だめで、そんな少量を5回も7回も時間をおいて繰り返し毎日を過ごしている。

自分の射撃クラブの同僚で去年医者のすすめで肥満対策で胃を小さくした男がいる。 自分の手術とほぼ同時期だったことからこちらは胃癌、あっちは肥満矯正のためと術後の経緯の軽重の差はあっても食後の体の反応に関しては同じような経験をしているのだが一つ違うのは向うは味覚が鈍り、食欲がなくなったこと、だから腹が空かず時計の針に従って、食べるというより食物を只単に機械的に規則正しく口にするだけの毎日となったことだ。 

手術から一年以上も経って今こんなことを書くことに少々の苛立ちを覚える。 手術後半年ほどでほぼ普通の食生活に戻った。 刺激物や酸性の強いものに弱くなったものの味覚は戻り、以前にも増して敏感になっているとも思えるようにもなっていた。 医者から一回の量を少なくして一日5回以上に小分けして食事をするように言われていた。 頭では分かっていても60年以上も続けている自分の食習慣はなかなか変わるものでもなく、ことに味覚が正常、食欲もあるのだから美味い食い物を前にして抑えることはなかなか難しい。 普通の食生活に戻るにつれて、また体力が恢復するにつれて家庭で食卓に着くと自分の皿に家人のものと比べて3割ぐらい少なめに取り分ける。1年半前までは家人の3割増しで盛り、おまけにお代わりをも普通にやっていた。 それがこうなっている。 ただ術後の恢復期には医者に言われたことは頭にあったものの何れはもとの健啖に戻ることを当然のこととして現在の状況はその過渡期と考えていたふしがある。 ない胃を鍛え自分が考える一回の限度をこれと決めて皿に取り分けたものを完食するつもりで頑張っていたのだがこの4ケ月ほど食事の後不快感と吐き気のようなものが押し寄せてベッドで30分ほど横になってやり過ごすということがほぼ毎日になっている。 

それならそこまで盛らずに少量にすればいいのだが、これくらいと思って盛りつけたものに対してこうなのだからそれで気分が滅入る。 どこまで後退すればいいのかそれに悩むのだ。 それに快不快の境目がとても微妙なのだ。 あと三口ぐらいで完食できるとおもっていたらスプーン一匙、肉フォークひとかけらで急に嘔吐感に襲われてベッドに轟沈となるのだから落とし穴に嵌められたような気分に落ち込むわけだ。 それにほんの偶に完食してそんな攻撃に遭わなかったときがあるのだがその時には多少の空腹感が残る。 そしてその時にはあと一口分でもお代わりをすればまた元の木阿弥になる感じはあるのだからその境目の薄さには悩まされることとなる。 結局は自分の喰える限度と思う量よりまだ少なめに皿に盛り、その習慣に徐々に自分を適応させていくしか仕方がないようだ。 そして旨いと感じてもそこで慌てず急がずゆっくりと咀嚼して少ない量を相手の食べる量に合わせて完食するという技を身につけなければ少ない量を喰い終わり他人がまだ食事しているのを味気なく眺めていると言う甚だ寂しい体たらくを晒すことを避けねばならない。 これが自分の「喰えない」現在である。

今日の食卓に上がったのは隣村の肉屋が手造りの自慢の小ぶりのソーセージで、その大きさは南米の女たちが20も30も胃に飲み込んで運ぶコカインのパッケージほどの親指より少し大きめである。 小粒の新じゃがを洗って花野菜と一緒にキャセロールに放り込み庭のローズマリーを刻んで塗しオリーブオイルを振り掛けて焼いたもの、レタスにプチトマトのサラダである。 手術前にはこの3倍位が食事量となっていたはずだから量の貧しさはカメラが被写体に寄って大きく見えることでカバーしている。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿