ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

歌から流れ出す風景

2015-08-20 22:27:44 | 日記

 今朝、通勤途中に塔の8月号を読んでいて見つけた歌。

 

 ・千鶴ちゃんに回転焼きつて何と訊くわたしたち違ふ土地に住んでる   白石瑞紀

 

 塔は詠草を出してから3ケ月後に掲載となるので、この歌は5月に出されたことになります。 今年の5月16、17日は東北集会へ行っていたことを思い出しました。2日間、白石さんと一緒だったシーンは多くて、そのなかのどこかで、「回転焼き」の話をしたのでした。

 

 回転焼きとは、今川焼きのことで、餡子が入った鯛焼きの丸いやつです。 今川焼きと商品名では見るけれど、あれを見たときは私は「回転焼き」と言葉を発します。 関西ではそういうものと思っていますが。 

 

 どういういきさつか忘れましたが、私が回転焼きの話をしたときに、瑞紀ちゃんが「回転焼きって何?」って訊いて、え、回転焼き、知らないの?? ってなったのでした。 この歌を読むまで、そんな会話をかわしたこともすっかり忘れていたのですが、ああ、そんな話をしたなぁと思いだした途端、山形へいくまでのずうっとあおあおした森の緑の風景に包まれながら、新幹線とは思えない、ゆっくりペースのおっとり新幹線に乗っていったこと、緑が途切れたとおもったら、一面グリーンの田んぼが見渡せる、ひらけた風景が広がっていたこと、東北のひとたちの温かい歓迎。

 

 わわわ~っとつぎつぎに思い出して、あの楽しかった2日間が身体のすみずみまで液体になってゆきわたってゆくようでした。

 

 写真でも絵でもなく。 夥しい数の歌のなかに紛れ込んだひとつの歌。 そのひとつを掬い上げたとき、こみあげてくるさまざまなもの。

 

 夥しい数の歌のひとつひとつがいろんな場面や思いを孕んでいて、受け取るひとのなかで広がっていく。 とてもすてきだなぁといまさらですが思ったのでした。

 

 温かい気持ちで、気が付くと会社の前のバス停についていました。

 

 瑞紀ちゃん、ありがとう。 

 

 あさっては塔の全国大会in鹿児島です。 私は1日早く鹿児島入りします。 まだこれから準備をするのですけど。

 

 鹿児島でもたくさんの人と話したり、笑ったりして、その3ケ月後の塔で、懐かしく思い出すことがありますように。

 

 

 

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月と六百円の会 安立スハル『この梅生ずべし』

2015-08-19 23:52:16 | 日記

 きょうは部長からIさんの仕事の分配の話があり、私はまったく別のチームなので安心していたら、Iさんの仕事の55%の分を後任が決まるまで引き受けることになりました。

 

 え・・・・・ 55%・・・?? 自分の仕事を含めたら155%の仕事をするの・・・? と思いましたが、淡々と午後から引き継ぎを受けました。 

 いいのです。 きょうは定時きっかりに終わって、月と六百円の会にいくんだから。 それだけを考えて、あしたからの仕事のことは考えないようにしました。

 

 こういうとき、道がいくつかあるというのはいいものだと思います。 仕事、家庭、短歌。 どれかが行き詰ったとき、別のモードに切り替えることができる、というのは心を狭いところに追いやることから逃れられます。 怒りや悲しみのエネルギーを別の場所にある自分に転嫁というか利用できるのです。

 

 17:31にタイムカードを押し、すぐにやってきた市バスに乗ると、会場である塔事務所には18時すぎに到着しました。

 

 きょうの歌集は安立スハル『この梅生ずべし』。 安立スハルの短歌をまとめて読むのは初めてだったので、こういう機会があってほんとうによかったと思いました。 だいたい、タイトルが「読もう」と思わないようなタイトルなのでまったく近寄ったことがなかったのです。 

 

 この会では毎月レポーターが2名で1時間くらいを使ってレポート。 そのあと、それぞれが選んだ3首を発表。 その後疑問点などの議論を行い、20時半ごろに解散です。

 

 私が選んだ3首は

 

 ・吾は小さき人となりつつ枕べの盆栽の木立の傍(わき)をさまよふ

 ・寒き日にめろめろと泣く小さき甥を撫でさすりやればはや眠りゆく

 ・午後の日の沁む枯芝に貝を置くごとし白梅の花散りてをり

 

 1首目は河野裕子『歩く』に収められている「念力といふを使ひて今朝われは青いあさがほの縁(へつり)を歩く」を思い出しました。 盆栽の木立の傍をさまよったり、朝顔の縁を歩いたり、ということがなんの障壁もなく自然に言葉として使えるのは、やはり才能だと思います。

 

 2首目はオノマトペ「めろめろと」がすごくいい。 めそめそじゃないんですね。 甥は母親に会いたかったのか、ぐずっていたのでしょう。 「めそめそ」だったら負のイメージが立ってしまうところを「めろめろ」にしたとき、愛おしいようなかわいいプラスの思いがこめられているような気がします。

 

 3首目はレポートにもありましたが安立スハルは比喩が巧い。 白梅の花が咲いている場面ではなく、枯芝に散っている場面を「貝を置くごとし」と感受したやさしいまなざしにため息がでました。「置く」という動詞の選びも行き届いています。

 

 この会がなければ読むことはなかったかもしれません。 とてもいい歌集に出会えて本当にありがたいと思いました。

 

 来月は近藤芳美『黒豹』です。 誰かレポートしてくださるかた、と言われて、「はい」と手をあげました。 仕事への怒りのエネルギーをいまこそ使うべきだ、と思ったのでした。

 

 近藤好美は高安国世研究のときに平行して何冊か読んでいたので、ちょうどよかったです。 いま、心が仕事から離れたいと強く思っているので、集中できるかもしれません。 がんばるぞ。

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国際的バス

2015-08-18 22:03:35 | 日記

 きょうもまだお盆の名残のせいか、通勤バスには会社員よりも観光客の割合のほうが多い感じでした。

 

 子供の声も聞こえます。 しかも、いろんな国の言葉が。

 

 南欧の国の家族でしょうか。 3歳くらいの女の子が「ママ!XXXXXXX」 ママと呼ばれた人は窓の外を指さし、「DOMINO PIZZA」と言いながら、もう片方の手にはサンドイッチを持っていて、パクパク食べていました。 話しかけられた夫は「うん、PIZZAだね」みたいな返事をしていました。

 

 バスの前のほうには「日本」と書いた鉢巻をして眼鏡をかけた若いアメリカ人ふうのひと。ちょっと複雑な思いがします。

 

 首からカメラをかけたイタリア系の人。

 

 子供の声の歌が聞こえてきたので目を移すと、シルバーシートに腰掛けた中国人の親子でした。 女の子とその弟が中国語で歌を歌い、お母さんと3人で指遊びをしていました。 日本なら「げんこつやまのたぬきさん」とか「お寺の和尚さんがかぼちゃのたねを」みたいなほのぼのした歌です。

 

 京都駅に着いて、さっきの南欧家族が私の前にいました。 女の子は父親にだっこされながらから揚げをほうばっていました。 すごいなぁ。

 

 国際色豊かな帰りのバスでした。

 

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呼び出し(男子トイレ前)

2015-08-17 21:36:09 | 日記

 きょうは休み明けで仕事がたまっていると思って出勤したら、みんなお盆休みだったせいか、午前中には片付きました。

 

 お昼休み直前に向かいの席のIさんが

 「ふじたさん、きょうはお昼持ってきはったんですか」と訊くので、

 「うん、ご飯が余っていたからお弁当つくってきた」

 「そうですか、じゃあいいです」

 

 なんか悩み事でもあるのかな、と思ったけれど、そのままお弁当を食べました。

 

 3時ごろ。またIさんが私のところにやってきて、

 「ふじたさん、ちょっといっしょにトイレ行ってもらえませんか」

 「トイレ? 男子の?」

 「はい、お願いします」

 

 Iさんについて男子トイレ前へ行きました。 やな予感。 

 「はやく言おうと思ってたんですけど」

 「うん」

 「僕、今月いっぱいでこの会社辞めることになったんです」

 「え・・・・ なんで?」

 「つぎのところが決まりまして・・・」

 「正社員なの?」

 「はぁ、まあ」

 「よかったね。 いまの臨時職員のままじゃ不安定やもんね。ご両親も喜んではるでしょう」

 「はぁ、まぁ」

 

 というわけで、退職の告知をされたのでした。 Iさんは私の半年あとに入ってきたひとで、チームは別だけれど同じ課で、私のチームの仕事を手伝ってもらったこともありました。

 

 なんだか寂しいけれど、彼の将来を考えるとそのほうがいいに決まっているし、もう決めたことだし、有志を募ってお別れ会をすることにしました。

 

 そのあと仕事をしながら、「部長にはもう言った?」「課長は?」「主任は?」とつい気になってきいてしまいました。

 「実は主任はまだ知らないんです。いま夏休み中だから。きょうあたり電話してみるつもりです」

 「電話で言うより、つぎ出勤されたときに言ったほうがいいよ」

 「そうですかね」

 「そりゃあそうでしょ。 お別れを告げるときは電話って寂しすぎるじゃないの。 ちゃんと会って言うべきよ」

 「いや、恋人じゃないし・・・」

 「いやいや、恋人じゃなくても、よ」

 

 Iさんならどこへ行ってもうまくやれると思います。 あしたはIさんがお休みだから、女性部(なぜかIさんは男性なのに女性部長なのです)のみなさんにお別れ会の相談をしようと思っているところです。

 

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お休みの日は短歌の日 土岐友浩歌集『Bootleg』

2015-08-15 20:30:36 | 日記

 きょうはお墓参り二箇所。 元気な義父母もさすがに夏のお参りはそろそろきつくなってきたので、代理でつとめました。

 

 出る前にもう一度電話をして、いろいろ伝授してもらい、なんとかこなすことができました。 よかった。

 

 さて、きょうはお休みの日なので歌集のご紹介です。 土岐友浩さんの第一歌集『Bootleg』。 スズキユカさんの画のさわやかな(歌集とは思えないような)表紙。 土岐さんの歌に合っているなと思いました。

 

 ・なにもわかってない、あなたは。というのを思いがけずほめ言葉でつかう 

 

 すてきな相聞歌。 「なにもわかってない」というセリフは結構相手を責める場面で使ったりするのに、言いながら「ほめ言葉」で使ったという。 きっとかわいいな、と思ったのではないかな。 言われたほうもぜんぜん傷つかない(むしろ嬉しい)責め言葉。

 

 ・この街でもしもあなたとはぐれたらリンデンの木を目印にする

 

 あとがきに書かれていますが、この歌の入っている一連はプラハを訪れたときのもの。 菩提樹っていうよりも「リンデン」というほうが実際のドイツとか東欧の街を歩いている感じがします。土岐さんの相聞歌はさらりとしていて読んだほうもするっと入ってきます。

 

 ・発砲スチロールの箱をしずかにかたむけて魚屋が水を捨てるゆうぐれ

 ・さっきまで鳥がとまっていたような配電線をたどって帰る

 ・ほの暗い森を歩いているように湿った土が足につく墓地

 

 こういう、細部にこだわって掬い取った歌はとてもいいです。 「発砲スチロールの箱」「さっきまで鳥がとまっていたような配電線」「湿った土が足につく墓地」。

 どれもいま目の前で自分が見ているかのような、感じているかのような臨場感があります。

 

 ・クーラーを消してお米を磨いでいる今日という一日のほとりに

 ・することはそれほどなくて図書館の利用カードの住所を変える

 ・乗客は乗り込んだのに雨の日のドアをしばらく開けているバス

 ・つまさきを上げてメールをしていたらかかとで立っていたと言われる

 

 日常生活は「たわいのない」ことの連続で成り立っていて、それを「たわいのないこと」から掬い上げることが短歌を作るひとつの大きな意味でもあるのだけれど、土岐さんの歌は「たわいのないこと」を「たわいのないままにする」ことを中心に作っているように思われます。 

 

 これまでも「たわいのないまま」な歌を作っている歌人はいたけれど、土岐さんは「たわいのないまま」よりさらに「たわいのなさ」を強化している気がしました。

 

 「クーラーを消してお米を磨ぐ」。 クーラーをなぜ消すかとか、「お米」の「お」とか。 ほんとうに理由なんてなくてクーラーを消してお米を磨いだのでしょうけど、そこをゆるくわざとしています。「することはそれほどなくて」という一見るどうでもいいようなフレーズを第一句、二句にあてています。 「乗り込んだのに」の「のに」、「メールをしていたら」の「たら」がわかりやすい例です。

 

 日々の暮らしの外側で生きているような、独特な感性はこれからどんなふうに展開されていくのか、注目していきたいと思います。

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