暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

オランダのうどん屋

2019年07月13日 09時59分44秒 | 喰う

 

癌研で余命が短いことを言われた後市電でアムステルダムのセンターに出て雨の中をフォンデル公園を歩いた。 公園の中の茶店が見えたのでオールドジンを飲みたいと思ったけれど置いていなく、仕方なく白ワインを飲みオランダの丸いコロッケをつまみにした。 その後ライツ広場辺りまで歩きアップルセンターで家人がスマホを選ぶのを待つ間グーグルマップスの3Dで自分の育った村や神社、寺を眺めていた。 自分の育った家には従妹の白い車が停まっているのが見えた。 そこにはもう二度と訪れることがないのに気付きアムステルダムの真ん中で何をしているのだと妙な気持になった。

その近くに日本料理・鉄板焼きと書かれた看板があり気が向いて中に入りオーナーは日本人か尋ねると中国人の男は、中国人だと言った。 シェフは日本人か中国人か尋ねると日本人だというからその人と話せるかと尋ねると奥に入りその男を呼んできた。 3時ごろの店はまだ開いていない時間なので出て来た50半ばかと見える男と暫く話し、店のことを訊くと、オーナーは中国人だけれど自分が仕切っていると言った。 日本料理の煮ものはメニューにはなく、焼き肉だけだった。 煮物をちゃんとメニューに出している日本レストランがないかと尋ねると、ああ、ここらあたりの日本料理屋ならどこでもあるよ、と無責任で信用のおけない返事をする。 何か妙に肩ひじを張った男で無理をしている風なのがよく分かるので適当に切り上げてそこを出た。 多分日本人の客から日本レストランでないことを陰に日向に言われて日本人として板挟みのプレッシャーがかかっているのだろう。 

世界中の「日本レストラン」のほぼ大多数が中国資本であるからこのようなことが起こるのだ。 自分は日本料理の店があると日本人が居そうだと思えばどこにいっても中に入って尋ねる。 先週休暇にでかけたブラバンド州の村にも日本料理屋と書いたレストランがありそこに入って話せば中国人が出て来た。 日本にいったこともなく日本人から教わったこともなくオランダ語も、英語も、当然日本語も分からない男がシェフとしていた。 それはメニューをみればまともな日本料理がでてくるともおもえないものだったから初めからほぼ分かっていることだった。 そういうことをよくするのでそういうところにノコノコ入って行くと、家族のものが、ほら、また始まった、と揶揄をする。

こういうことを書くのはこの日癌研に行った後、家人や子供たちが見つけて来た、オランダで初めての日本の饂飩屋で食事をする予定になっていたからだ。  自分には気が進まなかった。 理由はいくつかあり、その店が中国資本、中国人の日本ラーメン店チェーンの新店舗だったからでもあって、まだ開店したてでメニューもホームページに載っていなかったこともあるけれど、近頃のラーメンブームでは、中国人が安直に猿真似で作っても別段どんなものが出来上がっていても何とかオランダ人にはごまかせるものが、幾ら何でも「うどん」では無理だろうと思ったからだった。 当然うどんは元を糺せば饂飩という中国のものであり中国にも伝統があるのだからどうということもないのだがまたここで「日本ブーム」にかけて最近ではもう一渡り行きわたった、スシ、オコノミヤキ、テッパンヤキ、ラーメンに次いでの似て非なるもの、似非日本食の登場となったわけだ。 

ラーメンとうどんを比べるとどちらかというと西欧ではラーメンの方がその脂とコッテリ感から若者に受けるのは分かっており、大体どんな奇妙なものでも見様見真似ででっちあげれば大抵の中国料理屋の「スープそば」よりは美味いのは分かり切っている。 けれど「うどん」となるとラーメンと比べるとこちらで広く受け入れられるとはなかなか考えにくい。 現に日本人の料理人でうどんで勝負しているところをしらない。 商業ベースとなると大体が脂っこい食生活の西欧ではラーメンのものだろう。 いくら日本の文化だといっても udon だけでは商業ベースにはなかなかなりにくだろう。 

そう思いながら註文したものを待つ間にオランダ人の娘が紙ナプキンにむき出しのプラスチックの箸を自分の体に突きさすかのように縦に置いたので、これはまちがっている、ちゃんと置け、と注意したら驚いていた。 そんな礼儀も知らずに日本料理の店だとは言えない、というとそんなことは初めて聞いたと言い訳をしてすごすごと引き下がった。 それをそばで見ていた家人に叱られた。 今日は虫の居所が特に悪く、何にでも突っかかって行きたいような気分でもある。 

奥に鎮座している製麺機には本社香川県三豊市高瀬、さぬき麺機、万能手打ち麺機 さぬき M305型P とあった。 三豊市というのは自分の友人が「大喜多うどん」という店をやっている観音寺市の隣町である。 家族4人で友人の店のうどんを満喫したのは去年の1月だった。 いくら日本製の製麺機があってもそれが質につながるわけではないのは明白なことだ。 粉を水でまぶしてここに入れると出来上がるというものではない。 友人は毎日2kgの玉を10個1時間半足踏みしてそこから400玉造り、それを11時前に店を開け、2時には売りつくして終わりにする。 そんな手間をここでかけているとは到底思われず、そんな期待もしていないから初めからどんな麺になるかは想像もでき、それに一番重要なうどんつゆ、出汁も信用できない。 

友人の店の特別な出汁は皆の感心するところではあるけれどそのしっかりした出汁はただ、麺、ネギだけで喰わせるに堪えるもので、それは家族一同味わって実感していることではあるのだが、それは日本の風土の中で味わったからで、オランダでの日常生活の、食生活の中で慣れた舌に友人のうどんをもってきて彼の店の味に感動するかと言うと、それは同じものであっても讃岐での感動が蘇るとは限らないと思う。 ことに我々年寄りには魅力的であってもオランダの若い者たちはラーメンの方に行くように考えるのが普通だとおもう。 この店も5年保つかどうか疑問だ。

註文するとき「かけ」を頼もうかとおもったのだがそれは麺と出汁がいい具合の時で、観察していてそうにはならないだろうと踏んでいるので具の「きつね」を挟むことにした。 運ばれてきた出汁を啜ると出来合いのカツオ昆布出汁だとわかるけれど旨味や深みがない。 インスタントである。 ワカメは風味がなく固いだけ、きつねのアゲは甘すぎる。 そして、このアゲには見覚えがあった。 稲荷寿司をでっちあげるときに中国食材店で日本から到来の出来合いの12個入ったパックのものを使うのだが紛れもなくこれがそれだ。 酢飯にカヤクを混ぜた飯を包んでもこの甘さではまだ甘すぎるぐらいなのにここにそのまま入っていれば甘ったるすぎて他を圧倒してしまう。 だから総合すると結局薬味のネギだけがなんとか及第点だった。 麺は茹で方が1分足りない。 芯があって、たとえもう1分茹でても芯が消えるとしても腰がないからパック詰めの麺と変わらなくなる。 残念ながらこれなら自分が夜中に片手鍋でやっつけるものと寸分かわらない。 材料費では100円もかからないものがここでは1400円もとるのだから200-300円なら辛抱できるだろうがこれでは2度と注文する気にもならない。 コンビニのきつねうどんをここで出されたようなものだ。 

今から40年前、ヒッチハイクで世界を彷徨って来た日本人の若者がアムステルダムに来てここにたどり着き、一杯のうどんを啜ったとすればそのときには涙を流していたかもしれないが今は2019年で、人はもう情報と味にスレテいる。 日本に行ったことのあるオランダ人はあたりにどっさりいて、そんなものがここにきて、日本でたべたものには比べられないけれど、そんなに悪くない、と他のものにしたり顔で言い、スマホに情報をメモして運河沿いの通りに出るのがみえるようだ。



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