「梁」88号を送ってもらって、楽しみながら読んでいます。
まずは大森静佳さんの「河野裕子の歌鏡(三)」。読み応えがあります。 今回は第四歌集『はやりを』、第五歌集『紅』の二歌集をとりあげ、初期三歌集からどんな変化があったか、ということを、家族やアメリカでの暮らしなどの環境、同時代の歌人、歌壇、世の中ことなど、実に多角的に検証し、自分が突き止めたもの、考えたこと、浮かび上がってきたことが鮮やかに述べられて、説得力がありました。
誰かが書いたことや、何度も引かれている歌についても、もう一度自分の感覚で味わいながら、考え直すという姿勢。 誰かが書いたあとの余白をつついていくのではなく、同じことを書いている部分があったとしても、私はこう読む、という力が漲っています。
河野裕子の言葉そのものや、小池光の歌との比較など、構成がよくて最後までスリリングでした。 18頁もあるのに、もっと読んでいたいと思わせる論です。
「河野が繰り返し詠むこの寂しさは、存在の根源に巣食う寂しさなのだ」「いかにも過剰でありながら同時にどこか欠落しているような河野裕子独特の感受性は、ここからまた新たに不思議に茫洋とした世界を現出させてゆく」
こうして書かれると、その通りだと思うけれども、そこまでに至る道筋は誰にでも書けるものではないと思う。
「塔」の2月号の大森さんの山下泉さんの作品連載評「敬虔な旅人のうた」もとても深いところまで歌といっしょにその世界を自由に潜り、くぐりぬけ、言葉にして表現できるということに、評者として適任だなぁと思いました。 河野美砂子さんの作品連載評の藪内亮輔さんの評「死と音」もそのよさを言葉にしにくい部分を厳しさと親しみを込めて書かれたいい評でした。
「梁」88に掲載されている歌についても書きたいのですが、またあらためて書くことにします。