ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

導き

2018-01-10 22:13:30 | 日記

 人生にはどうしても抗えないことがあるものだなぁと思うこのごろ。

 

 こちらがとても思いつかないような戦法でせめてこられて、こちらもがんばっていろいろ調べたり人に訊いたりしてようやくよし!と思って出した答えに対して、またするすると鎖の壁が降りてくる。12月末からつぎつぎに降って来るものをかわしながら、えいっと出した槍を簡単にポキンと折られる、そんな感じ。

 

 玄関に掛けた「広場」に向かって、「なんでこういうことになってるんでしょうか」とつぶやく日々が続いていたのですが。

 

 きょうは介護申請のために義父母といっしょに市役所へいきました。義母が外へ出るのはこのあいだの親戚のお葬式以来。ひさしぶりです。

 

 3人でキリン堂へ行って日用品を買い、川柳の会の新年会のお店へ義父を送っていって、義母とふたりで午後を過ごしました。たまには義父もひとりの自由時間が必要です。

外食は嫌だから、コンビニで何か買って帰ろうという義母を説得して、宇治植物園に隣接するレストランへ行きました。

 

 食欲がないというので、ひとりぶんのランチとミルクティをふたつ頼み、はんぶんずつ食べました。ちいさなドルチェもついてきて、それもふたりでわけました。そのあと、私の好きな雑貨屋さんで、ネパール製の温かなストールとマフラーがセールになっていたので、義母にストールを、私にマフラーを買いました。ちょうど義母は誕生日が近かったので、気に入ったものがあげられてよかったです。

 

 けっこうのんびりそこで過ごしていたら、雨が降ってきたので、洗濯ものをとりこみに家へ帰りました。 義母とふたりでココアを飲んで、いろんな話をしました。義母の子供のころの辛かった話を初めてききました。 そして夕方に義父母宅へ送っていって、義父を待ち、つぎの病院の日の時間を確認して帰りました。

 

 そして、自宅へ戻って玄関の「広場」に「ただいま」といったとき、ああ、これは、導きなのかもしれない、ということに気がつきました。

 

 戦おうとしていたけれど、戦うべきものではなく、進むべき道が別の方向に展けているのではないかと。

 

 そう思うと、鎖の壁は別のほうへ私を誘導するためのやさしい幕のように思え、つぎつぎに降ってきていたものは流れにのせるための柔らかな光に思えてきました。

 

 とても大切なことを忘れていました。 自分の人生、自分そのものを信じていないと、道は険しくなっていくのです。 20歳くらいのときに教えてもらったこと。そのときはあまりピンとこなかったのですが、ほんとうにそのとおりだなと人生の折り返しを過ぎて思います。

 

 わたしは わたしを信じています。

 

 

コメント
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