暇つぶし日記

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日本帰省旅(7);新世界界隈を歩く (2) ロマンポルノを観る

2015年02月01日 21時28分38秒 | 見る
 

 

通天閣下の立ち飲み屋で腹に入れた串かつ、おでんに生ビールが心地よく、外に出れば雨が降っていたので腹ごなしと雨宿りにと目に付いた新世界東映に入った。 なんともレトロな映画館で、レトロといえば聞こえがいいけれど世間から忘れられたような寂れた映画館だ。 まさに60年代そのままの姿でそこにあった。 博物館にあるようなポスターが並んでいるなかで市川右太衛門主演「旗本喧嘩鷹」、佐久間良子主演「五番町夕霧楼」に興味が惹かれたけれど生憎もう大分始まっており次の開始まで1時間以上待たなければならないのですぐに見られるのをみてみるとあとはロマンポルノだけだった。 「愛と真実の行方」「赤い発情 魔性の香り」「人妻・未亡人 不倫 汗まみれ」「女医の下半身 味わってみたい!」次週からは「極選マダム 前も後ろもナマで!」「好色長襦袢 若妻の悶え」「美人セールスレディ 後ろから汚せ」となんとも凄まじい題のオンパレードだ。 これらはまだ少年の頃、新聞の映画広告の下のほうに細かい文字で狭いスペースに一杯詰められた惹句を眺めて胸をときめかせたものと同列のものだ。 それらの言葉だけが独り歩きするものであり、猖獗を極めるAVからすれば子供騙しのようにも見えるものだ。 妙に聞こえるだろうけれどこれらの惹句が喚起するものがAVの即物性に対抗する「ロマン」なのだと思う。 その証拠にロマンポルノには乳房はふんだんに現れても「恥部」「性器」は決して現れない。

寂れた薄暗い階段を上がると売店があって猫を膝に抱いたおばさんに自動販売機でチケットを買うよう促された。 老人・身障者割引があって60歳以上が老人らしいのでそれに1000円を払って中に入った。 すると「赤い発情 魔性の香り」が始まっていた。 性に奔放な姉の下で何事にも臆病な、大きなめがねをかけて本に隠れる妹が姉の恋人をつぎつぎに寝取っていくというものだが、そこでのモラルは姉の無摂生を批判的にみる妹がその姉に喰いものにされる青年を助けるつもりで惹かれていき貢いだ挙句が青年に裏切られ姉と同じ運命を辿るという姉妹のおそろしいどうしようもない魔性にはなすすべもない、というものだ。 納得した。

「愛と真実の行方」は法律事務所の所長である中年女性弁護士の下、新進の女性弁護士が所長の不倫を批判的に見つつも自分もまたクライアントとそのような仲に陥るという弁護士業務とはなんら関係のないただ彼女らの服装が80年代の女性ビジネススーツでカバンをもっているだけというおそまつなもので館内の暖かさと満腹加減がビールの酔いに加速されて筋も分からず1時間ほど眠ってしまった。 大分イビキをかいていたに違いがないけれど館内に離れ離れに坐った自分を入れてすべて老人割引で入ったとしか思えない4人ではイビキも単なるBGMでしかない。

4本立てのなかでなんとかマトモだったのが「人妻・未亡人 不倫 汗まみれ」で、そのものすごい題とは裏腹に「ヒューマン」な性格を醸しだすものだった。 いつかは役者になろうとアングラ劇団に所属しアルバイトで怪獣ショーの張りぼてを被って商店街のイベントで子供たちを相手に戯れる青年を公園の片隅で見初めたOLが一緒になって将来の夢を託して同棲し始めるのだが青年にかなり重度の心臓病があることが発覚し、うちでぶらぶらしていることを余儀なくされ夜の生活にもエンジンを全開できず女は不倫に走る。 男はあるときそれを知り事実を受け入れるが自分の夢を諦めきれずにそうすることで命の危機に晒される事を承知で怪獣ショーのきぐるみを被り子供たちの中に踊りこむところで話しは終わる。 モラルは妻の不倫を受け入れ自分の夢を追いつつそれで命が果てても本望だというロマンチシズムなのだ。 ここではそれまでに妻とのなれそめ、隣人達の不倫模様、寝取られ男に対する怒りなどの挿話に加えてゴジラの着ぐるみを半分脱いで後に妻になる事務員との初めての会話のシーンなど爽やかなロマンチシズムに溢れていて監督 ・脚本 の佐藤吏の青さが垣間見られるようなのだ。

この稿を記すのにネットを繰っていて制作年をみて驚いた。 人妻・未亡人、、、は2002年であり、そのトーンはまるで1980年代のものにしか見えず2000年以後とのギャップに驚かざるを得ない。 同様に他の3作も1990年以降のものとするとこれらの映画は70年代からの10年ほどをその生存世界と見立てて制作されたものように思える。 つまりノスタルジアの再生産に努めていることになる。 ネット・DVD世代には完全に接触することのなかった世界なのだろう。 これらロマンポルノをみる層を除いた圧倒的大多数の世代が現在のアダルト・ヴィデオを支えている屋台骨であり、そうなるとここは成人映画のジュラシック・パークなのだと思った。 だからチケットに学生割引とあってもそのボタンを押すのは日本映画に興味のあるマニアックな青年ぐらいなのではないか。 現にこのジャンルで今もこのような成人映画を製作し続けているグループ、会社があると知って先のない未来に向けて立ち向かうその営為に文化助成金を出してもいいのではないかと思うほどだ。 吉本新喜劇の定型猥雑さとこれら劇場成人映画には明らかに共通点があるようだ。 それは「俗情との結託」というその思想性である。 大衆に擦り寄る定型の笑いと性にたいする大衆的定型であり、笑いの方ははテレビを通じて茶の間に広がり続けるけれどこちらのほうは茶の間には浸透することはなく、劇場に集まる層はPCを操る生活をしているとも思えないからその結果・趨勢は火を見るよりも明らかである。 

尚、本作は他の成人映画と同様に、著しく性的感情を刺激するため青少年に観覧させることがその健全な育成を阻害すると認められる、として三重県などではH26年12月に有害な興行に指定されている。 今時の中学生に見せたとしても、著しく性的感情を刺激することはあっても健全な育成を阻害するとは思えない。 優れた芸術映画とは思えないけれど有害でもない。 規制条例で指定しているようにそう思うことが青少年の感性を過小評価している、なり青少年の感性をなめている、と看做してもいいのではないか。 吉本新喜劇にしてもこれらロマンポルノにしても退屈なほど大衆追随の定型娯楽で危険なものは露ほども含まれていない。 缶ビールをポケットにフラフラと入ってきて疎らな客席の一つに腰掛け、現実のものとも思えない動画に観入る年金手帳保持者たちにはその定型がロマンであり女子供たちのディズニー世界に対称されるものでもあるかもしれない。

「女医の下半身 味わってみたい!」を観始めてその余りにも常套句、うんざりするようなシーンが続く話に辟易となり、もう充分とそこから売店のほうに出た。  記念にといろいろ貼ってあるレトロのポスターをカメラに収めていると事務所から支配人とおぼしき中年男が出てきて、暗いやろ、ちゃんと写るか、というので何とか写っている、見るか、とカメラのモニターを向けると、見たくもないわ、と吐き捨てるように言いどこかに消えた。 表に出ると雨は上がっていてまだ9時にもなっていなかった。