暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

日本帰省旅(8); 新世界界隈を歩く (3)  旧飛田遊郭あたり

2015年02月11日 19時06分23秒 | 日常

 

新世界東映でロマンポルノを観た後ぶらぶらとジャンジャン横丁を去年の宵えびすの晩にジャズのライブを聞いたおでん屋の方角に歩いて行った。 そこは山王の信号を渡ったすぐのところでこの宵はライブはなかったものの透明なテントを通して有線かCDからのジャズが聞こえていた。 そこから先に続く動物園前一番街は今まで行ったことがなかったのでアーケードに入っていった。 9時を回ったところでそろそろ店じまいをするところが多かったけれど外国に住み帰省すれば田舎にいる自分にはこのあたりから普通の商店が並んでいるのに接してやっと昔見知った風情に戻ったような気がして嬉しかった。 ことに爺さん、婆さんの店が多いのに今更ながらローカルなものを見る。 それまでの大阪の中心地ではどこも若者の売り子に制服やちゃんとした服装の店員が殆どなのにこういうところに来ると普段着で店番する高齢の人の姿がほとんどだからそういう風情をみることからしても昔にもどったような気分にもなるものだ。  

 まっすぐ歩いて行き天王寺駅の方向を頭に置いてあまり行き過ぎたら戻らなければならなくなるのでそれに注意しているとその通りが飛田本通りとなっているが見えて、それなら昔の飛田遊郭がこの近所なのだと気が付いた。 天王寺駅の方向を確かめようと人通りの少ない商店街で前からのろのろと自転車に乗ってこちらにやってくる男に尋ねると酔っぱらっているのかまるで見当のつかないことを言いながら自分の横を通り過ぎていった。 そのうち横道に入るようなところを見ると古い看板が「オーエス劇場」と読めて何本かの幟が立っていたので大衆演劇の劇場だと思いその方向に歩いていくと小さな入口に白くどうらんを塗った着流しの役者と思しき男が若い女性と親しく話しているのが見え、時間的に見ても最終公演が済んだところなのだ。 初めから場所が分かっていればロマンポルノを見ずにここに来るべきだったと後悔したがあとに立たずである。 ここより数倍大きい大衆劇場は通天閣の近くにもあり何年か前に中年女性の団体が同じようにどうらんを塗り鬘を被った着流しの役者たちと表で歓談している風景を見た記憶があるけれどあそこよりここのほうがこじんまりとして居心地がよさそうだ。

元の商店街に戻りしばらく行くとジャズが聞こえてきた。 Dona Lee と看板が出ていて外からガラス越しに覗くと女性ヴォーカルがピアノトリオにギターをバックにボサノヴァを歌っていた。 Dona Lee といえばジャズ好きならニヤリとする曲でチャーリーパーカー関連だから中に入って、と思ったけれどもうセッションが終わりの時間に近づいているのでそんなところに入っていくのも顔をさすから暫く外で聞いていたけれど腹が減っているのに気が付いてその隣の喫茶店に入ってカレーを喰った。 今回帰省中唯一のカレー経験だった。 そこのおばさんがあと10分で10時閉店、カレーも鍋の底のものだから旨いよ、と言った。 そのおばさんに聞くと旧飛田遊郭は角を曲がったところから続いていると言うので冷やかしがてらその方向にぶらぶら歩いて行った。 その一帯は格子状の広い通りが続いているから大きく迷うことはない。

40年以上ぶりにポルノ映画を見た後まさか旧遊郭を歩くとは思っても見なかった。 比較的広い通りに何軒も料理旅館然とした構えの店が並んでいて広い玄関があり若い娘たちが中心に座布団に座りこちらに笑みを送りそのそばにはエプロンをしたいわゆる「遣り手婆」と呼ばれる年配の女性が侍っていてこちらを呼び込むオーソドックスな形である。 話には聞いたりものの本で読んだりしたことはあるけれど実際に目にするのは初めてで、店の多さには驚いた。 それに昔の面影を残すのかその華やかさに驚いた。 日蔭の印象はまるでない。 お姉さんたちにしても想像以上に美しく、服装にしても今時なのか少女コミックのコスプレあり制服ありで「遊郭」というイメージからほど遠く、たまに着物姿の女性が座っているのをみるとドキッとするぐらいだ。 立ち止まるとエプロンの婆さんがこちらに声をかけてくるのだが敷居から前の通りに出てはいけない規則があるかのようにこちらには中から話しかけてくるけれど付きまとわない。 天王寺駅の方向を尋ねつつ通りが交差した十字路で店の提灯を眺めながら通りを歩いて行った。 15分11000円で始まり1時間で30000円ほどの料金システムは共通のようだった。 初めの1000円の端は何なのかと思った。 スナックもソープにも風俗にも行ったことのないものにはこの料金の意味が分からなかったけれど少なくとも印象では旧遊郭の形を少しは今もとどめている歴史的文化施設なのだと思った。 ここでは料理や芸者を呼んで芸、踊りも注文できるのだろうかと尋ねるのを忘れたけれど、それなら別のところに行けと言われそうな気がした。 

もとの通りに戻ると新開筋商店街になっていてだらだらとなだらかな坂が始まり阿倍野マルシェに入るとその勾配に驚きが混じるようになるほどだ。 考えてみるとここは北に1kmほど離れた四天王寺から西に西方浄土を望む一心寺前の坂に対応するものであり北のほうは西方浄土を望むのではあるけれどこちらの方は悪所、西方穢土に導かれる地形でもあり聖と穢合わさって世界が成る謂いでもあるとみた。 考えてみると母が今の介護施設に入らなければ阪和線を使うこともなかっただろうし天王寺界隈に来ることもなかっただろうけれどここ何年か新世界界隈にくることで気分が落ち着くところを再発見した気分になっている。 たぶんこれも日本に住んでいないから感じることなのだろう。

阿倍野マルシェのシャッターの閉まった通りを上って抜けると周りは高層ビルだった。 日本一高い阿倍野ハルカスは阿倍野通りを渡ったすぐだった。 近鉄と天王寺駅の交差点の角にあったジャズ喫茶はもうなくなっていた。