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いつでも君のこと好きだったよ

やさしさの連鎖

2021-11-06 21:49:48 | 日記

 母の里の山陰への旅を終えて。終わったばかりはほんとうに疲れ切っていて、しんどかった、ということばかりだったけれど、数日たって思い返してみると、心に残っているのは「みんな、やさしかったな」ということ。

 

 年老いた両親を歓待してくれた親戚もそうだけれど、道中のサービスエリアで、父と私が通るまでずっとドアを抑えていてくれた人、私が男子トイレの前のベンチで父を待っていたら、工事現場ふうのおじさんがトイレからでてきて、「いま、お父さん、手、洗っとられるけん」と声をかけてくれたり。なんだかみんなのんびりしていてやさしかった。

 

 大山がいつも見える場所で暮らしていたらおおらかになるのかなぁ。

 

 それから、従妹や叔母から旅行のあとで「ご両親がとても幸せそうにされていて、それは娘二人の連携の賜物だと思いました。ありがとう」というようなメッセージが届いた。両親からねぎらわれることがなくなったとしても、そんなふうにほめてくれる人がいる、と思うと素直に嬉しかった。

 

 金曜の昼休み。10月から営業に配置換えになった息子が、ネクタイピンがほしいというので、このあいだのチェコフェスで買った水色のガラスボタンのネクタイピンを送ったら、ガラスボタンの一部が欠けていたという連絡が来る。ショック。ちゃんと私が確認して買わなかったからなぁ。というか、ネクタイピンは私が行った時点で2本しかなくて、水色か黒かしかなかった。写真を撮って、息子が水色がいいというので水色を買ったのだった。

 

 あのお店、アンバサダー仲間のひとがやっているお店だし、交換か買いなおしができないか聞いてみようか、とラインに書いたら、「その交換したやつよりガラスの色とか配置がこっちのほうが綺麗かもしれんからこのままでいい。ガラスのところは欠けてないし、ハンドメイドってそういうものやろうし」

 

 という返事がきて、そのまま使ってくれることになった。ちょっとほっとした。ショックだったけど、そんなふうに大切にしてくれて、また、知り合いにも嫌な思いもさせなくてすんでよかった。

 

 山陰で会ったひとや息子の言葉に、自分を反省する。ついつい、「攻める」気持ちで過ごしている最近のわたし。いまのコーディネーターという仕事はどうやったら事業が改善できるか、ということを常に考える仕事で、改善ということはいまだめなところを見直さないといけない。いつもだめなところを見つけようとしてしまうのだ。

 

 金曜日の帰り。バスでよくみかけるおじいさんが乗ってきた。あ、あのおじいさんだ。前にマスクをしないで大声で友人と話していて、私が注意した・・・・(ここを継続的に読んでくださっている人はご存じだと思う)

おじいさんはバスに乗るとすぐに居眠りをしていた。それでバスが大きく揺れたときに足元の紙袋が倒れて、なにかがころころと転がる音がした。あわてておじいさんは転がったペットボトルを拾い上げてまた紙袋に入れた。もうひとつなにかが落ちた気がするけど・・・・

 

 私が降りるときに椅子の下を確認したら、もう1本、缶コーヒーが転がっていた。拾い上げて「落ちていましたよ」とおじいさんに渡すと、「ありがとう」とお礼を言われた。

 

 きっとみんなのやさしさが私の行動につながったんだなと思った。

 

 だれかから受けたやさしさをまた別のだれかに渡せたら、いい世の中になるんだろうな、と思いながら帰った。

 

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