あなたを読む会という小さな会を今年の5月からやっていて、今月で6回目になります。
どんな作品でもいいので(10分以内に読める分量ということですけど)、今月は縛り(ルール)を入れた短歌を出そうと思って、7首くらい作っていたのですが、15年以上前に亡くなった友達Tが、寝る直前に現れて(そんな気配がして)、なんだかその子のことが懐かしくなって、その子の歌をいくつか作ったので、それを出すことにしました。
連作を作っていると、はじめはぼんやりとしていた記憶の輪郭が、次第にはっきりしてきて、ああ、そういえば夏服になるとブラウスを短く改良してそれがとても似合っていたなぁとか、授業中にルーズリーフに書いた手紙がちいさくおりたたまれて回ってきたなぁとか、もうずっと忘れていたことが蘇ってきます。
Tはとてもきれいな子だったので、写真部の人がTをモデルにして撮ったパネルが渡り廊下に飾られていて、Tに憧れていた後輩がそのパネルを欲しがっていたなぁとか。
Tはとにかく手紙が好きで、毎回びっしりとピンクや紫のインクのボールペンで書いてきて、きのうのラジオでみゆきがどういっていたとか、そのころ恋をしていた相手を駅で待ってみようかとか、たわいのない話ばかりだったけど、私はそれを読むのが楽しみで、彼女の半分くらいの分量の手紙を書くと、またその倍の手紙をくれる、といった感じでした。
空き箱に好きな包装紙を貼って、彼女専用の手紙入れが自宅にあって、それが何箱にもなっていました。
あのちいさな手紙はまだ実家にあるでしょうか。
探してみたいようにも思いますが、ずっとお気に入りの箱に入れたまま、誰からも二度と開けられることなくいつか消えてしまうべきなのかもとも思います。
内容が大切なのではなく、やりとりをしていた日々が大切なんですね。
みんながTのこと、忘れてしまってもいいと思います。
そうしたら、Tのことを覚えていたり思い出したりするのは私ひとりだけになって、Tをひとりじめできるから。