
きょうは第40回サイダー歌会。午前10時スタート。
メンバー7名全員が揃う。
私が出したのはこんな歌。
・過剰なる泡の勢い 止められずクリーム色に溢れ咲く栗 藤田千鶴
私が初めて栗の花を見たのは、数年前小野市の短歌イベントへ向かうバスの窓。突然圧倒的な存在感で現れた。ぎょっとして、となりの塔のひとに「あれはなんの花ですか」ときいたら、「あれは栗の花よ」と言われた。
栗って実はよく見るけれど、花ってあんなふうに咲くのかと驚いた。
まるで噴射するように咲いている。枝垂れ花火というのか、噴水というのか、痛々しい、と思った。やむにやまれず咲いている感じ。
このあいだ、大阪へ向かうJR大和路線の窓から栗の花が見えた。すぐにわかった。山近い畑の隅に植えられていて、クリームが爆発したみたいに咲いていた。きょう出した歌はそのときに感じた風景。
「歌そのものが過剰」「栗の混乱」などのコメントをいただいた。7人のうち、栗の花を見たことがあるひとが私を含めて二人だけだった。そのひとも奈良在住だから、近畿にしか咲かないのか。そんなことはないと思う。
栗の花が咲いているのを見ると、「こんな咲き方しかできないんです」というふうに栗が困っているように感じる。湧き上がってくるまま、制御できない感じ。苦しそうで、自分も苦しくなってくる。たまに人でもこういう人いるよなぁと思う。そして自分を省みる。
過剰なエネルギーは人を知らず知らずのうちに傷つけていることもある。
難しいな。パワーの漲っているひとには近づいてパワーを分けてほしいと思うけれど、痛々しい漲り方のひとからは遠ざかりたくなる。
そうそう。この歌の「泡」については、シャボンとか石鹸の泡のような読みをされたのだけど、これはビールとか炭酸の泡のイメージ。あがってきて吹きこぼれる感じ。泡といってもいろんな捉え方がある。
写真は職場近くの魚の定食屋さん。たまにひとりで食べに行く。
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