きょう、会社の帰りにNHK短歌10月号を読んだ。
友人の錦見映理子さんの書いている「えりこ日記」はいつも最初に読みます。 今回は小川佳世子さんのお話。 小川さんは神楽岡歌会でご一緒しているとてもすてきな方で、憧れの人です。 小川さんの第二歌集『ゆきふる』はながらみ書房出版賞を受賞され、その授賞式のことと小川さんの言葉やひととなり、雰囲気がよく伝わってきて、そして錦見さんの愛が溢れていて、じぃんとなりました。
このあいだ、先輩ふたりと六曜館でお茶していたときに、錦見さんと東大の構内を歩いたことを話したことを思い出していました。 古い建物の雨樋がとても気になったり、蒸気がでている建物がすてきで、立ち止まっていたこと、鳩におびえながらしがみついていたこと、いろいろ話しているうちに懐かしくて。 話をきいていたおふたりもくすくす笑っていました。
ずっと以前から雨樋とか、工場のパイプとかが好きで、見ているだけでパワーが湧いてくるというか、材料になってあの中を流れたい気持ちになってくる、という話をしたら、
Iさん「あら、そうだったの。そんなこと初めて聞きましたよ」
私 「尼崎工場のクルージングにも誘ってもらって、行ったこともありますよ。 きれいなイルミネーションもいいけれど、動いて働いている姿が私は好きなんですよ」
Iさん「そういう歌は作らないの?」
私 「工場は、作品にするのがもったいないくらい好きなんです。 というか、私の力ではよさを表現できない」
Iさん「言葉が追いつかないのね」
私 「それに、きょうみた醇さんのイタリアの絵みたいに、お腹のなかに大切に燃えているエネルギーの源みたいなもので、そのものは作品にしようと思ったことはないんです」
Mさん「そういうものかもしれないわねぇ」
実際、Iさんに言われるまで、自分でさえ工場やパイプの歌って作ってないなぁって思わなかったのです。 作ろうという発想がないというのでしょうか。
こうして口に出して言ってみたり、日記に書いてみると、そういうものだったんだな、と確認できて、不思議な気がしています。
来月には小倉へ行こうと思っているところです。
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