暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

手術後3回目のCTスキャンに行ってきた

2018年02月28日 22時55分45秒 | 日常

 

気温がますます下がってきている。 明日になるともう弥生三月だというのに昨晩は最低気温-8℃、今日の日中最高気温は-2度だったらしい。 けれど上天気でそんな中自転車に乗って駅まで出かけるときには路上には1cmにも満たなくとも粉雪が積もっていてそれが東の風に吹かれて砂が舞うように地表を移動していた。 朝のラジオでは昨晩からスキポール空港とライデンの間は電車が不通になっているが9時には通常運転が見込まれていると伝えられていたけれど10時半に駅に着いてみると階下の表示では不通となっていたものがプラットホームに上がってみると時間通りに運航を始めるところで、それに乗り込むと5分も待たず電車はアムステルダム方面に動きだした。 

アムステルダム・レイリーラーン駅から10分ほど歩けばオランダ癌研AVLに着く。 公共交通機関で行くことにした。 雨や酷い天気なら車で行くことも考えたが今日のような青空に陽が照る日には幾ら寒くとも歩くのがいい。 あまり寒すぎれば市電で行くことも考えられるがそれほど寒ければ市電も止まる可能性があるのでそうなると結局通い慣れた道を辿ることになる。 AVLに通い初めてもう1年になる。 去年2月ごろから検査に通い、5月末に手術を受け、そこに3週間弱入院し、退院してからも折に触れ通院し、落ち着いてからは手術後3か月ごとのCTスキャンで癌が再発していないかどうか検査する。 それで今回今日で3回目となる。 検査の結果なにもなし、となれば少なくともこれから次のスキャンまで3か月は生きていられる、ということだ。 再発の可能性は手術後1年半から2年ぐらいまでがかなり高いらしい。 それから徐々に可能性が低くなるもののそれがゼロにはなかなかならないそうだ。 これは始めから言われていた。 あなたの癌は一生付き合っていくものと思ってください、と。 3か月前までの手術後半年は今の技術で判定する限り癌の活動は発見できなかった、つまり言葉をならせば、何ともなかったということだ。 先のことなどわからない。

CTスキャンの前に血液検査の為に採血される。 これもルーティ―ンだ。 今回11時を周って癌研に着いて採血セクションで自分の通院票のバーコードを機械で読み取って出てきた番号札を手に取った途端、待合室のモニターに自分の番号が出て3番ブースに行くように指示された。 前回は20分ほど待たされたのではなかったか。 寒波の影響なのか待合室には誰も居らず「営業中」なのかどうか一時は心配したからそのブースに落ち着いた時にそのことを訊いてみた。 寒波の影響ではないのだろうけれどこういう時もたまにあるということだった。 癌は曜日にも天気にも関係なく蔓延るのだ。 

CTスキャンの約束時間は2時50分だった。 少なくとも2時間前までには採血しておくこと、開始1時間前から開始時までに1リットルの水を飲んでおくこと、飲んだあとはトイレにはいかないこと、とされているのもルーティーンだ。 水を飲み始めるまでに腹に出来るだけスペースを開けておくために早めにカンティーンのスープと小さなパンで昼食にした。 水を飲み始めるまで2時間ほど時間があったのでアイパッドで音楽を聴きながら持って行った文庫本を100頁ほど読んだ。 飲み始める前にトイレに行って水気を出しておいた。 45分で1リットルの水を飲んで放射線科の待合室で何人かの人に混じって待っていると約束時間の15分前に自分の名前が呼ばれて今では慣れた Toshiba製 CTスキャン Aquilion CX の部屋に入った。 大きなリング状の機械にスライドして出入りするベッドの横になると腕から造影剤を注射されてスキャンは10分ほどで済んだ。

寒いのでこのまま外に出て駅まで歩くと飲んだ1リットルの水が効いてきて途中で小便がしたくなるので暫く静かな待合室に移動してそこで読書を続けた。 その場所は豪華なホテルのラウンジ然としたところで巨大なガラス窓からは日光がふんだんに入り気持ちが良かった。 壁には羊毛で造られた美しい敷物が掛けられ眼を楽しませてくれた。 同じ作家の作品がアムステルダム市立図書館の壁にもかかっているのをもうだいぶ前に観たことがある。

-4度ほどの外気の中を10分ほど駅まで歩いても大丈夫なようにトイレに行って膀胱を空にしてから外に出た。 毛糸の帽子を耳まで覆って被っているけれど毛糸が細いのか編み目が粗いのか寒さが入って来る。 手袋にしても薄い皮の手袋をしていると寒さが指の先から沁み込んできて手袋が用をなさないほどにも冷たい。 去年も一昨年ももう一つ持っている厚手の手袋を嵌めたことがなかったのだが明日からはそれをしなければ長くは耐えられないようだ。 その手袋を嵌めると暖かいことは暖かいのだが指の自由がきかなくて手が不自由になる。 駅まで歩いて戻る途中、このルートで雪道を歩いたのは今日が初めてだと気付いた。

来週の水曜にまたAVLに戻ってきて担当医から今日のスキャンの結果を聞くことになっている。

 

手作りソーセージ講習会 (下)

2018年02月28日 00時16分49秒 | 喰う

 

(上)より続く 

さて豚肉についての講習が終わりいよいよソーセージ造りの実習となる。 赤身3割、脂身7割ほどの片手に余るほどの塊を何個か秤の上に載せ、参加者14人がそれぞれ500gづつ割り当てられるのだからといいながら肉屋は7kgまで目盛りを上げた。 参加者の一人が名指しされその塊を挽肉にする機械に放り込む。脂身7割というのでは多すぎるのではという危惧もあったけれど挽肉になってみれば普通の肉屋で見るようなピンクいろの豚ミンチになっており基本的にはこれだけで原始的なソーセージができる、というのだが参加者はそれぞれ500gづつ入ったボールを与えられテーブルの上に並んだ様々な香辛料、ピックルスに塩・コショウなどをこれから各自適宜に配合して混ぜ、つなぎに生卵をも割り入れ捏ねるわけだ。 こちらはこの30年幾つもハンバーグや餃子の具を捏ねてきているのでお手の物であるが肉屋はそれ以上によく捏ね塊を握ってブチ切れるのではなく餅が伸びるように落ちてくるように捏ねるのだといった。 当然オランダの肉屋には日本の餅の柔らかさは知らないもののそれに相当する柔らかいチーズの粘り具合をいい実際に我々の捏ねたものをチェックしていく。

自分はわざと塩を控え香辛料の量を少なくし出来るだけ元々の肉の味を試してみたいと思いその少なさを補う意味でクーミンや粗びきの辛子、それに刻んだセージとケッパーを加えて捏ねた。 それが終わるとそれぞれ二人一組になって捏ねたものを器具に詰め込みハンドルを回して豚の腸に詰めることになる。 講師がいうには今日の材料の中で単価が最も高いのはソーセージを包むこの腸なのだそうだ。 何回も腸の内外を洗浄し食品衛生官の検査を通らねば使用できない仕組みでそれにかかる人件費が嘗てはコンドームとして使われたこの柔らかい膜にかかってくるらしい。 年寄りばかりの参加者の誰もが経験のあることを思い出しながらも冗談を言って笑う者もいずそんな笑いをかみ殺しながら黙々と作業を続け長さ7-8cmのソーセージを5つか6つ作って出来上がりとなる。

突然講師は出来上がったものを各自一個彼のところに提出することを求め、それぞれの名前を控えプレートの上にならべてそれを大きなロースターの中に入れて炙り焼きにする。 その間各自に飲み物と紙片が配られ焼きあがるまで待つ。 焼きあがってから講師はそれぞれのソーセージを14個の輪切りにして我々に配り試食する。 そしてそれぞれの紙片に1から14までの番号を書きそれぞれの輪切りにした肉片の評価をプラス1かゼロかマイナス1かで評価する。 当然誰もが今喰っているのが誰の作品か知る由もなく後で講師が全ての紙片を集めて自分が控えてあったナンバーと比較してだれのソーセージが一番人気があったか発表されることになる。 この時自分のものは最下位だとおもったが一つづつ試食しているうちにどれもが市販のものより美味く薄味であるのに味にはっきりしたうま味があるのに気付く。 それにここでの特徴というのは塩が効きすぎたものははっきりわかり、それはじぶんのものではないということぐらいしかはっきりせず、他の人も意識してあまり香辛料をいれなかったのかと思った。 結局自分のものは上位3位の中に入らなかったが最下位でもなかった。 それも美味かった。 肉屋は保存剤も加えていない生ものだから家に持って帰って2日以内に焼いて食べてしまう事といった。

翌日うちに持って帰った4本をグリルにして夕食に供した。 市販されているものより美味いというのが家人の評価だった。1本半、つまり150gをサラダと喰ってそれだけで満腹になった。