ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

ぐうの手

2020-09-17 21:32:06 | 日記

 今年の5月からテレワークが始まり、6月からは時差出勤も導入された。

 

 8月から私は3パターンの勤務形態の「遅番」を選んでいるので、朝、家を出る時間が1時間ほど遅くなった。早番や通常勤務のときは駅まで送ってもらっていたのだが、私のほうが遅く出るようになったので、バスを利用している。

 

 バスといっても小型のバスで、座る席は窓側3席(両窓で6席)と後部座席が横並びで3人掛け。座れる人は9人。それでも満席になることはなかった。

 

 それが、学校が再開になって、利用客がこのごろ増えてきた。

 

 その、乗客のなかに1組の親子がいる。お父さんと3歳くらいの男の子。保育園にいくのか、お父さんが会社用のカバンとちいさいリュックを持っている。今朝も私がバスに乗ると、すでにその親子が窓側に前後にならんで座っていた。

 

 私は後部座席に座った。 バスでも電車でも、「触れる」ことに敏感になっていて、手すりやつり革をなるべくもたないようにしている。みんなそんな感じだ。降車ボタンも指をつかわずにスマホの角で押したり、指の腹をつかわずに関節の部分で押したりする。

 

 バスが発車して、なにげなく斜め前をみた。 男の子の手が見える。しっかり前の座席の後ろについている把手を両手で握っている。把手の幅は20cmくらいなのに、両手で持ってもまだ両側に数センチ余っている。そんな小さなふたつの手。

 

 朝の光が参道に植えられた樹木を通してさしてきて、ちいさなぐうの形をしたふたつの手は神々しく輝いている。

 

 ああ、なんて強い手だろう。

 

 大人はみんな不安で、怯えて、どこにも触らないように、不安定でゆらゆら生きているというのに。

 

 怯えることなく、「信頼」しきっている。 バスが揺れても転ばないように。バスに乗ったら座っているときも、前の把手をしっかり持つように言われてきたのかもしれない。

 

 この小さい人たちの「信頼」に応えきれる社会になりますように。 そういう日本で、世界でありますように。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コオロギせんべい

2020-09-16 22:01:02 | 日記

 きょう、会社でとなりの島のYちゃんが、お菓子をくれた。

 

 Yちゃん「ふじたさん、これよかったらどうぞ。コオロギせんべいです」

 私 「へー。最近、昆虫食って話題になってるよね。どこで買ったの?」

 Yちゃん「無印」

 

 はじめてのコオロギせんべいを食べてみる。ぱりっとして、普通のせんべいだ。

 

 しょっぱいとか、くせがあるとか、そういうことはない。まぁ、コオロギといってもパウダーにしたものをまぜてせんべいにしたものだからね。

 

 おせんべいを分けてくれたのも嬉しかったけど、この、手作りの入れ物がかわいくて嬉しい。

 

 捨てられなくて(母みたい!)、私のデスクの引き出しには、Yちゃんからお菓子をもらったときの入れ物にクリップとか、指サックとかちいさなものを入れている。

 

 前に、いわきぱふで買った和紙でつくる花の型紙があったから、あした持って行って、お昼休みに折ってみようかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つじつま

2020-09-15 23:03:39 | 日記

 日曜日、実家の様子を見に行ったとき、父はその2日前よりずいぶん落ち着いていたのだけど、ときどき支離滅裂というか、つじつまのあわないというか、そんな言動がいくつもあった。

 

 たとえば、みんなで機嫌よく梨を食べていたときのこと。

 

 父「ちょっと、2階へ行って現物をみてくる」

 私「現物ってなんの?」

 父「それが忘れた。見たらなんの現物かわかる」

 

 ??? ちっとも訳がわからない。

 

 それからテレビを観たりしていたけれど、ぜんぜん父は2階から降りてこない。 用事をしていた母がリビングにきて、

 

 母「お父さんは?」

 私「なんか現物を見てくるって2階へいったまま降りてきてないよ」

 母「現物ってなんの?」

 私「それが忘れたらしい。よく意味がわからないけど、とにかく現物を見に行ってるみたい」

 母「ちょっと様子みてくるわ」

 

 しばらくして母が降りてきた。

 

 私「おとうさんなにしてた?」

 母「ベッドで寝てはった」

 

 現物はどうなったんだ・・・・・  

 

 でも、もうそういうことにも驚かなくなってきた。つじつまなんてあわないのが普通。広げたら広げっぱなし。 スーパーと病院の名前を間違えて覚えていて、

 

 父「このあいだ、俺が入院してたカナートにな・・・」

 私「カナート? カナートってスーパーでしょ。入院なんてできないでしょ」

 父「それが入院するところができたんや」←自分の思い違いを正当化するためにどんどんへんな話になってくる

 私「スーパーのなかに病院ができたの?」

 父「おう、俺そこにしばらく入院してた」

 私「それはS病院じゃないの?」

 父「そうやそうや、S病院やったな」

 

 ほんとうに思い出したのか、話をあわせているだけなのかわからないけれど、あんまり追い詰めないで流すことにしている。だけど、スーパーに入院っていうのは誰がきいてもおかしいから修正しておいてよかったと思う。

 

 今月末に大好きな叔母が母に会いに来てくれることになった。久しぶりの明るいお知らせ。

 

 叔母もときどきほよほよを読んでくれているみたいで、様子はわかっていると思うけど、驚くこともたくさんあるだろうなぁ。

 

 でも、みんな楽しみにしている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欅的週末

2020-09-13 22:28:49 | 日記

 父のようすを伺いながら、この週末は欅坂46脳になるほど、DVDや映画を観た。

 

 今年のお正月の旅行中のバスの中で曲を聴いてから、欅坂46にハマり、彼女たちの曲ばかり家でも車でも流していたら、夫も洗脳されてきて、家族で楽しむようになってきた。

 

 きのうの夜は息子が持ってきた「欅共和国2019」のDVD(2時間)と、メイキングのDVD(1時間)を観て、映画のための予習をした。

 

 そして、今朝は8時半に家をでて、堺の実家に立ち寄り、実家から車で3分の映画館へ。10時からの映画「僕たちの嘘と真実」に間に合った。まだお客さんも少なくて、グッズ売り場も空いていたので、パンフレットや下敷きを買う。(先週、息子が長野県の松本で観たときは、すでにパンフレットが売切れていたらしい)

 

 ドキュメンタリーで、これまでの活動の道のりや出来事を追いながら、メンバーのインタビューを織り交ぜながら進んでいくという構成。知らなかったことや驚くようなことが繰り広げられて(ファン歴が浅いせいかもしれないけれど)、感情が追い付かない感じ。それぞれのメンバーの気持とか立場とか、ひたむきさや悔しさが静かに迫ってきて複雑な涙が何度も流れた。

 

 そして私はなんとなく笹井宏之さんのことを思い出したりしていた。

 

 もっと作品が読みたい、観たい、という願いが大きなうねりとなって、人を追い詰めたり、苦しめたりするという、好きでいることで大事なものをつぶしたり無くしたりしてしまうということ。そういう際どさを孕んでいること。

 

 彼女たちのパーフォーマンスはすごいし、何度見ても息を呑むほどだけど、はじめに知ったのが映像ではなく、耳から入ってきたものだった。楽曲のよさ、歌詞、メロディ、歌声がとてもすてきで励まされたから、そういう、彼女たちの「音楽」が好きというところを私はこれからも大事にしていきたいと思う。

 

 映画を観た後、実家へ行く。父は一昨日とはくらべものにならないほど元気そうだった。果物を食べた後、両親が昼寝をするというので、私たちは息子が持ってきたDVD「欅坂46 LIVE at 東京ドーム ~ARENA TOUR 2019 FINAL」を観る。これを観るのは5回目くらい。夫は初めて。

 

 映画を観たあとのせいか、前回観たときとは別の感情をもって観た。やっぱりすごいな。

 

 そして、両親もいっしょにお好み焼きを食べに行き、欅坂46の曲を流しながら帰ってきた。車の移動時間に聴いていた時間も含めると、この2日で9時間くらい欅坂46を聴いたり観たりしたことになる。ひゃー。

 

 どうかみんなが幸せでいられますように。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷たくなっていってる

2020-09-11 20:34:27 | 日記

 きのうというか今朝というか、3時に枕元のスマホが鳴る。母だった。

 

 母「あのね、、お父さんが息してないんだけど・・・・身体も冷たくなっていってる」と、悲壮な声。

 私「ええっ! 救急車呼んで。間に合うかもしれないから」

 母「救急車って何番?」

 私「119!」

 

 妹に電話して、ふたりで待機する。実家に電話しても20分くらい話し中。すると、かかってきた。救急隊員の人だった。

 

 「いまからB病院に搬送しますので。命に別状はないとおもわれますが。のちほど病院からお母さんに電話してもらいますから」

 

 命に別状はないんだったら、すぐに行かなくていいのか。真っ暗だし。行ったことのない病院だから暗いと余計に不安だし。

 

 しばらくしたらまた救急隊員からかかってきて、「これから検査などを受けてもらいますから。真夜中ですし、朝になってから来られても大丈夫かと思います」ということで、妹と相談して、とりあえず朝になったら私が様子を見に行くことになった。時間は4時。

 

 頭のなかでいろいろ考える。まず会社にお休みをとることを8時すぎに電話しないと。あしたのカットの予約はキャンセルして、きょうの母のケアマネさんの訪問を延期して・・・・ しばらく泊まることになるかもしれないから、2日分の着替えを準備する。母は飲み物ももたずに病院にいるだろうから、ホワイトティを淹れて水筒3本用意した。(私の運転時用の小さいの1本、温かいの1本、冷たいの1本)あと紙コップとか。

 

 明るくなってきたので6時すぎに家を出る。まだ早いので高速も空いていた。B病院に7時半に着く。は~ 狭い道だった。と思って、駐車場に止め、病院の入り口へ進むと、「コロナのため面会禁止」と貼り紙がしてある。コロナといってもこういう場合は仕方がないよね、と思いつつ、入っていくと、ガードマンが立っていて、事情を話すと、16番へ進んで窓口できいてみてくださいとのこと。

 

 16番で、父の名前をいうと、「ああ、2時間ほどまえに自宅へ帰られましたよ」 2時間前・・・・ まだ私は家にいた時間だ。駐車場の車から母に電話する。「家に帰ってきてるんだって?」「そうなのよ、お父さん、帰りたいっていうし」「私、B病院まできてるんだけど、いまからいくわ」

 

 母「え、くるの?」 くるのって・・・・ いまから自宅へ引き返しても仕事には間に合わない時間だった。高速で1時間かかるのよ。

 

 実家へ行くと、父はほんとうに死んだ人みたいな顔でいた。やっぱりきてよかった。意識が朦朧としているのに、「きょうはプラゴミをださなあかん」という。それで、まず私はプラゴミを出しに行った。それから、会社へ連絡。ケアマネさんには予定どおりきてもらうことにする。

 

 私が持ってきた水筒のお茶を飲んで温まり、少しみんな落ち着く。お茶持ってきてよかった。

 

 父は救急車で運ばれたことも覚えていなかった。タクシーで病院から帰ってくるところからは覚えているらしい。

 

 11時半からケアマネさんにこれからのプラン相談。契約書のとりかわし。たまたま私がいてよかったと思う。母は「なんでも自分たちでできますから」ばかり言うのだった。せっかく介護度があがったんだから、いろいろ使えるところは使って、私たちに楽をさせてと訴える。父のデイサービスを1日増やすことになり、毎日安否確認に誰かが朝に訪問してくれることになった。これで薬の飲み忘れの心配はなくなった。

 

 ケアマネさんが帰ったのが13時半。それからお昼ご飯を作り、前日にソファから転げ落ちた父(それで頭の打ちどころが悪くて夜中に具合が悪くなったのかと思ったのだったが)の目の周りが腫れていたので、午後から眼科に行ってみようかと話していたら、ぷしゅ、という音がして。振り返ったら父はビールをぐびぐび飲んでいた。

 

 絶句。 3時に大騒ぎして救急車も呼んで、会社休んで京都から娘がかけつけているのに。午後から眼科も行こうと言ってたのに。

 

 私「酔っ払いつれて病院には行けないから、ご飯たべたら私は帰るわ。眼科にはまた別の日に行って」

 

 まぁ、死んでなくてよかった。ビール飲んでるくらいなんだから。元気なんだろう。母の悲壮な声を聴きながら、頭の中はまたあのややこしい書類を準備するのか、と思った。市役所行ったり、葬儀屋さん行ったり、病院で死亡診断書書いてもらったり、銀行行ったり。

 

 もともとは次の日曜日に夫と息子と一緒に訪問する予定になっていた。「もうきょう来たから、日曜日は来なくていい?」と言ったら、父が「みんなでお好み焼き食べに行こうと思ってたけど」という。 お好み焼き。(笑)

 帰りはいろんな意味の疲弊と、寝不足と、集中豪雨の中、ワイパー全開で高速を走った。車線変更のとき3回くらい死ぬかと思った。

 

 でも、確実に父は弱っている。孫や婿とわかって会えるのはこの日曜が最後かもしれない、と思う。あんなに楽しみにしていたんだから、悔いのないようにお好み焼きに行こうと思う。そのときはお父さん、ビール飲んでいいからね。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする