暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

仕方がないからアムステルダム中央駅の近所を散歩した12-11-05(後)

2005年11月13日 22時06分41秒 | 日常
港に面したコンサートホールにあるジャズハウスの客席からはステージ越しに児童科学教育博物館の緑青色の抽象的な舟形の特徴ある建物が見えるのだけれど、そこを中心として周りを約5kmぐるりと周ってくるというのが計画だ。

駅に入る線路に阻まれてすぐには向こうにはいけないし、このルートの内側は何せ昔からの港なのだから建物や係留された荷物運搬船や船上ホテルに中国情緒豊かなイルミネーションを満載した浮かぶ中華料理店などが古い港の部分を占めていてぐるっと廻らないと戻ってこられない。

ジャズハウスの案内パンフレットの地図を頼りに周囲を4kmと見積もってまあ、1時間で廻れるだろうと計算した。駅からここまで約800m、ここから線路に沿ってガードをくぐって今は暗く沈んでいるアパートの通り向こうに渡れるところまで500mほど、その先は行って見なければわからない。 こうして歩き始めた。 夜の7時半ではあるが歩道を歩くものは誰もいない。 自転車で急ぐものは時々見かけるものの、この時間にこういうところを歩こうと言うものは皆無である、特にこの地区では。

ガードをくぐって南に歩き始めると左手はアパート、右手はもう100年ははるかに経とうと言うレンガ造りの工場とも監獄ともいえるような長い壁をもつ建物がつづく。 歩道には明かりがついているので見通しはいいし、地区自体は別段荒廃はみられない。 しばらく行くとこのレンガ造りの建物は昔からの商船学校、海軍航海訓練所の建物であり、今は市の航海博物館になっていることがわかり、そこの正面にこの通りが続いている。 がっしりとした石造りの正面にのぼりがはためき、旧式の巨大な碇が設置してあり飾りとなっている。 建物は明かりで照明され美しく水面に姿を映しているがその後ろにはオランダの17世紀、黄金時代の象徴とでも言うべき3本マストの軍艦のレプリカがもやっていて、ここを大抵のアムステルダム運河遊覧船が通るのでよく知られた観光地になっているのだ。 

ここまで来てよく観察してみれば、初めに述べた児童科学技術博物館の舟形の意味が理解できる。 それはこの周りに調和させるべく、隣のアンティークの軍艦にも釣合うようデザインされたものである。遠くからは単なる奇形であってもこのあたりに来て周りを見ればうまく新旧海運王国のシンボルとして和して納まっているのだ。 このあたり、自転車は時たま走るものの、夜中でもないのに人通りのない通りを、この散歩者は右に折れ道幅が大きくなるにつれ交通量も増えるものの大きな跳ね橋を渡って出発点と平行に環の反対側を照明に照らされた海の神ポセイドンがごたごたした港の橋脚にへばりつくように見えるを眺めながら遠くにわがコンサートホールを見渡しながら歩を進める。

しばらく行くと右手、港に荷物運搬船がかたまって係留してあるところがあり車道とそれに付属する歩道から2mほど下がったところに石畳の波止場と小さいが古い樹木が植わった大都市の中心とはとても思えないような水上生活者の生活臭が漂う地区があるので驚いた。 しかし、この大都市にしてもここから1kmほどの中心部は観光、消費のにぎやかなところではあるがこの町の殆どは都市生活者の比較的静かな落ち着いた町なのである。 この夜の静けさと危なくはない程度の暗さをもつのが夜のこの町の姿である。

ここまでくればもう向こうにこれも大きく照明で照らされた東京駅のモデルになったアムステルダム中央駅が見えているし、左手には昔には入港出港の折にははるかかなたからでも目に付いたセント・ニコラス教会の塔が見えるのだ。

さて、ここまで来てちょっと賑やかな赤や青の毒々しくも悩ましやかなイルミネーションのもとに寄ってみることにする。 ここは世界に冠たる欲望の町、飾り窓のお姫様たちが忙しく客を招こうと1mにも満たない幅のガラス越しにこちらを眺めて並んでいるところなのである。カーテンで閉じられているのは現在仕事中、半裸のお姫様たちに導かれて出入りする男たちも多くみられるから、先ほどの1kmほど離れた静かな通りとは全く世界がちがう。おとなの遊園地であり、この町へくる世界中の観光客が好奇の目を輝かせて通り過ぎ、英語はもちろん、スペイン語、ドイツ語、イタリア語、スラブ語、アラブ語それに加えて日本語まで通りすがりの耳に聞こえてくるのである。

麻薬政策はどの政府も頭を痛めているのであり、マリファナのようなソフトドラッグは寛容にも処理されているため、ヘロイン、コケインなどのハードドラッグになればこれは別の話だが、若者の間でもそこそこ吸引するものがあり、別に犯罪視はされてもおらず、日常あちこちでいい香りがただよってくるのを経験するのだ。現に今日の午後、ホッケー場の冷え込みが厳しくなってきた鼻先に観客の誰かが吸うのか蒼い香りのいいのがただよってきていてこういう場所では珍しいがなあと思った瞬間があったのだ。 

だが、世界の観光地、ここでは夜の姫の仕事場の近くには多くのジャンキーが溜まっており、いささかまわりとはちがう雰囲気を示している。 酒に酔っているのかそれとも薬でそうなっているのかふらふらで中には路上でちいさな銀紙の包みをあけて作業しているものまで見える。 目もトロンとしている者から興奮の頂上近くまで上り詰めたものまでいろいろだ。 それこそ賑やかに肩をすりつけるほどにして行きかう小さい通りの片隅でこれが行われていても皆見ぬ振りをして風景の一部と成り、合法売春と麻薬取引の国際的イメージを新たに強く印象付けているのである。 

このジャンキーの出した足に躓いて転びそうになって振り返ると、このジャンキー、手をふりふりあやまるしぐさをするが目は完全にあちらの方を向いている。 それを見ていた巨大な褐色のお姉さんが窓越しに私においでおいでをしてこれまた巨大な乳房を布切れから取り出してわざわざ見せてくれるのだが、空には白い乳うん、目の前には褐色の乳房、私の力不足とても対抗できそうにもなく、それには目であいさつをして退散する。

警察の建物が100mほど先にあってこの始末であるが、基本は目に余る犯罪が起こらなく誰からも文句がでなければ一応よしとする、いわゆる寛容な政策なのだろうが、だから、収入源である観光客には被害が起こらないような力がどこからも自然と働いているのであろう。 もちろん、ちいさな引ったくりなどはしょっちゅうあるに違いないが、ここへ来る連中はだれも、ここがそういうところである、悪場所であるということを頭に入れてくるのだから、逆に被害に遭ったものを、予防がたりない、隙があったのさと同情を示さない風潮があるようだ。 そういうところなのである、ここは。

こういう大人のディズニーランドを抜けて中央駅の斜め正面に出た。 人通りは多いもののさきほどの賑わいにくらべれば静かなものだ。 喉がイガイガするのでコンサートの間に咳が出ないようにガムでも買おうと小さな土産物屋に入ってがらんとした店にポツンといるアラブ系の店員に、土曜日なのに静かだね、と話しかけると、この時期客は夏に比べるとすくなくなるのだけど、それでもちょっと少なすぎるみたいだと、手持ち無沙汰に答える。

駅の斜め前の大きなバスの停留所を横切ってガードをくぐるとまたもや暗くてさびしい通りに戻る。 さきほどの喧騒からは300mほどしか離れていないだろうに、運河をまたぐガード下はライトがあるものの雨露が防げるので浮浪者にはもってこいの場所に違いないがどういうわけか誰もみかけない。 彼らにしても今の時間にはもっと賑やかなところで世界からの観光客を別の世界から眺めているのかもしれないが、福祉政策が冬の時期に入るこれから、5年先、ここを通るときどのような風景になっているのだろうか。

すごろくのさいころでは振り出しに戻る、というのがあるが、ガードを渡って振り出しにもどった。 7時にはここをわき目もふらず一目散に会場に向かって怖い顔をして歩く自分がいたが、今はゆったりと、この多目的音楽ホールに向かう人々に混じって外港に面した明かりのついた大きなサイコロとでもいうべきホールを目指す。

空には月。




仕方がないからアムステルダム中央駅の近所を散歩した12-11-05(前)

2005年11月13日 20時55分18秒 | 日常
忙しい一日だった。

いつも遅くまで起きているせいか起床が10時でも早いぐらいだ。 おまけに土曜日でもあるし、通常の買い物を大忙しで済ませて息子のホッケーチームの遠征試合に他の3人の父親たちと一緒に16,17の若いのをそれぞれ4人分乗させ30分ほど走る。 

ホッケーなどやったこともないし、ルールもうろ覚えで、ただ単に付き添いとしてもう何年もこのようなことをしているから大抵の近在のクラブには行っているはずだが、不承不承ついていくのでクラブまでのルートなどいつまでたっても覚えていない。 近くまできて、やっと、ああ、この辺だったなあと思う程度だ。 先導車についていくのだから混み合った高速などではぐれたらそれこそ携帯をもたない私など一巻の終わりみたいなものだけれど、この10年ほどそういったことがないのは不思議なことだ。 今日は相手チームとは引き分けで、審判が今日はわけも分からなく頻繁に退場カードを出してどちらのチームからも規則なのか10分か15分の退場命令がでたのだった。 素人目ではそれほど悪意のプレーなど見られず、それに危険だとも見えなかったのに、おやおやと驚きとブーイングの中、両方のチームから抗議がでるものの、まあどちらからも平等に退場命令が出るので不満は審判に向かい、敵も見方もあっけにとられて見ていたのだった。 コーチは試合後、連盟に抗議状を出すと意気込んでいたがどうなることやら。 しかし、いつものように土曜のスポーツ施設はこともナシ。

しかし、こちらはぼちぼち日が翳り始める4時ごろ、7時までにアムステルダムの駅近くのジャズハウス、BIMHuisに行かなければ目当てのピアノトリオの席取りゲームの敗者復活戦、2週間前に全て完売の、空席待ちの番号札を取りに行かねばならぬので気がせいていたのだ。

開演9時、7時から空席待ちの番号札を出して8時45分には最終35人ぐらいを入れるのが普通だから、早く行って安全圏に入ろうと、予約を早くしておけばこういうこともなかったのにと、慙愧の念もないまぜに苦いイライラがつのっていたのだ。

大急ぎで土曜の食事をやっつけ仕事で作り、場合によってはそれを喰わずに駅に急ぐつもりだったけれど何とかハカが行き家族に何を怒っているのかと疎まれながらも食事を掻きこんで駅に急いだ。 怒っているのではない、気がせいているのだ。 実際、今日の予定の詰まり具合に怒っているのだけれど、げんに、娘のホッケークラブのキッチンのまかない義務が4時から6時まであったのだけど、家内はどこかで子供たちに何かを指導する会合があり、この2,3日家内はあちこちに電話をかけて代わりを探そうとしたのだけれどその時間には誰も都合がつかず、結局ない袖は触れぬ、無視してもしクラブから文句が出ればそれはそのとき、と放っておいたのだ。 結局午後には誰もいない家に電話がかかったかどうか今では知る由もない。

さて、駅のキオスクでコーヒーをつかみ、2分待つと電車が来る。 滑り込みセーフ。 仕事ではこのような忙しい目に遭った事はここのところない。 この15年ほど電車で通勤したことがないのに、定年してから、それも皆が家で団欒の頃の電車の時刻が頭に入り始めているのはどういうことか。 いつものように電車は遅滞もなく、というのは稀な事、僥倖に類することらしい。 オランダ国鉄の遅延、事故による不通は普通のこと、特にアムステルダムとハーグの間はもっともその頻度が高い、けれど、そういうことにはあまり遭遇した経験がないのでそのうち手ひどい目に遭うに違いないと心積もりはしているのだけれど、、、。

大急ぎでアムステルダム中央駅の裏口から1kmほどのもっとも味気も何もない川か港かと言うところに沿って一目散に歩いて会場に着き、20番という札を手に入れ、受付の兄ちゃんに、まあ、これなら安全圏だねと、にやりと渡された即物的な薄汚いピンクの20番を手に、これから1時間半もどうしようと困った。 

そういえば今晩も久しぶりの月夜だった。 おまけにいろっぽい、豊満な女性の乳房を正面からみたような形だったのを思い出した。 そうだ、あれを見ながら散歩しようと外に出た。 なるほど月が白く出て、その周りにかさが出ていてそれが乳房、月が乳りんといったところか、この際もう一つというのは欲が深すぎるのかもしれないが、何もしないより、風もなく歩いていれば寒くもない適当な月夜に日ごろ歩くこともないところを、それも夜に散歩するのも悪くないと出かけた。


Sat. 12-11-05 シュニッツェルと三色パスタ

2005年11月13日 10時35分13秒 | 喰う
シュニッツェルと三色パスタ


朝   ベーグル バター 蜂蜜
    ベーグル バター 苺ジャム
    ミルクティー  500cc


昼   グリルソーセージ
    イタリアパンのトースト
    ミルクティー 200cc

夕    シュニッツェル
     三色パスタ
     野菜のソテー
     ミックスサラダ
     炭酸水 250cc

     コーヒー 250cc
     チョコレートビスケット

夜    トマトジュース、タバスコ、ウスターシャーソース 200cc
     炭酸水 400cc

夜中   ポテトチップス 少々
     オレンジジュース 300cc