暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

今年もまたシンタクラースがやってきた

2011年11月21日 03時40分26秒 | 日常


2011年 11月 19日 (土)

5年前にもここで同じようにシンタクラースを見て次のように書たのだが、そのときの写真の方が今日のよりましだ。 土曜の午後の青空マーケットにいつものように出かけ向こうの方から景気のいいブラスバンドが聞こえていたのでそこに寄ったらたまたまシンタクラースがいたので撮ったもので、このあとその傍の鶏屋で卵と鶏肉を買って帰ったのだった。 もう何回ここでこれを見ただろうか。 

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/42406309.html

昨日の日記にシンタクラースのことを書きもし、その参照先も示してあるのだから今更ながらそれを説明する必要もないとして、またこの季節が戻ってきたのだ。 実は公式にはシンタクラースは先週スペインからオランダのドードレヒトに蒸気船に乗って来たのだから先週それが済んだと思っていたのだがそれは誤っていた。 国営テレビ放送で到着の模様がライブで見られその時の模様は既にYouTubeに下のように貼り付けられている。

http://www.youtube.com/watch?v=gRUDf4TNb1A

けれど子供の夢のシンタクラースがドードレヒトに来るとしても自分の町まで来るのに時間がかかる。 サンタクロースではないのだ。 空を飛ぶ赤鼻のトナカイも橇もない。 あるのは霜降り色の馬と馬鹿でふざけた従者の黒人ピートがむやみやたらとあちこちを跳ね回りお菓子をばら撒いているのだが、子供たちは自分達のこれまでの行いを見られていて全ての行いが書かれたシンタクロースの覚書の分厚い本を恐れるのだ。 結果がよければあと2週間ほどあとのシンタクラースの宵にプレゼントをもらい、もし悪いことをしていたら黒ピートの袋に詰められてシンタクラース一行が住むスペインまで連れて行かれそこで強制労働させられる。 子供たちはおそるおそるシンタクラースの前に進み出て家で書いてきたシンタクラースのためのお絵かきを手渡し、その白ヒゲの爺さんの膝に抱えられ親の構えたカメラに一緒に納まって12月5日の夜を心待ちにする。 

5,6歳までそれを信じるそうだ。 その後は幾つになってもシンタクラースは存在すると信じ(るふりをし)て代々それを次世代に繋げるというのがオランダの伝統だが、昨今はそれにポリティカル・コレクトネスが加わって従者黒ピートの存在に小さなスッポットライトが当てられることもある。 白人聖人が黒人奴隷を使って子供を脅し飴と鞭で幼児虐待をする、というのだ。 勿論これはジョークではあるけれど少々の真理が含まれているかもしれない。 宗教の名においてあまねく世界の小人を黒人奴隷に飴をばらまかせることと白人の閻魔帳の鞭で偃武し小人が大人になっても次世代にそれを順送りで再生産するというのが文化の深層だろう。

ま、それは部外者の深読みなのだろうけれど自分もこれをもう20年以上やってきてそのうち何回かは若者のパーティーのなかでシンタクラースにもなった経験からするとある意味ではこの伝統は日本のサンタより個人の表層から内部に入り込んでいるように思える。 日本でなんとか子供、宗教に関係があるとすればそれは施餓鬼の行事に近いかもしれないが、そこで圧倒的に欠落しているのは子供たちの内部に印象付けられる勧善懲悪の意識だろう。 それに日本のこどもたちは実在のサンタをこのように自分を切り刻むような気持ちで待ち望むだろうか。 善悪のバランスを3-5歳のときからとらされその審判官である数百歳の老人の前に出るのだ。 なんという緊張感。 けれど、当然それから3,4年もすると真実が分かるようになり、それ以後は単なるお祭・パーティーになるのだがそれでも心のどこかに嘗てそこに立ったという記憶が残っていてそれを善とするのだろう。 

我が家にはもうそんな子供はいないし次世代が現れるまでまだ10年はかかると見ているのだがそんな中でも12月5日の夜は互いに自分達の悪行をくいることなく、あろうことか罰当たりにも罰として飛行機の旅より豪華な蒸気船でスペインまでのクルーズが楽しめそこでは弛んだ脂肪腹をすっきりさせる運動が待っているとシンタクラースを待ちわびるのだ。 だからそのためのプレゼントを集めに昨日のように慣れない女ものの小間物屋をシンタクラースの名代、黒ピートの下働きとして良い児の希望通りのものを求めて商店街をうろうろするのだ。 やれやれ。 ちなみに自分は世間並にその自分の希望リストにジャズCDと映画のDVDを載せてシンタクラースにお願いしたのだった。 この一年間自分はいいことをしてきたのか悪いことをしてきたのかそれには全く自信がない。


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